悪は存在しないのレビュー・感想・評価
全232件中、181~200件目を表示
視点を変えるとジャンルも変わる映画
偏見ではあるけど、田舎町の住民と芸能事務所の人間は、なんとも相性が悪い。
特に社長とコンサルは危険分子でしかない。
自然と人間がバランスを取りながら暮らしているところに、ウェーイなヤツらが来るかと想像すると、住民のざわつきも致し方ない。説明会のシーンは、開発側と住民の怒りや不安、苛立ちなど、垣間見える感情が人間臭くて見応えがあった。
高橋と黛は、自然に触れ、人に触れ、気づきはあったものの、ねぇ。
ラストは"なんで⁈"ってなる急展開。
町の人たちは知っているのか否か、初めての事なのか、それともいつもの事なのか。
いろいろ想像してみると、木々や風の音、銃声や水の流れなんかも、急に不気味にも感じられる、音と映像の説得力たるや。
世にも奇妙なっぽいエンディングで結構好き。
もう一度観たら、また違う何かが見えるかな?
問題提起型の作品です、明確な結末は画かれていません。
ざっくり言えば、自然と人間の共生、善意と悪意が入り交じる人間の曖昧さ、全体最適と部分最適の対立などを画いているように感じました。
終始重苦しい雰囲気で音楽も地味、映画って非日常を満喫するためのコンテンツと考えるならば、本作は観ない方がいいです、現実の見たくもない部分を見せられます。
以上
いい意味で眠くなる映像詩
日本にもまだこういう手付かずの自然に囲まれたところがあるんだなあとぼんやり見ていると心地よくなって何度か寝そうになりました。せりふ回しの自然な人、ちょっとわざとらしい人、棒読みの人の差があってそこが少し気になりました。ラストはやや解釈しづらいですが、それも悪くないと感じたのは筋よりも映像、音楽、雰囲気を楽しめたからだと思います。
意味深
「ドライブ・マイ・カー」(21)はギリギリ面白かったような記憶がありますが、今作はあまり楽しめなかったです(涙)。登場人物にあまり共感できなかったり、演出の意図がよく理解できなかったり、個人的に苦手な作風なのかなと思いました。特にエンディングには驚かされました。ここで観客は、大きな衝撃を受け、あれやこれやと考えさせられる仕掛けになっていると思いますが、私は置いてけぼりになってしまいました…(汗;)。
ドキュメンタリー映画のよう
役者さんが失礼ながら知らない方ばかりだったので変な先入観がなく世界観に没入できるのはよかった。父と子のやりとりや芸能事務所の社員の車中の会話や説明会のシーンなどリアリティがありドキュメンタリーを見ているかのようだった。
唐突過ぎ!
惹き込まれて面白い作品だなと思いながら観ていたのに、唐突な終わり方に呆然とした・・・
なぜ、失神するほど羽交い絞めにする必要があったのか。
全く理解できないという思いだけが強く残ってしまって、何か台無しになった感じです。
自然と人と。俳優がはまってくる不思議
物語の事前知識なく鑑賞。
最初は長回しの自然との共生が描かれ、昨今の話が進む作品に慣れている人には合わないだろうなと思いながら、リラックスしながら観る。
気になったのは、カメラワーク。
山葵、車の後部、鹿の死体、ちょっと離れた木陰からの視点など、いい意味で映画であることを感じることができる。
そのうち、だんだんと社会性の要素が描かれるとともに、最初は違和感があった俳優陣が住民として妙にハマってくる。
やりとりにも随所に濱口監督らしいユーモアがあり、劇場内で笑いが起こり、とても心地良い。
タイトルからわかるように、両面の人々から状況が描かれる展開は目新しさはないが、そこに自然がうまく入ってくることで、考えさせられる作品となっていた。
そして、キーとなっていた音楽。おどろおどろしいもの、ポップなもの、自然の中での非日常感を増してくれていたとともに、音楽と映像だけでも楽しめた。
引き込まれる感は流石
序盤、自然と風景に引き込まれ、中盤、会話劇も面白くまたそれぞれの人物も存在感があり時間を忘れ引き込まれました、これ、どういう結末になるんだろうと期待していたのに突然のラスト。
意味が私にはわかりませんでした。繋がっているようで繋がっていない、難しい映画体験でした。きっと全部作ったら、ドライブマイカーのように3時間超えなのでしょうか。
丁寧な描写が続いていただけに残念。完全版をみてみたいとは思いました。
「上(上流)」を目指し迷子になった監督は存在する
スパイの妻やドライブ・マイ・カーは良かったからあえて点数を低くする。
出口が見えないから適当に作ってお前ら自分で考えーみたいな監督メッセージ。
そもそも二項対立を崩すようなタイトルこの題材にした時点で、面白くなるのはキャンプ地建設の成功とか失敗とかそういう予想のつく円満な話じゃなくなり、
監督の表現ともっと奇抜でもいいから観客を驚かせる何かの結末が肝心になる。
それを意識しながら答えを求めた果てに放棄した監督の姿がどうしても目に浮かぶ。
後味の悪い映画だ。
そのせいで前半の森に誘い込むような空ショットも台無しになり、
リアリティを追求してるかのような奇妙な角度からの撮影も、観客を揶揄うような作者の狡賢さを示唆してるみたい。こんな悪意で考えてしまいとても残念だった。
Leviathan、青き衣を纏いて
OPから、
真仰り、
ま俯瞰の反対で、
木々の移動カット、
美しい。
だるまさんが転んだは、
コクトーの『オルフェ』の、
空間のあっちとこっちを感じさせる。
今回もアイデアいっぱいの、
シークエンス、カット、芝居が、
展開していくのだろう・・・
違った。
説明会以降の在り方。
10年程前のアカデミー外国語映画賞の、
ロシア映画の英題が、
『Leviathan』
昨年ようやく翻訳版が出版された
【万物の黎明】でも、
ホッブズのLeviathanも、
21世紀の現代には通用しないんじゃね?と、
言及している。
これらLeviathanの神話というか、
説話、思考が地続きであると解釈できなくもないが、
それほど便利な魔法のようなものではないのと、
その流れでいくなら、
芝居や描写、
特にフォーリーのアプローチが違う方法はなかったか。
青き衣を纏いて金色の野に降り立つ、
のか、
違うのか、
清浄の地に導いたのか、
どうなのか。
この流れでいくなら、
他の登場人物にしても、
存在が本質を越えていくような展開・・・
は長くなり過ぎるのと、
難解になり過ぎるのを避けたのか・・・
タイトルを、
『巧と花』とか、
『ある町の物語』にするなら、
このままでいい、
が、
悪は存在しない、
と風呂敷を広げるなら、
閉じた上で、
解釈は観客しだい、
が好ましい。
閉じずに、
表現しないで、
解釈は任せます、
は、
好ましくないが、
上記のアプローチから、
変えないと難しいが、
それも選択しないだろう。
満席なのは素直にうれしかった。
満席なのは素直にうれしかった。
【蛇足】
小3時の遠足、奈良公園。
クラスメイトが足元から鹿に角で突き上げられて、
50センチほど空中に浮いた。
シカはヒトを襲う。
クラスメイトは無傷、
アクは存在しないのかもしれない。
難しい映画ではないのだが、ラストが、なあ。
題名から想像するような難しい映画ではない。シンプルなストーリー、美しい自然を切り取った画面で、いつの間にか惹き込まれた。
しかし、ラストの唐突さが、それまでの気持ちを引きちぎる。人により評価が千差万別も、当然だろう。
会話劇のスリリングさ
冒頭は淡々と進みますが、途中から会話劇のおもしろさが出てくるので、まったくだいじょうぶです。
町民への説明会、運転中の会話、薪割りシーン、そしてラスト。
どれもが画面に釘付けになります。
ラストの解釈はいろいろあるだろうけど、誰かと語りたくなる映画です。
色々考えさせられました
#Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下 さんにて#濱口竜介監督 『#悪は存在しない』 鑑賞。
高度経済成長期から映画のなかでは「リゾート開発=悪」としてステレオタイプな描かれ方をしてきましたが本作品ではそのような安易な描き方をせず、住民説明会のシーンでの住民と企業(芸能事務所)の討論は実にリアルで観ている方がヒリヒリしましたね。
本作品で一点だけ理解できなかったのは、本作品で描かれている地域(自治体)が昨今全国の自治体でも直面している少子化や過疎化、地域資源の少なさで財政面などで困窮しているかどうかの点。
自治体としてはグランピングなどの観光施設を誘致することで税収や関係人口を増やし、地元住民のための公共サービスを維持するため賛同したのであれば、作品の印象が随分と変わったかもしれませんね。
結局、地元住民と企業がお互いトコトン話し合い寛容な着地点を見いだせればいいのですが…。
誰もが本作の当事者になり得る題名通り『悪は存在しない』映画、色々と考えさせられました。
雰囲気的に仕方ないのかもしれないけど、 棒読みっぽい台詞が気になっ...
雰囲気的に仕方ないのかもしれないけど、
棒読みっぽい台詞が気になった
それ気にし始めちゃったら、
全然入れなくなってしまったまま、
終わっちゃった
人間と鹿は争わない。
原沢村の豊かな自然を聖なるものとするならば、芸能事務所は俗なるもの。この映画で使われるグランピングという言葉は華やかなものでは決してなく、とてつもない陳腐なものに聞こえる。
脈略のない俗世界に属する人間は徐々に浄化されていくわかりやすいプロットは、断絶するBGMやカメラのロングショットや揺れなどの効果は鳴りを潜めるようにも感じた。
つい悪や悪者を意識して劇中で追ってしまうタイトルではあるが、存在感のある徹底的な悪というよりは、立場による善悪の境界の揺らぎということなのか。
人間と鹿は争わない。
が、人間は鹿を殺す。
人間同士は争い、時に犠牲を伴うこともある。
チョークスリーパー
前半30分、危うく寝落ちしそうになるくらい、ゆったり時間が流れる映像
東京からの刺客が登場してから、話が動き始める
ラストの判断は観客に委ねる作りに
主人公の最後の行動に、キラー猪木をみる! オワリ!
僕には見る目は無い。多分。
欧州で評価されるということは、こういうこと。其処を理解しないと『作家性の高い』作品に、観客は呆気にとられるだろう。松竹ヌーヴェルヴァーグと呼ばれた大島渚たちの、独善的で実験的な作品群への、高評価と興行収入の乖離に似た匂いがする。そのため濱口監督の前作を、全く評価できない僕は、ル・シネマの満席に近い観客席に驚きを禁じ得ない。
外部の介入を映画という媒体を活かして伝える
セリフもほとんどない美しい自然の映像が相当時間続く。自然との調和を感じる表現だ。
開発者が入ってからは監督の魅力でもある淡々とした会話劇が続く。
開発者という外部の介入があってからの忙しなさが前半と落ち着きとの対比が強く、これは映画ならではの表現だと感じた。
多くのことを感じ、その後、頭の中に残り浸れる作品だった。
現実的かと思いきや!
現実的な作劇かと思いきや、神の領域を描いた快作!
●生きる場所、立場が違えば善悪の見え方が違ってくることが伝わってくる。その描き方がリアルで面白かった。
善悪の判断は神の領域。だからこのタイトルなんだろうな。
●会話がいい。少なくとも社会人なら身に覚えがあるような内容が共感できる。
そうそう、自分やまわりもそうだよな…と。
●キャラクターもいい。こういう人、現実にいるよなぁ…と思わせる。
●ラストは意味不明…というか監督が観客に仕掛けた時限爆弾と思う。
これ、いろいろな解釈ができる。主人公は娘の死を隠したかったのか?楽園の存在を隠したかったのか?矮小な自分を自然に紛らわせたかったのか?
人によって解釈はわかれるだろうな。
社会派ドラマであると同時に重層的に人もあるがままの神域の住人であると描いていると思う。面白かった。
全232件中、181~200件目を表示