【「カイロの紫のバラ」評論】セシリアの映画が、いつまでも終わらないことを願って
2021年1月9日 22:00
映画を愛する者であれば、1度は「スクリーンのなかの世界に行くことができたら」「映画の登場人物と話すことができたら」という願望を抱いたことがあるのではないだろうか。そんな夢を叶えてくれるのが、ウッディ・アレン監督の名作「カイロの紫のバラ」。男と女の物語を紡いできたアレン作品のなかでも、映画愛に溢れた、とびきりロマンティックな1作。そしてアレン監督自身も、記念すべき第50作「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」のインタビューで、「カイロの紫のバラ」をお気に入りの作品と語っている。
物語の主人公は、大恐慌時代の米ニュージャージーで、甲斐性なしの夫と貧しい生活を送るセシリア(ミア・ファロー)。彼女の唯一の心の支えは、映画館で映画を見ること。映画を見ている間だけは、惨めな現実を忘れ、きらびやかなスクリーンの世界に逃避できる。ある日、セシリアが映画「カイロの紫のバラ」を見ていると、映画の登場人物トム・バクスター(ジェフ・ダニエルズ)がスクリーンを飛び出し目の前に現れる。やがて騒動を聞きつけ、トムを演じた俳優ギル(ダニエルズ/1人2役)も登場し、セシリアは奇妙な三角関係に巻きこまれていく……。
様々なアイディアや仕掛けがちりばめられた本作でも、トムが引き起こすドタバタ騒動は大いに笑いを誘う。映画のなかだけに存在していたトムは、小道具である偽物のお金しか持っておらず、ディナー代を払えなかったり、セシリアにキスした後、不思議そうな顔で「フェードアウトしないのか?」と呟いたり(映画のラブシーンでは、フェードアウトがお約束なのだ)。そうした映画世界と現実とのずれが、コミカルに描かれていく。一方で、現実の厳しさを知らない純粋なトムは、向こう見ずなほど全力でセシリアを守ろうとし、彼女もまたそんな姿に惹かれていく。現実世界の住人たちがトムに向ける羨望の眼差しは、フィクションの世界への憧れそのものなのだろう。
ファンタジックな設定が導く軽やかなストーリーは、やがてセシリアに「今いる現実か、どんな夢も叶う映画の世界か」という選択を迫る、厳しいシチュエーションに帰着する。セシリアが下した決断がどのようなものであれ、彼女は自ら選びとった世界で生きていくしかない。最初に鑑賞した10代の頃は、くだらない現実からの解放をスクリーンに託していた者のひとりとして、結末にはただただ涙が止まらなかった。
しかし20代になり、英ロンドンでリバイバル上映の機会に恵まれた。映画から抜け出したトムを驚きの表情で見つめるセシリアを、スクリーンの外から眺める私たち。本作の魅力を最大限に体感できる映画館での鑑賞に、いたく感動したわけだが、新しい気付きもあった。それは、フィクションに抱くセンチメンタリズムを肯定するような優しい眼差しが、結末にそっと忍ばせてあること。セシリアの映画が、いつまでも終わらないことを願っている。
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