大いなる不在のレビュー・感想・評価
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父との空白の時間を知りたい、という思い
遠距離介護だの介護離職など、親の介護のために子どもの生活や仕事、キャリアが変わっていくことはよく報じられている その一方で、若い時の親のトラブルで疎遠となったはずの「親子関係」が、「事件」によって復活する場合もある 本作は後妻をもらったことで、父の老後を「安心」していた息子が「事件」(警察沙汰)によって、父の住む九州に呼びつけられる 当初は他人事の「迷惑な親の尻拭い」の対応から、父の認知症の進行に面会の都度直面し、父との空白の期間を埋めていこうとする姿に変わっていく姿がよかった
大学教授という権威を持つ父親とのいい思い出は、主人公の卓(たかし)にはあまりなかったかもしれない しかし年月が経ち自分の老いに直面し、父親もメモを張り付けたり、カレンダーに書き込みをしたり、彼なりに老いと向き合っていたのだろう それが後妻の直美との生活では保たれていたバランスが、言葉の行き違いで脆く壊れてしまった 老いに向き合い、弱気になってから、息子や後妻との修復を願っていても、元に戻らないことが痛々しく、そういった現実・葛藤を抱えながら介護と向き合っている子・嫁・配偶者はたくさんいるに違いない 60代の私が子どもの頃観ていた本作の藤竜也さん以外に、カルーセル麻紀さん、岩城滉一さんが出演された作品が今年上半期は公開されたが、もちろん劇場用映画での話であるが、それぞれの老いに触れることができた
長い長い思いに支えあっていた健気な直美さんとの生活は観ていてほほえましく、あの生活がずっと続いて欲しかった 原日出子さんは京都ローカルで「街ブラ」番組を永年されていて、あの映画のまんまの姿で視聴者として楽しませてもらっています
(7月18日 テアトル梅田にて鑑賞)
藤竜也すごい
サスペンス仕立てなので、「ファーザー」とはちょっと違う。ただ、内容はみにつまされるものがあり、主人公を演じた藤竜也さんの迫真の演技に尽きる映画。森山未来さんも名演技だったのだが、それが霞むほどであったが、ダンスは素晴らしかった。
切なすぎるどんでん返し映画!!
まずオープニングが素晴らしい!印象的だか突拍子も無いカットが連なり、見事な掴みだった。
しかもそれらがラストに繋がるという構成は見事!!
主人公、卓の父親である陽二は認知症というよりは強迫性障害が強かったと思う。
その障害は陽二を偽物の物語で囲ってしまうのだ。
そうして愛する人との「本当の物語」から消えてしまったのだ。
そう、まさに物語に不在していたのは陽二自身だったのだ。
物語の中盤まであたかも、なおみが陽二のもとを離れたように描いていたが、ラストのシーンでそれは陽二自身の問題であることがわかる。
まさにある種のどんでん返しだ!!
藤竜也の演技は本当にすごかった!
絶対アカデミー賞取ります!!
本当にいいものを見ました。
認知症の現実
ドキュメンタリー風に認知症と家族の在り方に迫った秀作。キャスト陣の演技が秀逸で見所満載でした。
長期間接触のなかった親子の物語を中心に父親の人物像を丁寧に描いていて真実味が倍増する。これからの高齢化社会の問題を突きつける問題作とも言える。
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義母を探して三千里
両親の離婚で疎遠になっていた父親(藤竜也)が認知症に起因して事件を起こし、数十年ぶりに父親と関わることになった息子(森山未來)のお話でした。森山未來演じる息子・卓が、初っ端癖の強い空気感を醸し出しており、序盤は今一つ感情移入できませんでした。しかしながら話が進むうちに、認知症になってしまった父親と義母(原日出子)の馴れ初めから義母が失踪するに至るまでの軌跡に触れたことから心境に変化が生じ、卓に人間的な成長が感じられたのが心に刺さりました。
特に父親が、自分と母親を捨てて義母と一緒になった経緯から、義母に対して心にわだかまりがあってしかるべきところ、彼女の日記を読むことで父親と彼女の運命的な関係性を知るに至り、最終的には日記を返そうと失踪した義母を探して歩き回る卓の姿は、さながら”義母を探して三千里”というところでした。
総括してみると、学者バカともいうべき父親と、父親に献身的に尽くした義母はもちろん、義母の前夫との間の息子や、義母の妹など、卓に対して当然の帰結として敵対的な態度を取ることになる人に至るまで、登場人物のいずれもが悪人ではないところが本作の最大のポイントだったように思えました。それが父親の認知症をきっかけに微妙な均衡が崩れてしまったことが、病気ゆえに致し方ないとは言え、なんとも悲しいお話になっており、翻って我がことのように切なく感じられました。
出演陣は、何と言っても森山未來と藤竜也の2人が素晴らしかった。森山未來は、序盤はとっつきにくい雰囲気を醸し出していましたが、徐々に柔らかい感情を表わすことで、当方も感情移入していきました。そして藤竜也は、矍鑠とした大学教授の演技と、認知症発症後の呆けた感じの演技のコントラストが絶妙でした。まだ元気だった頃のシーンと、認知症が酷くなってしまった現在のシーンを交互に出すことで、この対照的な演技が際立っていたと思います。あと、義母役の原日出子の悲しげな表情も実に印象的でした。
そんな訳で、本作の評価は★4.5とします。
ゾッとした
ラブストーリーであり、サスペンスであり、ミステリーであり、ホラーだった。
怖い。
ゾッとした。
3年前に『ファーザー』を観た時は、アンソニー・ホプキンスの演じる父親のような人間に接しなければならない娘のアンや、周りの人の視点として怖かった。
歳を重ね、今や「自分が『ファーザー』のアンソニー・ホプキンスや、本作の藤竜也にならないかが心配」で怖くなった。
人間の芯や土台を作るのは、記憶と感情と、鍛えた理性のはずだが、それらが一切なくなってしまって、封じたはずの獣性だけが残ってしまったら?
介護老人ホームなどで、老人からの職員に対する暴言や暴力加害のニュースなどを思い出し、この状態になった老人が「果たしてまともな人間であろうか?」と疑問を抱き、一種の優性思想・選民思想的な考えを抱く自分そのものも怖くなった。
おまけに役者の息子は、舞台での役を演じる上で、その父の生きざまを理解するために来たのであって、じつは父のことはどうでもいいと思っている節すらあるという表現だった。
これは観てる側が相当に考えさせられる。
自分ごととして考えると、怖さが強く残るのだった。
ヒューマンサスペンス風だが、かなり微妙
出演者は皆さん熱演だが、ストーリーはかなり情緒的で不明確。
見た後に残念な印象しかない。
藤竜也の演技は見るべき物はありました。
オススメ度はかなり低い。
個人的な感想です。
認知症をテーマとしたキャスト陣のリアルな演技に引き込まれた作品。 本年度ベスト級。
ぶっちゃけ感動や共感などは無かったけど役者の方々のリアルな演技に引き込まれた感じの作品。
認知症の陽二を演じた藤竜也さん。
再婚相手の原日出子さん。
夫婦役の森山未來&真木よう子さん。
これらの方々の演技が素晴らしい!
時間軸が入り乱れる中、陽二の認知症が徐々に悪化して行く姿がリアル。
藤竜也さんの演技が凄かった!
陽二が物忘れを認識し、家中にメモが貼られているシーンが生々しい。
陽二の再婚相手の直美を演じた原日出子さん。
優しい妻を演じているのが印象に残る。
陽二が直美に書いたラブレターがロマンチックなんだけど、それを貰った直美の行動も素敵だった。
本作で唯一ほのぼのする行動(笑)
陽二が認知症になる前の直美との仲の良いシーンがあった方が良かったのでは?と自分的には思えた。
森山未來さん演じる役者の卓。
出だしとラストのリハーサルのシーンのセリフ。
本作のストーリーに被せたセリフと思うものの、自分には全く刺さらず(笑)
観賞後、認知症について調べたけど協調性のある人はなりにくいとの事。
ネガティブな人は認知症になりやすいらしいのでポジティブに生きて行きます( ´∀`)
通り一遍には行かぬ親子と夫婦の関係を紐解く
2020年のNHKドラマ〔ゴールド!〕で
『藤竜也』は認知症の妻『冨美代(吉行和子)』の介護を独力で担う夫を演じた。
家の中には注意書きの紙が至る所に貼られ、
妻は次第に夫のことすら記憶から失くしていく。
それと並行し、五十年間ゴールド免許を維持していた
元教師の夫『政継』が信号無視で警官の取り締まりに遭い、
プライドの高い彼は最初反発し、との
高齢者の免許返納問題も描かれる。
こうしてみると本作は、先のテレビドラマと
相当に重なる部分があることがわかるだろう。
数十年前に自分と母を捨てた父が
警察沙汰を起こしたのち介護施設に収容されたとの連絡を受け、
一人息子の『卓(森山未來)』は妻の『夕希(真木よう子)』と
久方ぶりに故郷を訪れる。
認知症を患い、譫妄が激しく荒唐無稽を語る父『陽二(藤竜也)』だが
息子のことは理解できるよう。
一人暮らしの家には注意書きの紙が貼られ、
しかしそこには一緒に暮らしていた(そして、『卓』と母親を捨てる要因となった)
義母『直美(原日出子)』の姿は無い。
『陽二』に確認してもその所在は判然とせず、また証言もころころと変わるばかり。
『卓』は残されたメモや『直美』の日記を手掛かりに
二人の生活をたどり始める。
幾つかの過去と現在が組み合わされて描かれ、
次第に我々は父と息子の人となりと
一筋縄ではいかない関係性を理解するように。
また、おどろおどろしいBGMとあわせ、
物語りはここからサスペンスの要素が強く出る。
『直美』の実の息子が語った彼女の現況が虚偽と分かった時点で
それは頂点に達する。
が、タネが明かされてしまえば驚くほどの拍子抜け。
もう一つのテーマである、中年になってから妻子を捨ててまで全うした純愛の
悲しい結末なのが明らかに。
パートナーの片方が認知症になり、
その愛情が消えてしまったのではないかと疑う、
決定的な出来事が起きた時に
疑念を持ったもう一人が
気持ちの整理をどのように付けて行くのか。
他方、捨ててしまった息子を気に掛けてはいながらも
愛情表現が上手くできない無骨な父親の悲しい性にも
自分と重ね諸々感じるところはあるのだが。
随分とふりかぶったタイトルの割には
やや陳腐な二つの愛情物語に収斂してしまうのが
どうにも肩透かし。
理屈っぽい『陽二』の造形は、
何故にこうした人物に(最低でも)二人の女性が伴侶になろうとするのかも
疑問を抱いてしまう。
実際に周囲に居れば共感の欠片も持てず、
近づきになることすら御免こうむりたい人物像。
もっとも息子の『卓』にしても、
介護施設の職員と会話する冒頭のシーンでの不遜な態度は、
同じ血が流れているのだなぁ、と
後に理解できる脚本の造りではある。
兎角、人間とは複雑な生き物ではある。
普通ってナンダ?
大脳皮質によるステレオタイプな発想による「普通」は実在しなく皆一人一人の異なるアイデンティティで世の中成立っているソコを藤竜也と森山未來と原日出子がそれぞれのシチュエーションで表現出来たカナァ〜
藤竜也は第二の黄金期を迎えている
えーっと言う冒頭からはじまって、時代がいったりきたりしながら、息子夫婦が、この、ほとんど接して来なかった父の時間を知ってゆく。
なんだか藤竜也は第二の黄金期に入ったようだ。
割と序盤から日本映画らしからぬリアリティのある芝居が続くが、クライマックスあたりの飛び方はハッとする。認知症芝居は、ひょっとして役者冥利に尽きるのかもしれないけれど、藤竜也さんの丁寧過ぎるくらいの話口調の学者さん役の裏に潜む人非人みたいな冷たさみたいなものがリアリティで見える。
三浦誠己が一方でそのイヤーな男性の一面をこれまたとてもリアルに演じている。一方、原日出子との関係が、なかなかの設定なのだけど、その割には印象が弱い。確かに藤竜也は主演男優賞ものだけど、この話、原日出子が主演女優賞取れるくらいな迫力も欲しかったかも。そのくらい藤竜也は、たぶん自分の人生からの蓄積を役に持ち込んでいたのだろうと思う。ひとりだけ次元が違っていた。
気持ちはよくわかるのだが…脚本、演出ともにこなれていない部分があり説得力が低い
子が独立したり結婚したりして家を出る。長寿化した現代日本では夫婦だけの時間がその後30年近くあったりする。この映画は再婚同士の夫婦の話なのでちょっと特殊ではあるけれど。
家を出た子からすれば長く接していないうちに親自身の肉体、精神も夫婦関係も親子関係も大きく変化していたりする。親の一方もしくは両方が認知症に冒されていればなおさらである。この「しばらく会っていないうちに」という感じが「大いなる不在」というタイトルで表現されているのだと思う。
映画の最初の部分、卓は父の介護施設入所という事態に巻き込まれていく。食物アレルギーの有無を尋ねられたり、延命措置の意思表示を求められたりして、卓はややむくれたような態度をとる。家に行ってみれば家の中はぐちゃぐちゃである。再婚相手の直美は何処に行ったのか分からない。
ただこのあたりまでの進行は何かカラッとして明るい感じがある。諦観というか、そうなっちゃったものしょうがないよね、という感じか。(自分自身の経験からしても分かるところはある)
ただ映画が進み、陽二と直美の間に起こったことがだんだん明らかになっていくうちに話は深刻になり、一方で脚本や演出のほころびや矛盾が目につくようになる。
おそらくこの映画では「ファーザー」のようなトリッキーなところはない。シーンはみな事実として取り扱われている。ところが実際に映像化すべき部分と、セリフでしか説明しない部分の線引きが中途半端なのである。例えば、直美の妹が手伝いに陽二の家に来る部分、そこで起こったことはわざわざ映像化する必要があったのかどうか。シーンとして表れないからこそ説得力があることもある。
その他、例えば陽二の趣味のラジオ受信がかなりの時間を割いて出てくるにも関わらず決定的なキーファクターになっていないこと、そして、卓についても冒頭と最後に出てくる役者としてのワークショップのシーンが卓の性格や考え方を説明する(そうでなければこのシーンの意味はない)ことに全く繋がっていないこと、などが挙げられる。
要するに脚本、演出にこなれていない部分や無駄な部分があり、役者たちの演技力の高さは特筆すべきとしても、映画としての説得力には正直欠けるところがあったと感じた。
どうしても解けないミステリー
テーマがあることは分かるが、具体的にハッキリとは明示されない。それでいて、鑑賞者それぞれの深いところに何かが静かに着実に届いてくる。
こういう映画は年に数本あるけれど、毎回のことながら、その〝何か〟がうまく言葉にできない。ということはその何かは、誰もが日常的に経験したり思考しながら普段から言葉にしていることでは簡単に言い表せないということなのだと思う。
自分の語彙の乏しさを嘆きながらも、自分の中のどの部分が揺さぶられたのか、ダラダラと考えてしまうことになる。
認知症による忘却は、発症した本人にとっては記憶が失われていく恐怖と直面することになるが、悪化するまでの時間という意味では有限。
その本人と関わりの深い人間にとっては、発症した彼・彼女の記憶が失われるという絶望感は永遠にも思えるに違いない(自分が生きているあいだは失われたままだ)。
でも不思議なことに、絶望したはずの人間が、動機やキッカケはさまざまでも、記憶を失っていく人の過去を辿り、今まで知らないでいた内面を追求していくことになる(という映画や小説も割と多い気がする)。
失うと同時に甦る過去と生きた証。
好きで好きでたまらない!
そう言える女性がいることはなんと誇らしいことだろう。
終盤は劇中劇の練習風景とオーバーラップさせることで、詩の朗読会のような展開を違和感なく織り込んできたが、これがとても効果的。
陽二と卓の親子にとっては、それなりに決着できた陽二の人生。しかしながら、直美の絶望は癒されることもなく、なんらかの整理がついたというような描写はなかったように思う。
あの日記は、陽二に〝誇らしい〟とまで言わせた彼女の生きてきた証、記憶でもあるのに捨て置かれたまま、或いは陽二親子に保持させたままであり、この映画における最大のミステリーでもある。
途中までは良いが
前半戦は面白く、興味深く観れたが、後半はグダグダで雰囲気映画の仕上がり。
直美の存在皮キーになるのだが、ただ出ていくだけで、そこに感情もなければ物語もない。出ていくのならそれなりに描かなくては何が映画か?なぜスタッフやキャストはスルーしていたのか不思議でしょうがない。
出ていくならちゃんと描かなくては、だから後半は雰囲気映画としてしか観れないし、ただ長いだけの映画。
これがストーリーを紡げる監督、脚本家であれば、感動作品になっただろう。
静かな演技が印象
教授、一流(?)の研究者でしかも熱烈に憧れた女性との結婚、完璧かつ充実した人生だったはずなのに、最初の妻との実子に対して父としての接し方にはどうだったのか?その時点ではまだ親とか父であることがよくわかっていなかったか。
認知症により記憶や思い出も消えていく、自分でつくった大恋愛のストーリーも自己作成されたものであって、病によりその実感も怪しくなっていく。
知識があって社会的地位が立派でも、人生の最終章近くでは、自分にとって本当に必要だったものがなんだったんだろうと本人が自覚しだしたかも。
(作り手がわの意図や思いとは違うかもしれないが)そんなことを思いながら、息子がそれまでの父が接した人たちに会って、父の人生をトレースしていく姿が立派で最後は感動。良い息子をもってよかったではないかー本当に大事なものが一番近いところにあることに早く気がつけばよかったのに
出演者の静かに抑制された演技がとてもよかった。
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