「うなぎ」の巨匠・今村昌平監督が死去
2006年5月30日 12:00
大学卒業後、1951年に松竹大船撮影所に入社。小津安二郎監督の「東京物語」(54)などで助監督を経験後、日活に移り、川島雄三監督の「幕末太陽傳」(57)の脚本などを経て、58年「盗まれた欲情」で長編映画デビュー。以降、「豚と軍艦」(61)、「にっぽん昆虫記」(63)、「赤い殺意」(64)、「神々の深き欲望」(68)などエネルギッシュな作品を次々と発表した。68年から10年間はドキュメンタリーを主に手掛け、78年「復讐するは我にあり」で再び劇映画の製作を開始。83年の「楢山節考」と97年の「うなぎ」ではカンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞。世界では4人目、日本人としては初となる2度のパルムドール受賞者となった。
今村作品は、日本社会の根源的かつ土俗的な重たいテーマと、独特のユーモアが同居していたために「重喜劇」と呼ばれ、海外でも人気が高かった。