台湾から西表島にやってきた老女の個人史、記憶から紐解かれる知られざる炭坑の歴史をたどる「緑の牢獄」
2021年4月3日 07:00
台湾から八重山諸島に渡った移民たちをテーマにした作品を発表し、沖縄を拠点に活動する台湾出身の黄インイク監督の最新作「緑の牢獄」が公開された。植民地時代の台湾から養父とともに沖縄・西表島に来て、人生の大半を島で過ごした90歳の橋間良子さんと家族、そして島にあった炭坑の過去を、橋間さんの語りと記憶、歴史資料映像や再現ドラマとともに映し出す。黄監督に話を聞いた。
画面からも感じる草いきれ、道端には南国独特の植物が生い茂り、浜の近くの集落にひとりで暮らす橋間さん。2013年から八重山諸島でフィールドワークを続けている黄監督が、石垣島在住の台湾系移民の夫婦から、西表炭坑を知る親族である橋間さんを紹介されたのが本作制作のきっかけだという。
「おばあ(橋間さん)の家の、西表の果てで、時間が止まったような濃厚な雰囲気がとても映画的でした。そして、おばあの秘密は何なのか? ということ。家族との交流や交友関係もあまりなく、集落の中でも変わったおばあさんという感じの存在。おばあの90年の歴史はとても複雑で長くて、それを整理するのにかなりの努力が必要でしたが、もっと撮らなきゃという気持ちになりました。2014年から、私とカメラマンだけで訪問を重ねるうちに、『また来てね』と言ってくださるようになりました」と信頼関係を結び、2018年に橋間さんが亡くなるまでの4年間を撮影した。
橋間さんの養父は労働者の斡旋や管理をしていた炭坑の親方だった。劣悪な労働環境で脱走者が絶えない炭坑だったが、実情を知らされずに日本各地はもとより、台湾から連れてこられた労働者も少なくなかった。「おばあに出会った頃は知らなかったのですが、中盤でお父さんに対することで何かを隠しているのに気づいたんです。その後歴史資料や文献を調べていくうちに炭坑はマフィアのような世界だとわかって。誰が悪、善とか、被害者、加害者とかはっきりと言うことはできません。お父さんは、ほかの台湾人をだまして炭坑に連れてきたのかもしれない。でも、悪いことをした人には見えません。おばあは養父をどう捉えたのか。そういうことをきちんと撮らなければと思った。歴史の中の善と悪を裁くのではなく、その証人を見せるという、当初の企画より深い題材になっていきました」
「西表炭坑は悪名高い場所だったようですが、一方で、どこにも行けない人たちが行く、男性の逃げ場所のような役割も果たしていたと思います。もちろん、九州の炭坑などで普通に働いていた人が西表に連れてこられたようなこともあります。ですから、いろんな人々が働いていたのです。自分の意志で来る人、逃げてきた人、ごろつきなど、そういった人々を管理するのが大変なので、親方は炭坑夫に高圧的だったり、モルヒネを与えたりという悪循環が生まれたようです。これは台湾でも全く知られていないことです」
タイトルの「緑の牢獄」は沖縄・西表炭坑史を研究した三木健氏の著書からの引用だという。「西表の苦難について『緑の牢獄』と言えるでしょうと書かれていて。この4文字がシンプルで美しいと思い、タイトルとして借りました。今回の映画の歴史再現パートも三木さんの当時の記録を参考にしています」
炭坑の再現シーンは、VFXを用いてファンタジックに表現した。「地元の人は死んだ炭坑夫の幽霊がたくさん出たと言い、三木さんもよく聞いたそうです。生々しい話だったので、何かしらの表現で入れたいと思いました。幽霊が数十年も島の町中をさまよっていて、ここ20年くらいで消えたと地元のお年寄りも言っていました。幽霊の存在は西表炭坑の歴史で語らなければならないと思ったのです。幽霊は私の想像ではなく、本当にいたんですよ、と。ひとつの慰霊のような気持ちで作りました」
島の風などの自然音を効果的に用い、映像表現にもこだわった。「無言のおばあの3カットと音楽という俳句的な表現を入れました。現実を超えて、おばあの感情を表す3つの瞬間のようなものを映したのです。ベルギーの音楽家に、その3つのカットを見て、自由に音楽を入れてくださいと依頼したら、とてもいいものが上がってきて。これが作家として一番大きな挑戦でした。気づいてもらえないかもしれませんが、それでいいんです」
「あとは、この映画の時間の流れを港の工事で表しています。おばあの家は時間が止まっていますから。工事が完了して、おばあの体は弱くなっていきました。開発の裏には、国の力があります。何のためにそれをやるのか、その裏側で生きている人たちが私は好き。台湾人ですから、自然と国のアイデンティティに向き合い、国家開発とその中の辺境の人たちに関心を持っているのかもしれません」
橋間さんの家の敷地内の空き部屋を借りていたのが、若きアメリカ人のルイスだ。父親とともに故郷を捨て、長く日本に暮らしているルイスの複雑な状況や生き方も、本編のわずかな時間ではあるが丁寧に追っている。「彼の人物像をどのように表現するかは悩みましたし、おばあの人生がテーマのこの映画にルイスは必要か? と議論にもなったことも。私たちの映画にルイスはかけがえのない存在でしたが、中途半端になっていないか心配でした。おばあについては、もっといい画を撮りたい、話を聞き出したいという気持ちでしたが、ルイスには夜、声をかけて、お酒を飲みながらだったりで。でも、そのルーズな感じがよかったんですよね」。年齢も育った境遇も全く異なるが、母国を離れ、辺境で日本人同様の暮らしをしているふたりの、風変わりではあるが心温まる交流も本作の見どころの一つだ。
「この映画は西表炭坑の歴史ドキュメンタリーだとは思わないでほしいのです。一人の老女が過去の記憶に縛られ、歴史を背負って80年以上生きて、最終的に自分の記憶の牢獄から逃げられないという人間のドラマ。日本のどこかで、戦前の台湾から来たおばあさんが孤独の中、亡くなりました。唯一頼りにできたのが、隣に住んでいる国を捨ててきたアメリカ人。そういった事実を見てほしいなと思います」と黄監督は結んだ。
沖縄・桜坂劇場、東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開。
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