フェラーリのレビュー・感想・評価
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ペネロペさん、お久しぶり
ちょっとゴシップ的なストーリーですが、古典的なレースマシンの集合や
装甲シーン、レース会場の再現は圧巻。イタリアの街はこういうの慣れてるね。
まあ、街並みがあまり変化ないしね。
ペネロペさん、相変わらずお美しい、見せなくても、せめて下着は脱いで欲しかった。
最後はリアルを追い過ぎ、CGや特殊効果があるからって、あそこまで露悪趣味に
走らなくても、幾らでも描写はあったはず。
星は全てレースシーンやディテールのこだわりに対して、ストーリーは付け足しだね。
フェラーリの狂気の人生の物語
共同経営者の妻との冷えた生活、愛人と愛人の息子との二重生活、そして会社の買収危機を回避するためにロードレース賭けるエンツォ・フェラーリの狂気に満ちた人生の物語に、共感できるところはあまりない。
キャストの渾身の演技と映像の迫力は見所でした。
ツマラナイ、その理由
非支持。
レース、社長の浮気癖、夫婦の不仲、会社の経営難、幾つかの死がブツ切りに乖離。
女達が等しく車に興味を示さぬからか。
あしたのジョーで身を持ち崩す程に拳闘にのめり込んだ女達を想う。
レースの難所と危険、だから勝機が何かを語らず、結果のみ提示。
だからツマラナイ。
レースで勝つために車を売る
イタリアの自動車メーカー、フェラーリの創業者である、
エンツォ・フェラーリを描いた、ヒューマンドラマ。
エンツォは息子ディーノを亡くし、さらに会社の経営に行き詰る。
妻との関係も冷え切っていたが、愛人とその息子ピエロとの関係も知られる。
競合会社からの買収の危機に至るも、エンツォはロードレースに挑み、
起死回生を図る・・・
あのフェラーリの創業期における、公私にわたる人間関係が描かれていたが、
背景が分からないと、ちょっと理解が難しいかも。
このエンツォ、ドライバー経験を経て、会社を設立したようだが、
「死を恐れるな」とドライバーたちと言い、思いやる姿は経験者ならではか。
また、一般人を事故に巻き込んでしまった後にエンツォが「一般人は彼らと違う」と
悼むシーンも印象的であった。
また、「レースで勝つために車を売る」という他社とは異なるブランド戦略、
これもドライバー出身ゆえの考え方か、はたまた建て前なのか。
今では、フェラーリと言えば、高級車、スーパーカーの代名詞だけど、
こんな歴史が、裏舞台があったのか。
苦く渋い。
2023年。マイケル・マン監督。1958年、一人息子を失って共同経営者の妻ともうまくいかないフェラーリ創業者は、愛人との間の息子の認知を巡っても危機にあり、さらに会社の経営は切羽詰まっている。それでもレースにこだわる元レーサーの創業者が大勝負に挑むという話。安直な感情移入を拒否する意志につらぬかれている。苦く渋い。
たしかにレースが山場となっているのだが、「その時」にむかって一直線に盛り上がっていく一面的な映画ではなく、複数の人々が複数の思惑で交錯しているさまが丁寧に描かれている(そもそも、レース自体が「誰が勝つか」を超えたとんでもない事態を巻き起こす。勝者の祝福さえ苦い)。これで130分とは信じられないほどの複雑さ。例えば、イタリアのブルジョワ社会の社交場としてオペラの一節が描かれるのだが、そのオペラを聞きながら、創業者は亡き息子を想起し、その妻は息子も含めて愛があった家族の姿を想起し、愛人は創業者との思い出を想起し、創業者の母は戦争で死んだ長男(創業者の兄)を想起する。しかも、誰もがひとつではない複雑な心情を抱いている(愛人の存在をつきとめた妻が、共同経営者として創業者に示す態度を見よ)。
レースの場面が多い。カメラが車に迫り、追い抜き、回り込む。切り返しで真正面ではなく、後ろ姿をそのまま撮ることをためらわない。それは冒頭、主人公が目覚めてから家を出て車に乗るシーンまでにも徹底している。時にどきっとするほど人物の顔が大写しになるのも効果的。音響も突然ピンマイクになるかのような親密な音に切り替わっている。
女の意地をじっくり堪能あれ
フェラーリは、ブランドに対する愛着と執念と負けん気だけで生きてたんだろうな。
妻を傷つけることを承知で、他に家族がいて、跡継ぎのためには手段を選ばない。
いわゆる鬼でしょ。でもフェラーリのブランドを守ればすべてよしってこと?
カークラッシュで死者が出ても責任取らず、起訴されず。
だが、フェラーリ扮するアダム・ドライバーがなぜか突き抜けている。
彼の考える現実は、もはや実生活にはない。
フェラーリワールドから物事を語っている。
対象的に、実生活に踏みとどまろうとするペネロペ・クルスの演技が圧巻。
常識をひんまげるフェラーリの上をいっている。
フェラーリワールドの汚染を崖っぷちで蹴散らして、不覚にも支えている。なんというアンビバレンツ。
女の意地をじっくり堪能あれ。
エンツォって…
1987年に中嶋悟がF1参戦開始して、翌年エンツォが亡くなったと思います。
当時夢中になって見ていたので、実況でも雑誌でもエンツォ・フェラーリの功績をたたえる内容が多かった記憶があります。
好きだった漫画、GTロマンもそうだったですね。
フェラーリというメーカー、レーシングチームを作ったり、名車を生み出したのは確かなのですが、この映画見て、人としてどうなんだって感じですね。
映画として、エンツォ・フェラーリの生涯なのかと思ったら、非常に短い期間を取り上げたんですね。
最近の洋画大作はみんな長くて疲れるので、120分ほどでコンパクトにまとめてあって楽しめました。
フェラーリ が経営難だったとは?
アダム・ドライバー エンツォ・フェラーリ の生涯
スーツ姿 サスペンダー凄くお洒落、イタリア風を押し出していたのでは
創業してから10年経営不振
伝統の公道レース ミッレミリア
大事故を起こすが責任を問われないと驚いた!!
チキチキマシン猛レースみたいなリズムでレースは鑑賞していた
地味な作品はどちらにせよオスカーノミネートされるでしょうね
オッペンハイマーオスカーならこちらも期待できると思います
複雑な人間ドラマ
レースシーンはとても臨場感があります
しかし、レース主体の映画を期待すると肩透かしかもしれません
エンタメ度は薄いので少し覚悟して観る必要がある作品
人間の複雑さを深く描いた重厚なドラマです
観て楽しい映画ではなく、観終わっての印象もなかなか重いものがあります
陰鬱な印象が残る作品
人によっては好き嫌いが分かれると思います
自分は心に深く刺さった良い作品でした
ペネロペ・クルスさんの演技が凄かった。すごい存在感です。
歩く後ろ姿に怒りが満ちていてそれだけで怖かった
アダム・ドライバーさんはこういう何かに取り憑かれた役が合いますね
かっこいい
光と影と狂気。
Appleのスティーブ・ジョブズ、テスラのイーロン・マスクなど、カテゴリーの創業者に共通する0から1を産み出す際のある種の狂気に満ちたこだわりの強さ、妥協の無さはエンツォ・フェラーリもしかり(年代ではフェラーリの方が先駆者だな)
でもあえて成功物語ではなく、倒産、廃業の危機だったこの年を選んで映像化するとは!
エンジニアとしては優秀なエンツォと私生活の人としての危うさの対比はなかなか見応えありました。
後半の「ミッレミリアの悲劇」も含めて引き込まれました。
そしてアダム・ドライバーの憑依っぷり!
初め誰かわからなかった!
凄い!
中身がぎっしり詰まった人間ドラマに魅せられた…
大好きなマイケル・マン監督の8年ぶりの新作なので、迷わず映画館を訪れた。しかも、504名収容の大型スクリーンで観ることができたのはラッキーだった。観客は30人くらいしかいなかったが… エンツォの人生のたった3ヶ月を描いているだけなのに、彼の魂に触れられた気がした。家族への愛憎、スピードへの情熱、スタッフへの信頼など… 彼の言葉がカッコよすぎる。「ジャガーは売るために走るが、私は走るために売る。全く違う。」「私の車に乗るなら、絶対勝て。」「どんなものであれうまくゆく場合、見た目も美しい。」などなど。決して愛想がいい男ではないが、信念が感じられるし、一本筋が通っている。やはり、男を描かせたら、マン監督はピカイチだ。今まで、アダム・ドライバーが演じてきた役は一つもかっこいいとは思えなかったが、今回は違う。実年齢よりも20歳も年上を演じながら、とにかくカッコよかった。また、ペネロペ・クルスもすごかった。どこかに書いてあったが、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされてもいいくらいの熱演だった。息子を失った悲しみを内に秘めつつ、夫の不在を嘆き、一方で会社の経営には心を砕いている。目の下にクマを見せながら、美しさをかなぐり捨てて体当たりで演じていた。それからミッレミリアのレース・シーン。この年を最後に中止になったそうだが、堪能した。街中から、田園風景、山岳地帯までそのスピード感と美しい景色。CGに頼らない絵は素晴らしかった。最後に、エンツォのことを、みんな「イル・コメンダトーレ」と呼んでいて、他は英語なのにどうしてこの言葉だけイタリア語なのかなと思って、後で調べてみた。彼の愛称だったらしい。司令官と言った意味で、彼がもらった勲章の名でもあるらしい。納得した。8年も待たされたけど、すごくよかった。満足満足。
期待と違っただけかも知れませんが
私には厳しい作品でした。
ミッレミリアが始まるまでは眠かった~。(-_-;)
レースやクルマが中心の作品かと思ったら、エンツォがイタリア男性のグローバルイメージの様な人だったらしいとか、良い妻のラウラを蔑ろにしてたり。
私としてはDINO206GTが出来るまでの話とか、ラウダがチャンピオンになるまでの話が良かったなぁ~(笑)
憧れの小顔(ペネロペ)
高級外車に 乗れない・買えない・ご縁がないため、よく考えたら、いやよく考えなくても、人の名前(創業者名)だったよ…と思う程度にしか日頃から関心なかった「フェラーリ」の伝記映画。
最近の伝記物は、生まれてから亡くなるまでの全てを描くよりも、その人の一時代にスポットを当てたものが多いのでしょうか。今作も、エンツォ・フェラーリの1957年1年の話。
どんな成功者も順風満帆な人生はないんだな…ただ、波瀾万丈というほどではないかな?と思いました。いずれにしても妻と愛人のどちらも、つらかっただろうな。
知識ないので、ミッレミリアが何かのレースなのだなーと思って見ていたら、あんなにすごい公道レースだったとは。映画として景色も楽しめるし展開に興奮しますが、悲劇に胸が痛くなりました。普通に危険。よくあんな体制で開催したなと思います。レースシーンは見せ場かなと思うのですが、短かった気がします。
アダム・ドライバー演じるフェラーリは渋いおじさま。ペネロペちゃんは演技もいいし、年取ってもかわいかったです。
人間ドラマとして完成度が高い
さすがのマン監督。
エンツォ・フェラーリを孤高の人として描くのではなく、欠点もあるし、人間的にもじつに泥臭い人間に見えた。
しかし、当時の車の安全性たるや「走る棺桶」でしかない。200km/h近いスピードを出しながらシートベルトもないし、運転席はむき出しだ。吹っ飛んだら命がないと思っていたら開始早々やっちゃった。あかーん。
エンツォ・フェラーリを演じるアダム・ドライバーはダースベイダー以来久しぶりに見た。最初は誰だかわからず目付きとあごの形に見覚えがあった。広い肩幅大きな体に長いけど小さな頭。カッコイイ。もう、それなりの歳なんだろうな。
奥さんのペネロペ・クルスは実に上手かった。愛人の元に通い続ける夫に、最後に言い放つ「何もいらない。でも、外の子を私が生きている間に認知しないで」。カコイイ。
レース中の大事故は道路に埋めてあった金具を踏んでコントロールを失うった車が大横転したことで起きる。穏やかな日常を送る家族⋯フラグがたつ。やっぱり。そう言えばドライバーの彼女に送る手紙もフラグだったなあ。生きて帰れたら⋯(これはタヒぬでしょ)
あの金具はなんだろう?
現代の道路でもセンターに結構背の高い反射板付きの金具がある。扁平タイヤで踏むとかなりの衝撃が来る。怖い。
しかしながら、光一くんが言うような大興奮にはならなかった。レースが少ないのが原因だと思う。ちょっとダラダラした感じでスピード感がいまいち。だから、終盤に向けて盛り上がらないなあ。現代の技術をもってすればもっとエンターテインメントとして楽しい映画になりそうだったのにと少し心残りだった
ダブルアクセルが懐かしい
上演早々、
カーレースでハンドルマニュアルシフトに、ダブルアクセルの空ふかすのが懐かしすぎる。
もうAT車に乗り換えてクルマの運転の忘れてしまっている。
それにしても、イタリアの未整備道路の古い街並みに杉街道を疾走するは狂気に思えるが、
全ての道はローマに通じる諺のように、
古代ローマに敷設された戦略道路はヨーロッパ全域を制圧した証である。
それを観ただけで、充分だ。
詳しくは、エンツォ・フェラーリ博物館でも行くがいい。
真っ赤な車が所狭しと並べている。
フェラーリの墓場だ。
そう、フェラーリは昔から赤い棺桶なんだ。
まあ、
米語のフェラーリとは、
スタバのエスプレッソだね。
( ^ω^ )
フェラーリ
マイケル・マン監督がアダム・ドライバーを主演に迎え、イタリアの自動車メーカー・フェラーリ社の創業者エンツォ・フェラーリを描いたドラマ。
ブロック・イェーツの著書「エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像」を原作に、
私生活と会社経営で窮地に陥った59歳のエンツォが起死回生をかけて挑んだレースの真相を描く。
1957年。
エンツォ・フェラーリは難病を抱えた息子ディーノを前年に亡くし、会社の共同経営社でもある妻ラウラとの関係は冷え切っていた。
そんな中、エンツォは愛人リナとその息子ピエロとの二重生活を妻に知られてしまう。
さらに会社は業績不振によって破産寸前に陥り、競合他社からの買収の危機に瀕していた。
再起を誓ったエンツォは、イタリア全土1000マイルを縦断する過酷なロードレース「ミッレミリア」に挑む。
妻ラウラをペネロペ・クルス、愛人リナをシャイリーン・ウッドリーがそれぞれ演じた。
2023年・第80回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。
フェラーリ
Ferrari
2023/アメリカ・イギリス・イタリア・サウジ
タイトルは車ではなく血筋のこと
「フェラーリ」というタイトルを見て誰もが思うのは車のフェラーリのことだろう。
もちろんこの映画の見どころはレーシングカー、フェラーリのレースシーンではあるが、この映画の主題はフェラーリを創業したエンツォ・フェラーリの妻、愛人、息子の姓をめぐる物語だ。
1957年フェラーリ社は資金難で破産寸前。郊外の公道を走り抜けるレース、ミッレ・ミリアに社運をかけ準備をしていた。
エンツォ(アダム・ドライバー)には妻であり共同経営者のラウラ(ペネロペ・クルス)に息子のアルフレード(ディーノ)がいたが、息子は難病で亡くしていた。息子の死とレースに心血を注ぎ家庭を顧みないエンツォとラウラの夫婦仲は冷めきっていた。
一方、戦争中に知り合ったリナ(シャイリーン・ウッドリー)との間にピエロという息子が誕生していて、ラウラに知られないように母子とも時を過ごしていた。
イタリアが舞台ということもあるが、ゴッドファーザーの血筋の話をフェラーリ家に置き換えたような重厚さがある。
共同経営者でもある妻と愛人、亡くなった息子と隠れたように暮らす息子。
フェラーリの姓を継ぐものは誰なのか。
中盤、オペラ「椿姫」にフェラーリ家を重ねるシーンがあるが、画面の陰影、美しさ、舞台の重厚感はまるでイタリアンオペラ。
もう一つの見どころであるレースシーンは当時のフェラーリのレーシングカーを3Dプリンターで再現し、レプリカを製作したというこだわり。
助手席にカメラマンが入りハンディカメラで撮った迫力のある映像やら、ドローンで空撮した映像を駆使したレースシーンはマイケル・マン監督の真骨頂だ。
とりわけ、クライマックスのミッレ・ミリアのレースシーンはイタリア郊外の美しさと赤いフェラーリが駆け抜ける迫力が一体化しこのシーンだけでも観る価値あり。
伝記映画であるが人生の時代を追うのではなく、1957年の4ヶ月を描いているのはこの4ヶ月にエンツォの人生の局面がぶつかり合っていたからだという。
マイケル・マン監督はただのアクション映画の巨匠では無いのだ。
誰も幸せになっていないのかな・・・・
イタリアの自動車メーカー「フェラーリ」の創始者エンツォ・フェラーリの伝記ドラマ。今年に入り、大変に楽しみにしていた作品、伝記ドラマと言っても、彼の長い人生の中でほんの数年のお話。
監督がマイケル・マンだったので、結構、重厚な作品になるかなと思っていましたが、想像以上に重厚な作品でした。
フェラーリのお話だから、レースシーンなどメインなのかと思っていましたが、当時のエンツォ・フェラーリの身の回りのお話が7割で、レースなどのシーンが3割と、伝記ドラマらしく、しっかりとしたお話が中心・・・・
しかし、我が強い人って、本当に、ある意味、始末が悪い上に、何かと偉業をやりのけるよな・・・・
エンツォ・フェラーリの実業家の顔、車への執念の顔、自身の欲求への顔、色々と語られているけど・・・・
彼の人生をみて、自分と重ねると、嬉しく思う部分もあり、嬉しくない部分が見えてくる。
奥さんのペネロペ・クルスがいい演技していたな、エンツォ・フェラーリ役をアダム・ドライバーが演じていたけど、本当に、エンツォ・フェラーリって当時あんな雰囲気だったのか・・・・
しかし、車にとりつかれ、自分の車を世に知らしめるために、レースにとりつかれ、女性にとりつかれ・・・・
やっぱり、何かを起こす人って、凄いエネルギーだよな・・・・しかし、彼の人生のほんの一部のお話なんだけど、フェラーリに関わって、幸せになった人がいるのだろうか・・・・・・ちょっと後味も悪い内容だったかな・・・・
フェラーリは赤い。血も、トマトも、ワインも赤い。
赤い車ばかり走って、何が何だかわからなくなった皆さまへ、
フェラーリ、ランチア、フィアット、アルファロメオ、そしてマセラッティです。
どれもイタリア車でしたから、みんな赤くて見分けがつかなかったですねー(笑)
フェラーリのファクトリーカラーはROSSO =赤です。
そしてあのレースの参加国=「イタリア」としての国別ナショナル・カラーも赤なのです。
かつて「ミッレミリア・レース」で、欧州が国籍別の自動車レースを開催した際に、イタリア🇮🇹からの出場車に運営側から割り当てられた識別の色が「赤」。=ナショナル・カラーだったのです。
で、開催地が当地イタリアなのですから、勢い、赤い車ばっかり走ったという訳です。
フェラーリと云えば、誰しも赤い車を思い出しますが、
あのミッレミリア・レースにおいて、
英国車は緑、例えばジャガーやオースチン。
ドイツは銀、例えばメルセデス。
フランスは青でした。ルノー・アルピーヌなど。
故にいまだにそのカラーリングがメーカーごとの「フラグシップ・イメージカラー」として残っているという訳ですね。
・・・・・・・・・・・・・
フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリ氏は、元々はイタリアのスポーツカーメーカーの名門「アルファロメオ」のテストドライバーでした。
(劇中ラウラが乗っていたクリーム色のセダンはアルファロメオだった)。
そこから身を興してエンツォは自分のファクトリーを作ったのです。
映画は、エンツォが、古巣のアルファロメオを退社して身を興し、今では独立して、ファクトリーの責任あるオーナーとして奮闘する様子を見せます。
物語はそこからのスタートでした。
・会社の経営とレースの成績、そして
・女性関係に難儀するというストーリーでした。
でも、エンツォの前身時代、つまり「本人がレースドライバーであった時代」については、この映画では取り上げられていなかったので少し残念でした。
僕はそのあたりからのストーリーがとても観たかったものでね。
アダム・ドライバーは、今回は役柄としては弱くて物足りないですね。お坊ちゃまの財閥のオーナーになってしまっているから。
「フォードVSフェラーリ」で見せた一癖も二癖もあるエンツォの横っ面が見たかった。
⇒川谷拓三似の目が血走った俳優さんが演じていました。
経営難を乗り越えるためには企業統合するのは、昔も今も一緒です。
策士のエンツォは「偽の新聞記事」を書かせてフィアットグループの支援を勝ち取り、その傘下に入っていきます。
「ライバル会社ではあっても、なんとしてでも盟友フェラーリを米国資本なんぞには渡したくない」というイタリア魂の、支え合いのシーンでした。
レースのシーン、
イタリアのあの黄色い空気、空の色、わかる!
そうですね、
僕がいつの日か乗ってみたいのは「アルファロメオ8cのオープンカー」。
搭載されるエンジンは、”エンツォが実家に里帰り”した形になるフェラーリ社からの供給で、V8自然吸気。
車体の組み立てはトリノのマセラッティの工場で行われています。
もうそれだけで垂涎ものです。
僕が7年間乗ったアルファロメオ(916スパイダー)は、アメリカのクライスラーのエンジンを積んでしまうギリギリ直前のモデルでしたから、生粋のイタリア製ブッソーネ・エンジンでした。
滑り込みの幸福感でした。
あの7年で僕はイタリア車の虜になってしまい、あれを手放して以来、僕はずっと車なしの生活です。もう他の車には気持ちがまったく動かないので。
剛腕なペネロペ・クルス(ラウラ)は共同経営者、
控え目なシャイリーン・ウッドリー(リナ)は穏やかな愛人。
これ、
ど•ち•ら•も•イ•タ•リ•ア•女でした。
エンツォは生涯浮気などせずに二人のイタリア女だけを愛し抜き、イタリアのスポーツカーだけを求め続けた。
そこが、実に面白かったですね。
散漫
今回もかなり厳しい消去法。
車には特に派手な外車には全く興味がない。
また、内容に興味はあるが炎上商法で話題をとる手法の映画も拒否感を禁じ得ない。
で、選んだのがこれ。
あっという間の2時間で序盤はやや冗長に感じたが、後半は怒濤の展開。
つまらなくはなかった一方、観賞後の満足度はそれほど高くなかった。
仕事と家庭の両方をほぼ均等に扱っているが、どちらも中途半端。
妻との関係が大きく仕事にも影響するとは言え、もっとフォーカスできたのでは?
それに肝心なところはエンドロール前に文章で流すのみ。
本当に興味を引かれるのは不祥事からどう回復していったか、
今回の映画はそのプロローグに過ぎないと感じた。
当時はあんな市街地の公道でレースしてたんだね(今でも?)。
フェラーリというより主催者の落ち度だね。
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