「人間エンツォの半生」フェラーリ Moiさんの映画レビュー(感想・評価)
人間エンツォの半生
感想
映画本編ではストーリーが具体的に描かれない話も多く、若い頃の描写はイメージ映像で処理されており、作品の出来としては中途半端でモータースポーツエンターテイメントに徹する事が出来ていないと感じた。人間模様かアクションどちらかに話の軸を絞った方が良かったと感じる。
余談ではあるが、あらためてエンツォフェラーリの半生を映画のストーリーを含めて時系列に並べてみる。(年齢表示はエンツォの年齢)
本名:エンツォ・アンセルモ・ジュゼッペ・マリア
・フェラーリ
イタリア人レーシングドライバー。スピードマニア。スクーデリア代表。自動車会社経営者。尊称コンメンダトーレ。オールドマン。母親違いの2人の息子の父親。
1918年 20歳
フィアット社のテストドライバー選抜テストを受けるが、不合格となる。この間も国内レースをロードして周る。
1920年 22歳
アルファロメオのレーシングテストドライバー。後、幾つかの国内レースで優勝。ワークスの正式レーシングドライバーとなる。
1928年 30歳
コンメンダトーレ(勲三等イタリア共和国功労勲章)を叙勲される。体調不良によりレーサーとしての資質に限界を感じる。
1929年 31歳
アルファロメオのセミワークスチームとしてスクーデリア・フェラーリ創設。エンジニアとして再始動する。
1930年 32歳
ワークスでのレース初勝利。
1932年 34歳
最初の息子アルフレード・フェラーリ誕生をきっかけに地元モデナでアルファロメオの販売代理店を共同経営で始める。
1933年 35歳
アルファロメオよりワークスチームの全面委託を受ける。
1939年 36歳
経営陣との対立でアルファロメオを退社。協定上5年間はフェラーリの冠は使用出来なくなるも、会社名を変えてレースカーを開発製作する。
1940年 37歳
オリジナルカー「815」を製作。その年のミッレミリア参戦。
1940年6月から1943年8月まで第二次世界大戦へのイタリア参戦により、ミッレミリア及び国内レース開催は中断する。
1945年 47歳
不倫関係にあった旧貴族の娘リーナ・アデラルディとの間にピエロ・ラルディ・フェラーリ誕生。リーナはピエロが小学校入学の頃までにはエンツォに認知してもらいフェラーリ姓を名乗りたかったが、妻ラウラは認知を許さず、1978年にラウラが死去するまでフェラーリを名乗ることが出来なかった。
(ピエロは現フェラーリ社の副社長である。)
1947年 49歳
妻ラウラと共同出資でフェラーリ社創業。シャーシとモータースポーツに特化した高性能エンジンの開発を再開する。ラウラは気性が荒く感情が先立つ性格。長男アルフレード・フェラーリは前途有望なフェラーリ社の新進エンジニアであった。
1950年 52歳
フォーミュラーワン開始と同時に参戦。その他、ル・マン24時間耐久レース、ミッテミリアに継続参戦する。50年代から高性能エンジンとシャーシをレースに続々と投入し世界的に輝かしい結果を残す。レースマシンをデチューンした高級スポーツカーの販売も開始する。市販車エンジン開発は主にアルフレード・フェラーリが担当していた。
1952年 54歳
ラウラがリーナとの不倫関係を知ることとなり、同時に庶子(ピエロ・フェラーリ)がいる事も発覚。離婚を決意請求する。話し合いの末、①庶子の認知はラウラ自身が死去するまで認めない。②ラウラが権利を有するフェラーリ社の全資産の半分をドル建で現金化した当時の金額で約50万ドルを分与する。というものであった。離婚の成立と同時に資産分割相当額の現金を支払う事をエンツォは了承するが、具体的な請求期日に関しては未定とし、赤字である会社の経営状態を考慮して欲しい旨をラウラに懇願し、この条件をラウラも了承する。
1956年 58歳
アルフレード・フェラーリ筋ジストロフィーを発症。併発した腎臓疾患のため24歳の若さで逝去。エンツォはスクーデリアと会社の跡取りとして将来を嘱望していた為、その死を非常に悲しみ、自身が亡くなるまで墓参りに日参したという。またピエロを墓参りに連れて行く事もあったという。
1957年 59歳
ミッレミリア、イタリア・ロンバルディア州カヴリアーナで死傷者9名以上(フェラーリ正式ドライバーのアルフォンソ・ポルターゴの死亡を含む)を出す大事故が発生。死亡者に子供が含まれていたため訴訟問題となる。この時献身的にエンツォに付き添うリーナの姿をラウラがテレビニュースで発見。嫉妬の心に火が着き資産分割請求期日を事故発生年内と記入し請求。期限内に50万ドルを現金で支払う事になる。事故調査の結果、事故の原因がドライバーの操縦ミスではなく、道路上の落下物によりタイヤがバーストした事による避けようの無い不測の事故であった事が判明。エンツォ自身が不起訴となった為、その年のミッレミリア優勝はフェラーリとなった。多額の訴訟費用支払を免れ、ラウラへの50万ドルは支払われ会社の全権利を取得、離婚が成立する。ラウラの行動は積年の恨みの結果、決してエンツォを救済する目的ではなかったと映画本編
の中では描かれたように感じる。真相は深い闇の中であり現在では語れる者も少ない。ミッレミリアはこの年を最後に開催中止となっている。
本編はここで終焉を迎えるが、その後60年代後半頃に新性能レーシングカー開発に拍車が掛り、会社経営が再び傾きかけた時にアメリカのフォードに買収されそうになるも最終的にはイタリア人の職人技で保っている自動車製造技術の国外流出を防ぐという大名目の元、エンツォとは因縁深い関わりのあるフィアットが買収を決定し傘下に治める事になるなど、話題性には事欠かなかった。エンツォはカーエンジニアに専念してモータースポーツ界は元より自動車業界において隠然たる影響力を持ち続け、事実上のフィクサーとして君臨した。人々はオールドマンと尊称し敬愛した。
⭐️3.5
共感ありがとうございます。
最初はアルファロメオに勤めてたんですね、奥さんの車の理由も解りました。いわゆる悪名高い人だったようですね。今作では根っ子は純粋、みたいな描き方でしたが。