「余白から浮かび上がるいくつもの物語」彼方のうた sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
余白から浮かび上がるいくつもの物語
パンフレットにレビューを寄せている筒井武文さんが、「極論を言うと、杉田協士はただ一本の映画を撮り続けている映画作家で、一本一本は仮に作品になっているに過ぎない」と書いている。私は、杉田監督の他の作品を未視聴なのだが、この指摘はきっと当たっているのではないか。
本作で杉田監督が描こうとしているのは、起承転結のあるストーリーではない。「映画」というと、その起承転結の妙や、張られた伏線の回収の見事さなどが評価されるものもあるが、この作品は、まるっきり違う所を見据えているのだろうということが、杉田作品初めての私にも、次第に伝わってくる。
そもそも、ストーリーメインで観ようとすると、小さな違和感の積み重ねで破綻し「なんじゃこりゃ」になる。
例えば、「行きたい店への行き方」を尋ねてある人に話しかけるくせに、既にその店では常連だったりするし、ストーカーしている相手といつの間にビールをのんで家にまで上がりこんでいるし、上田になんのゆかりがあるのかわからないまま、二人乗りしている東京在住の人のバイクのナンバーはなぜか「上田市」だし…。
でも、待てよ。いやいや、その違和感こそ、読み解けるヒントじゃないの?と思ってからいろんな可能性が見えてきた。
余白が多いということは、その解釈の自由度も多いということ。冒頭に述べた筒井さんは、やや比喩的な表現ながら、主人公=宇宙人説を述べられていたが、そういう解釈も普通にありだろう。
監督が、撮り続けているものは何か。
今日のアフタートークでは、「そのシーンで映したいのはこれというのを、撮影の飯岡さんと明確に一つに絞って撮った」という言葉が聞かれた。また、パンフレットでは「本当だと心から思えることを大事にしたい」と語られている。監督は、「見せる気満々で、ちょっと隠れているものもあるくらい」とも語っており、その場面での監督の考えるリアリティは存分に表現されているのだ。それをシーンごとに積み重ねながら、鑑賞者の多面的なリアリティとのすり合わせを試みているのが、一つ一つの「作品」となっているのではないだろうか。
内容の分かりにくさを指摘する声も多い中、観た人の多くが認める画面の緊張感の理由は正にここにあって、余白があることこそが実はリアルということだと思う。
そもそも、私たちが現実社会で出会ったりすれ違ったりする人たちは、細かな説明などして来ないし、丁寧に語られる言葉が本当に「本当」なのかもあやふやだ。
私たちは、その距離感の中で、自分なりの物語を紡いで毎日を生きている。
ラストの中村優子さんのセリフは、ハッとさせられるが、それに気がつけたのも、それまでの彼女の物語があってこそで、その彼女の物語がはっきり見えないこともリアルだ。だから、私たち鑑賞者は、これまでの自分の物語を重ねて、少し近づいたり、離れて俯瞰してみたりしながら、味わえばよいのだと思う。
主人公を演じる小川あんさん、脇を固める中村優子さん眞島秀和さん、3人とも素晴らしい。この3人が3人とも、その表情から過去にあったであろう様々な物語を連想させてくれた。
あと、全く違う話になるが、映画に出てくる中華料理店「檸檬」のかた焼きそばは、「青天の霹靂」で上田に訪れた大泉洋も通い詰めた。上田に来られたらご賞味あれ。
「まるっきり違う所を見据えている」という言葉に、もう一度見てみる価値はあるのかも、とチラリと思いました。でも、映画代高いし配信でないかなあ、と思っているところです。
(見終えた後は、絶対二度は見ないだろうと思っていましたが、このレビューを読んで・・・)