――野沢さんは、収録前に台本を読みこみすぎないようにしていると折にふれて話されていますね。
野沢:ななめに読むっていうんですかね。通して読むぐらいで収録にいくようにしています。本当はじっくり読みたいのですが、どんなお話か最初に分かってしまうと新鮮味がなくなってしまって、私にとってはそれがいちばんいけないことなんです。いろいろなやり方があると思いますが、私は意識して読みすぎないようにしています。
野沢:ななめに読んでいきましたから、新鮮味という意味ではかなり大丈夫でした。本当に毎回毎回、なんて憎らしいんだろうってヤツがいますね。やっぱり初めてのときのほうが、同じ「このやろう~」ってセリフでも気持ちがぜんぜん違ってくるんです。
(C)バード・スタジオ/集英社 (C)「2022 ドラゴンボール超」製作委員会 ――古川さんは、台本を読まれていかがでしたか。
古川:まず脚本自体が面白かったですし、個人的にはピッコロがとにかく活躍しているなと思いました。バトルシーンはもちろん格好いいし、悟飯やパン(※悟飯の娘)とのドラマパートもしっかり描きこまれていて、ピッコロの魅力があますところなく描かれていてうれしかったです。ここ最近のピッコロは、どうも家政夫みたいな立ち位置にいたので――。
野沢:ふふふ(笑)
古川:戦士としての部分が見られなかった印象があったのですが、今回の映画はドラマ、バトルともにスポットをあててくれているなと思いました。
――古川さんは収録前に台本をどれぐらい読まれるのでしょうか。
古川:さきほど野沢さんがおっしゃられた“ななめ読み”というのはよく分かるんです。大意をつかむために、ざっとまず読んでおくということですよね。現場でお相手の方との掛け合いによって芝居もまた変わってくるでしょうし、あまり決めていかないほうがいいっていう点では僕も同じですね。
――「
ドラゴンボール超 ブロリー 」の取材のとき、野沢さんはピッコロのことを「ピッコロさん」と呼び、大好きなキャラクターだと話されていました(編注)。
野沢:悟飯にとってピッコロは師匠であり、父親以上の存在だと思うんです。ピッコロさんは悟空と同じぐらい悟飯のことを愛しているだろうし、悟飯も彼のことを頼っている。親子以上の親子っていうんですかね。何かがあったらお互い自分の命をかけてでも守ろうとするぐらい強く結ばれた間柄だと、私は常に思っています。
古川:野沢さんは、僕らが追いつけないぐらいご自分の役への思い入れが大変に強い方なんですよ。昔テレビシリーズでピッコロが悟飯に厳しく修業をつけているとき、収録の空き時間に「悟飯は子どもなんだから、もっと優しくしなさいよ」と怒られたことがあります(笑)。まあジョークもふくめてなのでしょうけれど、野沢さんや
八奈見乗児 さん(※ナレーション、ブリーフ博士役、北の界王役、バビディ役)のような大ベテランの方は、そうしたジョークを使って現場にいい雰囲気をつくってくださるんです。収録が終わってマコさん(※野沢さんの愛称)と八奈見さんと帰るときにも、「まったく、いくら古川だからってフルパワーでやるんじゃないよ」なんて言われて(笑)。
野沢:(笑)
古川:そのときはけっこう実感をこめておっしゃるので、僕も真面目に「これは役柄でやらせていただいているんで許してください」という会話をした思い出もあります。現実と物語がいったりきたりしているみたいで面白かったですよね。
野沢:ピッコロは最初に登場したときは、やっぱり悪役だったから「なんてヤツ!」って感じだったんです。あれぐらい憎たらしいと思われるのは役者冥利につきますよね。(しみじみと)ピッコロさんはいいですよ。あとになってくると悟飯を本当にかわいがってくれて。
古川:初手はもう大悪党みたいな感じででてきて、悟空とはいろいろ因縁がありました。その後の悟飯とのエピソードは重要なファクターになっていて、ピッコロの人物像が変わってきたと思います。
(C)バード・スタジオ/集英社 (C)「2022 ドラゴンボール超」製作委員会 ――アニメ「
ドラゴンボール 」シリーズで、野沢さんと古川さんは長くご一緒されています。収録で印象的な出来事などありましたら伺わせてください。
古川:野沢さんは大先輩ですが、お芝居のことふくめ公私にわたって同輩のようにやさしく接してくださいました。野沢さんは家庭菜園をやってらして、収録のときに朝どれのゴーヤやキウイを「うちでいっぱいとれたから」ともってきてくださったことがあります。これはスーパーサイヤ人がつくった野菜だからきちんと食べなければと、あますことなく使う料理を研究しましたね。お芝居だけでなく、そんな若い人への気遣いもとても勉強になりました。
野沢:私もうれしいんです。もらってくれるかなと思いながらもってきていたので。
古川:朝に収穫してけっこう重たいものをもってきてくださる。普通なかなかできないことですよね。一度や二度じゃなかったですから。
――家庭菜園は、今も続けられているのでしょうか。
野沢:ずっと続けています。ただ、わずかな土地でやっているので、連作すると(収穫物の)かたちが悪くなってしまうので、あまりよくないんですよ。土地を休ませておくときには石灰などを混ぜて土を少しでもよくしようとしています。そうやってとれたものを人に食べてもらうと、とてもうれしいんです。
――コロナ禍になって2年以上が経ち、アフレコのあり方が大きく変わったといろいろなところで言われています。
野沢:今はみんな一緒ではなく、ほとんどひとりずつ別に録りますよね。そうすると、相手のセリフの語尾と、それをうける自分のセリフのかみ合わせが微妙に違ってくるんです。一緒に録れていたらちょうどいいポイントでうけられるのですが、別々に録っていると「ここでくるだろうな」というところでうけざるをえませんから、ほんの少し隙間ができてしまって――これが悔しいんですよ。しゃくにさわって、もっと上手くかみあうことができればいいのにと思うことがあります。
古川:たしかに別々に録ると、厳密な意味でのキャッチボールがしにくくなっている感じはあります。本作では私と野沢さんのふたりだけで一緒に録れたんですよ。マイクが4本ぐらい立っているスタジオのはじとはじのマイクを使い、離れた位置で1日中やらせてもらいました。
――別々より一緒にとるほうがぜんぜん違いますか。
野沢:(力をこめて)数段、違います。掛け合いがありますから。
古川:ディレクターさんも、このシーンは大事だから一緒に録りましょうと話されてましたね。
野沢:やっぱりそのほうがいいものができますから、ディレクターさんもそう思いますよね。一緒に録ったら良いところでうけられるのに、別々だとどうしても隙間ができてしまうのがもったいないんです。今は技術が進歩していますから、その隙間も掛け合ったものとまったく違うものにはなっていないけれど、もっとかみあうはずなのにと、どうしても感じてしまいます。そのためにも、みんなそろって収録ができればいいのですが、今の状態ではそれがなかなかできない。早くなんとかならないかなと思っています。やっぱり、みんなの顔も見たいですしね。
古川:今は皆さんに会うのは、収録現場ですれ違うときばかりなんですよね。
(C)バード・スタジオ/集英社 (C)「2022 ドラゴンボール超」製作委員会 ――作品から離れた話題で恐縮ですが、古川さんはTwitterをやられていますよね(https://twitter.com/TOSHIO_FURUKAWA)。ピッコロのファンアートを投稿されているのを拝見してすごいなと思ました。
古川:自分がでている作品のオタクになっているところがあるんですよね(笑)。演じているキャラクターのグッズを集めたりもしていて。Twitterでは日々の出来事を書くだけではなく、写真をのせてみたり、自分でイラストを描いてみたり、そんなところまで広がってしまっている感じです。
――Twitterをはじめられたきっかけは、なんだったのでしょう。
古川:海外のコンベンションにゲストとしてときどき呼んでいただくのですが、そのときにいたマネージャーさんから「ぜひやりなさい」と勧められたのがきっかけです。最初は自分がでている作品を少しでもPRできたらぐらいのつもりだったのですが、やりはじめるといろいろリアクションをいただけるものですから、面白くなって今のようになってきました。
神谷明 さん、
千葉繁 さんなど何人かいらっしゃいますが、僕らの世代でTwitterをやっている人はあまり聞かないですね。
――野沢さんは、Twitterをはじめられようと思ったり勧められたりしたことはありませんか。
野沢:私はきっとできないと皆さんが思っててくださるから(笑)、勧められもしません。スマホ自体よく知らなくて、もう携帯が精いっぱいです。
古川:野沢さんには必要ないでしょうね。
――青二プロダクションのTwitterで、野沢さんが映っている動画を拝見したことがあります。そうした動画に出られるのは抵抗がないのですね。
野沢:そうしたものにでて言葉を発するぶんにはまったく抵抗がないですし、いくらでもやります。やっぱり実際に会って言葉をかわしたほうが、気持ち的にもいいじゃないですか。例えばこのくらいの高さで「(語尾をやや高くして)これ食べる?」って言うのと、「(全体に低いトーンで)これ食べる?」と言うのでは違ってきますよね。
古川:文字だけだとね。
野沢:そうそう、微妙なところがね。私は人と会ってお話するのが、いちばん好きなんですよ。コロナの前は収録が終わったらよく飲み会などにも行ってましたし、みんなでコミュニケーションをとるのは楽しいですよね。
――取材もオンラインで行うことが増えてきました。そんななか今回は感染対策をとったうえで直接取材させていただけて本当にありがたかったです。
野沢:できることなら直接お話できたほうがいいですよね。微妙なところまで気持ちが伝わるじゃないですか。ぜんぜん違うと思いますよ。
(C)バード・スタジオ/集英社 (C)「2022 ドラゴンボール超」製作委員会 ――おふたりが今の声優業界について感じられていることを聞かせてください。
野沢:私たちが育った時代と今とは状況がまったく違いますからね。そのうえで私から見ると、今の(声優の)育てられ方は“超過保護”です。
――例えば、どんなところがでしょうか。
野沢:私たちは、教えてもらうなんてことは一切ありませんでした。先輩の芝居を見て盗みとれ、そうして自分のものにしろっていうことですよね。
古川:(野沢さんの言葉にうなずく)
野沢:「これはどういうことなんでしょう」なんて聞いたら、「バカやろう! 自分で考えろ!」と言われちゃいますから、聞きにいくなんてこともありえなかったです。自分のお小遣いのゆるすかぎり芝居や映画に足を運んで、そこで先輩方のお芝居を見て、「あ、こういうところがいいな」「こんな言いまわしもあるんだ」というのをいただいて帰ってきて、自分のなかにしまっておくんです。それが何かのときに自分なりにやってみようと役にたつんですよね。そうやって、だんだんと育っていくんです。
――古川さんは青二塾の塾長として、じっさいに日々教える立場におられます。
古川:教えるのが仕事ですからね。青二塾の場合、卒業生のなかから優秀な人たちがジュニアといういちばん下のランクからプロの声優として仕事をはじめるわけですが、その人たちと現場で会ったときは何も言うことはないですよ。現場にはディレクターさんがいらっしゃって、そこで僕が何か言ったら越権行為にもなりますから仮に気づいても言わないです。それがプロ同士ということですし、ジュニアといえでもオーディションで役を争うこともあるわけですから。それこそ野沢さんがおっしゃるように「見てならえ」の世界で、プロになったらあえてつきはなすことも大事なんじゃないかと思います。僕自身も厳しい先輩たちの洗礼をうけて育ってきましたし、野沢さんの頃の先輩方はもっと厳しかったはずです。
――昔の収録は、誰かがミスをしたらもう一度最初から録り直していたわけですものね。
野沢:一発本番の気持ちでしたからね。間違ったら間違ったまま流れていきますし、自分の出番でセリフを言えなかったら、そこはセリフのないまま飛ばされてしまうこともありました。自分の役のセリフをとにかく言わないとっていう切迫した感じが昔はあったんですよね。
古川:人に迷惑をかけないという意味では、今はいい時代になりましたよね。抜き録りにもしてくださるし、そのセリフだけオンリーで何度も録り直すこともできますから。そういう点では、ぐっと楽になりました。
野沢:いいですよねえ。今のほうが自分なりの芝居ができるんじゃないでしょうか。
――録り直しが容易になっても、野沢さんの収録に臨む姿勢は昔から変わらない感じでしょうか。
野沢:昔から変わっていないと思ってはいます。自分の役に対しても、他の人と関わるときはこうするだろうとその人の性格をつくって臨むところは変わっていません。ただ、やったあとは「あそこはもっとああやっておけばよかった」と思うこともあって、本当は後悔だらけなんですよ。ただ、後悔してばかりだといつまでたっても伸びないと思ってしまうたちなので、そこは「ちきしょうめ!」と思うだけなんです(笑)。そうやってひとつでも自分が納得できないところを減らして、少しでも前進していければいいなと日々思っています。