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【「DAU. ナターシャ」評論】娯楽性は皆無。ひたすら生々しく恐ろしい、壮大な実験プロジェクトの第一弾

2021年2月28日 08:00

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「DAU. ナターシャ」
「DAU. ナターシャ」

もしもこの世のさまざまな映画を、鑑賞後に会話が弾む映画とそうでない映画に大別するとしたら、ロシアのイリヤ・フルジャノフスキー監督が手がけたこの異様な映画は間違いなく後者に該当する。おそらく観客は映画館を出た後もしばし言葉を失い、いったい自分は何を観たのか、そもそもこれは何のために作られた映画なのかと途方に暮れずにいられないだろう。しかも滅多に体験しえないほどの、おぞましい衝撃に打ちひしがれながら。

2007年にソ連のノーベル物理学賞学者レフ・ランダウの伝記映画として始まった企画は、フルジャノフスキー監督の野心的な構想がとてつもなく膨張。その結果、ウクライナのハリコフに秘密研究所の都市を建造し、1950年代のソ連社会そのものを今に甦らせる巨大プロジェクトへと発展した。その物量の凄まじさを伝えるエキストラや衣装の数などのデータはここでは省くが、大勢のスタッフ&キャストや科学者らが当時を緻密に再現した環境で実際に暮らし、40ヵ月もの断続的な撮影が行われたというのだから唖然とするしかない。

さらに驚くべきは、35ミリフィルムで撮られた700時間のフッテージから抽出された「DAU.」シリーズの第1弾となる本作が、プロジェクトの破格のスケールに反し、極めてミニマルな作品だということだ。主人公は研究都市内のカフェのウェイトレス、ナターシャ。若く美しい同僚のオーリャを指導しながら、客の科学者たちに料理や酒を振る舞う彼女は、人生の酸いも甘いもかみ分けた中年女性である。ところがフランスから招かれた科学者と恋に落ち、一夜の情事に身を焦がしたせいで、彼女の日常は突然暗転してしまう。

ストーリーラインが曖昧で、ナターシャという実在の人物の生活風景をカメラに収めたドキュメンタリーのようにも錯覚させられる生々しい映像世界は、中盤に赤裸々なセックス・シーンが延々と繰り広げられたのち、正視しがたい尋問、拷問シーンへとなだれ込んでいく。この密室での場面が恐ろしい理由は、単に暴力描写が激しいからではない。ナターシャに耐えがたい恥辱と痛みを与え、尊厳を踏みにじる非人道的行為が当たり前のようにルーティン化していた全体主義国家の闇を、フィクションと思えぬ迫真性で映像化しているからだ。官僚的な尋問者に扮したのは元KGBの大佐。極限の恐怖の中でしぶとい生存本能を垣間見せるナターシャ役のナターリャ・ベレジナヤは、この長く陰惨なシークエンスをほぼ即興で演じきったという。

これ一作では狂気じみたプロジェクトの全体像はさっぱり掴めないし、娯楽性も皆無なのだから、「必見」などと気易く書くわけにはいかない。しかし、何の研究が行われているのかすら不明の物々しい装置が登場する実験シーン、ナターシャの背後に犬を従えた警備員が迫る夜道のシーンなど、画面に立ちこめる悪夢的な怪しさたるや尋常ではない。IMDbでフルジャノフスキー監督のフィルモグラフィーを調べると、この先に控える10本以上の「DAU.」シリーズの題名がずらりと列記されていて、またも唖然とさせられる。はたして、このプロジェクトはどこへ向かい、日本で観ることは叶うのか。すべてはまだ謎のベールに覆われている。

(高橋諭治)

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