フェラーリのレビュー・感想・評価
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フェラーリの威信を思い知る
事実は小説よりも奇なり。史実の映画化ということで、フィクションのような奇想天外なロジックを組み込むことは出来なくとも、真実の生々しさを描くことに価値がある。そんな様を改めて見せつけられたかのような白熱のレースシーン、目を覆うばかりの事故の惨劇、そして、人間模様もまた然り――本当に銃で発砲しちゃったんでしょうか。あれは演出なのか史実なのか。
登場するレースカーに古さは否めないものの、いざ、乗ってみたらどうなるか。それをも体験したような気がする凄まじさ。自家用車ならぬ危険は承知のレースカー。それで速さを競うとはどういうことか。それをメーカーのプライドをかけて、レーサーに命じるとはどういうことか。果たしてそれは指導者として余程肝が据わっているのか、果てしなく傲慢なのか。ただ、速さを競う純粋さだけでは済まされない現実の厳しさ。
実は私は車に乗らない免許すらない人間のですが、それでも順を追ってコンコンと判らせてくれる、素晴らしい映画だったと思います。息子が安らかに眠る子供部屋に、黄色い「フェラーリの跳ね馬」が飾られていたのが印象的。
関係ないけど、ふと、ルパン三世テレビシリーズの記念すべきファーストシーズン第一話を思い出します。登場するレースカーも似たようなイメージ。詳しい人はいちいち説明できるのかな。みんなが付けている腕時計のデザインまで拘ってた。関係ない話でごめんなさい。
マン監督があえて選んだ挫折の1957年
ポスタービジュアルやタイトル、予告からはエンツォ・フェラーリの栄枯盛衰をやるのかなというイメージを持ったのだが、実際は1957年の中の3ヶ月ほどの話だそうだ。クライマックスのミッレミリアの開催日が5月11日なので、春先の1クール程度ということだろうか。
この時期は、エンツォにとっては人生屈指の苦境の時だったようだ。会社は破産寸前、前年に長男は亡くなり、妻のラウラとはかなりの険悪ムード。私生児を生んだ愛人は認知を打診してくる(当然だが)。そしてミッレミリアの大事故。
マイケル・マン監督は、彼にとって重要な出来事が集中しているということでこの時期に焦点を当てたらしいが、気が滅入る出来事ばかりで映画としては想像以上に重い。
物語の配分としては、カーレースの描写は半分もなく(というか実感としては3分の1あるかないか?)、残り半分以上は妻との諍いと愛人とのやりとり、その他人間関係という印象だった。レースの話と家庭のごたごたの話が並行して進んでいく感じ。カーレースをもう少したっぷり見られるかと勝手に思っていたので、そこはちょっと食い足りなさが残った。
しかし、妻とのやりとりの緊迫感が予想外にすごかった。いきなり銃で撃ってくるし! 決めた時間までに帰るなら女遊びも許すという寛容さはあるものの、ラウラの心は息子を亡くした絶望と夫への不信感で最初からぼろぼろだ。てっきり愛人リナの存在も知っているのかと思ったら、中盤で初めてバレていたので驚いた。
女性の目線で見ると、随分酷い男なのだ。フェラーリというブランドやエンツォに思い入れのある人の目に、この映画の彼がどう映るのかはわからないが、その辺にあまり贔屓目のない私は、ラウラ寄りの心境でこの愛憎劇を見ていた。だから、彼女が色々と画策し、終盤でエンツォとの交渉の引き換えに、自分が生きているうちはピエロの認知を許さないと啖呵を切った場面は、ちょっとだけスカッとした。
クライマックスのミッレミリアのレースシーンだけは、その前後とはがらりと雰囲気が変わる。序盤では試験走行シーンなどで短めに描写された当時のレーシングカーの疾走を、イタリアの美しい景観とともに拝める爽快な場面だ。そこに至るまで鬱屈とした話が続いていただけに、あの解放感に救われた気持ちになった。
それにしても死亡フラグがわかりやすい。試験走行で空中に飛ばされたドライバーもポルターゴも、恋人が現場に来ている段階であっ察し、となってしまった。おまけにポルターゴは遺書(これはみんな書いてたけど)プラス「僕は優勝するよ!」。
そしてあの事故シーン。沿道の住人の生活を見せた上で、彼ら見物客が事故車に薙ぎ倒される瞬間を、濁すことなく正面から描くという生々しい演出。直後の不気味な静寂の中、ちぎれた足や胴体、飛び出た眼球が容赦なく映る。とにかく最悪のことが起こったのだ。
本作で描かれたようなスピードレースとしてのミッレミリアは、この凄惨な事故が原因で終わってしまう。
ラストは、エンツォがピエロをディーノの墓に連れて行く場面で終わり、登場人物のその後がキャプションで語られる。もともとエンツォに思い入れのある人は、1957年の彼を臨場感を持って見られたことで満足できるかもしれないが、彼についてよく知らず、映画のストーリーという視点しかなかった私には、今ひとつ歯切れのよくない幕切れだった。
ただ、彼のような著名なカーブランドの創業者をマン監督のようなフェラーリ愛好家が映像化するとなると、よくある英雄譚になってしまいそうなものだが、あえて1957年だけを選び、美化せず描いたことには好感を持った。きっとマン監督は真のマニアックなフェラーリファン、エンツォファンなのだろう。
グレイヘアのオールバックにしたアダム・ドライバーは、最初ポスターを見た時は彼だとわからなかった。「ハウス・オブ・グッチ」の時も思ったが、スタイルがいいので仕立てのよいスーツを着た立ち姿がとても映えて、マウリツィオやエンツォといった上流の実業家の役がよく似合う。
ペネロペ・クルスの熱演が光った。ラウラの激しさだけでなく、賢さや、エンツォを支えてきた共同経営者としてのプライドなどが伝わってきた。人生を楽しもうという姿勢があった若き日のエンツォの成功には、彼女もまた不可欠の存在だったということがわかる。
そんな彼女が息子の死によって輝きを失い、エンツォが隠していた長年の裏切りに打ちのめされ、それでもせめて自分の生きているうちは愛人の子の認知をさせまいと彼に食らいつく姿には、たくましさと切なさを感じた。
マイケル・マンにしか描くことのできない異様な人物伝
恐らくフェラーリの生涯のどこをどう切り取っても重厚なドラマの体を成すのだろうし、言い方を変えると、どこを切り取るかによって映画が持つテーマ性や持ち味は大きく変わる。本作で抽出されたのは、この謎多き経営者の人生における「たった1年」。マン監督はここにドラマティックなうねりを感じたのかもしれないし、もしくは人生の”凝縮ぶり”を確信したとも言える。それは戦後、破竹の勢いで第一線へ躍り出てきた会社が迎えし1957年という転換期。経営者、夫、父、F1界の帝王として、鬼気迫る覚悟での決断の場面が続き、全てにおける起死回生の一手になるかと思われた公道レース「ミッレミリア」の出来事があまりに衝撃的に我々の心を引き裂く。彼の1年をさらに凝縮すると、あの一瞬へと行き着くのだろう。132分の全てが秀逸なわけではないが、弛緩した分を一瞬で抉りとる刃物のような鋭さに感銘を受けたというよりは、ただただ呆気にとられた。
老監督がフェラーリ愛を注いだマニア向けの逸品。ハリウッドの帝国主義的製作手法の限界も
「ヒート」(1995)や「コラテラル」(2004)で知られるマイケル・マン監督、御年81歳。過去に何台も所有していたほどのフェラーリ愛好家で、本作も30年越しの構想をついに実現させたというから、創業者エンツォ・フェラーリの執念に通じるものを感じさせる。
ただし本作、かの高級スポーツカーとその創業者にもともと関心があって知識も多少はあるとか、自動車レースが好きで歴史もそれなりに知っているマニアでないと、かなり限られた期間の限られた人間関係を描いているので、背景がよくわからないまま話が進んでいくような敷居の高さを感じてしまう。イタリアの伝説的な公道レース「ミッレミリア」の1957年大会に向けたエンツォとフェラーリチームの約4カ月の準備に並行して、エンツォと妻と愛人の三角関係が語られるのだが、個人的にはエンツォがどんな経過で事業を興して世界的ブランドにまで成長させたのかとか、当時の高級スポーツカー市場におけるライバルたちとの競合状況はどうだったのかとか、そのあたりを駆け足でいいから初心者向けに見せてくれたらいいのにと物足りない思いがした。カーレースの筋と三角関係の筋、相乗効果があるならまだしも、ストレスを伴う2つの筋が並走するだけなので不満が募る一方というか。
もう一点気になったのは、昨年12月日本公開の「ナポレオン」のレビューでも書いたことだが、非英語圏の歴史が米英主導で映画化され、ハリウッドスターを起用した英語劇として製作されることが適切なのか、ということ。主演のアダム・ドライバーをはじめ、シャイリーン・ウッドリー、パトリック・デンプシーはアメリカ人、ペネロペ・クルスはスペイン、サラ・ガドンはカナダの出身。イタリアが誇る高級車ブランドの創業者と関係者らを描く映画が、イタリア人以外の俳優たちによる英語劇で作られたことをイタリア人はどう感じるのか。実際、コンペ部門に出品された昨年のヴェネツィア国際映画祭では、イタリア人俳優がそうした旨の批判を述べていた。
これも繰り返しになるが、非英語圏の歴史が米英主導で英語劇として映画化されるという“20世紀の当たり前”も、そろそろ考え直す時期なのでは。そこには商売のためなら文化帝国主義的な慣行が正当化されるとでもいうような強者の傲慢さが感じられ、それが作品の質と評価にも悪影響を及ぼした気がする。本作の製作費は9500万ドル、北米公開から半年が過ぎた現時点で世界興収は4200万ドル超と、相当に厳しい。前世紀の成功方程式が通用しなくなっていることの表れではなかろうか(「ナポレオン」も製作費と同程度の世界興収に留まった)。白人偏重を批判され多様性尊重に舵を切ったアカデミー賞でも2024年、「フェラーリ」のノミネートはゼロだった。米国の業界人を多く含むアカデミー会員でさえ、非英語圏の歴史を英語劇で描くことの問題と時代錯誤を認識しているのだと思う。
人間ドラマを忘れたマイケル・マン
レースシーンでレーサー同士の相克が描かれているのではなく、ただ当時のレースを忠実に再現したレース映像を見せるだけ。人間ドラマがない。
主人公のエンツォは経営者だからレースシーンに彼の葛藤は反映されない。なのにレースシーンの描写がめっちゃ長い。正直何度かあくびが出た。
そして肝心のエンツォの周りで起きる人間ドラマも、正妻と愛人の板挟みになって悩む姿だけ。そんな話どうでもいい。
経営者としては利益、エンジニアとしては車の性能。そっちの板挟みで葛藤する姿を描いてほしかった。
それならばエンジニアとして追求したものがレースシーンにも投影出来たはず。
マイケル・マン監督作品という事で期待して見に行ったけど、今回はハズレだった。
車を愛する者の顔と、経営者の冷徹な顔
鑑賞日7月7日。エンツォ・フェラーリの伝記ではありませんが、レーサーだった頃の運転を楽しんでいる様子、経営者になってからは、息子の死、妻との距離、愛人宅では安らぐ、様々な場面がありました。
フェラーリ社が創業して間もない頃の自動車会社の実情や、当時のレースの様子が興味深かったです。町中を駆け抜けるミッレミリアは迫力があり、人々が熱狂するのも分かりますが、安全面にはかなり問題があり、命がけでレースをするレーサーは英雄ですが、私はあんな危険なレースを間近で見たいとは思わないです。
すばらしい映像美
この作品は英語が使われている。あまり、会話はなく、観念的な台詞が連なる。あっという間に130分が終わったトイレに行くのも、忘れていた。いまの副社長の生い立ちが分かる。あのフェラーリの最後の言葉男らしくないけど会社を守るためしかたないよね。カッコいい映画だった。
あのフェラーリを作った人
特に車好きではないが ペネロペ・クルスと"沈黙"などで好演のアダム・ドライバーか と思って観た だが最初から二人は夫婦には見えなかった。レースの夢にかけ浮気もする男エンツォってこんな陰気な銀行家みたいな感じなのか?
何より日本語しかわからない遠い国の私にも エンツォはイタリア人に見えない。シェイクスピアを演った人がイタリア人を演じてるような感じだった 本国の人がみたらもっと違和感があるだろう ペネロペ・クルスは歳を重ねた陰影もあってよく伝わった
彼女がビジネスウーマンとして優秀であったが‥‥息子の死で二人の間に距離ができ 会社自体もうまく行かなくなっていくのが分かる演技だった 何か格好いい車とかの映画かと思いきや 重苦しい離婚前の夫婦話だった にしては 日常の街の様子はなんか"世界の車窓から"みたいな観光ビデオのような明く軽い感じも違和感があった そして、最後の事故もそんなリアルに? そこも唐突にスプラッターを観させられたみたいな感じで
うん?これ公道レース否定映画?と一瞬勘違いしたが おそらく監督はリアルに撮りたかったのか だから エンツォはあんな陰気な人だったのかも それをアダムも忠実に演じたのか
ただ妻ペネロペにあんたは昔は情熱的だったのに 今は‥‥というセリフにはドキリとした これはセレブでなくても好きな事をやろうとしていたのに いつの間にかお金、生活に追われ憔悴していくのは誰もが経験する事か
フェラーリ=格好いいと思って見ると がっかりするほどの男の話しだが 最後は見事会社を救う元レーサー創業者がこんな陰気な人間なのか 少なくともレースの時は全て忘れて夢中になっていたのでは?いや彼の逃げ場、心の救いはレースだけだったはず もっとそこだけ明るく描いてもと勝手に妄想したが きっと最初はそれを妻がビジネス面で支えていたのが無くなって追い詰められた頃ので本当なのだろう きっと光と陰を描きたかったのか フェラーリvsフォードはきっと光編なのかな こっちを観てないで評価するのは心苦しいが ここは単体で評価すべき⭐一つ半でもペネロペ・クルスの演技をプラスしました
おそらくこの物語の希望はレーサーに憧れるピエロ君とレーサー達の純粋さ ここがもっと伝われば 陰もより伝わったのではないか なんかバラバラな印象であった
アダムドライバーに圧倒
とりあえずアダムドライバーがカッコ良すぎた😻
ボスって感じのオーラが画面越しにも伝わるすごさ
本物がどうであったか分かりませんが、映画に引き込んでくれた素晴らしい俳優さんでした👍
印象に残っているのはやはり大事故のシーン
調べてみると行動コースって海外では結構普通なんですね‥しかしあんなの見ると怖すぎる😨
光と陰と狂気と。
Appleのスティーブ・ジョブズ、テスラのイーロン・マスクなど、創業者に共通する0から1を産み出すアイデアの妥協の無さやある種の狂気じみたこだわりの強さはエンツォ・フェラーリもしかり(年代ではフェラーリの方が先駆者か)
でもあえての成功物語ではなく、倒産、廃業の危機だったこの年を選んで映像化するとは!
エンジニアとしては優秀なエンツォの私生活の「人としての危うさ」との対比はなかなか見応えアリ。
後半の「ミッレミリアの悲劇」含めて引き込まれた。
そして、アダム・ドライバーの憑依っぷり!
始め誰かわからなかったほど!凄い!
ペネロペ・クルスの物語
跳ね馬のエンブレムで世界に知られた高級車・フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリの1957年だけを描いた物語です。この時代に至るまでの彼の略歴は作品中でサラッと触れられるだけなのですが、本作の鑑賞には問題ありません。でも、当時の自動車産業や、クラシックカーに詳しい方は、僕の気付かない点を目にしてワクワクするのではないでしょうか。
何が何でもレースに勝ちたい剛腕カリスマ社長、一方の妻と愛人の二重生活を送る無責任な夫としての2面が終盤に向かって軋みを上げます。レースシーンは迫力ありますが、僕には「夫に隠し子が居る事を自分だけが知らなかった」妻の絶望・愛憎物語と映りました。コッテリ感の溢れるペネロペ・クルスがぴったりです。
レース・ファンにはよく知られた事なのかも知れませんが、「こんな事があったのか」と驚くお話です。
夏休みに観た2つの映画
日比谷シャンテで、午前中に役所広司主演の「PERFECT DAYS」を観て、午後に「フェラーリ」を観ました。
休日割引デーなので、どちらも客入り良かった。
2つの映画、主人公の生き方が、正反対過ぎる、そしてどっちも極端に振り切り過ぎる。
かたや、独身(過去は不明)で、地味な清掃員業務の毎日の中にささやかな幸せを見出して淡々と生きる、足るを知る的なハッピーライフに、思わず観ていて憧れてしまう。赤貧重労働で実際には真似しやしないだろうし出来ないだろうけど、だからこその「なんだか、いいなぁ~」がある。
そして、華やかな自動車業界で、命懸けのカーレースに挑む男。王族や芸能人との交流、どこ行くにも記者に付きまとわれ、新聞に載ってしまう。愛人との二重生活、資金繰りに綱渡りの経営。セレブの派手な生き方に、心を持っていかれる。真似したくても真似の敷居が高過ぎて共感のしようもない。
「脳内アドレナリン出放題で本人もどうしようもないんだろうな」としか、言えない。
奥さん強し!!
なんの事前情報を入れずに見に行きました。
レース中心の話かなと思ったのですが、
会社の話や家族の話も多めです。
今のレースとは違い公道のレースでいまいちルールが分からなかったです…
敵を同乗させたり謎でした。笑
どこまでが事実なのか分からないですが、フェラーリが潰れずに今に至ったのは奥さんの功績が大きいのではないでしょうか。
奥さんの会社だけは潰さないという意地が凄く爽快でかっこよかったです!!
私的、この映画にそこまで乗り切れなかった理由とは
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
この映画『フェラーリ』は、エンツォ・フェラーリ氏(アダム・ドライバーさん)に関わる作品です。
観る前はエンツォ・フェラーリ氏の生涯、あるいはフェラーリ社の当時の盛衰を描いていると期待していたのですが、基本は1957年のレース「ミッレミリア」に至る短い間のストーリーでした。
さらに、その描かれ方は、(レースに向かうフェラーリ社の車の開発というより)エンツォ・フェラーリ氏と妻・ラウラ・フェラーリさん(ペネロペ・クルスさん)との、エンツォ・フェラーリ氏の愛人・リナ・ラルディさん(シャイリーン・ウッドリーさん)を交えた、フェラーリ夫婦の(失われた息子も影響する)および愛人(とその息子)の対立を主軸に置いた作品になっていたと思われます。
つまり、(テストやレース場面など車の走行シーンはあっても)ほぼ車の開発に関しては描かれず、夫婦間と愛人との対立が中心に描かれた作品だったと思われます。
車の開発&夫婦と愛人を交えた対立、の描き方ならば、ナチス・ドイツに対抗するための核爆弾の開発&夫婦と愛人を交えた物語でもあった映画『オッペンハイマー』に、近い構成であったと思われます。
しかし今作の映画『フェラーリ』は、詳しい核爆弾の開発描写がある『オッペンハイマー』とは違って、車の開発に関してはほぼ描かれず、(多くの)観客の期待とは違う(と思われる)、夫婦と愛人とを交えた対立に重きを置いた、期待からするとアンバランスな作品になっていると思われました。
また、今作はテスト走行やレースで車の走行シーンは描かれていましたが、レースでも敵であるマセラティとのドラマ性ある構成にはほぼなっておらず、「ミッレミリア」のレースシーンでも今どこを走行していてどちらが勝っているのかも一見しては良く分からない描き方になっていたと思われます。
このことから、例えば、今作のマイケル・マン監督が製作総指揮の1人であった『フォードvsフェラーリ』の、開発や、相手との対立競争が明確なレース場面や、そこにまつわる仲間や家族の、バランスの取れた描かれ方と比べて、今作の映画『フェラーリ』の描かれ方は観客にとっての満足度は足りていないように感じました。
個人的には、乾いた男っぽいマイケル・マン監督の作風は嫌いではないです。
また、失われた息子や妻と愛人やその息子との揺れ動きやレースに掛ける極端な心情など、また事故の場面のギョッとする描かれ方含めて、特筆する点はあったとは思われます。
しかしながら、似た構成でありながら今作より遥かにバランスよく優れた構成作品であった映画『オッペンハイマー』を最近に観た後では、どうしても今作への評価は厳しくなってしまうなと思われ、今回の点数となりました。
アダムドライバーが良かった。 グッチの時より、ずっと男前に見える。
アダムドライバーが良かった。
グッチの時より、ずっと男前に見える。
ペネロペクルスも殺気ある演技も良かった。
レースは本当に現実かのような内容で目がはなせない。
事故もリアルですごい。
最初は意味がわからず、なかだるみなところもあったが、だんだん引き込まれていく。
つ、つまらん。
昔はあんなエンジンに椅子くっつけただけみたいな車でレースしてたんだなー。
そりゃ悲惨な事故も起きるさぁ。
…感想以上。
…いや、ホントにこれだけだ。
予告編の時点でたいして面白くなさそうだったんで、観る気は無かったんだが随分とロングランしている。よほど評判が良いのかとちょっと気になったが、まさかロングランの理由は木下グループ配給だからじゃ無いよな。
自分は車もバイクも好きで物好きにもMT乗りだが、フェラーリなんて多分一生縁の無い車だ。
そんな車のレーサーではなく経営者が主人公のお話。自分などが共感出来る部分など皆無だ。昨今ならば超絶ブラック企業だし。
だいたいカミさんがペネロペ・クルスなのに浮気するとは何事だ!
とまぁちょっと観る映画間違ったかなと思える作品だったが、レースシーンは流石マイケル・マン監督だけあり迫力満点だったので、劇場で観た事を後悔する程ではなかった。
また「ヒート」みたいな作品をお願いしますよ。
事故シーンはトラウマもの
かのエンツォ・フェラーリの半生を描いた伝記映画。
なのだが、話のメインはエンツォと本妻、愛人のギスギスした三角関係で、
合間にモータービジネスやレースシーンが挟まれる感じ。
ただレースシーンは非常に迫力があり、これを見るだけでも価値はあると思う。
特に事故シーンはトラウマになるレベルでインパクトあり。
しかし当時はマラソンを観戦するノリでモータースポーツを道端観戦していたんだなあ。
そりゃ事故に巻き込まれるわ。
美しい赤い車体のフェラーリが華麗に走る抜ける映画だと思っていただけに……
この映画の予告編を観た時、観るのはどうしようか迷いましたが
主演の「アダム・ドライバー」が「スター・ウォーズ」シリーズの
「カイロ・レン」役だった事を知り観てみることにしました。
実を言うと……予告編を観ていた時、
アダム・ドライバーは一体どの役?と。
エンツォ・フェラーリ役だと知っても、これがアダム・ドライバーなの?
自分の中ではカイロ・レン役しか知らなかったので、
こんな中年の役をやるなんて……と思ってしまいました。
この映画撮影時、アダム・ドライバーは38~39歳。
1957年のエンツォ・フェラーリ(1898-1988)の年齢は59歳。
20歳ほど上の年齢を演じていたわけですが、全く違和感はありませんでした。
しかし、イタリアを舞台にしているのに言語は英語。
でも、ホテルマンなどがエンツォを呼ぶ時、
エンツォの家で使用人(執事?)が妻ラウラを呼ぶ時も呼称がイタリア語でした。
英語とイタリア語がごっちゃでした。
イタリア語に統一したほうが良かったのかもしれませんね。
車のほうに焦点を置いている話かと思いきや、
冷えきった妻と愛人との間でエンツォがウロウロしているところ、
何気に愛人リナに息子ピエロを認知してよ、と言われているところ、
妻ラウラにリナの事がバレてしまったり……。
私生活についてはアレレな面が……(滝汗)
でも妻ラウラの立場からするとエンツォに向けて(わざと外したけど)
護身用の銃を打ったり
銀行の取引からリナの家を突き止めて、直接行ってしまったり
まぁ、気持ちも分からなくはないですね。
そんな家庭生活のゴタゴタと並行して
社運をかけて公道レース・ミッレミリアに出場するまでの話。
タイムアタックで車がクラッシュして専属ドライバーと車が空中を飛んでいき
ドライバーが道路に倒れているなど、かなり衝撃な場面も(滝汗)
余談だけど、タイムアタックをしていた時に出てきたストップウオッチらしきもの
「made in USSR」でしたね。
オープンカーみたいな構造の車、シートベルトはなく、
道路にある緩衝材みたいなものは枯草?を固めたみたいなものを数段積んだだけ。
あの頃のレーサーがレースの前に遺書を書くのも、分かるような気がします。
命がけだったんですよね。
真っ赤なフェラーリの勢揃いはカッコイイ!!
ギアチェンジの動作、エンジン音、公道レース・ミッレミリアなど迫力があります。
やはり道路には牧草を固めたようなものだけの低い緩衝材があるのみで
観客がすぐ近くで猛スピードで走る抜ける車を観戦しています。
レーサーも観客も危険と隣り合わせです……。
ミッレミリアでライバルであるマセラティの車がまさかの棄権。
最後までフェラーリとマセラティはトップを争うのかと思っていました。
フェラーリのドライバーが途中棄権したマセラティのドライバーを乗せていくところ、
敵だけどいいのか?と。
レース前やレース中に不穏だな……と感じたのは
・ポルターゴがレースの前にホテルで恋人リンダに遺書を書いた
・エンツォがガソリン注入時にレーサーにかけないようにメカニックに言っていた
・犬や子供(の飛び出し)に注意するように言っていた
・コリンズ、タルッフィの乗るフェラーリはマシントラブルが起きた
・最後尾のポルターゴのマシンはタイヤが摩耗していて交換が必要だったが、
ポルターゴはそれを断って発進してしまった
・レーサーが道を覚えていない
・ガソリンが引火して大変な事になる??
・道を間違えてトップでゴールできない??
・走っている最中に何かが飛び出してきてそれを避けようとして事故になる??
・摩耗したタイヤのまま走っているポルターゴのマシンがスリップする??
「何か」が起きる……かな??
そんな気持ちで観ていると……
場面が変わり、一つの家庭の食事風景のシーン。
両親とまだ幼い二人の男の子。
ミッレミリア出場の車が近づいてきたと知ると
男の子たちは家を飛び出し、それを父親が急いで追いかけます。
この場面で……まさか男の子(小さいほう)が飛び出す??と思っていたら
父親がその子を捕まえて抱き上げて、あぁ~……よかった……と思っていたら
ポルターゴが運転するマシンが道路に落ちていた何かを踏んでタイヤがパンクして……
その後の映像は、衝撃的で悲惨でした……。
衝撃で凍り付く……というのはこの事です。
最近動画や映画をいろいろ観ているが、こういう風になることはなかったです。
ただただ……恐ろしくて、悲惨でした……。
スピードを出し過ぎた車の事故に巻き込まれた人や
ドライバーはこんな感じになりますよ、みたいな……。
(ポルターゴのあの最期の姿は事実らしい)
その後の話が頭に入っていかないぐらいに……。
PG-12という年齢制限はこのシーンがあるからなんだね、と思いました。
後でWikiで調べてみると
1957年開催のミッレミリアで実際に起きた観客を巻き込む大事故で
ドライバーのポルターゴ、コ・ドライバーのエドモンド・ネルソン、
そして5名の子供を含む9名の観衆も犠牲になった大事故で
それによってミッレミリア開催は中止になったということです。
(現在は同名のクラシック・カーレースとして復活しています)
最後に妻ラウラがエンツォに「私が生きている間は(リナとの間できた息子ピエロ)を
認知しないで」と言ったシーン。
エンツォ・フェラーリの妻としての矜持を感じました。
エンツォはその言葉を守り、ラウラが死去した後に息子ピエロ(1945-)を認知し
現在ピエロ・ラルディ・フェラーリはフェラーリ社の副会長です。
美しい赤い車体のフェラーリが華麗に走る抜ける映画だと思っていただけに
予想とは違う内容の映画でした。
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