「この瞬間」をたっぷり浴びて――「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」【コラム/スクリーンに詩を見つけたら】
2023年1月17日 17:00

古今東西の映画のあちこちに、さまざまに登場する詩のことば。登場人物によってふと暗唱されたり、ラストシーンで印象的に引用されたり……。古典から現代詩まで、映画の場面に密やかに(あるいは大胆に!)息づく詩を見つけると嬉しくなってしまう詩人・大崎清夏が、詩の解説とともに、詩と映画との濃密な関係を紐解いてゆく連載です。
今回のテーマは、イーサン・ホークとジュリー・デルピーが共演したラブストーリー「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」(リチャード・リンクレイター監督)です。
もしも「名刺代わりの映画」を10作選べと言われたら、どう考えても「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(ディスタンス)」をその1本に選ばないわけにはいかない。それくらい愛している映画なのに、私はこの映画に詩が登場することにまったく気づいていなかった。教えてくれたのは、つい先日、出版社の営業さんと書店を巡っていたときに映画の話で一花咲かせてくださった書店員のSさんだ(Sさん、その節はお世話になりました!)。
ブダペストからパリへ向かう長距離列車の中で出会ったふたりが、ウィーンの街で降りて、ひたすら歩く。歩きながら、死とか愛とか反抗とか、神とか信仰とか永遠とか、とりとめないのにとても重要に思われる話をふたりは延々話し、レコード屋の狭い試聴室で一緒にレコードを聴き、観覧車でキスして、少しずつ距離を縮めてゆく。疲れたらベンチで休み、カフェに入ってコーヒーを飲む。
この映画がすばらしいのは、本物の若い恋人たちが知らないことを、ふたりが知っていることだ。それは時の残酷さのこと、いまこの瞬間はこの瞬間でしかなく、いったん別れてしまえば「この瞬間」は「あの瞬間」になり、「あの瞬間」を繋ぎとめようとすればすべてがその手段に成り果て、初めの初々しさは長続きせずに壊れていくこと、そんなのはつまらなくてむなしいから「永遠の関係を求めるのはやめよう」「私たちには今夜しかない」と、ふたりが割り切ろうと足掻くこと。
詩が登場するのは映画の後半、もう夜が明けて、ふたりにかかった魔法がとけかけた頃だ。ふたりはもう「今夜だけ」の約束なんて捨て去りたくなるほど恋に落ちてしまっている。その迷いのなかで、ジェシー(イーサン・ホーク)がセリーヌ(ジュリー・デルピー)にこう切り出す――「ディラン・トマスのレコードを持ってる」「オーデンの朗読だ」と。そしてその一節を、徹夜明けの少し疲れた声で暗唱する(ちなみにディラン・トマスは、本連載の第7回にも登場)。
W・H・オーデンは1907年に英国に生まれ、第二次世界大戦を逃れて米国に移住し、晩年に朗読ツアーで訪れたウィーンで亡くなった。1937年に書かれたこの詩のタイトルは「ある晩、散歩に出て(As I Walked Out One Evening)」。ああ、なんてこの映画にふさわしいタイトルだろう。どうして今まで知らなかったのだろう!
W・H・オーデン
ブリストル通りを歩いてゆくと
舗道の上のひとびとは
いちめん実った小麦畑だった。
恋する人が歌うのが聞こえた
線路の高架下でこんなふうに
「愛は終わりなきもの
中国とアフリカが出会うまで、
そしてこの川があの山を飛び越え
鮭が通りで歌い出すまで、
時代の花と
世界の初恋を抱えた、
私のこの両腕のために。」
鐘を鳴らして唸りだした
「おお、時に欺かれてはならぬ、
お前は時を征服できぬ。
正義が裸でいるところ、
時は物陰からそっと窺い
お前の接吻と同時に咳をする。
あいまいに人生は漏れ出して、
時はその思うままを手にする
明日にも今日にも。」
恋人たちはいなくなっていた
時計はいつしか鳴りやんで、
深い川は流れ続けた。

永遠の愛を誓う恋人と、その滑稽さをたしなめる時計の鐘の音。最後にはどちらも沈黙にかえって、川のせせらぎだけが残る――。さっき映画を見直したばかりの私の脳裏では、飛ぶように過ぎる線路を真上から映した冒頭のショットが川の流れのイメージとオーバーラップする。永遠など求めてはならないと歌いながらも、この詩は「この瞬間」に宿るふしぎな美しさを留めようとする。小麦畑のように黄金色に輝いて見える街の雑踏。ひとが生きて誰かと出会い、言葉を交わして触れあい、両腕いっぱいに花を抱えるように、その時間をいつくしむ姿。
ふたりが小さな共同墓地を訪れるとき、駆けてゆく一羽の兎に出会うのも、きっとこの詩へのオマージュだろう。日本語では「走るのが速い」イメージが強いけれど、英語のrabbitはどちらかといえば「強い繁殖力」に結びついているから、「年月は兎のように駆けるだろう」はここでは「楽しく実り豊かに過ぎるだろう」というニュアンスではないだろうか。
ウィーンの街並みも、カフェのあちこちでさまざまな言語で交わされる会話も、流れ聞こえてくる音楽も、この映画においてはすべてが詩としてきらめいている。何度か訪れたヨーロッパ各地で私が魅了されたのも、そこに生活するひとびとが散歩というものの豊かさをよく心得ていることだった。夕暮れどきには、公園にも舗道にも「この一瞬」を愉しみ、味わい尽くそうとするひとたちが繰りだして、時をたっぷり浴びにきていた――。
ところで、この映画にはもうひとり、名のない詩人が登場する。彼は川べりの階段に凭れかかり、自分の周りにくしゃくしゃの紙を何枚も散乱させて、夜の散歩道をやってくるふたりに声をかける(「ウィーン風の宿なし詩人ってとこだな」とジェシーがちょっとシニカルに言う)。詩人は「お金のかわりに言葉をくれたら、その言葉を入れて詩を書くよ。もしその詩が気にいれば、見合うと思うだけの礼をくれよ」と取引を持ちかけるのだ。取引に応じたふたりに贈られる詩に対するふたりの意見の微妙な違いも、私たち詩の読者には、見逃せない。
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