「ただ あるがままに」フェラーリ マスゾーさんの映画レビュー(感想・評価)
ただ あるがままに
フェラーリ
元レーシングドライバー
「コメンダトーレ(司令官)」と呼ばれた
エンツォ・フェラーリが
イタリア北部モデナ県に1947年に
設立したレーシングチーム及び
レースカー・スポーツカーを
販売する今では高級スポーツカー
の代名詞とも言える自動車メーカー
販売にあたり一切
広告することがないことでも
知られている
昨今のフェラーリ社を
モダンに成長させたのは正直
ルカ・ディ・モンテゼモロ
の手腕によるところが大きいが
1950年代のフェラーリ社は
大メーカーに比べれば
家内工業的規模で
日曜日にレースに出場し
マセラッティや
アルファロメオに勝ち
月曜日にそのレースを
観た客が買いにくる
売れたらまたレースの
資金に充てるという
自転車操業であった
この映画はそんな時期の
フェラーリを創始者
エンツォ自身の家庭の問題や
降りかかる困難を
自身もフェラーリ愛好家の
マイケル・マン監督が描いた
どうだったか
本妻と愛人など
現代の価値観に対する挑戦
のような描き方で
序盤は昼の連ドラ感も
ありつつ
死か栄光かという
当時の自動車レース界の風潮を
つぶさに描写し
マン監督が以前撮り
あまりにエンタメに振った感じの
フォードvsフェラーリに対する
カウンターパンチのような
作品になっていたと思う
愛人リナ宅で目を覚まし
その名をテストコースや
自社の市販車に冠するほどに愛したが
病気で亡くなった息子の墓を毎朝訪ね
その足で次のレースに使う
レーサーを駅に迎えに行くが
雰囲気が気に入らずそのまま帰る
この冒頭のシーンで
エンツォの当たり前のように
いる愛人や好き嫌い人事など
パパパッと説明してる感じ
戦争で死んだ兄と比較し
ネチネチ小言を言ってくる母親
本妻ラウラも息子を亡くした
ことで精神的に不安定になり
護身用拳銃をぶっ放すなど
ちょっと笑ってしまうほど
サクサク関係が分かります
ラウラはこんなですが
財務面を管理して会社を
支えています
(映画では触れられてませんが
この後ラウラが口を出しすぎて
幹部クラスの大量離脱を
引き起こすんですが)
そして愛人リナとの間には
子供ピエロがいます
(この子が今フェラーリ副会長)
フェラーリは次のレースのために
テストコースで走らせますが
そのドライバーがクラッシュして絶命
そこへ現れたのが駅で無視した
スペイン人の
アルフォンゾ・デ・ポルターゴが
ひょっこりやって来て
フェラーリは「仕方が無く」
起用を決めます
前述のとおり好き嫌いで人選する
人なので気に入られたイギリス人の
ピーター・コリンズは非常に
可愛がったそうです
しかしいかにもドライバーの
使い捨て感のある描写ですが
当時は本当に死んでも当たり前
みたいな認識で行われていたのです
そしてフェラーリは
大企業フィアットやフォードから
買収も持ちかけられる中
社運をかけてイタリアを折り返し
1000マイル走破する公道レース
「ミッレ・ミリア」に必勝の
4台体制で出場
覚えておかなければいけない
のはクルマは故障したら
他人のマシンに乗り換えてもOK
なのでゴールまでに1台
たどり着けばいいというレース
であること
そして悲劇が怒ります
ポルターゴのマシンが
バランスを崩し240km/hクラッシュ
沿道で観ていた人々を跳ね飛ばし
9人が亡くなる大惨事
レースはフェラーリ所属の
ピエロ・タルッフィ
(ちなみに演じたパトリック・デンプシー
は俳優の他本職のレーサーでもあります)
が勝ちますが
エンツォは事故の原因と責任を
問われ優勝を喜ぶどころでは
なくなってしまいます
(ミッレミリアもこの事故が
もとで1957年で中止)
結局タイヤのパンクが原因
ということでエンツォは
無罪とされました
映画としてはほんとうに
史実をつづる感じでこれだけの
危機を抱えた状況のまま終わっていく
点においては結局何が言いたかったのか
と思う客もいると思いますが
ヤマやオチを求めすぎなんじゃ
ないですかね
実在の人物のあるがまんまを描写
することに真摯に務めた感じ
嫌いではありません