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「日曜はダメよ」のジュールス・ダッシン監督死去。96歳

2008年4月2日 12:00

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[映画.com ニュース] アメリカ人映画作家ジュールス・ダッシンが、ギリシャのアテネで3月31日死去した。死因は、風邪をこじらせたものと伝えられている。奇しくも1週間前の24日には、ダッシン監督のノワール映画「街の野獣」(50)の主演俳優リチャード・ウィドマークが亡くなっていた。

1911年12月8日、米コネティカット州で生まれたダッシンは、ニューヨークのユダヤ人劇団で活躍後、40年RKO映画に助監督として入社。アルフレッド・ヒッチコック監督のもとで働いた。42年の「Nazi Agent」で監督デビューして、ノワール映画の名手として、「真昼の暴動」(47)や「裸の町」(48)のドキュメンタリータッチの手法で有名になる。

49年に「深夜復讐便」を撮ると、50年に始まったマッカーシー旋風(“赤狩り”)に巻き込まれ、米上院非米活動委員会で監督仲間のエドワード・ドミトリクからコミュニストと告発され、ヨーロッパに渡ることを余儀なくされる。イギリスで「街の野獣」、フランスでカンヌ国際映画祭監督賞受賞作のノワール映画の傑作「男の争い」(55)を手がける。

55年にそのカンヌでギリシャ人女優メリナ・メルクーリと出会うと恋仲になり、フランス映画「宿命」(57)に起用。以後、ギリシャを拠点にすると、彼女の主演作「日曜はダメよ」(60)がカンヌ国際映画祭女優賞受賞、自身も米アカデミー監督・脚本賞候補になる。以後も、メルクーリ主演で「死んでもいい」(62)、「トプカピ」(64)、「女の叫び」(79)などを発表した。遺作はテイタム・オニールリチャード・バートン主演の「レッスン・イン・ラブ」(80)。

メルクーリとは66年に2度目の結婚。彼女はアテネ市長やギリシャ文化相を歴任したが、94年3月6日に肺ガンのため死別している。前妻との間の長男ジョセフ・ダッシンは生前フランスで最も有名なポップス歌手だった。

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