「苦境の人生(レース)真っ只中」フェラーリ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
苦境の人生(レース)真っ只中
つい数年前にも『フォードvsフェラーリ』があったが、あちらはフォード社がカーレースで絶対王者フェラーリ社に挑む。さらに言えば、フォード社の技術者や走り屋たちの物語。
こちらはズバリ、エンツォ・フェラーリ本人にフォーカス。
車の事について全く無知でも知っているイタリアの自動車メーカーの創業者。
その名が社名や製品名などブランド化した人生の成功者のイメージだが、全てが華々しい訳ではなかった。
1957年、エンツォは人生の苦境にいた…。
前年に息子が難病の末に死去。息子ディーノはエンジン開発でフェラーリを飛躍させた貢献者。
それもあり、すでに冷え切っていた共同経営者で妻ラウラとの関係はさらに悪化。
会社設立から10年。会社も製品も世界に名を轟かしていたが、この時経営の危機。破産すら…。
フォードら競合他社から買収の話。
そんな中、唯一の心の癒しは愛人リナとその間に生まれた息子ピエロの存在だった。
長年隠してきたリナとの関係だが、遂にはラウラに知られる事となり…。
プライベートも仕事も崖っぷち。起死回生として、イタリア全土を横断する公道レース“ミッレミリア”に挑むのだが…。
フェラーリさん、苦境にも度があり過ぎッス…。
息子の死、夫婦関係の不和、会社存続の危機、愛人の存在…。
これら一つでも心労大変だろうに、それが度重なって。
今ワイドショーを騒がしている一連の不祥事が一人に降り掛かってるような。
これらの苦境は本当の悲劇もあり、自らが招いた愚行からでもある。
息子の死は本当の悲劇だ。おそらくエンツォは、輝かしい貢献をし、才に溢れた自慢の息子を行く行くは後継者にしようとしていただろう。
その夢や期待が突然絶たれた。心痛は想像出来ない。
会社の危機は自ら招いた事でもある。独裁的な経営方針、幾度ものカーレース参戦…。
夫婦や愛人関係については言わずもがな。
何があって夫婦関係が悪化したかは作品の中では触れられない。憶測は出来る。性格の不一致、会社や車の事で頭がいっぱいで見てやれなかったエンツォの否、少々ヒステリックなラウラの否…。それらが積み重なって。
ラウラの事をもう愛せなくなった訳ではない。今も妻の事は愛している。
と同じくらい、リナの事も愛している。それらは嘘偽りなく。
また、妻との不和や愛人との関係がバレ、会社の危機に対しても、見るからに狼狽したり弁解しようとしたりしない。苦悩の様は見られるが、毅然と。
大会社を立ち上げ、あらゆる難関レースを闘ってきた男の鋼のような精神の強さを感じた。
それは人として堂々としているが、夫や男としてはふしだらでもある。妻を裏切り、隠し子を設けたのは褒められない。
エンツォの苦境と先述したが、ラウラの苦境でもあり、リナの苦境でもある。
ラウラにしてみれば息子が病に苦しみ死んだ時も夫は愛人やその間に設けた子供と…。ヒステリックになるのも無理はない。
リナの悩みはピエロの性。自分の事はどんなに秘密にされてもいいが、息子の事は認知して欲しい。
エンツォはピエロに愛情を示そうとしていないのか…?
否。ピエロと過ごす時見せたエンツォの穏やかな表情。ピエロへの惜しみない愛情が滲み出る。
まだ亡きディーノへの愛情も絶ち切れないのも事実。
ピエロが認知されたのはラウラが1978年に死去した後。本編では触れられない。
劇中でもリナやピエロを巡ってエンツォとラウラが激しく口論。ラウラが許さなかった。息子はディーノ一人。
エンツォにとってディーノは愛する息子。が、ピエロもまたそうなのだ。
ディーノは会社に入り、名エンジン開発で貢献するも、夢半ばで…。
ピエロは劇中で車に興味を抱く描写が。あのまだ幼かった子供がやがて、父の下で働き、父亡き後は副会長に…。
“フェラーリ”という名でどれだけの人間模様やドラマがあるのか。
全く詳しくない自分でも、レビューを書こうとしていたら各々について気付いたら長々と。
イタリアの“華麗なる一族”のドラマなのだ。
なので本作はあくまでエンツォと彼を取り巻く人間模様がメインで、『フォードvsフェラーリ』のような迫力のカーレースとそれに懸ける熱きドラマを期待するとちょっと低速ではある。
無論、レースシーンもある。終盤、エンツォが人生や会社存続を懸けたミッレミリア。
出場するクラシックカーのこだわりの再現、音響や臨場感。その見せ場はしっかりと。
このレースで見事優勝し、苦境を脱し、再びエンジンを噴かす…と思っていた。
優勝はしたのだが…。恥ずかしながら知らなかった。知っている方には有名なのだろう。
歴史があるミッレミリア自体が廃止に追い込まれた大事故…。
この事故、カーに不備があった訳ではなく、路面の不備でパンクし、大惨事を招いたようだが…。
エンツォや社は無罪になるも、子供を含めた犠牲者の事を思うと、痛々しく、悼まれず、何ともモヤモヤ感残る。
この事故もあってフェラーリは厳しい現状続く。エンツォも苦境はまだまだ続く。
ようやく苦境を脱したのは、その後暫くしてから。無論これも本作では描かれない。
だから本作は、エンツォの苦悩を延々見せられ、ラウラやリナとの関係も解決せず、会社も危機のまま。その上、事故。
実は結構、ヘビーな内容…。
特殊メイクで別人のようなアダム・ドライヴァーの熱演、ヒステリックと哀しみを滲ませたペネロペ・クルスの存在感、ただの清涼剤ではないシャイリーン・ウッドリーの好助演…。キャストは名演見せる。
が、史実通りとは言え、ヘビーなエピソードを見せられ、マイケル・マンよ、何を描きたかったんだ…?
マンはフェラーリ愛好家らしいが…。
男性映画の名匠マンで、『フォードvsフェラーリ』みたいな熱き男のドラマを見たかったような…。
人生の苦境に追い込まれた男を通じて、それでもハンドルを握り続ける男の美学を浮かび上がらせたかったのか…?
まあ、つまらなくはなかったけど。