「コット、はじまりの夏」を完成させるために必要だった“奇跡”とは? コルム・バレード監督が撮影の裏側を語る
2024年1月26日 09:00
第72回ベルリン国際映画祭の国際ジェネレーション部門(Kplus)でグランプリを受賞した「コット、はじまりの夏」(1月26日公開)。同作は、1981年、夏のアイルランドを舞台に、9歳の孤独な少女コットが親戚夫婦と過ごした特別な夏休みを描いた作品だ。
本作で鮮烈デビューを果たしたコット役のキャサリン・クリンチは、史上最年少の12歳で、2022年のIFTA賞(アイリッシュ映画&テレビアカデミー賞)の主演女優賞を受賞。その圧倒的な透明感と存在感で、寡黙だった少女が生きる喜びに溢れていくさまを、繊細な演技で表現している。
本作を手掛けたのは、ドキュメンタリー作品を中心に、子どもの視点や家族の絆を誠実に映し出してきたコルム・バレード。コットが親戚のキンセラ夫婦との生活で初めて触れた深い愛情、自己を解放し成長していく姿を、静かながらも丁寧に描き切ってみせた。映画.comでは、バレード監督にオンラインインタビューを実施。映画界に足を踏み入れるきっかけ、父との思い出、そしてクリンチの“素晴らしさ”を語ってもらった。
【「コット、はじまりの夏」あらすじ】
大家族のなかで、ひとり静かに暮らすコットは、親戚夫婦のキンセラ家で夏休みを過ごすことに。寡黙なコットを優しく迎え入れるアイリンに髪を梳かしてもらったり、口下手で不器用ながら妻・アイリンを気遣うショーンと子牛の世話をしたり。ふたりの温かな愛情をたっぷりと受け、毎日を丁寧に過ごすうち、初めは戸惑っていたコットの心境にも変化が訪れる。緑豊かな農場で、本当の家族のようにかけがえのない時間を重ねていくなかで、コットは経験したことのなかった生きる喜びを実感し、やがて自分の居場所を見つけていく。
●監督を目指すきっかけ、父との思い出
物を書くのが好きで、そこから始まりました。父の影響で兄弟ともに映画が好きになり、映画に対してもものすごく興味がありました。TVは反対に“脳に悪影響”という考えの父でしたが、ビデオデッキを買ってからは、F・W・ムルナウやチャップリンなど映画史をキュレーションして僕たち子どもに見せていました。
その後、30年代のハリウッドミュージカル、ノワール、(特に)ヒューストンなど、これを作っている人たちは一体どんな人たちなのかと考え始め、思春期の時には映画作りに興味を持ち、夏にいとこと映画を作った経験があります。15歳の時、田舎のいとこの家に滞在中のことで、演技も自分たちでやりました。とても美しい体験でした。
短編の「Mac an Athar(父の息子)」は半自伝的で、英語が使われている町でアイルランド語を話す少年が感じている居心地の悪さのようなものを描きました。近い年頃だった自分の感情を反映したものです。
「コット、はじまりの夏」の主人公コットは自分を表現するのが苦手な内向的なキャラクターですが、僕自身も外に出ると同じような感じでした。誰かとの会話に参加するよりも観察しているような感じです。ただ僕は幸せな少年時代を過ごしてきたのでそういった点はコットとはだいぶ違いますが、コットの家族が使う言語という点では“僕の家族(=実家)”に似ていました。片方の親はアイルランド語を話して、もう片方の親は英語しか話さない。それがコットの内面に影響してくるんです。
僕の父は絶滅の危機に長年晒されているアイルランド語を残す活動をやっていたので、僕らにも人前でアイルランド語で話してくるんです。外でも通りの向こうからアイルランド語で呼びかけてきたりしていましたが、当時の自分としては、他の家と同じようにしてほしくて、目立ちたくないという感情もあったんです。でもアイルランド語なので目立ってしまって。だから子どものころは少し居心地の悪さもあり反抗していました。
●原作は「親切/優しい心」についての物語
原作は言ってしまえば「親切/優しい心」についての物語だと思いました。(映画の企画の説明をする時には)あまり色気のない、いわゆる「売り込み」にくいものかもしれませんが、とてもシンプルで、どんなバックグラウンドを持っている方でも誰でもつながりを感じることができる。だからこそ、世界のどこに行っても(本作は)同じように受け止めて貰えているんだと思っています。
描かれる「親切/優しい心」と深いつながりを感じてもらえている。他人を大事にすること……ということでもありますよね。劇中では(キンセラ夫妻が)コットを慈しんでいますが、コットも逆に彼らを慈しみますから。新しい国で公開されてLetterboxに感想があがるたびに、同じように響いたと書き込まれるのですが、それがブレないのがまたすごいし、(原作の)クレア・キーガンがいかに普遍的な物語を作り上げたのかがわかります。本作のテーマは普遍的で、どの国で制作されて、その国ならではの特性が備わったとしても、核となるストーリーは変わらないんじゃないかと思っています。
●キャサリン・クリンチは、映画を完成させるために必要な“奇跡”だった
オーディションでキャサリン・クリンチだけが「彼女ならいける」と感じた人でした。非常に成熟した感受性を持っていたし、作品を背負える強さというのも持っていました。彼女は本当にすごい才能の持ち主です。スクリプターに聞けば、おそらく一番テイク数(=撮り直し)が少ない役者はキャサリンだと言うと思います。
それくらい才能があふれていて、カメラの前で演技をしたことはなかったにも関わらず、撮影の要求にたやすく、見事に応えてくれました。しかもキャラクターにとても深い理解を持っていて、撮影では少しニュアンスを調整するくらいで、自分があまり演出をする必要がありませんでした。
コット役に対しては「自分の姉妹のように感じる」と言っていて、それは彼女が持っている美しい共感力のいい例だと思います。フィクションのキャラクターに対して、自分が血肉を分けた姉妹のように感じていると言ったわけですから。現場のスタッフたちは非常に高いレベルの人たちだったのですが、初めて演技をしている彼女の姿を見て、「何か特別なものが今ここで起きている、その瞬間を今捉えている」という感覚がみんなの中にありました。ある意味彼女が映画を率いていく光のような存在にだんだんとなっていきました。この映画を完成させるために必要な奇跡――それがキャサリンでした。
●子どもを演出する上で心掛けていることは?
何よりも大事なのは、若い役者との間に信頼関係を築けているかということです。それはおそらくオープンに対話することで作られるのではないかと思います。と同時に、彼女ら、彼ら自身の人生や、彼女たちが何を体験しているか?に私たちが興味を持ち、そしてキャラクターに対しどんな風に感じているのか。自分たちが体験したことが反映されているのか?ということを私たち自身が感じ取らないといけないと思っています。
もちろん若い役者たちを守らないといけない点もあります。若い役者たちがそのシーンで実際に起きていることを正確に知ることが必ずしも適切ではない場合もあります、そういう場合はそのシーンの文脈内で成立する演技を引き出すために、もともとあった要素を他のことに置き換えることもあります。そうすることで、そのシーンに必要な演技を引き出しながら、若い役者たちを不適切なことから守ることができるのです。
「コット、はじまりの夏」では、そういったケースは当てはまりませんでしたが、過去の別の作品の中ではありましたし、若い才能と仕事をする上では念頭に置かねばならないと考えています。
でも若い人たちと仕事をするのは本当に美しいことです。すごくオープンだったり想像力にあふれていたり、本当に生き生きとしていて、やはり“子ども”という存在は想像力や遊び、何かを表現することに対して積極的な感覚を持っていると思うのです。もちろん本作でキャサリン・クリンチが演じたコットは自己表現をしないキャラクターでしたが、言ってしまえば「自己表現をしないキャラクターを演じる遊び」だと捉えることもできますよね。
映画を見ていただければ、キャサリンの中にキャラクターの中に入りこむ、演じるというオープンさがあるからこそああいう素晴らしい演技になったことを感じていただけると思いますし、そういったことを見られるのは若い役者さんと仕事をする上で一番の喜びでもあります。
大人になると自分たちの童心や、ありのまま感じていたことをだんだん抑えるようになり、かつては制限することなく表現していたようなこともあまり表現できなくなってしまったりするものです。大人は年を重ねるごとに礼儀正しいことじゃない、すべきじゃないと言われるうちに自分自身を抑制し社会からの距離を保ったり、社会から受け入れられるであろう人間になるので。でも若い才能というのはスッとそこに入ることができるのです。
自分自身のことを言ってしまうと、僕は大きな子どもなんだと思います(笑)。
僕には2人の子どもがいて、子どもたちと一緒に時間を過ごし遊ぶのが好きなんです。想像力を膨らませたりストーリーテリングも大好きなので、自分が映画を作るうえでも若い役者と仕事をしたいと思うのは自然なことかもしれません。
●ラストシーンを目撃することは「本当に心動かされる体験だった」
特にラストに向かう“走る”シーンは、最後の方で撮影したシーンの1つでした。感情面については、今回はほぼ順撮りということもあって十分築けていたので、後は物理的な行為(=走る)をただおさめるような感覚でした。コットが心を突き動かされて行動した……というイメージだったと思います。
ここで描かれる“事実”がすごく力強くて、あの時点で2人(キャサリン・クリンチ&アンドリュー・ベネット)に何か演出をするということもほとんど必要ありませんでした。その時点でもう2人の関係がしっかりと築かれていたからです。
コットの行動にどんな痛みや美しさが伴われているのか、理解できる。なのでこの時に現場で必要だったのは、物理的に彼らがその行為を演じるだけでよかったのです。自分自身、監督として介入する必要もほとんどなくて、ただその様子を見守っているような感覚でした。シンプルな形でアングルもある程度数をしぼって、その瞬間の奇跡を切り取ろうとした、というのを念頭に置いていました。
ぼくら制作陣はこの映画と共に長い旅をしてきたので、映画のキャラクターたちが起こしたラストシーンを目撃することは本当に心動かされる体験でした。モニターを見ながらみんな目に涙を浮かべていましたね。特にコロナ禍での撮影だったということもあって、それまで日常の出来事だった誰かを抱擁することが突如異質なものになってしまった中で、誰もが物理的に人と触れることを求めていた時だったと思います。
なので、僕らが見たラストシーンはとても強く印象に残っていて、より感動しました。「走る」からは少しずれてしまったのですが、最後のシーンはそういう風に進んでいました。
●子どもがいるということは「本当に尊い。とても美しい責任だと思います」
映画をご覧になる方にはどっぷりと浸ってほしいなと思っています。それは自分の人生の若かったころ、あるいはもっと早い段階に戻ったような気持ちになってほしいという意味なんです。
この映画が、自分が子どもだった時の感情をみなさんに感じさせてくれるようなものであれば嬉しいです。誰かから慈しまれたり、親切な心で触れられたり、それはどんな感覚だったのかを思ったり。また逆にそういう経験がないことが、どのように人を蝕んでしまうのか、ということも。
お子さんのいらっしゃる方には、この映画をきっかけにあらためてご自身が親であることがいかに尊いかを感じてほしいですね。生物学的でもそうでなくても、人生の中にとにかくどういう形であっても子どもがいるのは本当に尊いことです。とても美しい責任だと思います。こういったことは忘れてはいけないと思いますし、当たり前のことでもないのですから。
観客の方がこの映画、特にエンディングをどう思ったのか?みなさんの解釈を聞いてみたいですね。
映画自体が一つの問いかけで終わると思っているのですが、「コット、はじまりの夏」を観たたくさんの人がこの映画の解釈について質問してくるので、逆にみなさんがどう思われたのか? そこに興味があります。
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