戦前日本の映画検閲で切除されたシーン 国立映画アーカイブがオンライン公開に踏み切った理由は?
2022年11月12日 10:00
東京・国立映画アーカイブで行われたイベント「戦前日本の映画検閲 ―内務省 切除フィルムからみる―」(10月15日開催)。同イベントで初上映された「日本の映画検閲で切除されたシーンの断片集」と、当日行われた加藤厚子氏(学習院女子大学非常勤講師)の講演「映画検閲再考―歴史資料としての切除フィルム―」の採録が、ユネスコ「世界視聴覚遺産の日」(10月27日)からオンラインで公開されている。
公開した断片集のフィルムは、1988年に寄贈された鳥羽幸信コレクションの中の35ミリフィルム「サイレント・カット場面集 邦画」(10分、16fps)と「サイレント・カット場面集 洋画」(14分、16fps)の2本。これらは、1925年から1928年の間、内務省警補局の映画検閲でカットされた断片集と推定されており、その断片の多くが、現在では“ロスト・フィルム”となっている“失われた作品”であることがわかっている。
「サイレント・カット場面集 邦画」には、日本映画史上、検閲問題で記録に残る「日輪」(1925年、マキノ=聯合、衣笠貞之助)や、日本初の映画スター尾上松之助の出演作で新機軸を打ち出した時代劇「落花の舞」(1925年、池田富保)などが含まれていることが判明。本編のフィルムが失われてしまった現在、公開当時は検閲でカットされたために見ることがかなわなかった場面のみが、90年以上の時を経て鮮烈に甦り、戦前日本の映画検閲の様相と共に、日本映画の知られざる魅力を明らかにする。
公開コンテンツの見どころは、以下の4つ。
オンライン公開は、HP(https://www.nfaj.go.jp/exhibition/unesco2022/#section1-5)からアクセス可能。「サイレント・カット場面集 邦画」(10分、16fps/1925~1927 年頃の公開作の切除場面)、「サイレント・カット場面集 洋画」(14分、16fps/1925~1928年頃の日本公開作の切除場面)、「落花の舞」[前・中・後篇](1925年、日活、池田富保/切除場面4分強/「サイレント・カット場面集 邦画」より抜粋・編集)は、国立映画アーカイブのYouTubeチャンネルでの視聴となり、加藤氏の講演採録だけでなく、「サイレント・カット場面集 邦画」「サイレント・カット場面集 洋画」の作品リスト(イベント当日に会場で配布された「カット場面集」に、新しい調査結果を反映したもの)も閲覧できる。
映画.comでは、イベント開催時にもコメントを寄せてくれた国立映画アーカイブ主任研究員・冨田美香氏に、再び話をうかがった。オンライン公開の目的、追い込み調査について語ってくれている。
オンライン公開は、この“切除フィルム”をユネスコ「世界視聴覚遺産の日」記念特別イベントのテーマに設定した時から、検討していました。このフィルムは、映画史やメディア研究はもちろん、歴史学、法学、社会学など多岐にわたる分野で第一級の史料といえる貴重なものですから、著作権上の問題はないと判断できれば、いつでもどこからでもアクセスできるように広く公開すべきだろう、と。
ただ、自分が初めてこのフィルムを見た時、スクリーンから、切除場面を作ったスタッフや俳優たちの無念というか“痛み”も伝わってくるような厳粛な気持ちになりながらも、断片映像の羅列で作品もよくわからないので、血糊の「残酷」や性的描写の「風俗」の切除が多いな、という印象で終わってしまった感があるんです。
それだとこのフィルムの本当の価値はわからないので、まず各場面の作品名と切除記録を明らかにして、公開時には、検閲で切除された場面であるという確かな調査結果と、当時の映画検閲制度がどういうものだったのかわかりやすい解説資料を一緒に提示しないといけないな、と思いました。
作品名と切除記録、当時の検閲の文脈や状況を明らかにして公開することで、初めて、切除された断片映像が検閲による「封印」から解かれて、「場面」でも「史料」でもない、「作品」としての顔を取り戻すことができる気がしたんです。古い発想かもしれませんが、これらの映像を作った映画人たちの“無念”を晴らして、彼らや作品の再評価につなげたいとも思ったんですよね。もちろん、広く公開することで、情報も提供いただけるなど同定調査を深化させる目的もあります。その為、“切除フィルム”の映像だけでなく、作品情報の資料と、イベント当日の加藤厚子さんの講演採録を、映画検閲制度の解説として同時に公開しました。
当初、講演の採録作成を前提に年度末の公開を考えていましたが、チケットが発売翌日に完売して参加できなかった方も沢山いらっしゃったので、イベント後に、ユネスコ「世界視聴覚遺産の日」(10月27日)での公開を決め、スタッフ3名で粛々と作業を進めました。
イベント後の同定調査はとにかく、「サイレント・カット場面集 邦画」の“突然薔薇が登場するキス”の作品をつきとめる、が第一目標でした。“薔薇キス”を同定できずにイベント当日を迎えたことが不本意だったんです。「キネマ旬報」はもちろん、あたりをつけていた映画会社のファン雑誌も一通り見終えて、「内務省警保局『映画検閲時報』」にも見あたらなかったので、最後の手段として、イベントの数日前から地下の収蔵庫にこもって、無声日本劇映画の所蔵スチル4000袋程に目を通す“ローラー作戦”に突入していました。
それで同定できた作品も若干あったのですが、“薔薇キス”は全くわからない。イベント当日の上映で、薔薇が現れて場内に笑い声が広がった瞬間、90年後の観客が思わず笑ってしまう映像を作った監督もこの作品も、名無しの権兵衛状態でしか上映できないことが本当に不甲斐なく、あの時の苦い思いは忘れられませんね。
なので、ローラー作戦を続けて、もう無理なのかなとあきらめかけた頃に、「都会の呪咀」のスチル袋から、“薔薇キス”の二人と小さな薔薇のスチルを見た時は、“やっと会えた”と、しばらく二人を見つめていました。「検閲時報」の確認と講演採録作業をしていた研究補佐員の星に、収蔵庫から「“薔薇キス”見つけた。収蔵庫までスチル取りに来て、すぐ『検閲時報』で切除記録探して」と連絡したら、公開用動画の作業をしていた研究員の玉田と二人で飛んで来ました(笑)。皆この作品をずっと気にしていたので、嬉しかったんですよね。
「検閲時報」の邦画の切除理由にも、「接吻」はわりとあって、「接吻の暗示」や「比喩」もいくつもありました。男女の顔が近づくと接吻の暗示で扉が開く、みたいな。しかも井手錦之助得意のコメディ「都会の呪咀」の切除理由は、薔薇が出るのに「接吻の暗示」ではなく、ただ「接吻」でしたから、実際の接吻か暗示か、シリアスかどうかは問題ではなく、性的欲望を示唆する「接吻」イメージがダメだった、ということでしょうね。
オンライン公開までに、「サイレント・カット場面集 邦画」の「不明」作品をどこまで同定できるかというカウントダウンの状況で、「落花の舞」と推定していた尾上松之助の場面と、酒井米子・沢村春子の乱闘シーンの証拠資料を集めて整理をしていると、隣席でYouTubeの公開用動画に黙々と細かい作品情報入力やチャプター付けをしていた玉田が、「これ、みんな『落花の舞』かもって思えてきた」と何気につぶやいたんです。見ると、男性二人の格闘シーンや、女性が男性を刺し殺す場面を指している。急遽、「落花の舞」のややこしいストーリーを読み込み、集めた資料を動画と突き合わせて二人で一つ一つ照合し…「その可能性、あるかも」となりました。
そこで、玉田が「落花の舞」と推定される場面を全部抜き出して1本に編集し、一緒に映画「落花の舞」の紹介資料や原作、検閲切除記録と何度も照合して「おそらくこれで違いないだろう」と10月27日に初めて公開したのが、「「落花の舞」[前・中・後篇]検閲切除場面」(「サイレント・カット場面集 邦画」より推定)です。実はこれでホッとしたのですが、一週間ほど経って「落花の舞」の資料を片付けながら目をとめた図版に、“切除フィルム”で特定できなかった“右胸を刺されてドクドク血を流す侍”と同じ髪型・顔つきの侍が、「落花の舞」の中心人物“少将”の傍にいることに、遅まきながら気づいてしまったんですね。それは少将の家臣で、謎の女に右胸を刺されて殺される人。“参ったなあ”と思いつつ調べてみると、美人画で有名な鰭崎英朋が描いた原作の挿絵でも、“切除フィルム”と同じ髪型、ほぼ同じ構図で、右胸を刺されて血みどろで倒れている。切除記録とも合うので、最新の調査結果としてその場面も加えた更新版「「落花の舞」[前・中・後篇]検閲切除場面」を、改めて公開しました。
迫力ある女優の雨中の乱闘シーンは、当時、撮影終了後に二人ともバッタリ倒れ、酒井米子は昏睡状態に陥ったと報道されたほどで、劇場で見てとても興奮したという投書がファン雑誌に載っていました。これだけ切除されているのに、です。男優の立ち廻りも非常にリアルな演出ですよね。尾上松之助の1千本記念映画と当初謳われた本作は全篇失われていますが、この“切除フィルム”によって、これまで無声映画の中でも特に”古いタイプ“の映画と思われていた松之助映画のイメージをも塗り替える、知られざる日本映画の魅力を堪能いただければと思います。
同定調査は、ペースを落としましたが、まだ続けています。五月信子、月形龍之介にあたりをつけて5月から調べながら証拠画像も切除記録も見つからない邦画の2作品、そして洋画、トーキーも残っています。「トーキー・カット場面集」については、資料は公開しましたが、映像は著作権の問題を検討している最中です。
ただ、「トーキー・カット場面集」には、「検閲時報」に該当部分の切除記録がみあたらない作品が、「ボッカチオ」(ヘルバート・マイシュ、ドイツ、1935年)と「地獄の天使」(ハワード・ヒューズ、アメリカ、1930年)の2本もある、という大きな課題も残っています。イベント前に、「一人息子」(小津安二郎、1936年)の切除記録から「未完成交響楽」(ヴィリ・フォルスト、1933年、日本公開 1935年)の切除場面を見つけた星が、再び、「検閲時報」の頁を繰って、「ボッカチオ」「地獄の天使」を探しているところです。
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