ギルバート・グレイプのレビュー・感想・評価
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キャストの豪華さだけ。それも後付けの
たまたま、のちの天才俳優と、時代のトリックスターが共演していたというだけの映画。やっていることは、太ったお母さんをどうにかして外に出すことと、障害のある弟を守ってあげる、心優しいお兄さんの日々の悩みを私小説風に綴ったファミリードラマで、そこに感動もなければ、見終わった後に考えさせられるような教訓もない。
ジョニー・デップが主役なのに、ディカプリオのほうが強烈な印象を残すという皮肉な作品。何とも重苦しい雰囲気で、彼ら家族に、いいことは一つも起きません。これを映画にする意味あったのかな。
2017.7.10
考えてしまう
およそ20年ぶりに再鑑賞。
年を取ってから見直すとまったく違った感想になるなぁ。
たしかこんなふうに見てはいなかった。
家族とは?
簡単に言うと、毒親による機能不全家族の犠牲になってきた、自分の人生を生きてこられなかった子どもたち、だった。
ギルバートは知的障害のある弟のアーニーの面倒を見つつ、夫を亡くしてから食べるだけになった『浜に打ち上げられた鯨』と化した母の食費を稼ぎ、その母と姉と妹と暮らしている。
これまで家族のためにだけ生きてきたと言っても過言ではない、自己主張をまったくしない青年。
ギルバートの察してあげちゃうところも悲しく見えてしまう。
そこへトレーラーハウスでギルバートの住む街に立ち寄ったベッキーがギルバートと知り合い、自然に惹かれ合う。
ベッキーとの自然なやりとりからギルバートは生まれて初めて自分のことを考えはじめるようになる。
移動するベッキーと一緒にいたくても家族を置いてはいけないギルバート。
これだけの機能不全家族でも家族の愛が強い。
というか、むしろ機能不全家族だからこその束縛の洗脳なのかもしれない。
自分を押さえつけてきて自我が芽生えはじめた反抗期の少年のように時々感情を爆発させてしまうギルバート。
この映画ではジョニデがほんとに普通の青年で、そうだ、ジョニデはかっこ良かったんだと思い出した。
知的障害の役を熱演というか好演というか、ディカプリオの演技はやはりスゴい。
ディカプリオ演じるアーニーの無邪気さとベッキーの美しさが、この物語の光のようなものだった。ホッとする何か。
他キャストも、ああこれにも出てたんだって人がいたりもして、もう一度見てよかったと思いました。
またふとしたときに見よう。
私たちの物語
これは私たちの物語だと思いました。
なぜなら、我々はみんな、程度の差こそあれ、誰かをケアし、誰かにケアされる存在だからです。
ただ、それぞれの形が違うだけの話です。
こういう作品――「勝つ」「捕まえる」「やっつける」「逃げる」など、主人公にはっきりした目的のないストーリーを描いた作品――を、退屈させずに観せていくのは、なかなか難しいと思うのですが、とても魅力的な作品に仕上がっていました。
そう来たか、というような予想外の結末にはちょっと驚いたけれど、暗さや悲痛さは感じなかった。
「家族の絆」(陳腐な言葉で申し訳ないですが)をあたたかく描いた秀作。若きディカプリオの名演に胸打たれた。
この硬直した不寛容な時代に、多くの人に観てもらいたい作品です。
追記
どうでもいいことだけど、このサイトの写真(家族で車に乗っている写真)は左右反転の裏焼きになってるな。ジョニー・デップが右ハンドルを握っている。
どうしてこうなっちゃったのかな?
受け継がれるは…
ギルバートの父親はどこまでも無我的に「大黒柱としての責任」を抱え込み、その果てに首吊り自殺に追い込まれた。そして彼もまた父親のそのような運命を辿りかけていた。知的障害を持つ弟のアーニー、過食症の母ボニー、それから2人の妹たち。それらを支えていかなければいけない、というオブセッション。
しかしギルバートはアメリカじゅうをトレーラーで旅するベッキーと心の交流を深めることで、少しずつ内面を獲得していった。俺だってこの街から出て行くことができるんじゃないか?と。これによってギルバートは自由と責任の二律背反に直面することになる。ベッキーと一緒に閉鎖的な街から出て行きたいという気持ちと、家族を支えていかなければならないという気持ち。
語り手であるギルバートのこの懊悩は、ここへきて物語そのものの行き詰まりとして噴出した。したがってギルバートの母親であるボニーの死は必然だったといえるだろう。
彼女は自分の子供たちを縛り付けているものが他ならぬ自分であることを重々に理解していたのだと思う。彼女が250キロの巨体を動かしながらなんとか2階へと這い上がり、それから息子と娘たちの一人一人に言葉をかけるシーンは何とも切ない。彼女もまたどうにもならない二律背反に苦しめられ続けてきたのだ。子供たちと一緒にいたい、けれどそれは子供たちの未来を奪う桎梏となる、と。
しかし彼女はけっきょく、ギルバートたちに選択権を譲った。彼女の死は、彼女が親として子供たちに与えた最後の贈り物だったといえるだろう。ギルバートたちは母の遺志を受け取り、そしてあらゆる死臭の元凶たる自宅に決然と火を放った。
こうして自由と責任の二律背反は瓦解し、ギルバートは自由の象徴たるベッキーとの再会を果たす。しかし完全に責任が消え去ったわけではない。それは形を変えて今も彼と共にある。
アーニー。彼の大切な家族。
初夏の風のような秀作。
若きジョニー・デップとディカプリオ。
対照的でともに見事な演技。
ディカプリオに至っては上手すぎ。
古い価値観に縛られた田舎町で
現実に対処できない母親、知的障害の弟、
難しい家族と責任をかかえ
ただ確実に可能性を失っていく日々。
それでも良い人でいたいと
ぎりぎりで踏みとどまっている青年の憂いが切ない。
彼の世界を開けようとノックする
ベッキー役のジュリエット・ルイスが素晴らしく爽やか。
おおらかでキュートでふわりと母性まで感じさせる。
ただ希望へと向かっていくようなラスト。
胸のすくような青空をプレゼントされた気持ちになる。
秀作。
少し希望の持てるラストが好き
もはや古典
ディカプリオの演技に…
若き日のジョニーデップとレオナルドディカプリオが共演しています。
ジョニーデップ演じるギルバート
ディカプリオ演じるアーニー
ギルバートは知的障害者を持つ弟アーニーの面倒をみながら狭い町で暮らしておりその葛藤をえがいている。とにかくディカプリオの演技が本当に素晴らしいと思える作品になっている
ディカプリオの演技だけでも星5
知的障害の弟アーニーと
夫の自殺以来家から出ない過食で巨体の母の世話に日々追われるギルバート
現代と違って預け先もなく始終目が離せないアーニー
と今で言うなら毒親にもなりうる、自分はソファーから動かないのに全ての世話を子供にまかせる母親
2人を心から愛して面倒をみるギルバート
だがふらりと現れたトレーラーで旅するベッキーとの交流の中で、家族の世話に縛られた自分の毎日に疑問をもち爆発してしまう。
家族の幸せしか考えてこなかったギルバートが
自分の人生や幸せについて考えだし
愛しているからこそ離すことのできない足枷にきづく
母が死んでその遺体と共に
父が自殺した場所でもある古い家を焼くことで
恍惚とした表情のギルバートが印象的。
愛してるアーニーと共に
ベッキーの車に乗り込み町から出て行くシーンは
希望に溢れていてみんなの笑顔が眩しい。
10代のディカプリオの演技力に脱帽だし
とにかくこんなに魅力的に知的障害者を演じたことに
感動すら覚える。
細かく細かく
髭がないジョニデ。
ロングヘアーが美しいジョニデ。
犯人探しや復讐ものなどとは違い、ストーリーに指標がない。たんたんと彼らの日々が映し出される。その生活感とジョニデを見られるという点をモチベに見ていた。でも段々と映画の主旨が見えはじめる。家族に捧げる彼の人生がある女性と出逢い、母が死に一転する。そのプロセスには本編でサラッと出される布石を後に回収する楽しさ、上手さと出演者たちの演技、シングルマザーや障害を持つ子供との触れ合いや恋が妙に涙腺を刺激する。最後はとても感動、というか心が温かくなる。
すごくいい映画だった。
どこまでも、どこへでもゆけギルバート
はあ、最高だったなあ。
まず、やっぱりディカプリオの演技力をまざまざと見せつけられました。あっぱれとしか言いようがない。あの若さであれだけの観察力ってすごい。顔だけじゃないんだなってことを初めて知りました。(失礼)笑い方から声がたまに裏声になっちゃう感じまですごくリアルだった。彼に支えられた映画だなあ。こういう演技をする人って思い出すのはショーン・ペンとかだよね。
そして、ジュリエットルイス。今の彼女を思うと、こんな役似合わないわい、とおもったけど、もう最後らへんはなんだか神々しかったよ、あのド田舎で、あの存在。この世のものではないね。
あのゆるくて穏やかだけど、いつまでも続いていく絶望って感覚を麻痺させるし、先が全く見えない(ある意味では見えている)んだよなあ。そんな役柄に影のあるジョニーデップがぴったりなんですわ…。もうどうしていいかわからん状態だったギルバートを最後ああいう形で救ってくれて本当によかった。
人生どこへでも行けるっていう証明のために映画ってのはあるんだよなあ。偉大だなあ。
しがらみとまどろみの複雑な感情
自由になった葡萄の実
家庭内でしか育たない深い愛情もあるけれど、個人の人生を考えた時、「家族だから」という理由は時に重荷になってしまう。
自分で建てた家の地下室で突然首を吊って死んだ父。そのショックから、町で一番の美人だったという母は過食で肥満となり、家の中でもほとんど動かない。兄は家を出てしまい、次男のGilbertは知的障害を持つ弟Arnieの世話を焼きながら、食料品店で働いている。長くは生きられないと言われていたArnieの18才の誕生日前後のGrape家が描かれています。
彼らが住む寂れた町Endoraにも、大手スーパーやハンバーガーチェーン店といった新しい店舗がオープンし、少しずつ変化が出てきます。
Gilbertは、家族をよく知る店長に遠慮して、これまで通り古い商店で働いていますが、友人のTuckerは、純粋に惹かれてBurger Barnへ転職し、Mrs. Carverもモラハラ気味?の夫の死を機に転居します。新しいことに挑戦するのか、それとも古いものにしがみついて変化を拒むのか、という対比が分かりやすいです。
Gilbertは周りの顔色を見て生きているいわゆる「自分のない人」。大黒柱の役割を担わされ、高い所が大好きないたずらっ子の弟に振り回され、配達先の人妻にも誘惑されるがまま。本心は一体何を望んでいるのか彼自身も分からず、周囲から与えられた役目を果たそうという他人への責任感だけで動いています。発する言葉に”have/got to” の多いこと。父も兄もきっと家族に尽くすだけの人生に疲れて消えて行ったのだろうと推測できます。そしてまたGilbertの本音も、陰では母親を「ビーチに打ち上げられた鯨」と呼び、一人ではお風呂にも入れない弟を「時々(生きて)いなければ良いと思う」という所に表れています。
夫の死を乗り越えられない母親は、良くも悪くも家族をまとめる重石か足枷のようでしたが、母親自身が精神的にあの家に縛り付けられていました。
子供達の巣立ちを阻む家を燃やしたことで、晴れて自由になった訳ですが、母親の尊厳を最期に守ろうと思えたことがとても大きいのだと思います。鯨のようだと軽蔑したまま離別するのと、愛を持って見送るのとでは、その後の人生で故郷を振り返る時に随分違うでしょう。
Gilbertが自分の心の声に耳を傾け、母親と和解することこそが願いだと気付き、その機会を与えてくれたのは、キャンピングカーで自由に暮らし、刻々と姿を変える大空が大好きなBecky。
彼女との出会いが、
“We are not going anywhere.” を
“We can go anywhere if we want.”に変えてくれました。それは決して嫌々留まるのでも、どこかよそへ逃げるのでもなく、夢を持って新天地を目指せるという希望になりました。
母親の巨体が好奇の目に晒されるシーンがありますが、ドアや玄関を壊さないと家の外に出られない人もいるくらいですから、何とか歩けるだけマシですし、アメリカではそう珍しくないサイズだと思うのですが…。かつての美人が夫の自殺で劣化、お騒がせな三男は知的障害、などという要素が、狭いコミュニティでは余計に関心を高めるのでしょうか。
字幕では父親が17年前に死んだと訳されていますが、そうすると15才のEllenだけ父親が別人となってしまいますし、可愛かった頃の母親の姿をGilbertがはっきり覚えているというのも矛盾してしまいます。Beckyとの会話で、父親の死亡以来母親の過食と引きこもりが始まったと告白しており、母親が7年間外出していないということは、自殺も7年前です。17年前というのは、母親が家計を支えなければならない何かが起きたということでしょう。
当たり前ですがとにかくみんな若い!!
Johnny Deppは美しいし、DiCaprioはまだまだあどけない少年。John C. Reillyだけ意外と変わっていない?(^^)
Mary Steenburgenは高橋 惠子さんに見えました…。
登場人物は皆人生における困難にもがいていて、真の悪人は出て来ません。
自分探しをしている若者はもちろん、周りの期待に応えようとするあまり自分を見失ったり、変化を恐れたりする大人にもお勧めの作品だと思いました。
“It's what you do that really matters.”
ジョニデとディカプリオのフレッシュさ
【ラッセ・ハルストレム監督のキャスティングの慧眼に平伏した作品。】
ホントにホントに「号泣」しました…
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