【佐々木俊尚コラム:ドキュメンタリーの時代】「それでも私は Though I'm His Daughter」
2025年6月15日 09:00

1990年代のオウム真理教事件は30人以上の死者・行方不明者を出し、地下鉄サリン事件では6000人を超える負傷者が出た。戦後最大の凶悪事件として日本犯罪史に記録されている。裁判ではオウム教団の実行犯ら13人の死刑判決と5人の無期懲役判決が確定。2018年、13人の死刑が執行されて事件はとりあえずは終結した。
本作の主人公は、死刑を執行されたオウム教団の教祖・麻原彰晃(本名は松本智津夫)の三女、松本麗華さん。事件のころ12歳で、メディアに追いかけ回されていた彼女の「アーチャリー」という教団名を覚えている人は多いだろう。本作は彼女のその後に寄り添いながら、彼女が歩んできた人生を描いたドキュメンタリーである。

松本麗華さんの人生は、筆舌に尽くしがたいほどの困難である。いくつもの高校や大学に入学拒否され、身元がばれたとたんにコンビニのバイトを解雇され、銀行口座さえ作れない。いまも公安調査庁の監視対象になっており、生涯にわたって「自由な人生」は訪れないかもしれない。教団の後継団体との関与が疑われているにしても、それにしてもこれら日本社会の扱いはあまりにひどい。
彼女は本作の中で語る。「個人に嫌われているだけなら、逃げてしまえばなんとかなる。でも国が動いているとなると本当に難しい。強大すぎる」。しかしこのような社会からの排除と困難の中でも、彼女を支えようとする人たちが高校や大学にもいて、支援する人たちもいることが本作では描かれ、とても小さな希望となっている。
このあたりの話は、松本麗華さんがちょうど10年前に書いた著書「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」(講談社)にも非常に詳しい。本作と併せて読まれることをお勧めしたい。

本作を観て日本社会の酷薄な扱いに憤激し、義憤を声高に叫ぶのは自由だが、しかしわたしが個人的に非常に感銘を受けたのは、実のところまったく別の側面だった。それは松本麗華さんというひとりの個人が、その困難な人生のなかで何を「軸」として生きようとしているのか、その「軸」をどう探そうとしているのかという、彼女の人生への向き合い方だった。
彼女は悩み続ける。父をいまでも信じている部分はある。しかし戦後最大の凶悪事件の主犯として、死刑執行されたという事実はどうしたって否定できない。彼女は独白する。「被害者の遺族の方に会うと、生きていて申し訳ないという気持ちにもなるんだけど……でも謝るのも違うし、どうしていいかわからないっていう……」
居場所はなく、家族にも親族にも頼れない。いったいどうすればいいのか。そういう中で、彼女が見いだしているのは彼女自身の「身体」だったのではないか。
深い山の渓谷で彼女がヘルメットをかぶり、急流の中をシャワークライミングする姿が紹介される。冬枯れの山の稜線を姉とともに歩き、眺めの良い山頂から遠くを見わたしている様子も描かれる。スポーツジムで筋トレにも精進し、さらにはボディビルの大会に出場するシーンまで登場する。そしてなんと、彼女は最終的に三位入賞し、メダルを手にするのだ。

本作とは関係ない下世話な話で申し訳ないが、筋トレ界隈でよく言われる「筋肉は裏切らない」ということばがある。日常の仕事をしていれば上司や部下や取引先に裏切られたりひどい扱いをされたり、この世で生きていくのにはままならないことが多い。しかし筋肉だけは、鍛えれば鍛えるほどに盛り上がり、決して期待を裏切ることがない。最後に頼れるのは、自分自身の身体だけという意味が込められているのだ。
同じような哲学を、本作で描かれる松本麗華さんにも感じる。40代になった彼女がラストシーンの山頂で語る、「50代になっても、60代になっても」から続くことばには、そうした人生への向き合い方がしっかりと込められているように感じた。

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