【「アングスト 不安」評論】人間が撮ったとは思えないショットが連続する別次元の実録シリアルキラー映画
2020年7月3日 21:30

[映画.com ニュース] 昨年は1988年製作の失踪ミステリー「ザ・バニシング 消失」が突如初公開されて話題を呼んだが、「アングスト 不安」の初公開はそれどころではない。この1983年オーストリアのシリアルキラー映画は、あまりにもアンモラルな内容ゆえに各国で上映禁止処分を受け、日本では「鮮血と絶叫のメロディ/引き裂かれた夜」の題名でビデオスルーとなった。実は筆者も今回が初見だったのだが、その驚くべき中身に呆然とさせられるはめになった。
主人公は名無しの青年だが、オーストリアの悪名高き凶悪殺人鬼ヴェルナー・クニーセクをモデルにした実録スリラーだ。序盤では、動機不明の殺人事件を引き起こした主人公の精神鑑定レポートがナレーション化されている。この男の歪んだ人格形成に多大な影響を与えたであろう生い立ちや犯罪歴が読み上げられ、主人公自身のモノローグもふんだんに盛り込まれているのだが、本作の凄さはそうした“殺人鬼の心理分析”にあるのではない。
何が凄いって、まず普通のショットがひとつもない。刑務所を仮釈放された主人公は、その足でさっそく殺しの標的の物色を始めるのだが、カメラはドローンが存在していなかったこの時代に空から舞い降りたり、クレーンでも不可能な高度へ浮上したりと、重力の法則を無視して驚異的な動きを連発する。さらに、街を徘徊する主人公を斜め上からの不自然な視点で追尾するカメラアイは、まるで身長3メートルの巨人がカメラを抱えて撮ったかのよう。ポーランド人の撮影監督ズビグニェフ・リプチンスキは、いかなるギミックを用いてこんなアングルを実現させたのか、謎としか言いようがない。
また、主人公はサディスティックな欲求を満たすために“理想の殺人”を遂行しようとするが、すべてが行き当たりばったりで何もかもうまくいかない。快楽殺人を美化するどころか、凶行の最中にこれほど必死の醜態をさらけ出して悶え苦しむ殺人鬼の描かれ方は観たことがない。しかも住宅侵入時の窓ガラスの割り方、死体の引きずり方など、どの描写も奇妙かつ異常で、とてつもなく生々しい。これがキャリア唯一の長編映画となったジェラルド・カーグル監督が、主演俳優にどのような指示を与え、どのようなプランで入念な演出を施したのかも謎だらけだ。
場違いなくらいキュートなダックスフントの絶妙の助演、元タンジェリン・ドリームのクラウス・シュルツによるダークな電子音楽も強烈な印象を残す本作は、とにもかくにも結果的に物凄い映画となった。もしも理不尽な殺人衝動に駆られて暴走する主人公の主観的視点を“悪魔”に例えるならば、人間が撮ったとは思えないカメラアイはこの世ならぬ“神”の目なのかもしれない。そう考えると何やら崇高な別次元の恐怖映画を観てしまった気がするのだが、それはただの錯覚なのか、これまた謎なのであった。
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