「私的、この映画にそこまで乗り切れなかった理由とは」フェラーリ komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
私的、この映画にそこまで乗り切れなかった理由とは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
この映画『フェラーリ』は、エンツォ・フェラーリ氏(アダム・ドライバーさん)に関わる作品です。
観る前はエンツォ・フェラーリ氏の生涯、あるいはフェラーリ社の当時の盛衰を描いていると期待していたのですが、基本は1957年のレース「ミッレミリア」に至る短い間のストーリーでした。
さらに、その描かれ方は、(レースに向かうフェラーリ社の車の開発というより)エンツォ・フェラーリ氏と妻・ラウラ・フェラーリさん(ペネロペ・クルスさん)との、エンツォ・フェラーリ氏の愛人・リナ・ラルディさん(シャイリーン・ウッドリーさん)を交えた、フェラーリ夫婦の(失われた息子も影響する)および愛人(とその息子)の対立を主軸に置いた作品になっていたと思われます。
つまり、(テストやレース場面など車の走行シーンはあっても)ほぼ車の開発に関しては描かれず、夫婦間と愛人との対立が中心に描かれた作品だったと思われます。
車の開発&夫婦と愛人を交えた対立、の描き方ならば、ナチス・ドイツに対抗するための核爆弾の開発&夫婦と愛人を交えた物語でもあった映画『オッペンハイマー』に、近い構成であったと思われます。
しかし今作の映画『フェラーリ』は、詳しい核爆弾の開発描写がある『オッペンハイマー』とは違って、車の開発に関してはほぼ描かれず、(多くの)観客の期待とは違う(と思われる)、夫婦と愛人とを交えた対立に重きを置いた、期待からするとアンバランスな作品になっていると思われました。
また、今作はテスト走行やレースで車の走行シーンは描かれていましたが、レースでも敵であるマセラティとのドラマ性ある構成にはほぼなっておらず、「ミッレミリア」のレースシーンでも今どこを走行していてどちらが勝っているのかも一見しては良く分からない描き方になっていたと思われます。
このことから、例えば、今作のマイケル・マン監督が製作総指揮の1人であった『フォードvsフェラーリ』の、開発や、相手との対立競争が明確なレース場面や、そこにまつわる仲間や家族の、バランスの取れた描かれ方と比べて、今作の映画『フェラーリ』の描かれ方は観客にとっての満足度は足りていないように感じました。
個人的には、乾いた男っぽいマイケル・マン監督の作風は嫌いではないです。
また、失われた息子や妻と愛人やその息子との揺れ動きやレースに掛ける極端な心情など、また事故の場面のギョッとする描かれ方含めて、特筆する点はあったとは思われます。
しかしながら、似た構成でありながら今作より遥かにバランスよく優れた構成作品であった映画『オッペンハイマー』を最近に観た後では、どうしても今作への評価は厳しくなってしまうなと思われ、今回の点数となりました。