「フェラーリ創設者の私生活」フェラーリ クロイワツクツクさんの映画レビュー(感想・評価)
フェラーリ創設者の私生活
『フォードvsフェラーリ』を見たのは、もう4年前か。『フェラーリ』というタイトルから、今度はフェラーリ側の、企業としての開発物、今NHKでまたやっている、プロジェクトX的なものをなんとなく想像してこの映画を見に行った。
実際に見た印象は、想像とは全く違ったもので、エンツォ・フェラーリという、フェラーリ創業者の私生活を大きく取り上げた作品だった。
冒頭のシーン、エンツォ(アダム・ドライバー)が、ベッドから抜け出して、車に乗って出ていく際、押しがけするのは、エンジン音で、寝ていた女性を目覚めさせない配慮だろう。てっきり、妻のもとから会社に向かったのかと思いきや、愛人宅だった、というのはその後にすぐ分かる。
会社では、妻のラウラ(ペネロペ・クルス)からピストルをぶっぱなされたり、不穏というか不仲なのも語るまでもない。息子ディーノ(後に車の名前にもなる)が亡くなったことも墓参りで表現される。説明的なセリフは無く、映像で見せる表現方法は私は好きなのでこれは特に問題は無い。
愛人宅に、会社、墓地にいたるまで、イタリアの風景が、60~70年代のヨーロッパの映画の様な雰囲気で、印象深く、美しい。
ただし、登場人物の配役に、イタリア人は居ないのだが。全編英語で話は進む。ローマ・カトリック教会の厳かな雰囲気などは良いのだが、そこでの会話が英語なのは、アメリカ制作なので仕方ないのか。
エンツォ・フェラーリの、二重生活(妻と、愛人)に、フェラーリの社長としての顔で、三重の生活が切り替わりながら話が進む。
この切り替わりで、三つの話が同時進行しているものの、一本筋の通ったメインストーリーがあるわけでもない。エンツォは、「車を売るためにレースをしているのではない、レースをするために車を売っているんだ」と、会社の利益を上げるために、市販車を増産するように言われてそう返すが、そのレースは、ドライバーに死ぬ気で走れ、と、ブラック企業の社長(まさにそうだが)のようなセリフを吐くばかりで、あんまり車やレースを愛しているようには私には見えない。
クライマックスのイタリア全土を縦断する公道レース『ミッレミリア』でも、それに向けてプロジェクトをスタートさせて、車を開発、それに合わせたドライバーの訓練、等と言ったシーンも特にない。クライマックスもレースの前日くらいから始まる。このレース、悲惨な最期が待ち受けているのだが、これを予期しているかのようなレース前のドライバーの雰囲気は、まるで戦争に出征する兵士のごとき悲壮さが漂っている。
レースシーンは、当時のレーシングカーを再現し、レース場も、公道レースも、雰囲気はとても良い。この映画は映像美はとても素晴らしいもので、映像と雰囲気だけは往年の傑作映画のようだ。
叙事詩だと思って読み始めたら、抒情詩だった、という感じだが、監督が作りたかったものはこういうものだったのだろうか。
ちょっと、私の好みとは違っていた。