「ラストの衝撃」悪は存在しない ありのさんの映画レビュー(感想・評価)
ラストの衝撃
地方農村の再開発を題材にしたシニカルなヒューマンドラマなのだが、突発的なラストがどこか不条理劇のようなテイストを持ち込み、何とも評しがたい作品となっている。
監督、脚本は「ドライブ・マイ・カー」、「偶然と想像」の濱口竜介。元々は本作で音楽を担当している石橋英子とのコラボ企画から始まったということで、これまでとは少し違った経緯で作られた作品である。とはいえ、緊張感を醸したロングテイクや、抑制を利かせたセリフ回し等、濱口監督らしい独特の作風は一貫している。
一つ違うのは、これまではどちらかと言うと会話劇主体な作りが多かった印象だが、今回は映像で語ることにこだわった点である。これは、そもそもの企画が音楽のための映像作品という所に起因しているのかもしれない。
中でも、意図的に肝心な部分を見せない映像演出は大きな特徴のように思う。「ドライブ~」でもそうした演出は一部で見られたが、今回はそれが更に推し進められたという印象である。
例えば、巧が花を探す序盤の森のシーンは、巧の姿を収めた移動ショットで撮られている。途中で画面は大木に阻まれ、二人はその陰で邂逅する。巧が花を見つけるという肝心な部分を全く見せない意外性に驚かされた。
あるいは、芸能事務所からグランピング建設の説明で派遣された男女が車中で交わす会話のシーン、行方不明になった花の身を案じる女性社員がコテージに佇むシーンは、徹底した後姿のショットが貫かれ、その表情を極力見せない。
極めつけは物議を醸すであろうラストシーンである。花の身に何が起こったかを映像では一切見せておらず、その顛末のみを提示して見せるという演出がとられている。
このように肝心な部分を見せず観客の想像に委ねる演出は、普通は余りしないものであるが、本作の場合はそれが頻出するのである。物語は割と淡々としているにもかかわらず、こうした意外性に満ちた語り口に引き込まれ、終始面白く観れる作品だった。
とは言うものの、やはりラストには、観ているこちらの想像をはるかに超える驚きがあったわけだが…。
これについては、観終わった今でも解釈に迷う所である。単に自然対人間、都市対農村、政治や社会構造の問題といったテーマでは語りきれない奇妙さがある。巧の”あの行動”に、自分は彼の心の”闇”を見た思いになった。
尚、本作を観て真っ先に連想したのは、往年の名作ドラマ「北の国から」である。自然と共生しながらマイペースに暮らす巧の姿が「北の国から」の五郎とダブって見えた。ただ、娘に対する愛情表現は五郎よりも不器用で、学校の送迎を失念したり、危険な森に一人で行かせたり、かなり放任的な点は異なる。その結果が、あのラストを呼び込んだとも言える。
また、芸能事務所の社員二人の視点に立って見れば、サム・ペキンパー監督の「わらの犬」も連想させられた。都会の人間と田舎の人間の間に生まれる不穏な空気感は、正に「わらの犬」のそれと同じである。そして、両者のズレを同じシークエンスを使って反復して見せた構成も面白い。
もう一つ連想させられたのはジャン・リュック=ゴダールの作品である。開幕のタイポグラフィーやBGMのぶつ切りといった演出は正にゴダールが得意としていた演出法である。これまでの濱口作品にはゴダールの意匠は全く感じられなかっただけに意外であった。