【佐々木俊尚コラム:ドキュメンタリーの時代】「FLEE フリー」
2022年9月25日 17:00

本作のタイトル「FLEE」は、「逃れる」という意味の英単語。逃れるということが、これほどまでにつらいものなのか。自分の母国での生活のすべてを捨てて、このように逃れた経験のないわたしには、その本当の意味がわかっていなかった。しかし本作を観て、「逃れる」ことの苦痛と悔悟と非情の一端に少しでも触れられた気がした。
主人公は、おそらく1970年代生まれのアフガニスタン人アミン。彼がアフガンを逃れ、デンマークにたどり着くまでの物語である。本人や家族らの安全を守るため、本名をふくめたプライバシー情報は隠されている。だからドキュメンタリー映画にもかかわらず、ほとんどのシーンはアニメで構成されている。
アミンへのインタビューや、彼の記憶にもとづいて再現される場面はカラーのアニメ。残酷で悲惨なシーンは、細部を省略した黒灰の抽象的なアニメ。そのあいまに、実写の古い風景や人びとの映像も挿入されてる。これら3つのパートがうまく組み合わされて、非常に効果的な演出になっている。アミンが語るシーンなどはおそらくインタビュー取材の音声そのままで、後から作成したアニメを合わせているのだろう。

だから彼の息づかいや溜息などの音もしっかりと収録されていて、そこに尋常ではないリアリティを感じる。アニメなのに実写のリアリティを超えている感じさえするのだ。
近代のアフガニスタンは王政から共和制へと移行し、1970年代末に成立した社会主義政権はイスラム主義勢力を弾圧した。これに対抗してムジャヒディンと呼ばれるイスラム戦士たちが蜂起。鎮圧に手こずった政府が隣国のソ連に介入を頼み、ここから歴史的に有名なアフガニスタン戦争が始まる。1989年にソ連が撤退するまで、実に10年以上も戦火は続いたのである。
さらにソ連の侵攻が終わってからも内戦は終わらず、1990年代にイスラム急進派のタリバンが政権を奪取するまで戦いは続いた。タリバンは2001年の911同時多発テロをきっかけに侵攻してきた米軍によって追い払われる。しかし米軍がアフガンから撤収したことで、タリバンはふたたび全土をまたたく間に支配した。このあたりは昨年のできごとで、まだ記憶に生々しい。

本作のアミンの物語は、戦争と内戦で戦火が続いたアフガンの複雑な事情が背景にある。まだイスラム急進派の影響がなく、女性はベールをかぶる必要がなく自由に暮らしていた1980年代。子どもだったアミンは、ヘッドフォンでa-haの世界的ヒット曲「テイク・オン・ミー」を聴いている。
しかし社会の自由はすぐになくなり、アミンの父親は警察に連行されて二度と戻らなかった。アミンと兄、母の3人はアフガン脱出を決意し、唯一観光ビザが出ていたソ連へと出国する。そこから北欧への脱出路を探るのだが、このあたりから物語は非常に息苦しく、つらく、悲しく、絶望でいっぱいになってくる。モスクワの腐敗した警官たちの横暴、難民仲介をおこなう闇業者たちの跋扈、しかしそれらにただ従うしかない難民たちの哀切。
狭い船室に何十人も押し込められて、荒波のバルト海をわたるシーンが出てくる。そのとき目の前に、北欧の豪華客船が現れる。「助かった……」と歓声をあげる難民たち。しかしその中にいたアミンは、素直に喜べない。それは豪華客船の乗客たちが、船上から自分たちを見下ろしている視線に気づいてしまったからだ。

見るからに裕福そうでこざっぱりした服を着て、そして無邪気な乗客たちは、みすぼらしい難民たちを興味津々といった表情で見下ろしている。持っているカメラで難民たちを撮影している。
そうやって動物園の動物でも見ているように自分たちが見られていることに、アミンは何とも言えない気まずさ、いたたまれなさを感じている。もちろん自分の命が「助かるか助からないか」というギリギリの判断は当然ある。しかし人間には自分の生命を守るだけでなく、最低限でも守りたい「尊厳」というものがある。尊厳と生命のあいだでアミンは苦しむのだ。
とても、とても苦しいシーンだった。
本作はその先にも、驚くべきアミンの告白があり、信じられない展開がいくつも待っている。ぜひ読者の皆さんも、アミンの旅路を一緒にたどり、その先へと行き着いてみてほしい。

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