フェラーリのレビュー・感想・評価
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美しく華麗に─・・・
静かに、美しい情景から始まり、その美しい映像から期待が高まりましたが、前半の男女の絡みが・・・なんか嫌で、どうしてもアダム・ドライバーにテーブル高の所で激しくさせたいのかなぁー・・・というどうでもいいことを思わされてしまった瞬間から、なぜか眠くて眠くて・・・
軋轢や華麗に散っていくマシンとかドライバーとか人とのかかわりがぎこちないのにマシンを見事に扱うエンツォとか・・・印象的な映像はかすかに記憶にありますが、見事な映像・見事な音響ながらも、強烈なクライマックスまで、正直意識が飛んでいました。まぁその悲劇的な最後の方も、内容はなかなかきつかったんですが、かなりのインパクトで魅せられた気がします。
見事な作品なのでしょうけど、じっくりと咀嚼して受け入れるのは、かなり難しいかもしれません。
Legacy
「フォードVSフェラーリ」で熱くなったレースもの、近年では「ALIVEHOON」や「グランツーリスモ」だったりとレースものには多く惹かれ、今作はレースメインではないとはいえ、フェラーリの社長の伝記ものというのも気になっての鑑賞。
フェラーリ創設者の苦悩ってよりかは、奥さんと不倫相手とのドロドロ恋愛劇がメインで、そっちに行っちゃうかとガックシしてしまいました。
ジャンル的に被る作品がここ数ヶ月無かったのもあってか、予告編で見る機会も少なかったもんですから、今作の主なストーリーを汲み取ってなかった自分も悪いんですが、やはり車への葛藤を主軸にして欲しかったというのが本音です。
レースシーンはスピード感は良かったんですが、いかんせん遊び心が感じられず、淡々とレースを進めてるだけに思えて物足りなかったです。
途中途中の事故での離脱も、飛び上がるようなものとかではなく、シンプルにコースアウトしたり、車体の不良だったりなので、絵面のインパクトはそこまで感じられなかったです(そんな事は起こらない方が圧倒的に良いんですが)。
ただ終盤の一般の観客を巻き込んでのクラッシュの絵面は口が開きっぱなしになるくらいには衝撃的な絵面で、バーンと弾いていった時はそんな雑な笑と思っていたんですが、観客を全員弾け飛ばした時には鳥肌が立ち、事故後に腕がちぎれている人、潰されている人、体が真っ二つになっている人などなど、しっかり画面に映っているのもあって唖然としていました。
仰天映像とかで車が吹っ飛んでくる映像はたまに見るんですが、これを現実に、そして映画としての迫力を加えるとこうも残酷になるとは…。
言い方はアレですが今作の一番光るところだったと思います。
恋愛劇からハンドルぶん回してフェラーリ創設者が頭を抱えまくる展開に切り替えていくのも緩急が激しすぎてうまいこと飲み込めなかったのも難があったなと思いました。
アダム・ドライバーは相変わらず変幻自在だなぁと、メイクはあれど威圧的な男の雰囲気は素晴らしかったです。
ペネロペ・クロスはこれまた素晴らしくて、目力でねじ伏せてきますし、初っ端の緊張を引き締めるシーンも良くて、彼女だからこその演技が良かったです。
求めていたものではなく、話も伝記映画の悪いところが出ちゃったなというのが強く残ってしまいましたが、レースシーンはかろうじて良かったのがせめてもの救いかなと思いました。
鑑賞日 7/6
鑑賞時間 9:20〜11:45
座席 N-6
ソシオパス社長のエクストリーム厄年
全方位やらかしおじさんの人生の舵取りを、アダムドライバーの顔が入りきらないクローズアップで見せられる130分。
1957年のエンツォにとってのカーレースは、自分や関係者をじわじわと殺していく病のようなものです。
自分の矜持や技術が、同時に自分の最大の敵になる。これはヒートのニールや、コラテラルのヴィンセントにも通じるものがあると思います。だから映画化にあたってこの年を選んだのかなという気もしました。
映画の大半は隠し子騒動に費やされており、もちろんそれも重要な要素ではありますが、もうちょい経営哲学に触れてほしかった感はあります。
以下は、福野礼一郎氏の『幻のスーパーカー』に書かれている内容ですが
元々が、レースで勝つためだけに作られた車。観戦していた金持ちの顧客が売ってくれと言い、商売として始まったのがフェラーリ社。
エンツォにとっては公道仕様の車=牙を抜かれて快適装備を付け足された乗り心地の悪い車であり、有難がる顧客を馬鹿にすらしていた。
だからフェラーリは市販車にスポーツやレーシングといった肩書をつけることなく、「GT」と名付ける。
個人的には、レース自体がビジネスと化した車業界をエンツォがどう見ているのか、その辺の描写がもうちょっと欲しかったなと思いました。
ただ、レースを描きながら勝利のカタルシスを徹底的に排したのは、さすがマイケルマンです。車を題材にした映画でありながら、ドライバーが誰も車を褒めず、いずれ自分を死に導く疫病神のように話すのが印象的でした。ソレックスのキャブレターが目を覚ましたようにぐるりと回って空気を取り込む場面ですら、処刑装置の調整をしているように不吉です。
素晴らしいマシンが勝利に導いてくれたのではなく、暴れ回るマシンに殺されなかっただけ。
レースに勝ったのではなく、最後まで死ななかっただけ。
でも、今は生きている。
この麻薬のように刹那的な高揚感を追体験させてくれる監督は、やはりマイケルマンしかいないなと、そう思わせてくれる映画でした。
わかるやつにはわかる濃ゆい映画
イタリアが舞台なのに英語?はさておき。
この映画、エンツォ・フェラーリの激動の人生の「ごく一部」だけに焦点を当てた、いわゆる「深堀り」系映画となっている。
見る前までは(予告編すら見ていなかったので!)もっと広い時間軸での話かなと。
ディーノはもちろんの事、チェザーレ・フィオリオとか、チョイ役でフェルッチョ・ランボルギーニとか、ニキ・ラウダも出てくるかなぁ・・とか思ってたら。もっと極点的な深堀系だった。
しかし、コレが見ごたえある。
経営難、家族問題、レースの実績、それらの難題が一気に降りかかり・・・フェラーリのロッソ・コルサは「血の赤」か??魔性の赤か?カンパネラ・ランパンテは死を呼ぶ馬か?エンツォ、あなたは人か怪物か?神か魔物か?そこまで業を背負うか?と言う重々しくも濃ゆい内容。
そして、知ってる人なら思わず「ニヤリ」とする細かい描写。
何年か前に「フォードVSフェラーリ」があったと思うけど。
この映画、そのちょっと前の話。
あのシーンのあの話が後にああなってこうなって・・・なるほど・・・繋がるのね・・。
この映画の終盤が、期せずしてあの映画の序盤につながるのかと思うと胸熱展開・・。
ディーノも出てたし。(映画内ではお亡くなりになってたけど)
ディーノの存在のデカさは、ディーノ246でもお分かりのとおりだし。
そして、1957年ミッレミリア。あ~~~これかぁ・・・・。悲劇のミッレミリアかぁ・・・
知ってる人ならそうなる。
が、しかし。
それはフェラーリの歴史知ってる人だけがわかる事。予備知識あると「あぁ~なるほどねぁ~」ってなるけど。
わからない人にはひたすら「???」だろう。
だから、☆は三つ。
わかる人なら☆五つ。
知らない人がいきなり見ると☆一つ。
間とって☆三つとした。
ちなみに、その時の車社会全体を知ってる人ならさらに胸熱なのがミッレミリア中にちょいちょい移るあの300SL。
後の世に度々フェラーリの地位を脅かす「ベンツ」が出てきてる。
そして一切映っていないけど、フェラーリ開業の翌年、シュトゥットガルトで後の世に「巨人」と謳われるポルシェが生まれている。
日本では、後にF1界で常勝無敗を誇ったホンダが時同じくして開業。
この映画の時間軸は、まさに群雄割拠の大戦乱の幕開けにもなる年だったと考えるとさらに胸熱・・・は、余談である。
ミッレミリア
どのくらい史実に則っているか不明ながら、一人息子を亡くした妻との関係・愛人とその息子との関係・社業の岐路などすべての問題が1957年のミッレミリアに集約されてゆくつくり。
そしてそこまではかなり抑制されていたレースシーンを、ミッレミリアで存分に描き、とある怖ろしい出来事へ…
手法としてはここのところ多い、立志伝的に人生を通して描くのではなくある時期を取り出して描く方法で。
しかしそれが主人公の人となりを知らない観客に見せるべきものなのかはよく分からない…
が、面白くはあったしあのシーンの悪夢的なリアリティ演出はスゴかった…
まだまだ学ぶべきことが多い男の物語
妻と立ち上げた会社は倒産の危機に瀕している。
その妻とは愛息の死後に愛情は冷えきり、離婚の寸前。
一方、十年以上関係が続く愛人との間には男児ができ、
毎日のように顔を合わせている。
妻は男の甲斐性と、条件付きで浮気はしぶしぶ認めるものの、
子までなした愛人の存在には気づいていない。
男は社運を賭け、イタリア全土を縦断する公道レース
「ミッレミリア」に挑む。
優勝すれば、大量の注文が舞い込むとの強い信念のもと。
男の名前は『エンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)』。
言わずと知れた「フェラーリ」の創業者にして
地元モデナはおろかイタリアの名士。
堂々たる体躯で、自身が元々レーシングドライバーだったこともあり
現役のドライバーに対しても一家言ある。
映画自体は『エンツォ』の伝記ドラマ。
力強いリーダーシップと信念で、
会社を浮沈の際から再び引き上げる。
時としてパパラッチもどきのマスコミを
巧みに利用することにも抜かりない。
もっとも、自動車の設計については異才も、
経営の手腕については疑問符が付く。
妻の『ラウラ(ペネロペ・クルス)』の方が
よほど権謀術数には秀でていたよう。
もう一つの見所は、勿論
レースのシーン。
いやそれは、愛人の家から早朝に
車を押しがけで(車の音で子供を起こさぬようとの気遣い)出す
冒頭のシークエンスから目を見張る。
滑らかなドライビングテクニックの鮮やかな描写。
一方でレースの場面になれば
荒々しい轟音が画面から流れ出し、
安全面での装備などはほぼ無いまま、
男たちは暴れ馬のような車を操る。
一たび事故が起きれば、それは死に直結。
自身だけでなく、観客をも巻き込む由々しき事態なる危険を
常に孕んでいる。
手持ちカメラを使っての映像は
殺伐とした空気をあますところなく伝える。
ただ強気なだけでなく、
運をも味方につけた男の成功譚。
とは言え
愛人『リナ(シェイリーン・ウッドリー)』との間にできた男児
『ピエロ』の認知にも思い悩む優柔不断さに、
「マッチョ」な姿は終焉したかにも見える。
爆音を聞きに行きました
昔のフェラーリのエキゾーストノートを聞いてみたくて劇場に。
目的は達成できて満足です。
あの車達を現代に完全復活させて限定で売っても買う人沢山いると思いました。
にしても同じ伝記映画のオッペンハイマー観たあとに感じるのはこちらはグロいシーンも上等!ってところが違うなー。あ、情事のシーンはむしろマイルドでしたね。
思い返すとイマジネーションに委ねるノーラン監督と対比してみてしまいそうになります。
映画としては面白かったので図書館で伝記を見繕って読んでみたくなりました。
エンツォさんの苦悩を淡々と描く
フォードvsフェラーリのようなレースを中心とした物語と思っていたが、エンツォさんの苦悩を描いていく作品だった。
当時の時代を感じる映像の質感などには満足したが、ストーリー展開や伏線の回収などが大味だなと感じてしまった。
フェラーリの美学のようなものは残念ながらあまり感じることが出来なかった。
重厚なストーリーとドラマは映画玄人向け
エンツォ・フェラーリの波乱万丈の生き様を描き、往年の名車のV12サウンドが身体を突き刺す重厚なドラマ。
レースに賭ける拘りはもはや狂気のレベル。
元レーサーだからか会社経営に追い詰められたからか、その真相は読み取れなかったが、彼がいなければ今日のフェラーリは存在していない。
しかし決して正しい道を歩んできたとは言えない。
それでも追い続ける野望と情熱、そして閉ざしてしまった心の闇と振り回される人々に胸が締め付けられます。
そして目を覆うような悲惨な史実に、今のレース界における安全性の重要性を改めて考えさせられました。
上記の通り内容はかなり玄人向け。
とりわけ車が好きな人にとっては評価が上がるとは思いますが、万人向けの映画ではない事は確か。
中学部活監督レベルの激怒ぶり
日曜日にイオンシネマで
55歳以上は1100円なのだ
オマケにdocomoポイントを使い1000円で
そんなに車好きではないが イタリアとか名門ブランドとか
興味をそそられて急遽リストアップ
アダムドライバー最近割と好きで グッチとも重なる印象
プロデューサーに名を連ねていた
マイケルマン久々 ヒートはこの人だよな好きな一作
デニーロとアルパチーノがバチバチだった
なんか重厚で濃い作風にお得感がある
全然予備知識なく観たが面白かった
公道を猛スピードで走る 観客怖くないかと思ったし
子どもと野良犬には気をつけろとか前振りがあった
道路に飛び出しそうになる弟を父親が捕まえたので
ホッとしたんだが
主人公がマスコミを使って仕掛けた策にイタリアの資本家がはまって
レースもキレイに勝って大逆転と思いきや そうはならない
まさかこんな悲劇があったとは
リタイアしたレーサーを最寄りのピットまで乗っけてやるという
エピソードはほほえましかった
マセラティオーナーの中学部活監督レベルの激怒ぶりも含めて
ところで グッチもそうだったが 本来はイタリア語なんだよな
当たり前に英語でしゃべっていたが まいいか
日本と同盟国のイタリアの戦後にも興味がわいた
妻はやっぱりベネロペクルスか 最初分からなかった
これもグッチのレディガガに重なった
母親役の口元はいかにも不自然で違和感があった
(ここから映画と無関係)
終了後は公園で自作弁当を食べながらビールグビリ
炎天下だったが日影は快適 あぁ楽しい
二人の女性に最善を尽くすエンツォが好きだった
フェラーリ社の創業者エンツォ・フェラーリのアンソロジーと思いきや少し違っていた。
時は1957年、会社経営と私生活の両方で窮地に陥った御年59歳のエンツォがいた。
エンツォをアダム・ドライバー、妻ラウラをペネロペ・クルス、そして愛人リナをシャイリーン・ウッドリーが演じた。
そう、名優たちの文字通りの名演。
重厚な傑作となった。
自分的には二人の女性に最善を尽くすエンツォが好きだった。「私の銃を返して」という妻ラウラにすかさず銃をぶち込むエンツォが好きだった。59歳だからすかさずは無理だと思うけど映画はこれで良い。
フェラーリの纏っている赤のイメージが変わる。
まず冒頭に。
同じくレースや自動車産業を描いた
『フォードvsフェラーリ』と
いう作品があります。
あの爽快感を求めて行かれると
どんより落ち込んでしまいます..(泣)
その点注意を。
フェラーリと言う車が
既製品では無く
特別な力を纏い
超絶的な賜物に
如何にしてなっていったのかを
垣間見る事ができる作品。
息苦しいくらい濃密で
緊迫感がハンパ無いです。
イタリア人のホームドラマなのに英語劇
創業10年、経営危機に陥り、経営を担う共同経営者の妻とは冷え切り、前年に一人息子を亡くし、起死回生を目論んで参加したミッレミリアでは、前代未聞の大事故に遭遇。事故は車の不備のせいでないことが後に判明するが、フェラーリにすれば、なんちゅう年! な1年を描いたんだと思うが、前半社内の状況が少し出てくるだけで、ほぼフェラーリ一家の私生活のゴタゴタを延々見せられて、一体ワタシは何の映画を見ているんだろうか??と思いながらなんとか見たが時々うとうとしてしまった。
走行場面は迫力があるが、特に事故の場面がすごい。車もドライバーもふっとばされて空中を飛んでる! ドライバーが事故で亡くなるのは日常茶飯事らしく、死を悼みはするが、その場で後任ドライバーと契約したりする。
安全対策はお粗末で、レースドライバーが運転中にタバコを吸うのに驚いた。
さすがにミッレミリアのシーンは見ごたえがあったが、普通の街なかや郊外の公道を、箱根駅伝みたいにレーシングカーでがんがん走るのに驚いた。そして事故のシーンのグロさが新しい。車が宙を飛び、ドライバーが空を飛ぶ、宙に舞った車があっという間に見物人をなぎ倒す。放り出されたドライバーの、道路に叩きつけられた体を足元から映す、ちぎれた胴体が目に入り、その先には、目をひん剥いた頭部が乗った上半身が転がっている! うわ、と思わず声が出ました。
エンツォとラウラは冷え切ってレスの夫婦だとばかり思っていたら食事中唐突に始まってしまって、実は心の底では繋がっているのかただ発情しただけかもですが。イタリア人はこういうものなのでしょうか。
夫婦の不仲の元は、一人息子を失ったことから来ているよう。愛する息子が苦しんでいるときに愛人ともうひとりの息子と楽しんでいた(しかも知らないのは自分だけ)のが許せないというラウラの気持ちはよく分かる。
エンツォは設計屋で経営のアタマはないわ愛人作るわでしょーもない男だろう。
ペネロペ・クルスは美しいと思うが、歩き方が興ざめ、がに股でO脚で妊婦さんみたいに歩くんですよね。
アダム・ドライバーは見栄えするエンツォで良かったです。でも、ちょっと若すぎないか。
ラストが唐突で、この映画、ホームドラマだったのか~いと思いました。
それならイタリア語のほうがしっくりくると思うのに、なぜか英語劇。
ほんと何を見せたいのかわかりませんでした。
結局、奥さんの先読み行動で会社は存続したようで、奥さんの前ではエンツォはまるで中学生男子。フェラーリ一家は彼女にはアタマが上がらない。ラウラの出した「条件」を守り続けるしかないですね。
不機嫌なのはいつものアダム・ドライバー
タイトル通り、車メーカーのフェラーリの話です。数年前にみた「フォードvsフェラーリ」やレディ・ガガ主演の「ハウス・オブ・グッチ」が面白かったので、イタリア・ファミリービジネス繋がりで。
ストーリーは、創業者のエンツォ・フェラーリをカイロ・レン(スターウォーズ)のアダム・ドライバーが主演。エンツォの不倫騒動と、1957年に起きた耐久レース「ミッレ・ミリア」での事故が中心。そういえば「ハウス・オブ・グッチ」もアダム・ドライバーでしたね。
この映画の主題はエンツォの不倫なんでしょうね。おばあちゃんが言うように「跡取りは必要」で、現実には、映画のなかのピエロ少年は、後にフェラーリの副会長で株式の10%を保有、創業家が関与を続けられています。
では不倫は赦されるのか?という主題に対しては、正妻との子が死ぬとか、レースで惨たらしい大事故が起きるとか、正妻から反旗を突きつけられるとか、相応の「報い」を示すことで、赦しや償いを、、、という話。ちなみにフェラーリの深刻な経営危機は1960年代中頃なので、本当はもう少し後の話。
終始アダム・ドライバーの不機嫌な顔と北イタリアなのにどんよりとした天気のシーンと、不倫の罪で「苦しめ」「償え」というリベラルな説教を2時間聞かされた感じ。
映像が美しく、レーシングシーンはリアルで美しかった。とはいえ、事故...
映像が美しく、レーシングシーンはリアルで美しかった。とはいえ、事故の連続、車が吹っ飛んでいくシーンは強烈。ペネロペクルスも良かった。心理的な壁を作ることにしたと主人公は言っていたが、それにしてもクールすぎる感。
マスコミvsフェラーリ
会社や車は知っていても、その人自身はよく知らないエンツォ・フェラーリの波乱の1957年を追う本作。そういう意味では、カーアクションよりも伝記映画寄りだった。
中盤まで会話が中心で、登場人物の関係性も掴みながらのため若干退屈に感じる。
マイケルマン監督なんで
フォードvsフェラーリにも エンッイオフェラーリは、会社経営のドン底と共同経営者でもある妻との冷えた関係 愛人とのひとときが休まる時。
起死回生はあるのか?アダムドライバーが、いいね。
ペネロペクロスもイタリアのお母さんが感じ出てた。
ラストは、観るに耐えるシーンだ。監督のこの作品の意味だな。シドニーポラックに捧ぐがあったね。
自閉モード
攻殻には都度〳〵出現する用語 要は自己催眠みたいなものだ 都合の悪い事は考えないようにする そうしないと先に進めないから・・・
富裕層は洩れなくその能力が実装されているらしく、多分そこが平民との差なんだろう 発動具合の頻繁さは、その度合いが高くなるにつれ、地表から乖離してゆく かくして一般社会には理解出来ない階層の出来上りとなる
"弧を描く" 平民はしばしば宙を舞う それは人生の最後に体験し、そしてスイッチが切れるようにこの世から消え去る 傍観者はその成れの果てを目に焼き付けてしまうが、富裕層は全て片付いた後にのうのうと訪れる
フェラーリなんて乗れる筈もない一生 でも、人間の皮を被った悪魔達の産物に頼まれたって乗りたくない
あのスーパーカーブームに大人達は、マスコミは、いたいけで無垢な子供達に何故本当のことを教えなかったのか? 全ては"グル"・・・
レース
環境って昔はあんな感じだったのですね。ドライバーは来てすぐにスッと乗ってしますし、公道レースは安全対策は考えられていないし、ドライバーは道覚えて無いし。流石のフェラーリも創業当初は大変だったのですね。
レースに架ける想い
フェラーリの創設者
エンツォ(アダムドライバー)
自身の
家庭と仕事の生き様を描いた作品
正妻との間に生まれた男子は
難病で亡くし
妻とはケンカばかり
エンツォは外に家庭を
持っている非を認めそして
会社の共同経営者でもある
妻とは
立場が痛いほど弱い
妻の前では弱気なエンツォ
しかし仕事の面では
レースの資金を集めるのに四苦八苦
経営者の顔と
クルマの設計図で子供にエンジンの
仕組みの説明をするところは
技術者の顔が垣間見られる
本当にクルマが好きなんだな~思った
クルマを乗るのも好きで
売ることよりもレースに優勝
することしか考えてない
そこが…粋でカッコいい
レーサーに掛ける言葉も
それぞれに寄り添った言葉をかける
事故を起こさない様に…
それでも事故はレースにはつきもの
ちょっとした突起物にタイヤが踏んだ
瞬間にクルマが大破
大きな事故に
沿道の見ている観客に
巻き込む大事故レーサーも亡くなる
毎回レース前に付き合っている女性に
手紙を書く…いのちをかけたレース
本当に過酷な仕事だと思った
……安全運転が一番だと思った
全263件中、161~180件目を表示