「エンツォが設立した企業フェラーリは、1957年曲がり角に差し掛かっていた。」フェラーリ 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
エンツォが設立した企業フェラーリは、1957年曲がり角に差し掛かっていた。
最初、あきれた。
イタリアの華といわれるフェラーリの創立者、英語は話せなかったはずのエンツォの映画が、なぜ英語版なのか。確かに出演者の中には、イタリア語は無理だろうなと思わせる俳優も多く、出来はよくなかったかもしれないが。吹き替えだってできたろうし、狂言回しのオペラ「La traviata(椿姫)」だって、もっと活きたはず。英語は基本、ビジネスのための実用語。イタリア語版で見たかった。
エンツォは、たぐい稀な長身のドンファン。
根底には、イタリア人気質があるのだろうが、とても陽気とは言えない。
際立って優れた生命力(長命が何よりの証拠)。
プレスの件も人任せにせず、自分で断りをいれるなど、高圧的。
チームリーダーとして、ドライバーにレース中、弱気を許さない、しかし、これが事故の遠因か。
経営者の顔では、メディアをも利用する一種の勝負感があった。
一方、正妻ラウラには、金庫番としての判断力があり、企業の内部で同僚たちの信頼を受けていたことが見て取れる。
一つだけ、はっきりした救いがあった。
ラウラとの子、ディーノ。難病の筋ジストロフィーだったようだ。10歳台までは、後継者としての教育を受けていたが、20歳台で寝たきりになり腎障害を併発し、24歳で亡くなった。エンツォは、医療としてできるだけことはやったのだろう。亡くなってからも、毎朝、墓で祈り、語りかける。普通の人間に、できることではない。愛人ができて、子(ピエロ)をもうけたのも、ディーノの難病の症状が目立ってきた頃だろう。ただし、ピエロは12歳のはずだが、出てきた時、8歳くらいにしか見えなかった。
エンツォは、私生活は大事にした上で、徹底的に仕事に打ち込むタイプだった。1957年の公道レース、ミッレミリアで使われた12気筒のフロント・エンジンを積んだ真っ赤なフェラーリ(315S, 335S)は、彼にしかできなかったと思う。予告編では、ちょっと前の8気筒が出てきたが。
幾つか、気になったこと:
やはり、事故には一つのパターンがあった。女性がからむので、言いにくいことだけど。
あの頃のレーシングカーは、ほぼ手づくりで、必ずしも機械一辺倒ではなく、人間の道具だった。クルマに血が通っているから、ロードレースでも観衆が道に出てくる。今でも、WRCだと溢れるくらい、ちょうど自転車のツール・ド・フランスみたいに。