フェラーリのレビュー・感想・評価
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フェラーリの創始者。エンツォ・フェラーリの壮絶な半生を描いた作品。 本年度ベスト級。
カーレースメインの作品と思いきやちょっと違ってた(笑)
エンツォ・フェラーリの公私に渡る色々な出来事をメインに展開するストーリーだった。
エンツォ夫婦に起こった出来事がかなりエグい!
これは当事者でないと解らないけど関係する人々が皆、辛い感じで落とし所が見出だせない(笑)
でもエンドロールで本当の結末が解る親切設計(笑)
期待したレースのシーンは後半に登場。
年間に100台も売れないフェラーリが倒産の危機の中、イタリア全土1000マイルを走る「ミッレミリア」と言うレースに参加する展開。
街中には防護フェンスとかあるけど郊外には何も無し。
だけど郊外をレースカーが走るシーンの風景がとても美しい。
かなり危険な感じで走る郊外で案の定事故が発生。
かなりのインパクト!
シートベルトって当時は無かったの?
そんな中、給油とかのピットのシーンが今と違いのんびりし過ぎ(笑)
そうかと思えばライバルチームの車が事故に遭い、ライバルチームのレーサーを助手席に乗せチェックポイントまで行くシーンにホッコリする(笑)
エンツォを演じたアダム・ドライラーさん。
今まで見た雰囲気とは異なった格好良い感じが印象的でした( ´∀`)
戦争を挟んで、女性の生き方も変われたのに過去は変えられなかったというサイドストーリーも重要と思った。
チキンレースとしか思えない「レーサー」という職業、さらに高みから精神的に操る立場の主人公に、到底共感できないだろうと期待しないで見た、ペーパードライバーの私。しかし、やはり映画こそ百聞は一見に如かず! 公道(街中・大自然バックの車のCMみたいな光景)レースとは、全く知らずに見たので、もう1回イタリア旅行行けたみたいでラッキーでした〜。
クセ強主役二人のお顔と振る舞いの魅力度、抜かりなき美術・撮影・音響の総合力、圧縮された期間だけで彼らのその後の人生まで十分に想像させるもしくは想像の余地を与えてくれる脚本の旨さ、、、。
一瞬だったけど、幸せだった頃の追想シーンのペネロペクルス、キラキラして本当に可愛かった。今作では思いっきりやさぐれてカッコいい中年女性を演じてくれてありがとう!
モーツアルトのレクイエムを聴きながら、あれらの壮絶シーンを思い出しながら書いています。
蛇足二つ。無邪気なピエロくん、不自然に美少年じゃないところもよかった。スマホはもとより、携帯電話なし、テレビジョンが最速メディアだった時代を描く映画は貴重。
フェラーリ創設者の私生活
『フォードvsフェラーリ』を見たのは、もう4年前か。『フェラーリ』というタイトルから、今度はフェラーリ側の、企業としての開発物、今NHKでまたやっている、プロジェクトX的なものをなんとなく想像してこの映画を見に行った。
実際に見た印象は、想像とは全く違ったもので、エンツォ・フェラーリという、フェラーリ創業者の私生活を大きく取り上げた作品だった。
冒頭のシーン、エンツォ(アダム・ドライバー)が、ベッドから抜け出して、車に乗って出ていく際、押しがけするのは、エンジン音で、寝ていた女性を目覚めさせない配慮だろう。てっきり、妻のもとから会社に向かったのかと思いきや、愛人宅だった、というのはその後にすぐ分かる。
会社では、妻のラウラ(ペネロペ・クルス)からピストルをぶっぱなされたり、不穏というか不仲なのも語るまでもない。息子ディーノ(後に車の名前にもなる)が亡くなったことも墓参りで表現される。説明的なセリフは無く、映像で見せる表現方法は私は好きなのでこれは特に問題は無い。
愛人宅に、会社、墓地にいたるまで、イタリアの風景が、60~70年代のヨーロッパの映画の様な雰囲気で、印象深く、美しい。
ただし、登場人物の配役に、イタリア人は居ないのだが。全編英語で話は進む。ローマ・カトリック教会の厳かな雰囲気などは良いのだが、そこでの会話が英語なのは、アメリカ制作なので仕方ないのか。
エンツォ・フェラーリの、二重生活(妻と、愛人)に、フェラーリの社長としての顔で、三重の生活が切り替わりながら話が進む。
この切り替わりで、三つの話が同時進行しているものの、一本筋の通ったメインストーリーがあるわけでもない。エンツォは、「車を売るためにレースをしているのではない、レースをするために車を売っているんだ」と、会社の利益を上げるために、市販車を増産するように言われてそう返すが、そのレースは、ドライバーに死ぬ気で走れ、と、ブラック企業の社長(まさにそうだが)のようなセリフを吐くばかりで、あんまり車やレースを愛しているようには私には見えない。
クライマックスのイタリア全土を縦断する公道レース『ミッレミリア』でも、それに向けてプロジェクトをスタートさせて、車を開発、それに合わせたドライバーの訓練、等と言ったシーンも特にない。クライマックスもレースの前日くらいから始まる。このレース、悲惨な最期が待ち受けているのだが、これを予期しているかのようなレース前のドライバーの雰囲気は、まるで戦争に出征する兵士のごとき悲壮さが漂っている。
レースシーンは、当時のレーシングカーを再現し、レース場も、公道レースも、雰囲気はとても良い。この映画は映像美はとても素晴らしいもので、映像と雰囲気だけは往年の傑作映画のようだ。
叙事詩だと思って読み始めたら、抒情詩だった、という感じだが、監督が作りたかったものはこういうものだったのだろうか。
ちょっと、私の好みとは違っていた。
ストイックでシャープな2時間
もうこの手の作品には不可欠になってきましたね、アダム・ドライバー氏 笑 好きな俳優さんなので嬉しい限りですが、今回も凄かった。銀髪のアダム格好宜しかったですねぇ…。しかし今作品に於いてはやはり奥さんのペネロペ・クルスに軍配を上げたい。内包する熱量の演じ方のなんと素晴らしい事か。そう考えると「GUCCI」や「スター・ウォーズ」等々、パートナーたる演者を引き上げる能力もあるんでしょうかね彼は。持ち上げすぎかな苦笑
そして「フォードvsフェラーリ」でも製作総指揮に名を連ねていたマイケル・マン監督。らしさ全開でエンツォの極々短い時期を描き切っておりました。栄枯盛衰のこれまでの"栄"が描かれていないので乗り切れない方々もいらっしゃるとは思いますが、個人的には大英断だったなぁと思いました。時代の教科書としてもオススメ。
車の映画だと思ったら、不実な夫に憤る妻の話だった・・
フェラーリ本家のイタリアの話なんだけど
日本公開よりだいぶ早く、国際線飛行機の中で鑑賞。単純に「英語なんだ」ってか、ペネロペはスペイン人だし…?と矛盾を感じつつ鑑賞。とはいえ、始まってしまえばストーリーに没頭はできる。悲劇とすれ違い、執着とプライド、ファミリー経営企業が多いというイタリアの経済社会の特性が下地にありつつ、レースに命をかけてた男達の話、といえば美しいが、形振り構わず自分の欲望を貫いた男の話、って感じもして、誰もが一目置くブランドも創成期はドロドロだったのは、いかにもイタリアと言う感じか。
アダム・ドライバーはGUCCIについで、イタリアのブランド創業家の役。しかも今回は重厚な演技で魅せた。
フェラーリ隆盛の原点にある人間性
見終わった後、これほど物足りなさを感じる映画は少ないだろう。ただ、つならない映画ではない。
というのも、自動車レースや自動車そのものの魅力に引きづられて、フェラーリの「経営」と「ファミリー」という物語の主軸が理解できず、結末の呆気なさに驚いたというのが実情である。
同じように感じた人も多いのではないだろうか。
どんな企業でも経営危機が訪れるし、それを乗り越えて企業は社会の公器に成長する。
戦後、フェラーリは、レースの大事故を契機に絶対絶滅の経営危機に陥る。それを救ったのがファミリーであり、妻の善意?である。しかし渦中の妻は憎しみにまみれ、会社を潰しても気が晴れない状況をあったことを考えると、その振る舞いは奇跡としかいいようがなく、それ以上に不思議な人間の精神が現れている。
フェラーリの隆盛の原点がここにあると考えると、時間差でこの映画が面白くなってくる。
興味深いストーリー
天地を揺るがすほどのエグゾースト音でも吹き飛ばせないドロドロお家騒動…
「ヒート」でドはまりしたマイケル・マン監督作品ということと、カーレースものはやはり劇場でということで公開中に鑑賞。
期待していたエグゾースト音爆裂レースシーン中心の展開ではなかったものの、アダム・ドライバーとペネロペ・クルスが繰り広げるドロドロのお家騒動もおじさん世代にはそれなりに盛り上がれた。
その中で少し残念だったのは、アダム・ドライバーのフェラーリ氏好演はとてもカリスマ的で良かったが59歳を演じるには少々ギャップを感じることと、イタリアの伊達を表現するには使用言語が一貫して英語だったことはもうひとつ雰囲気が出しきれなかったのではと感じるところだ。
いずれにしても、家族のゴタゴタやレースの過酷さ等々色々ごっちゃ混ぜの展開だが、役者陣の熱演や迫力ある影像と音響により終始目が離せない作品ではあったかな。
イタリア語で演じて欲しい気もする
フェラーリの創始者エンツォの実話をベースに1957年が最後の開催となったミッレミリアという耐久レースをクライマックスとするわずか3か月を過不足なく描いた脚本が素晴らしくアダム・ドライバーと奥さん役のペネロペ・クルスがどちらも単純な芝居では到底表現できぬシーンごとに人間がまるで変わるかのようなコンプレックスを持った多面性を見事に演じておりこの二人が画面に登場するだけでヒリヒリするほど見ごたえがあった。4年前公開の1966年のル・マンを描いた「フォードvsフェラーリ」もすごく面白かったけれどそこに至る絶対王者フェラーリがいかに狂気を孕んだ脆く狡く危うい男であったかを重厚に描く本作は全く違う方向に突き抜けていてまぎれもない傑作。名画座で2本立てのプログラムを組んで欲しいものだ。
フェラーリ好きになりました。
演出によってはダサい人生にも撮れる。
イタリア男ってやつは
ピエロ君は副会長
アダム・ドライバーがドライバーつながりで(違う)エンツォ・フェラーリという役どころ。作劇自体は巨匠マイケル・マンだけど、話はエンツォの人生の一時期だけを切り取った内容で、妻と愛人と会社経営とレースと…と登場人物も多めな上に、終盤の惨劇を除けば展開は地味で、エンツォへの思い入れがないと興味を持続するのが難しい感じ。エンツォがひたすら追い詰められていく話でカタルシスが得られることもなく…。
当時のレーシングカーでのミッレミリアはルパン三世を思い出させるが、最近は二輪レースのモトGPではバイクやライダーに搭載した小型カメラからの中継映像もあるぐらいなので、いくら金をかけた撮影でもクラシックな趣を楽しむ以外はリアルの迫力には劣っちゃう印象。
感情を露わにしない主人公に対して、鋭い眼差しで突き刺し捲し立ててくるペネロペの悪妻?ぶり(つーか悪いのは100%夫)はよかった。最後はおいしいところ持ってくし。「ガンを返して」って、そっちかよ!なところは笑ってしまったが、アダム・ドライバーは最後の決闘裁判でもおんなじ体位だったので、高身長だと撮影上の必然からそうなるのだろうか(どうでもいい考察)。
エンツォが設立した企業フェラーリは、1957年曲がり角に差し掛かっていた。
最初、あきれた。
イタリアの華といわれるフェラーリの創立者、英語は話せなかったはずのエンツォの映画が、なぜ英語版なのか。確かに出演者の中には、イタリア語は無理だろうなと思わせる俳優も多く、出来はよくなかったかもしれないが。吹き替えだってできたろうし、狂言回しのオペラ「La traviata(椿姫)」だって、もっと活きたはず。英語は基本、ビジネスのための実用語。イタリア語版で見たかった。
エンツォは、たぐい稀な長身のドンファン。
根底には、イタリア人気質があるのだろうが、とても陽気とは言えない。
際立って優れた生命力(長命が何よりの証拠)。
プレスの件も人任せにせず、自分で断りをいれるなど、高圧的。
チームリーダーとして、ドライバーにレース中、弱気を許さない、しかし、これが事故の遠因か。
経営者の顔では、メディアをも利用する一種の勝負感があった。
一方、正妻ラウラには、金庫番としての判断力があり、企業の内部で同僚たちの信頼を受けていたことが見て取れる。
一つだけ、はっきりした救いがあった。
ラウラとの子、ディーノ。難病の筋ジストロフィーだったようだ。10歳台までは、後継者としての教育を受けていたが、20歳台で寝たきりになり腎障害を併発し、24歳で亡くなった。エンツォは、医療としてできるだけことはやったのだろう。亡くなってからも、毎朝、墓で祈り、語りかける。普通の人間に、できることではない。愛人ができて、子(ピエロ)をもうけたのも、ディーノの難病の症状が目立ってきた頃だろう。ただし、ピエロは12歳のはずだが、出てきた時、8歳くらいにしか見えなかった。
エンツォは、私生活は大事にした上で、徹底的に仕事に打ち込むタイプだった。1957年の公道レース、ミッレミリアで使われた12気筒のフロント・エンジンを積んだ真っ赤なフェラーリ(315S, 335S)は、彼にしかできなかったと思う。予告編では、ちょっと前の8気筒が出てきたが。
幾つか、気になったこと:
やはり、事故には一つのパターンがあった。女性がからむので、言いにくいことだけど。
あの頃のレーシングカーは、ほぼ手づくりで、必ずしも機械一辺倒ではなく、人間の道具だった。クルマに血が通っているから、ロードレースでも観衆が道に出てくる。今でも、WRCだと溢れるくらい、ちょうど自転車のツール・ド・フランスみたいに。
清々しいまでにつまらない
レースの話でなくメーカー経営者の話
奥さん、息子を病気で亡くした上に、夫に数年間も愛人とその息子の存在を隠され、裏切られていたことを知る。会社資産を渡す代わりに私の生きてる間は認知させないとの言葉。妻としてのプライドから当然だろう。会社の経営が傾き、一発逆転を狙い過酷なレースに参加するも、レーサーにブレーキ踏むな等とプレッシャーをかけすぎた。レーサーは大事故を起こし死亡。車は観客9人を轢き殺し大破してしまう。この描写がグロすぎてショックだった。その後、字幕によると事故の責任は負わなかったようだが、レーサーを追い込んだ責任はこの経営者にあると思った。
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