「あくまでもエンツォの伝記映画なのだが、ミッレミリアの再現度が強すぎて引いてしまう」フェラーリ Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
あくまでもエンツォの伝記映画なのだが、ミッレミリアの再現度が強すぎて引いてしまう
2024.7.5 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のアメリカ&イギリス&イタリア&サウジアラビア合作の映画(130分、PG12)
原作はブローク・イェーツのノンフィクション『Enzo Ferrari: The Man, the Cars, the Races, the Machine』
実在の実業家エンツォ・フェラーリの1957年頃の激動を描いた伝記映画
監督はマイケル・マン
脚本はトロイ・ケネディ・マーティン
物語の舞台は、1955年頃のイタリアのモデナ
モータースポーツのカーメイカーのエンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)は、妻ラウラ(ペネロペ・クルス)と共にフェラーリ社を経営してきたが、業績は下降傾向で資金繰りも悪化していた
エンツォはモデナ郊外に愛人のリナ・ラルディ(シャイリーン・ウッドリー)を囲っていて、彼女との間にピエロ(ジュゼッペ・フェスティネーゼ)という息子がいた
ラウラとの間にもアルフレッド、ディーノ(ベネデット・ベネデッティーニ、幼少期:ガブリエル・ノト&エドゥアルド・ブラルディ)がいたが、共に若い頃に亡くなっていた
ある日、フランスからジャン・ベーラ(デレク・ヒル)というドライバーがやってきて、ライバル会社のマセラティと契約を結ぶことになった
彼は新車で最速タイムを叩き出し、一躍時の人となった
業績悪化が叫ばれる中、フェラーリはミッレミリアと呼ばれるイタリア北部のブレシアからローマを往復する1000マイルを走破するレースに参加することを決意する
このレースで優勝すれば多大な宣伝効果になることが見込まれ、それに全てを賭けようと考えるのである
だが、その一方で、ピエロの認知問題が放置できなくなり、銀行家のうっかり発言でラウラに知られてしまう
ラウラは権利の譲渡と引き換えに金を要求するものの、小切手を現金化すれば破産手続きに入られてしまう
そこでエンツォは条件を提示し、レースで勝つために全力を投入することになったのである
映画は、ミッレミリアについて知っているかどうかで印象が変わるのだが、その再現度は凄まじいの一言である
レースはイタリア車同士が争い、結果としてフェラーリがワンツースリーを独占してしまうので、誰がどうなったかは分かりにくい
スペインから自分を売り込んだデ・ポルターゴ(ガブリエル・レオーネ)と、彼のナビゲーターとして同乗したエドマンド・ガンナー・ネルソン(エリック・ヒューゲン)が乗った車が大事故を起こし、観覧者9人(うち5人が子ども)が犠牲になってしまう
レースはこの事故を受けて開催中止となり、デ・ポルターゴの体は車体の下敷きになったあと、真っ二つになっていたそうだ
このあたりが結構リアルに描かれているので、心臓の弱い人は注意されたほうが良いのではないだろうか
映画は、モータースポーツの華々しい開発競争とかレースを描いているのではなく、この時期にまとめて起こったエンツォの事情を余すところなく再現している
それゆえにヒューマンドラマの側面が強く、伝記映画として見る分には良いが、モータースポーツ映画として見ていると結構しんどい内容になっている
ちなみに、ピエロは無事に認知され、フェラーリ姓を名乗り、今では副社長クラスの幹部に名乗りをあげているので、エンツォの母アダルジーザ(ダニエラ・ピッペーノ)の見立ては正しかったのだろう
いずれにせよ、個人的にはミッレミリアの詳細は知らなかったので、事故のシーンがリアルすぎて引いてしまった
コントロールを失った車がどうなるのかという怖さと、避けようがない瞬間的な出来事なので、観戦する方も命懸けなんだなと思う
ドライバーは死を覚悟して乗るが、観客はそうではない、という言葉が印象的で、その他にもエンツォの経営哲学や人生訓がさらっと登場するので、全てのセリフに重みがある
成功者としての哲学は素晴らしいのだが、戦時中のいろんなことがあったとは言え、下半身をちゃんとコントロールしないと大変なことになるのだなあと感じた