「長野県水挽町。 自然豊かな小さな町。 小学生の娘・花(西川玲)とふ...」悪は存在しない りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
長野県水挽町。 自然豊かな小さな町。 小学生の娘・花(西川玲)とふ...
長野県水挽町。
自然豊かな小さな町。
小学生の娘・花(西川玲)とふたりで暮らす巧(大美賀均)は、その町の雑用係。
自称「便利屋」だ。
そんなある日、巧らが暮らす集落にグランピング施設建設の話が持ち上がる。
グランピングとは、コテージなどを利用したキャンプは難しいが自然を満喫したい都会人向けの施設。
計画を立ち上げたのは、都会の芸能事務所。
コロナ禍での補助金目的が透けて見える。
案の定、説明会では、集落側からの質問にまともに答えられない。
住民側の心配事は、汚水浄化施設の能力不足と管理者不足。
とちらも、土地の自然を破壊しかねず、住民にとっては生死にかかわる問題なのだ。
だが、事務所側は・・・
というところからはじまる物語だが、映画は建設計画説明会のエピソードまでに巧と花を通して、山村の自然と暮らしを映し出していきます。
石橋英子の音楽、北川喜雄のキャメラが素晴らしい。
学校からの帰り道、花と巧は小鹿の死骸、骨となった死骸を見つける。
ははん・・・と、ここで察しが良ければ、後半の展開のうちの重要な事柄には気づくだろう。
小鹿は花だろうな、と。
さて、説明会を終えて都会へ戻った事務所のふたり。
社長に状況を説明すると、不足と指摘された管理人に巧を雇えばいいんじゃないか、と安易な解決策が提案され、早速、それを巧に持ち掛けようと再び町へ向かう。
その道中、自動車の中で、都会人の薄っぺらさが浮き彫りにされる。
このエピソード、会話が面白い。
ま、ちょっと身に覚えがあることも・・・
で、その後は、一気に物語の終盤へなだれ込むのだが、主題的には少々浅いかなぁ。
自然に寄り添い、自然とともに生きている人々、その代表が巧で、彼はとにかく土地の自然に詳しい。
が、鹿の跳躍力は凄いと認めていながらも、鹿はひとを襲わない、と、どこか「自然はこんなものだ」と無意識のうちに思っている。
それが、終盤、手ひどいしっぺ返しを食らう。
都会人は都会人で、田舎での暮らしはこんなもんだ、ひとびとはこんなもんだ、と安直に考えている。
それが、手ひどいしっぺ返しを食らう。
ひっぺ返しに予感はない。
前兆とか伏線とかはない(ま、映画だから、あるのはあるんだけど)。
突然のしっぺ返し。
自然から人へならば、その突然感は納得できるだろうが、人から人へならば、その突然感は納得できないかもしれない。
しかし、しっぺ返しとは、そんなもんだ。
ま、「突然」を「神」と結びつけるとヨーロッパ映画的になるだろうが、何と結びつけるかは観客に委ねられるように作られている。
個人的には、
村人たちから発せられる都会人への薄っぺらへの嫌悪のかたまりをベースにして、喪失の哀しみと、信頼していた自然からのしっぺ返し(裏切りともいえる)への絶望などが綯交ぜになったゆえの「突然」だった・・・
と受け取りました。