本物の神童が演じた天才少年の物語。「僕のピアノコンチェルト」監督に聞く
2007年10月31日 12:00
[映画.com ニュース] 天才ピアニスト少年の成長を描いた「僕のピアノコンチェルト」が、11月3日より公開される。本作は、85年「山の焚火」でロカルノ国際映画祭金豹賞、98年「最後通告」でモントリオール国際映画祭最優秀作品賞を受賞したスイスの名匠フレディ・M・ムーラーが、長年温めた企画を実現させたものだ。来日したムーラー監督に話を聞いた。
主人公ヴィトス(テオ・ゲオルギュー)は音楽以外にも、数学、歴史、経済など、あらゆる分野の学問で才を発揮する正真正銘の天才少年で、オンライントレードで株取引を行い、一財産築くことまでやってのけてしまう。しかし、周囲から寄せられる過度な期待が重圧となり、ただひとり心を開ける大好きな祖父(ブルーノ・ガンツ)に「普通の少年でありたい」と悩みを打ち明ける。
「最初から音楽に限らず、何でも出来る子供の物語を考えていました」という監督だが、偶然にも本物の“神童”テオ・ゲオルギューとの出会いから、映画は音楽的要素を大きく取り入れていったそうだ。
92年生まれのテオは、04年にはコンサートデビューを果たし、同年の国際的なコンクールでも優勝するなど、欧州では既に注目のピアニスト。演じるヴィトス同様に学問にも秀でており、「ヴィトスとテオはほとんど同一人物」と監督。「だから、テオはほとんど“演じる”必要はありませんでした。クライマックスのコンサートシーンも、演奏しているのはテオそのもの。撮影時、ホールを貸し切る予算がなかったので、実際にチケットを売り出して観客を集めたところ、完売でした」と逸話を明かす。「ただ、劇中で一時期ヴィトスがピアノを弾けなくなるところがありますが、あのシーンでは、わざと下手に弾いてみせるため、“演技”が必要でしたね(笑)」
「自分に息子がいたらヴィトスと名付けたかった」と、主人公への思い入れを語る監督は、「子供は、両親や社会の期待や希望を満たすために生まれてくるのではない。子供の期待を満たすための両親や社会でなくてはならないのです」と持論を語る。「この映画は、子供が大人の犠牲になることが多い現代に対する、私なりのアイロニーでもあるのです」