大いなる不在 : インタビュー
森山未來&藤竜也、近浦啓監督作で魅せる居合のような対峙 認知症の父の心の迷宮で見つけたものは…
近浦啓監督の長編第2作で、森山未來が主演する「大いなる不在」が公開となる。独創性ある構成に、家族関係、老い、表裏一体の愛憎……と人間の“心”の深淵を描いた普遍的な物語、そして、日本映画界を代表する名優陣の力がみなぎる傑作だ。近浦啓監督、森山未來、藤竜也に話を聞いた。
<あらすじ>
幼い頃に自分と母を捨てた父が警察に捕まったという報せを受けた卓(たかし)が主人公。久しぶりに父の陽二の元を訪ねるが、そこには認知症で別人のように変わった姿があり、父の再婚相手の義母は行方不明になっていた。父にいったい何があったのかを探る卓と、父の知られざる半生をサスペンスタッチで紐解いていく、ヒューマンドラマだ。
長編デビュー作「コンプリシティ 優しい共犯」後の第2作に取り掛かろうとした直後に、新型コロナウイルスのパンデミックが起き、2020年4月に近浦監督の実父が急に認知症を発症したことが本作製作のきっかけとなった。
「僕の人生で初めて、警察から電話がかかってきたんです。『お父さん、保護されました』と。ただでさえパンデミックで世界が変容した非日常の中にいて、それに加えて自分の父親の人格がなくなるように感じた、すごく不思議な時期でした。それまで書いていた別の脚本に対する臨場感がぐっと下がったのを感じました。そして、今の社会や自分自身に今共鳴する、新しい物語を作りたい、そう考えて企画を完全に変更しました。まず出てきたのが“不在”というキーワードでした。2020年の暮れから1年かけて脚本をまとめました」
不在=卓の父の人生の“そこに在ったものはなにか”を突き止めていく物語だが、本編は時系列では進まない。父、陽二の不可解な行動、そして、この構成が観る者を迷宮にいざなうのだが、アイディアは脚本執筆当初から構想していたものだという。
「現在の時間軸をすこし昔の時間軸が追う形になっています。そして、映画の最後には、近過去のタイムラインがもう一方の現在タイムラインの冒頭に追いつく。そういう構成を考え視覚的に分かるグラフのようなものを用意し、共同脚本の熊野桂太さんに共有し、一緒に物語を作り上げました」
主人公・卓は、役者という設定だ。劇中では、まさに現実と虚構の間を表現しているような、実験的な試みが印象的な、演劇のリハーサルシーンが挿入される。
「撮影前に森山さんと多くのことについてディスカッションをしました。5~6時間2人でいろんなことを話したのですが、当初の脚本にあった演劇ワークショップのシーンに違和感を持たれていました。それは、現実に演劇界でも第一線で活躍されている森山さんならではの視点での率直な意見でした。そのディスカッションの結果、実際の演出家を呼んで、卓としてワークショップに参加するという演劇実験をしようと決めました。その場での即興のように決まった、とても面白いシーンです。森山さんは卓として、(劇作家の)市原佐都子さんは本人として顔合わせをし、ふたりが実験的に朗読劇を作りました。そこでは森山さん演じる卓と本人役で出演している市原さんのリアルな対話があり、僕は朝から夜までそれを見ながら、この映画と卓のことを考え続けました。会場撤収時間ギリギリのタイミングで、3カットだけ映画用にセットアップしたカットを撮らせてもらい、記録したドキュメンタリー的カットとともに『大いなる不在』にマージしたという流れです」
「卓が俳優である、それは物語の構築の初期からそう考えていて、なぜ俳優にしたいと思ったのかについて、無意識下から意識に上げて、自己分析しました。当初から森山さんをイメージでして書いて、そこはすごくスムーズでした」と、卓役は、当初から森山を想定していたという。
内容に関しても、劇中の卓さながら、リサーチをするような気持ちで主人公の感情を紐解いていき、また、森山未來という俳優が、卓という俳優を演じることの興味深さについても語る。
「もちろん演じている自分は時系列がわかっているので、そのサスペンス要素が、初めて見た人にはどのように映るのかに興味があります。また、卓が俳優であることが、自分にとってもは面白いながら、観客に対してどういう共感性を持たせられるのかが悩ましい部分もありました。とにかく、父との関係性、距離感、卓の俳優としてのポジションなど、啓さんと多くの話をしながら理解していった気がします」
「長年会っていない父親との距離感、それでも面倒を見なければならない……そういう複雑な状況にもかかわらず、どこか客観的に見ている卓がいて。目の前で起きていることの、その圧倒的なドラマ性みたいなものを俯瞰視してしまう感覚は、俳優業をやっているから持ってしまう視点かもしれないと想像しました」
今回初共演となった藤とは、父と息子という濃密な役柄で対峙し、そのヒリヒリした設定と唯一無二の関係性は、ふたりの抜群の演技力でスクリーンを支配していく。事前に互いの役柄について話すことは一切なかった、というのが驚きだ。
「藤さんとは現場でしかお会いしていないんです。ご挨拶程度はさせてもらったと記憶していますが、現場では必要以上の緊張感を作ることもなく、かといってくだけたやり取りもなく、ある種淡々と関わらせていただきました。卓と陽二の距離感としては緊張感のあるシチュエーションが多い作品ですが、シンプルに楽しみました」
そんな森山を「いい俳優さんですよね」と藤が称える。「居合のように、お互いに構えただけで、やり取りができちゃうんですよ。パーンって来たら、こう返す……のように。そうやって、もう何も喋る必要はないんです。俳優それぞれインターアクションの仕方が違うから、話なんかして場を持たせる必要はなくて。カットが終わったらまた違うところ行って……。だから面白いエピソードはないんですよ。何も特別なことは起こっていないんですから(笑)」と、藤らしい師範級のコメント。
藤が演じる父の陽二は、認知症を患っているが、高度な知性を有する大学教授という設定だ。ロジカルな言葉(セリフ)、そしてそれに反するような症状を同時に体現する、藤の圧倒的な演技に引き込まれる。
「あんまり役作りはしませんね。私自身が毎日、自身の老いと対面していますから。この人生はメイズ(迷宮)だと思いますね。それでいいんだ、だから人間は愛おしいんだって思います。『認知症? だからなんですか?』みたいな感じ(笑)。酷な親子の関係だけど、それも俯瞰してみれば、愛おしいもの。森山さんは、役者、表現者としての目線で、その状況を見ていると仰られて、非常に納得がいきました。私ももし若くて、森山さんの役だったら、きっとそうするだろうなと思いました。その感じが非常に出ていましたね」
近浦監督の前作「コンプリシティ 優しい共犯」にも出演している藤。今作は全く異なるタイプの作品となったが、「ドキュメンタリーのような感じのある、すごい台本だと思いました」と感想を述べる。「監督とこの映画とどう付き合うのか、しばらく想像がつかなかったですね。やりがいがありました。(陽二が)どうしようもないことに陥って、25年も疎遠だった息子がそこに引っ張り込まれて……切ないですが、これこそ人間の在り方ですよね。そして、見終わった後に言葉では説明できない心のどよめきがある。それが新鮮で、この映画の醍醐味だと思います」
藤は、第71回サン・セバスティアン国際映画祭のコンペティション部門でシルバー・シェル賞(最優秀俳優賞)、北米最大の日本映画祭“ジャパン・カッツ”では特別生涯功労賞を受賞。本作は海外での公開も決定している。「世の中変わりましたね。映画のあり方がすごくグローバル化して、そこに参加させてもらって、すごいなと改めて感じました。海外に作品を持っていく近浦さんも、舞踏家と俳優とで世界を動き回る森山さんも、私から見るとみんな大谷(翔平)選手のよう(笑)。僕は監督の才能に乗っかっているだけですよ」と謙遜し、「今や、世界各地に日本映画の映画祭や特集があって、『大いなる不在』を楽しもうと思う人がいる。それは、昔はなかなか難しいことでしたから、うれしいですね」と述懐。
最後に、「藤さんと森山さんの間で、『俺はこう行くから、僕はこう行きます』のような事前の会話もなく、もうそこに陽二と卓が存在し、そして、拮抗する――最高にいいショットです」と撮影を振り返る近浦監督。さらに、「全編35ミリフィルムで撮った本作をぜひ劇場の大画面で見てもらいたいと思います。映画祭出品とか受賞などと言うと難解な芸術作品と捉えられてしまうかもしれませんが、僕の中では第一に良質なエンタテインメントを作りたいと思って撮った作品です。気楽に見てもらいたいです」と結んだ。エンタテインメント性あふれる、とある家族の心のラビリンスを是非映画館で体験してほしい。