あの歌を憶えているのレビュー・感想・評価
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ニューオーダーのような作品の方が向いている
結論から言うと、
ミシェル・フランコは、
「ニューオーダー」のような、
シビルウォーよりも衝撃度の高い、
企画の切り口で勝負するような作品の方が、
向いているのではないだろうか。
本作は記憶と喪失、そして再生の難しさを描いた作品だ。
登場人物たちの感情の機微が繊細に描かれており、
キャストの演技は圧巻の一言に尽きる。
しかし、その演技があまりにもリアルであるがゆえに、
彼らの精神的な負担を強く感じてしまった。
近年、アクション映画における安全対策の重要性が認識され、
アクションコーディネーターや安全責任者の配置が一般的になっている。
また、セクシャルシーンにおけるインティマシー・コーディネーターの必要性も、まだまだ不十分ながらも広く認知されるようになった。
しかし、
精神的な負荷の高い作品におけるメンタルトレーナーの必要性は、
まだ十分に認識されているとは言えない。
本作のスタッフクレジットには、
コンプライアンス関連のスタッフはクレジットされていたが、
メンタルトレーナーの名前はなかった。
パーソナルトレーナーを付けている可能性は高いが、
これほどまでに俳優陣に精神的な負荷がかかる作品であるならば、
専門家のサポートは不可欠だろう。
そもそもの大前提として、
異なる人格を演じることは、
高度な技術と専門的な訓練を要する危険な行為、
と認識する事が必要である。
俳優たちは、
役になりきるために自身の精神を肉体を極限まで追い込む。
その過程で、心身に深刻なダメージを負う可能性もある。
ジェシカ・チャステインのタフな作品、
昨今のジュリアン・ムーアの仕事、
先日のブレイク・ライブリーの作品など、
俳優の精神的な負担が懸念される作品が少なくない。
これらのような作品を観るたびに、
シナリオや演出がキャストに過度に頼り過ぎていて、
まず俳優たちの安全を考えてしまう。
映画製作は、俳優たちの犠牲の上に成り立つものではない。
彼らが安心して演技に打ち込める環境を整えることは、
製作陣の責務である。
そのためには、メンタルトレーナーの配置を義務化するなど、
自戒も込めてより具体的な対策が必要である。
映画全体としては、
キャラクターの心情が深く掘り下げられ、
演技に感情が溢れている一方で、
現代映画製作における課題を浮き彫りにした作品でもある。
いい話ダナー
過去のトラウマが現代社会を映し出しているようでした。
『どう』
映画紹介の「忘れたい記憶を抱える女と忘れたくない記憶を失っていく男が出会い、互いに支えあいながら希望を見いだしていく姿を優しいまなざしでつづったヒューマンドラマ」って凄く上手くまとめてて過不足なく伝えてくれるんだけど、大事なのはむしろ『どう』出会って、『どう』支えあうのか、ってこと。
どう考えても持続性のない関係性だが、お互いにとってお互いでなくてはならなかったのだ、ということはよく分かる。
ジェシカ・チャステインとピーター・サースガードがぎこちなく関係を築く二人を情感たっぷりに演じているし、アナ役のブルック・ティンバーさんも素晴らしかった。(本作の肝はアナだと思う…)
惜しむらくは、邦題ほどにプロコルハルムの『青い影』は重要ではなかったこと。好きとは言ってたけどね…
恋に落ちて
◇記憶と愛の変数
脳の中で記憶をつかさどる領域「海馬」。ここには、記憶の形成に欠かせない、いつ、どこで、何をした、という3大要素をそれぞれ担う脳神経細胞群が存在するようです。「場所細胞」「時間細胞」「イベント細胞」
なるほど、<記憶> を解析的に座標軸に落とし込む脳科学的アプローチは「記憶-自己存在」という哲学的な問いかけの補助線として有効に感じます。
忘れてしまいたいのに忘れられない記憶を持つ女と忘れたくないのに忘れていく認知症の男。記憶という自分の存在の根幹に対しての意志、願望の姿が重なり合う時、二人だけの記憶の共有が生まれてくるのです。
色恋の儚さなんて充分過ぎるぐらい認識しているはずの中年男女二人を結びつける愛の姿。それは偶然に重なり合った心のパズルのピースの一致でしょうか。
記憶と自己存在の変数は、予測可能な方程式には収まらない偶然性、恣意性の中に無限の可能性を秘めて散らばっているようです。そして、心はその愛の安らぎを察知して寄り添っていくのでした。
中途半端な映画
余白
昨年と今年のナンバーワンかもしれない。
鑑賞動機:ミッシェル・フランコ8割、あらすじ2割
『ニューオーダー』みたいに、私のチキンハートがミンチにされたらどうしようと半分怯えつつ、あらすじ見る限り少し手の込んだラブストーリーに過ぎないのかもと、おっかなびっくり、鑑賞。
メロディは聞いたことあるけど、タイトルとか全く知らなかった。うん、覚えた。
いきなりAAの場面で、不安定な主人公の言動に「信用できない語り手」かもと、疑念もわく。説明のすっ飛ばし方はむしろ清々しいくらい。表面的なストーリーを追うのには問題ないけど、何かあるんだろうなと思っていると、危険物が予告なく投げ込まれてくる。
ジェシカ・チャステインは強い人の役が多いイメージだったので、新鮮だった。一方ピーター・サースガードは無防備というか怒っても怖くないというか、謎の安心感がある。髭でものすごくイメージ変わるね。
忘れてしまいたい記憶・忘れたくない記憶
原題は「Memory(記憶)」である。男は記憶を失っていく。女は思い出したくない・忘れたい記憶を抱えている。
この対比がお互いを引き寄せ癒して行くのだが、男(ソール)の背景を掘り下げていないために物語の厚みにやや欠ける。例えばコーヒーショップで店員がソールに「いつものですね?」と問うのだが、結局何を注文したのかはわからない。たとえばカフェオレが出てきたとしたら、ソールの人柄が少しでも想像できそうなものだ。ただ「思い出せない」という描写だけが独り歩きする物足りなさも感じた。
海外では子どもに聞かせたくない話題は極力避け、また反対に惜しげもなく共有する文化があるが、子どもであっても信頼し一人の人間として対等に対峙する姿勢は好ましい。
主演はもちろん、脇を固めた俳優たちもよく、窓辺からの光や陰影のある公園、そしてストーリーが進むにつれて明るい色調に変化していくカメラも良かった。
サースガードは「ボーイズ・ドント・クライ」ではチンピラ野郎を、「ブルー・ジャスミン」ではハイソな議員を、またつい先日は「セプテンバー5」で敏腕テレビマンを演じたりとその演技の幅は広く、もっと日本でも評価されるべきだろう。
ジェシカ・チャステインだからこそ!
#me too運動から繋がる啓発の映画なのだと思います。
PTSDを抱える人は決して忘れることはないのに、見て見ぬふりをした人は、後悔したとしても一時的だったりする。下手をすると(決して口にはしないけれど)被害者本人に対して、もう過去のことは忘れて前を向いてくれないかな、俺たち(加害者側)の気持ちを楽にしてくれるために。くらいのことを内心思ってたりもする。
私だって小学生の時に、イジメ(そのクラスメートをひどいあだ名で呼んでいた)に加担したことがあるし、中学生の時はイジメではないけれど、勘違いの理由で皆んなが見てる中で友達を殴って、結局謝れなかったままだ。
でも、長い間すっかり忘れていた。思い出したことがあったとしても、年月とともに思い出したこと自体も忘れていたりする。
こんな風に映画レビューを書くようになって、色んなことを考えるようになってから、そういえば、あんなことやこんなことをオレもやってたな、とあらためて思い出すことができたのかもしれない。
だから今、もしその相手と出会う機会があれば、相手が覚えていようが、忘れていようが謝るつもりでいる。
味方だと思ってた人たちが、実は何もしてくれてなくて、世界は圧倒的に孤独なんだと思いながら自分と娘を守って生きている。だから、神経質なまでの施錠とセキュリティシステムを笑うことは誰にもできない。
どんな相手であれ、救いや癒やしをもたらしてくれる人は誰よりも愛おしい。
この映画の主人公がジェシカ・チャステインでなければ、そんなふうに考えることもなく、退屈な映画としてすぐに忘れてしまったと思う。
チャステインはすごく好きで、結構きれいで強い役ばかり見てきたから、...
チャステインはすごく好きで、結構きれいで強い役ばかり見てきたから、この弱々しいチャステインにはびっくりする。なんとも不思議なストーリーでとても生なので、実話の要素が入っているのではと思う。ラスト近くの展開の早さは見事。冒頭、AAから入るところも上手い。どうやって性的トラウマを乗り越えたのかはよくわからない。最後は爆弾だ。幸せそうな実家のただなかにある。
思ったより生々しくて重い
青い影と有名俳優を擁して作った映画
原題「Memory」
男の憶えている曲は二人の共通の想い出ではなく、単に彼が好きな曲だった。
その曲は、プロコル・ハルムの「青い影」(1967年)
男は若年性認知症で、昔の事しか思い出せない記憶障害。
録音できないカセットテープのような状態…
女は過去の記憶と周囲の仕打ちを許せない、そんなPTSDを抱えている。
それぞれが“記憶”に苦しめられている二人の恋愛映画。
説明が少なくて、察していくのが面白くはあるけれど、娘が一番オトナで、キツい状況に思える。
ほんわかハッピーに終わるけれど男の病気を考えると、これはハッピーエンドなのかな?
見終わった後に、そんな漠然とした不安を感じてしまうのは私だけかなぁ。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 生きた人間の匂いがする。名優二人の見事な人物造形。二人の今後をもう少し観ていたかったのにアッサリ終わってしまってちょっと物足りない。
①シルヴィアの心の痛みを自分の事のようにヒリヒリと感じさせるジェシカ・チャンテインの名演。
一方、記憶障害を抱える寡黙なソールを説得力をもって造形するには余程役柄を理解していないと出来ない。
ヴェネツィアではピーター・サースガードが賞を取ったけれども、どちらも甲乙付けがたいほど見事に役を生きてみせる。
②男という生き物にずっと傷つけられて来て中年になってもある意味突っ張って生きているシルヴィアが、何故かソールに惹かれていくのがよく分かる。
③ピーター・サースガードも、トイレに行って部屋に戻ろうとしてどちらの部屋だったか忘れてしまい二つのドアの前に佇んだあと腰を下ろすさりげないシーンでソールの苦悩を台詞無しで表現してみせる。
④お祖母ちゃん役の女優さん、どこかで見た顔と思っていたら、『サスペリア』(旧い方)のジェシカ・ハーパーだったのね。
⑤私の母も記憶障害だが(こちらは歳だから仕方ないけど)、ソールの弟のソールに対する接し方を見ていると自分もああなのかなァ、とちょっと反省。
いつもの
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