【「瞳をとじて」評論】映画というもの、映画を見ることの神髄が浮上するエリセ31年ぶりの新作!
2024年2月11日 22:00
ほぼ半世紀にわたるキャリアでたった4本目の(しかも31年ぶりの)長編監督作「瞳をとじて」を携えて帰ってきたビクトル・エリセ。待ちこがれた新作はその始まりと終わりに未完に終わった映画内映画を置き、とろりと蜜色の室内に満ちたフィルム撮影ならではの手触りを差し出して、「ああ映画だ」と、言葉にするとなんとも間抜けな、けれどもそうとしかいいようのないため息にも似た感懐で観客の渇望を満たしてくれる。
昨年末からこの春にかけてカウリスマキ「枯れ葉」、ヴェンダース「PERFECT DAYS」、そうしてエリセと、ミニシアター旋風を支えた欧州の精鋭たちの健在ぶりを証明する快作が立て続けに公開されてオールドファンには眼福の日々なんて、思わずはしゃぎたくもなってくる。そんなふうに浮かれた老人のお勧めなんて聞きたくもないと引きかけた新世代の面々にこそエリセの世界、その真正の映画愛、届いて欲しいと声を限りに吹聴したくもなっている。
死を前に生き別れた娘との再会を望む老人の命を受け探偵役を請け負う男、彼を演じ撮影中に失踪した俳優フリオと、彼を探すことになる親友で映画内映画の監督でもあるミゲル。ふたりをめぐって展開される「瞳をとじて」はそこに探偵映画というおなじみのジャンルをじわりと透かし見せる。消えた男の謎を追って自分自身を探すこと、知ることをするはめに陥る探偵――そんな定型そのままにフリオを追ってミゲルは記憶とアイデンティティの鬱蒼とした森に分け入っていく。
頓挫した企画の後、映画作りの現場を離れ、南に下り海辺のコミュニティで短いものを書いたりしながら隣人と和みの時を分かつ今に至るまでの、失われた時を求める旅を旅することになる。フリオと共に愛した女性との再会、亡くした息子、父の知らない彼の才能に気づいてくれていた映画作りの同志。過ぎ去った時、消えない傷、甦る記憶、不在ゆえに、そこにない何かであるがために逆に鮮やかに結ばれるイメージ。時が、記憶が喚起する物語のなまめかしさ。再会した恋人にまるで見たことのように(映画の回想場面然と)ミゲルはフリオ失踪の日の情景を物語る。
そのまざまざとした幻影が映画というものの成り立ちを請け負ってスリリングに目に、胸に迫る。それはフリオ失踪の謎を追うテレビ番組(ミゲルが証言者として召喚される)の軸となる現実、事実の寒々しい描かれ方と対比され、エリセの愛のありかを改めて思わせずにはいない。ホークス、西部劇(スペインで撮ったマカロニウエスタンにも)、リュミエール兄弟やドライヤーと映画史に目くばせし、映画の精霊を呼び覚まさせるかのような台詞が半世紀を経た処女長編のヒロインから発せられる。そうして瞳をとじること。とじた眼で見ること。スクリーンの中に自分(記憶)を見出し対峙すること。映画というもの、映画を見るということの神髄がそこに浮上する。「ああ映画だ」と次にまた、エリセにため息する日が素早く訪れることを熱望する。
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