プリシラのレビュー・感想・評価
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ソフィア・コッポラにしか描き得なかった世界
これまで歴史の影に隠れがちだったプリシラの目から世界を見つめた本作は、ストーリー展開を楽しむよりも、彼女が身を浸す静謐に作り込まれた世界(エルヴィスの大邸宅)やそこで移ろいゆく心象模様を味わうことに醍醐味がある。序盤、おとぎばなしの扉を開くようにエルヴィス・プレスリーと出会い、恋に落ちる二人。当時のプリシラは14歳の少女でその後どんどん歳を重ねていくわけだが、一方のエルヴィスはもっと年上でありながら、実生活では傷ついて怯える少年のような繊細さや脆さをあらわにすることも少なくない。彼らの精神状態のベクトルが、変わらぬ愛を持ちつつ、やがてどうしようもなく解離していく様は、哀しくも興味深い限りだ。かくも淡い光に満ちた特殊な世界、おぼろげな日々に終わりが来ることは、歴史を紐解くまでもなく、過去のソフィア・コッポラ作品の主人公らを見れば明らか。そこに連なるプリシラの瞳、胸に抱いた決意を噛みしめたい。
少女目線で描くスーパースターの謎めいた肖像
第二次大戦当時の旧・西ドイツのアメリカ軍基地で徴兵制度により勤務していたエルヴィス・プレスリーが、母親の再婚相手が米軍将校だったために同じ米軍基地で暮らしていた当時まだ14歳だった少女、プリシラを見染める。基地でのエルヴィスはやはり特別扱いで、見たこともない世界に足を踏み入れたプリシラにとってめまいがするような日々が始まる。
監督のソフィア・コッポラはやがて2人がメンフィスにあるエルヴィスの豪邸で暮らし始め、結婚とその後までのプロセスを徹底してプリシラ目線で描いていく。ヘアメイクまで指示する割りに、不思議と禁欲的なエルヴィスの謎めいた肖像をプリシラ目線で切り取ることで、実体が掴みづらいスーパースターの空気感、みたいなものを上手に掬い取っていく。エルヴィスの顔のアップがなかなか出てこないのも演出の狙いだろう。
同時にコッポラは、プリシラを主役に据えることで凡庸な実録偉人伝に傾くことなく、ヒロイン映画としての魅力と、60'sカルチャー満載のファッションムービーとしての楽しさを入れている。時間を大胆に裁断してシンプルな物語に仕立て上げる勇気と才能は彼女ならではのものだ。
ナスターシャ・キンスキーが振り向くシーンと重なる
世界を虜にしたエルビスのパフォーマンスシーンは驚くほど少ない。あくまでもその人物像はプリシラから見たものなので、2人でいる時にしか見せない姿や心情であり、我々がこれまで見てきた映画やテレビ、ドキュメンタリーでは目にしたことのない、傷つきやすく弱いエルビスがそこにいます。
「Saltburn」「キスから始まるものがたり」のジェイコブ・エロルディが演じ、「エルヴィスで」(2022)でオースティン・バトラーが演じたエルビスとは違った魅力を放っています。現在のプリシラ(78歳)と個人的に対話を重ね、彼女の視点に寄り添うと決めたソフィア・コッポラ監督にしか描けない、プリシラとエルビス2人だけの世界をまるで覗き見ているような感覚に陥ります。
そして、その14歳から20代後半の大人の女性へと変化を遂げるプリシラの感情と姿を、「パシフィック・リム アップライジング」のケイリー・スピーニーが繊細に演じ分けて体現。第80回ベネチア国際映画祭で最優秀女優賞受賞も納得の演技で観る者を魅了します。
冒頭、西ドイツの米軍基地内のダイナーのカウンターで勉強している、ポニーテールのプリシラに後ろからカメラがゆっくりと近づいていきます。声をかけられて振り向いた時の表情にはまだあどけなさが残っていますが、そのシーンは「パリ、テキサス」(1984)のナスターシャ・キンスキーが振り向くシーンと重なって見えるほど美しい。
Flipping the Face of History
Last year's Elvis was a bit of a headache at parts with its comic book superhero presentation of the legend and this film is a bit more refreshingly close to Earth. On the other hand Coppola's version of Elvis based on the memoirs of title character might not make you like the man very much. Regardless it's still a well-done story on the life of a woman in a challenging marriage with a rock star.
やっぱり止められないんだよな
一人のファンとして当時大スターだったエルヴィス・プレスリーと出会い、恋に落ち、結婚しやがて別離に至ったプリシラ・プレスリーの半生を描いた物語です。
自分に娘が居て「エルビスと結婚したい」と言われたら、無駄だと分かっていてもやっぱり反対したくなるだろうな。本作で描かれるエルヴィスの広大な邸宅・グレースランドでの彼女の暮らしは寂しい毎日です。エルヴィスにとって妻は大切な人形であればよく、彼女もそれに応えようと無理を重ねるのです。「な、やっぱりそうなるだろ、言わんこっちゃない」と年寄りは言いたくなるのですが、好きになったらもう仕様がないんだよね。
エルヴィスの側からの半生を描いた『エルヴィス』を観ていると理解が深まります。
籠の中から見る景色
本人公認でプリシラ・プレスリーの「エルヴィスのパートナー」時代を描いた作品。
劇中、プリシラはエルヴィスの所有物のように描かれる。周囲の人間関係は夫の取り巻きだけ、夫婦の外出のタイミングは夫が決め、着るものも一人で過ごす時の場所も夫が指示する…。今でいうとモラハラや経済DVだろうか。
一人の人物の主観的な作品として、演出が見事だった。
衣装について、プリシラはエルヴィスが着せた服を着られている感たっぷりに着て、自分が選んだ服はスマートに着こなしている。実際の写真や映像には着せられ感はないのだが、エルヴィスが選びプリシラの好みでない服を「着る牢獄」のように見せた仕掛けが面白かった。また照明の明暗を使い分けプリシラの内心を表現するのも効果的だった。
初恋の勢いと十代の行動力に任せて大スターのパートナーになった少女の苦悩や孤独が、痛い程に伝わってくる演出だった。
ただ、著名人の夫婦はパワーカップルとしてどちらも成功者であることが望まれるアメリカ文化の中にあり、ファッションアイコンやタレントとしてプロデュースされていた時期もあったプリシラを「籠の鳥」としてだけ描くのは少々無理がある気がした。
さらに、エルヴィス視点で描いた映画ではエルヴィスの不貞を示唆する程度に扱う一方でプリシラの不貞が明確に言及されてきたように、本作でもエルヴィスの不貞は明言されプリシラの不貞は匂わせに留まる。
プリシラの境遇の描き方については、ところどころもめ事の片方の主張だけを聞かされている時のような眉唾感があった。
本編は2人の関係が破綻したところで終わる。解放されたプリシラのその後こそが近年のこのジャンルの肝のような気がするのだが、やはり監督の過去作からして、籠から飛び立った鳥には食指が動かないのだろう。
離婚後のエルヴィスとの連帯や友情、ビジネスパーソンとして「エルヴィス・プレスリー」というブランドを守ろうとした手腕等、気になるところは数多くあったので、そこは残念だった。
プリシラ💕凄く可愛かった
ソフィア・コッポラが描くエルヴィス・プレスリーの元妻プリシラ。1959年、14歳のときにエルヴィスと出会い恋に落ちた。
ドロドロの展開になると思いきや、そこはソフィア・コッポラ、エルヴィスのクスリ、アルコール、DV、あるいは同性からの妬みなどをしっかりと匂わせつつもさらりと流し、プリシラの恋、ファッション、メイクなどに重きを置いて、出会いから離婚までを爽やかに駆け抜けた。
そう、右肩下がりの重い内容なんか見たくないもんね。
プリシラ、可愛かった。
好きだった。
「恋が永遠に続けばいいのに」といつも思う。
現代のシンデレラが目覚めたとき…
彼女の選択は必然かなと思った。お金があれば、幸せという訳ではない。エルヴィスを愛していない訳でもない。彼がプリシラを大事にしてくれたこともわかっいる。だが、自分の都合のいい愛し方でしかなく、彼女自身の意見を聞いてくれたり、彼女がやりたいことをやらせてもらえなかった。それに、彼は薬物に頼り過ぎだと思う。考えてみたら、ソフィア・コッポラ監督作品は初めてだった。故意ではなく、たまたまテーマや出演者が自分の好みではなかっただけだ。今作は、エルヴィスの妻の話ということでミーハー的興味があり、視聴した。10歳も年上のスーパースターから求愛されるなんて、プリシラはただ幼く、可愛いだけでなく、彼の支えにもなれるような芯の強い人だったんだと思えてきた。そうでなければ、ただの遊び相手で終わっていたはずだ。あの時代に、自分に経済力がなくてもその決断ができたことがすごいことだと思う。私だったら、とてもできそうにないから。
セレブとして育ったコッポラ監督にしてみれば、そんな事細かく描かなくてもわかりきったことと流してしまっているのかもしれませんが、セレブとして育っていない自分の感覚では、説明不足に感じられました。
数々の賞に輝く映画監督、そしてファッション・アイコンとして世界に注目されるソフィア・コッポラ。その最新作は、キング・オブ・ロックンロール。一世を風扉し、42歳で急逝したエルビス・プレスリー。その元妻プリシラが書いた「私のエルヴィス」の本を土台に、監督ソフィア・コッポラは、プリシラが投げ込まれた世界に、コッポラの視点を重ね合わせ、ひとりの少女が成長していく季節を追います。
大スターと恋に落ちた少女がたどる魅惑と波乱の日々を、繊細に美しく描く物語です。
●ストーリー
1959年、西ドイツ。米空軍将校夫妻と、妻の連れ子の14歳のプリシラ(ケイリー・スピーニー)は兵役で米国から西ドイツに赴任中のエルビス(ジェイコブ・エロルディ)と知り合います。二人はお互いに抱えていた孤独を共有し、すぐに意気投合します。エルビスはプリシラに一目惚れ。そして最愛の母を亡くして孤独なスターの素顔に、10歳年下の少女も恋をしたのでした。しかし、彼女はまだ世間知らずの少女。デートをするにも親の許可が必要でした。
エルヴィスが兵役を終えて西ドイツを離れた後も交流は続き、2年後、テネシー州メンフィスの邸宅グレースランドにプリシラを招待。夢の一時は過ぎ、泣く泣く帰っていったプリシラの親に「お嬢さんをカトリックの名門校に入れ、祖母も住む家に預かり、将来は結婚したい」と礼儀正しく申し込むのです。
。やがて彼らはグレースランドで暮らし始めます。夢のような生活の中で、少女はいつもお留守番の寵の鳥。キッスはしてくれても、抱いてはくれません。睡眠薬依存症のエルビスはハリウッドの世界で生き、ストレスと闘う繊細な人間でした。出会って8年で結婚。翌年、娘が生まれたのです。
●解説
まずソフィア・コッポラ監督は、プリシラの回想録を読み、「これほど有名な人物なのに、彼女のことをいかに知らなかったか驚いた」ことが出発点だったそうです。プリシラの人物像は、これまで語られてこなかったのです。そこで監督は、「プレスリーの世界に飛び込んだ彼女、どのように一人の人間として成長していくか」をテーマにしたプリシラの実話を映画化のが本作です。
あくまでも彼女の視点で語られるエルビスは弱さや孤独を抱え、今で言うところのモラハラ男の気配も漂います。守られてはいるか自由はなく、夫の帰りを待つ日々の中で、いかにして自立していくのか。プリシラが閉じ込められている場所は「ロスト・イン・トランスレーション」の清潔なホテルの部屋や「マリー・アントワネット」のマカロンのような邸宅とも重なり、監督が大事にしてきた世界観が広かっているのです。プリシラの心情の変化が唐突なようにも感じられるかもしれませんが、飛び立つ瞬間は得てしてあっけなくも劇的なのかもしれないでしょう。
2人の出会いを発端に、少女から大人の女性になるまでの物語は、プリシラ自身の旅が始まるとともに終わりを迎えます。
本作で描くのもシンデレラ物語の非日常性というより、多くの女性が成長過程で経験する孤独や葛藤。妻だからこそ触れたスターの素顔も映し出されます。繊細で、時に病的なほど神経質、信心深いプレスリー像が興味深いところ。
プリシラは製作総指揮としても関わった。創作された人物と比べて、存命中の人物を主人公とする物語は挑戦でしたが、プリシラご本人は、スタッフが物語を作りやすいよう、常に余白を残してくれたそうです。
作品を彩るファッションには注目を!1960~70年代の時代の空気とともに、プリシラの心理的な変化も表しているのです。高く盛った黒髪に濃いアイメイクといった象徴的なスタイルは、精神的自立とともに自然体に変わっていきます。。
コッポラ監督にとって、少女の成長、アイデンティティーの確立は過去の作品にも通底するテーマだといえます。巨匠フランシス・フォード・コッポラを父に持ち、華やかな世界を身近に育ちました。だからこそ、スターが放つ強い光の陰で悩み、別の道を歩むプリシラの勇気にひかれたのかもしれません。
監督は、ショービジネスの世界で生きる人の公人としての顔と家庭での顔が違うことは当然知っていますそして自身の生い立ちが。彼女の体験ほどではないものの、どんな感情だったかを想像するには十分な視点を与えてくれています。
本作はソフィア・コッポラが抱えてきた孤独や閉塞感をプリシラに投映して描いた作品なのかもしれません。
●感想
エルビスと愛妻の映画ですが、エルビスがステージで熱狂に包まれる映像はなく、権利関係でエルビスの楽曲も使えず、本作でエルビスの存在自体が希薄な感じです。
その分、米南部の保守性や時代の中で葛藤するグレースランドにポツンと残され不安に押しつぶされそうになるプリシラが象徴的に描かれます。コッポラ監督は、映像の深い陰影と奥行きで2人の異なる孤独を見事に際立たせていると思います。
けれども2人の対照が際立てば、プリシラの孤独な内面に踏み入っていけそうなのに、なかなかそうはなりませんでした。どのエピソードも表層的で、さらさらと流れていくようです。浅薄こそセレブの神髄ということなのでしょうか。空虚を描くことが監督の狙いだとしたら、エルビスと妻の物語に起伏のあるドラマを求めるのは、ないものねだりかもしれません。セレブとして育ったコッポラ監督にしてみれば、そんな事細かく描かなくてもわかりきったことと流してしまっているのかもしれませんが、セレブとして育っていない自分の感覚では、説明不足に感じられました。
やはり本作のボイントはプリシアの離婚をどう描くかというところでしょう。
実際には、コッポラにしてもプリシラにしても、経済的には恵まれているのだからという意見もあることでしょう。けれども、たとえ70年代のアメリカでも、ひとり旅立つのは、勇気を必要としました。最後は、旅立つ映像で締めるのも、意味深いところ。いつの時代も、一度は人生の旅に出たいと願うのは、人間なら当然の事でしょう。けれどもあまりに唐突な旅立ちのシーンには、あれれ?と思いました。
プリシラは、その後、女優、実業家となり、本作製作していて、心の底では、プレスリーを理解していたことを助言しています。それは別れた後の彼も同じだったことを祈りたくなるような作品でした。
プリシラが魅力的なのと、 そんな彼女がどっぷり恋にはまってるとこの...
プリシラが魅力的なのと、
そんな彼女がどっぷり恋にはまってるとこの描き方は良かった
後半は今ひとつかな
相続問題も片付いたようで
プリシラというとカリメロを思い出す世代だが、ライリー・キーオのおばあちゃんの話。主演のケイリー・スピーニーが異常にかわいいわけだが、子どもと知りつつ目を付けるエルヴィス、かなりヤバい。それでも結婚までは肉体関係をもたないのはさすがキング・オブ・ロックンロール!かっていうと、おソトでは自由にやってるわけで…。結局プリシラ自体、悪趣味なグレイスランドの飾り物のひとつということ。
ほぼプリシラ視点で展開は平坦なんだけど、美少女中学生からプリシラの容貌がどんどんケバく変化していくのはおもしろい。ソフィア・コッポラらしい女子的ディテールのこだわりとかがあんのだろうけど、かつての名古屋のキャバ嬢並みの盛り盛りヘアスタイルとか、エルヴィスのパジャマやジャージに「EP」ロゴが入ってるとかおかしかった。
ソフィア・コッポラらしいポップな作品
ソフィア・コッポラの色調がとても好みなのだが、今回も画面がおしゃれ。クレジットにCHANELとあったが、プリシラの服全部素敵でかわいかった。あくまでプリシラサイドの話なのでプレスリーの業績については薄かったけど、世代ではないので初めて知ることも多かった。
髪色メイクから彼色に染められてくプリシラ。まだ10代で燃え上がった恋は冷めるのもまだ若いうちで、やっとこれから自分の人生をスタートさせるプリシラ本来の外見は黒髪だった頃よりずっと素敵で、プレスリーに会う以前の彼女と同じ輝きを放っていた。
ケイリー・スピーニーがよかった
14歳の少女が大スターに見初められて舞い上がらないはずがない。
退屈な日常から物珍しい世界に連れ出してくれた大スターとの恋にまわりが見えなくなるのもわかるし、ご両親の不安も最も。
自分への拘束は厳しいのに留守の間彼が何をしているのかわからないし週刊紙の情報に不安にもなる。
不安と嫉妬に揺れる若い彼女の苦悩が伝わってくる。
14歳を演じたケイリー・スピーニーの初々しさとそこからどんどん大人びていく彼女がとてもステキだった。
でも出会ってから恋に落ちるまでが急展開過ぎてついていけず、その辺の心情はあまり描かれていない気がした。
プレスリー世代なら出会ったとき、一緒に住み始めたとき、彼がどれほど有名だったかがわかり、もっと作品を楽しめたのかな?という気はする。
その後の彼女がどう過ごしたのかは知らないが濃い数年間を過ごした日々は幸せだったと思いたい。
恋する乙女の目が覚めるまで
昨年公開の映画「エルヴィス」でも印象的だったプレスリーの妻・プリシラが主人公の本作。プレスリーの音楽的要素や人物の掘り下げはほとんどなく、スーパースターに憧れる少女のシンデレラストーリーとその先を描く、かなり淡々とした作品でした。
物語としての面白みはあまりなく、才能に溢れるスターでビジュアル最高だけど独裁的で思いやりのないDV男に振り回される初心な少女が、プレスリー第一の恋する乙女から次第に自立した女性に成長していく様が、当時のトレンドを再現したオシャレな衣装やメイクと共に描かれているのが見どころだと思います。
ビジュアル的にはプリシラがとても可愛くて満足度高いのですが、映画としてはイマイチかなぁ。
プリシラ役のケイリー・スピーニー、小柄だなぁと思ったら155cmとのことで、日本人の平均身長とさほど変わらずでびっくりしました…。
エルヴィスBside?
昭和ティーンエイジャー女子なら、キュンキュンさせられる夢のような前半の展開。後半はそんな夢が覚めたよう。少女の成長=離婚ということなのか。エルヴィスではもっとデカかった娘を引き連れて出ていったような…でも、オースティン・バトラーよりプレスリーよりだったような気がする。ちなみに、印象は「オッシャレー」に尽きるので、該当なし。
プリシラ
Eのジェントルマンっぷりに憧憬し、寄り添おうとするプリシラの初々しさが印象的でした。スターの彼女ゆえか、それとも時代なのか、アルバイトを阻まれそしてペットをあてがわれ、彼女の自立への萌芽を摘まれて徐々に精神的に軟禁生活に陥っていきます。
ダイアナさん映画にも感じましたが、互いに寄り添うのではなく依存せざる得なくなる所が痛々しく見ることができました。(Eの薬の描き方しかり)
プリシラを軸にEとの関係(だけ)の軋轢を脇目も振らず一直線に描いていたのは好印象でした。
ただおおよそ丁寧に描かれてたぶん、ラストにかけてプリシラが唐突に別れを切り出すところが食傷気味に感じました。
バイオグラフィー通りなのでしょうが、作品として補完するものが欲しかったです。
やはり題材が実在する人物なだけあって、偏った作為的な解釈で描くことを避けたのでしょうか。自分はそこを作家の姿勢と捉えましたが、ならもう少し違うアプローチがあったんじゃないかと思いました。
ミュージシャンの恋人
映画としてはかなり、尻切れトンボ感が凄かったけど
(え?終わり?みたいな)
私は楽しめました!
出会いと悩みのリアルな感じが伝わってきて
原作読みたいと思ったけど絶版で残念😢
女の子可愛い🩷
ビーハイヴなヘアスタイルなど
リアルで見た事がなかったので
ファッション面でかなり刺激を受けました。
個人的には
ミュージシャンとかと長年恋人関係になった事がある方には
なかなかビシビシくるものがあるのではと思いました😂
プリシラを初めて知った
14歳の少女プリシラは既にスーパースターだったエルビス・プレスリーと西ドイツで出会い、恋してしまった。しばらくして、彼女は高校在学中に、両親の反対を押し切って、メンフィスの大邸宅でエルビスと一緒に暮らし、これまで経験したことのない華やかな生活を送ることになった。プリシラにとって、彼のそばで一緒に生活し、彼の希望通りの女性になることを目指し、8年の交際を経て結婚、娘の出産、そして離婚、まで、彼女の回想録を基にした作品。
プリシラ役のケイリー・スピーニーがちっちゃくて可愛くて、エルビスに対する気持ちの変化を素晴らしく演じていた。
エルビスを演じたジェイコブ・エロルディが外見がよく似てて、演技も良かった。出来たら何曲か歌も聴きたかった。
でも、作品を観るまでプリシラを知らなかったのだが、スーパースターを好きになって結婚出来ただけでも幸せだったように思った。それと、やけに身長差が有るな、と2人の俳優の身長を調べたら、196cmと155cmと、40cm以上有るみたい。実際のエルビスとプリシラは182cmと162cmの20cmらしいので、誇張し過ぎのようにも感じた。
素敵な腰に御加護を
2024年映画鑑賞29作品目
4月27日(土)フォーラム仙台
会員料金1500円
監督と脚本は『マリー・アントワネット』のソフィア・コッポラ
『ゴッドファザー』シリーズ『地獄の黙示録』で有名なフランシス・コッポラの娘
粗筋
時代は60年代
スーパースターのエルビス・プレスリーが兵役で西ドイツに勤務していた
ヒロインのプリシアの父は軍人で彼女もまた父の転属でテキサスから西ドイツに移住していた
エルビスの知人の軍人の斡旋でプリシアはエルビスのホームパーティーに招かれた
一目惚れしたエルビスはプリシアの両親に挨拶に訪れ交際を許すよう求めた
なんやかんやで2人は交際が始まりやがて結婚し女児が誕生した
エルビスはプリシアを束縛し時には暴力を振るうようになった
プリシアは離婚を決意し1人で車を運転し屋敷をあとにした
ドキュメンタリーとか伝記映画を好む傾向が強いビビさんにお勧めしたい
2人の出会いはプリシアが15歳の頃
9年生だから中学3年生
まるで三船美香
『ラマン 愛人』を思い出した
でもそんなにエロくはない
そういえば鳩山邦夫代議士の妻はリカちゃん人形のモデルになったことでも有名な元子役タレントのエミリーさんだがプロポーズされたのは14歳で相手は大学生だった
まあ別にいいけど
ヤフコメ民みたいな頭の硬い人じゃないんで
プリシア役のケイリー・スピーニーが白人女性のわりにあまりにも小柄なため幼く見えるが25歳
エルビス役のジェイコブ・エロルディが特殊メイクを施したのか本人とそっくり
赤ちゃんが笑顔でバイバイするのが微笑ましい
時折古めかしい赤茶けた映像を挿入される
当時の本物の映像なのかわざとそんな感じに加工したのかよくわからない
ラストは自立するプリシア
ちなみに幼い娘はエルビスの元に置いてきた
たしか中学生の頃に初めてVHSで『クレイマー・クレイマー』を観たがその時なんで母親は子供を置いて家出したのかと疑問に思った
子供が可愛くないのか?冷たいなと思ったもんだ
ところがそうじゃなかった
海外ではそれが当たり前であり日本だけが異常だという記事を読んだ気がするがまあそうだろう
国際結婚が増え母親による子供の誘拐が頻発し国際問題になり左翼弁護士らの反対を押し切り日本の法律が最近変わった
本来なら旧態依然な日本の保守層を打倒し国際協調で改革を推し進めるのが左翼の役割なはずが日本の左翼は世界的にも見てもおかしい
日本では子供は母親が育てるものでありそれは男性側のエゴだけではなくそれが女性にまで浸透しているからだろう
子供は母親の所有物であり母子無理心中も日本ならでは
子供を個人として1人の人間として尊重されていないからだ
左翼弁護士の一部は子供は0.5人だから死刑は回避と主張するろくでなしもいるくらいだから
それもこれも外圧によって日本人の考え方もやがて変わるはずだ
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