プリシラのレビュー・感想・評価
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ソフィア・コッポラにしか描き得なかった世界
これまで歴史の影に隠れがちだったプリシラの目から世界を見つめた本作は、ストーリー展開を楽しむよりも、彼女が身を浸す静謐に作り込まれた世界(エルヴィスの大邸宅)やそこで移ろいゆく心象模様を味わうことに醍醐味がある。序盤、おとぎばなしの扉を開くようにエルヴィス・プレスリーと出会い、恋に落ちる二人。当時のプリシラは14歳の少女でその後どんどん歳を重ねていくわけだが、一方のエルヴィスはもっと年上でありながら、実生活では傷ついて怯える少年のような繊細さや脆さをあらわにすることも少なくない。彼らの精神状態のベクトルが、変わらぬ愛を持ちつつ、やがてどうしようもなく解離していく様は、哀しくも興味深い限りだ。かくも淡い光に満ちた特殊な世界、おぼろげな日々に終わりが来ることは、歴史を紐解くまでもなく、過去のソフィア・コッポラ作品の主人公らを見れば明らか。そこに連なるプリシラの瞳、胸に抱いた決意を噛みしめたい。
少女目線で描くスーパースターの謎めいた肖像
第二次大戦当時の旧・西ドイツのアメリカ軍基地で徴兵制度により勤務していたエルヴィス・プレスリーが、母親の再婚相手が米軍将校だったために同じ米軍基地で暮らしていた当時まだ14歳だった少女、プリシラを見染める。基地でのエルヴィスはやはり特別扱いで、見たこともない世界に足を踏み入れたプリシラにとってめまいがするような日々が始まる。
監督のソフィア・コッポラはやがて2人がメンフィスにあるエルヴィスの豪邸で暮らし始め、結婚とその後までのプロセスを徹底してプリシラ目線で描いていく。ヘアメイクまで指示する割りに、不思議と禁欲的なエルヴィスの謎めいた肖像をプリシラ目線で切り取ることで、実体が掴みづらいスーパースターの空気感、みたいなものを上手に掬い取っていく。エルヴィスの顔のアップがなかなか出てこないのも演出の狙いだろう。
同時にコッポラは、プリシラを主役に据えることで凡庸な実録偉人伝に傾くことなく、ヒロイン映画としての魅力と、60'sカルチャー満載のファッションムービーとしての楽しさを入れている。時間を大胆に裁断してシンプルな物語に仕立て上げる勇気と才能は彼女ならではのものだ。
ナスターシャ・キンスキーが振り向くシーンと重なる
世界を虜にしたエルビスのパフォーマンスシーンは驚くほど少ない。あくまでもその人物像はプリシラから見たものなので、2人でいる時にしか見せない姿や心情であり、我々がこれまで見てきた映画やテレビ、ドキュメンタリーでは目にしたことのない、傷つきやすく弱いエルビスがそこにいます。
「Saltburn」「キスから始まるものがたり」のジェイコブ・エロルディが演じ、「エルヴィスで」(2022)でオースティン・バトラーが演じたエルビスとは違った魅力を放っています。現在のプリシラ(78歳)と個人的に対話を重ね、彼女の視点に寄り添うと決めたソフィア・コッポラ監督にしか描けない、プリシラとエルビス2人だけの世界をまるで覗き見ているような感覚に陥ります。
そして、その14歳から20代後半の大人の女性へと変化を遂げるプリシラの感情と姿を、「パシフィック・リム アップライジング」のケイリー・スピーニーが繊細に演じ分けて体現。第80回ベネチア国際映画祭で最優秀女優賞受賞も納得の演技で観る者を魅了します。
冒頭、西ドイツの米軍基地内のダイナーのカウンターで勉強している、ポニーテールのプリシラに後ろからカメラがゆっくりと近づいていきます。声をかけられて振り向いた時の表情にはまだあどけなさが残っていますが、そのシーンは「パリ、テキサス」(1984)のナスターシャ・キンスキーが振り向くシーンと重なって見えるほど美しい。
Flipping the Face of History
Last year's Elvis was a bit of a headache at parts with its comic book superhero presentation of the legend and this film is a bit more refreshingly close to Earth. On the other hand Coppola's version of Elvis based on the memoirs of title character might not make you like the man very much. Regardless it's still a well-done story on the life of a woman in a challenging marriage with a rock star.
プレスリーの元妻プリシラの回想録(本人監修による)
プリシラさんが脚本の一人にクレジットされている時点で、
プリシラさんの意向に沿った内容だと思うのが普通でしょうか。
そして原作は1986年に41歳のプリシラさんが書いた回想録
「私のエルヴィス」を元にしています。
世界的大スターの幼な妻とプレスリーの家庭生活を
垣間見ることは出来まる点では、いいかも。
映画は、現在80歳で存命のプリシラさんの、
14歳から28歳までの14年間を描いた映画です。
1959年。
プリシラが14歳でエルヴィスに身染められ、交際・同居を経て、
1967年のブリシラ22歳でやっとゴールイン、結婚式を挙げます。
エルヴィスは気の長い男で、結婚までに8年近い年月をかける、
女に不自由しないスターだからこそ、可能なことかもですね。
待つ方のプリシラさんの、エルヴィスの妻になると言う固い決意にも
驚くばかりです。その位の忍耐力が無ければシーデレラガールには
成れないと、知る映画でもありました。
22歳でやっとのことでゴールインして、
9ヶ月後の出産。ヤンママになったプリシラにエルヴィスは
急激に興味を失った感じが匂います。
エルヴィスは映画共演者のアン・マーグレットと1964年
「ラスベガス万歳」と言うミュージカル・コメディに出演。
エルヴィスはその後も共演者と次々と浮名を流します。
プリシラとの同居をしつつエルヴィスは結婚式を挙げるまで、
決してKiss以上のことをしません。
そしてプリシラは共演者とのロマンスの噂をタブロイド誌で見るたびに
嫉妬に駆られます。
ナンシー・シナトラ(有名なフランク・シナトラの娘)
ナンシー・シナトラとは1968年「スピードウェイ」で共演。
エルヴィスは当然ながらフランク・シナトラを尊敬。
彼のショーで初めて『ラブミー・テンダー」を熱唱したのです。
出産後のプリシラは映画撮影やツアーで留守がちのエルヴィスに
不安を募らせて、彼を独占出来ない辛さを、ショッピングや
お洒落に打ち込むことって紛らすのでした。
しかしプリシラは1973年に28歳で遂に離婚を決意して実行します。
自らの意志で6年間のすれ違いの結婚生活に終止符を打ちます。
14歳の「おチビちゃん」は母となり、ひとりの大人の女性で自我を
持ち女優としても活躍始めたのです。
♠︎1980年から1990年代には、「裸の銃を持つ男」シリーズで、
コメディエンヌとしての才能を発揮したし、
テレビドラマ「ダラス」で女優として広く知られるようになる。
♠︎プリシラさんは「グレイスランド」を経営して長くCEOとして
実業家としてキャリアの方が有名です。
グレイスランドは映画「プリシラ」の舞台とも言えます。
プリシラが14年間も生活した場所です。
プリシラ・プレスリーはどう言う契約だったのか知りませんが、
プレスリーの死後、音楽ファンの聖地となると共に、今で言う
テーマパークとして「グレイスランド」を訪れるファンに解放して
長い間大きな収益を上げるのです。
「グレイスランド」はエルヴィスが1952年に購入して
25年間暮らした広大な邸宅のことです。
テネシー州メンフィスにあり、南部の金持ちが住むと一目で分かる
白亜の白い柱が特徴の邸宅でコロニアル様式で建てられています。
「グレイスランド」は貧しく育ったエルヴィの成功のシンボル。
贅を尽くした邸宅をツァーで見学が出来て、
彼のキャリアを物語る展示、
彼が収集した車の博物館、
プライベートジェット機、オリジナルグッズの並ぶ
ギフトショップやレストランなど見どころがたくさんあります。
離婚してもプリシラさんはプリシラ・プレスリーの名前を名乗り
膨大な利益を上げていることになりますね。
彼女の結婚式の写真を見ても勝ち気で賢明で頭の良さが
滲み出ています。
★話しはそれますが、エルヴィスと離婚後のプリシラさんの
男性遍歴の華やかさにも驚きます。
プレスリーの束縛から放たれて第二の人生は実り多かったのでは
ないでしょうか?
男性遍歴の多さは娘のリサを上回り、金目当てで近付く男性の多かった
リサより、小物の遊び相手が多い印象です。
プリシラは再婚してプレスリーの名前を変える気が無かったのでしょう。
ある意味でストイックだったプレスリーの何倍も人生を謳歌
しているようですね。
この映画を監督したソフィア・コッポラは言わずと知れた
フランシス・フォード・コッポラの娘。
映画監督、プロデューサー、脚本家とファッション・デザイナーでもある。
作品を4本見ていますが、個人的には「ロスト・イン・トランスレーション」
が一番好き。
本作でも、主演のケイリー・スピーニーの爪にマニュキアを塗る・・・
目とまつ毛の大写し、などをロックバンド「フェニックス」の、
音楽に乗せて異常な度アップに、作家性と個性を発揮する。
スピーニーがとても小柄で155センチ)なのがプレスリー役の
ジェイコブ・エロルディの身長差、
182センチとの27センチ差なのですが、それ以上に見た目の差が大きく、
まるで子供を相手にする大男のパパ・・・
そんなイメージで子供が子供を産んだような違和感が拭えないのでした。
(実際は23歳の出産だが、リサを抱くプリシラは大きな赤子を持て余しる
ように見えます)
★プリシラのファッションは1960年代から1970年代の流行を
細かく再現している。
特に黒髪に染めるようにエルヴィスは命令しているし、
逆毛を立てて大きく膨らませたヘアスタイル・・・
ヘアサロンのお釜のような加温器が珍しい光景だ。
(弘田三枝子や奥村チヨなどの若い頃とほぼ同時期なので、その頃を
思い出すととても懐かしい)
彼女たちの活躍期間はプレスリーの絶頂期とも重なるのですね。
ケイリー・スピーニーの無垢な少女期の一途に思い詰める姿、
しかしプレスリーと結婚する意志は硬く
親を説得する所、エルヴィスの留守に大家族のグレイスランドで
それなりに自分の居場所を見つけて、7年間も結婚を待つ強さは
並みの女の子には出来ない強さである。
そのあたりのスピーニーの演技が冴える。
私は『エイリアン・ロムルス」次いで「シビル・ウォー」を本作より先に
観たのですが、演技の上手さは「シビル・ウォー」で実感しました。
先輩カメラマンのリー(キルスティン・ダンスト)の好意を利用して、結局、
リーを踏み台にしてのしあがる若手カメラマン役。
強かさが際立っていました。
★ドラックとプリシラ。
はじめてエルヴィスの部屋に入ったプリシラ。
帰りがけにエルヴィスは覚醒剤らしき一粒をプリシラに渡すシーンが
印象的。
「学校で眠くなったら飲んでごらん。」そう言うエルヴィス。
そしてある日はベットに横になりドラッグを飲まされて2日間
死んだように眠るプリシラ。
「目を覚まさないかと心配したよ」とエルヴィス。
多少は懲りたかもしれません。
★卒業への拘り。
エルヴィスはプリシラと同棲する時のプリシラの父親との約束を
頑なに守ります。
カトリック系のハイスクールに編入。
プリシラはエルヴィスの恋人としての好奇の目に晒されるのです、
マスコミの注目を集めるのですが、案外平気そうに見えるのは、
演出が平坦でプリシラの内面に迫る一面が全くないのも、
この映画の特徴。
♠︎映画「エルヴィス」が彼の生い立ちやルーツ、
やりたい方向性を封じられた葛藤、
黒人音楽からの影響・・・マネージャーの大佐の搾取と束縛。
と内面にも迫ったのとは全く対照的で、
スターの夫婦生活を
お抱えカメラマンが写した動く写真集(プライベート・ビデオ)と
大差ない仕上がり。
ミーハーの私はそれなりに興味深くて、それなりに面白かったです。
(ただエルヴィスの歌声の好きな私にとっては、
(ヒット曲も歌声もほとんど聴けないのは、とても残念でした)
★★☆
最後に。
プリシラさんは【プレスリー・ブランド】を守り通す
しっかり者の女性だった。
それは確かだと思います。
予想外に凄く面白かった
映画としてはもう少し波乱万丈が欲しかった
2022年の『エルヴィス』と併せて観ると面白いかも
エルヴィス・プレスリーの妻であり、マイケル・ジャクソンの妻となるリサ・マリーの母であるプリシラ・プレスリーの半生を描く作品。ちなみに、脚本にはまだ存命の本人も参加したそうだ。
相手がスーパースター過ぎるが故に世間からは羨望の目で見られても、本人にとってはカゴの鳥のように自由が奪われ、孤独を募らせていく。人にとっての幸せとは何かを考えさせられる作品。2022年の『エルヴィス』と併せて観ると面白いかも知れない。
本作では全編にエルヴィスが登場するにも関わらず、なぜかエルヴィスの曲がかからないなぁと思いながら観ていたのだが、後で監督のインタビュー記事を読んだら曲の使用許可が降りなかったそうだ。でも、選曲のセンスは抜群で、サントラ・アルバムがとても欲しくなった。
なお、ソフィア・コッポラ監督作品だけあって観客の女性率が高い、というか、見落としていなければ劇場で恐らく私が唯一の男だった。
やっぱり止められないんだよな
一人のファンとして当時大スターだったエルヴィス・プレスリーと出会い、恋に落ち、結婚しやがて別離に至ったプリシラ・プレスリーの半生を描いた物語です。
自分に娘が居て「エルビスと結婚したい」と言われたら、無駄だと分かっていてもやっぱり反対したくなるだろうな。本作で描かれるエルヴィスの広大な邸宅・グレースランドでの彼女の暮らしは寂しい毎日です。エルヴィスにとって妻は大切な人形であればよく、彼女もそれに応えようと無理を重ねるのです。「な、やっぱりそうなるだろ、言わんこっちゃない」と年寄りは言いたくなるのですが、好きになったらもう仕様がないんだよね。
エルヴィスの側からの半生を描いた『エルヴィス』を観ていると理解が深まります。
籠の中から見る景色
本人公認でプリシラ・プレスリーの「エルヴィスのパートナー」時代を描いた作品。
劇中、プリシラはエルヴィスの所有物のように描かれる。周囲の人間関係は夫の取り巻きだけ、夫婦の外出のタイミングは夫が決め、着るものも一人で過ごす時の場所も夫が指示する…。今でいうとモラハラや経済DVだろうか。
一人の人物の主観的な作品として、演出が見事だった。
衣装について、プリシラはエルヴィスが着せた服を着られている感たっぷりに着て、自分が選んだ服はスマートに着こなしている。実際の写真や映像には着せられ感はないのだが、エルヴィスが選びプリシラの好みでない服を「着る牢獄」のように見せた仕掛けが面白かった。また照明の明暗を使い分けプリシラの内心を表現するのも効果的だった。
初恋の勢いと十代の行動力に任せて大スターのパートナーになった少女の苦悩や孤独が、痛い程に伝わってくる演出だった。
ただ、著名人の夫婦はパワーカップルとしてどちらも成功者であることが望まれるアメリカ文化の中にあり、ファッションアイコンやタレントとしてプロデュースされていた時期もあったプリシラを「籠の鳥」としてだけ描くのは少々無理がある気がした。
さらに、エルヴィス視点で描いた映画ではエルヴィスの不貞を示唆する程度に扱う一方でプリシラの不貞が明確に言及されてきたように、本作でもエルヴィスの不貞は明言されプリシラの不貞は匂わせに留まる。
プリシラの境遇の描き方については、ところどころもめ事の片方の主張だけを聞かされている時のような眉唾感があった。
本編は2人の関係が破綻したところで終わる。解放されたプリシラのその後こそが近年のこのジャンルの肝のような気がするのだが、やはり監督の過去作からして、籠から飛び立った鳥には食指が動かないのだろう。
離婚後のエルヴィスとの連帯や友情、ビジネスパーソンとして「エルヴィス・プレスリー」というブランドを守ろうとした手腕等、気になるところは数多くあったので、そこは残念だった。
プリシラ💕凄く可愛かった
現代のシンデレラが目覚めたとき…
彼女の選択は必然かなと思った。お金があれば、幸せという訳ではない。エルヴィスを愛していない訳でもない。彼がプリシラを大事にしてくれたこともわかっいる。だが、自分の都合のいい愛し方でしかなく、彼女自身の意見を聞いてくれたり、彼女がやりたいことをやらせてもらえなかった。それに、彼は薬物に頼り過ぎだと思う。考えてみたら、ソフィア・コッポラ監督作品は初めてだった。故意ではなく、たまたまテーマや出演者が自分の好みではなかっただけだ。今作は、エルヴィスの妻の話ということでミーハー的興味があり、視聴した。10歳も年上のスーパースターから求愛されるなんて、プリシラはただ幼く、可愛いだけでなく、彼の支えにもなれるような芯の強い人だったんだと思えてきた。そうでなければ、ただの遊び相手で終わっていたはずだ。あの時代に、自分に経済力がなくてもその決断ができたことがすごいことだと思う。私だったら、とてもできそうにないから。
セレブとして育ったコッポラ監督にしてみれば、そんな事細かく描かなくてもわかりきったことと流してしまっているのかもしれませんが、セレブとして育っていない自分の感覚では、説明不足に感じられました。
数々の賞に輝く映画監督、そしてファッション・アイコンとして世界に注目されるソフィア・コッポラ。その最新作は、キング・オブ・ロックンロール。一世を風扉し、42歳で急逝したエルビス・プレスリー。その元妻プリシラが書いた「私のエルヴィス」の本を土台に、監督ソフィア・コッポラは、プリシラが投げ込まれた世界に、コッポラの視点を重ね合わせ、ひとりの少女が成長していく季節を追います。
大スターと恋に落ちた少女がたどる魅惑と波乱の日々を、繊細に美しく描く物語です。
●ストーリー
1959年、西ドイツ。米空軍将校夫妻と、妻の連れ子の14歳のプリシラ(ケイリー・スピーニー)は兵役で米国から西ドイツに赴任中のエルビス(ジェイコブ・エロルディ)と知り合います。二人はお互いに抱えていた孤独を共有し、すぐに意気投合します。エルビスはプリシラに一目惚れ。そして最愛の母を亡くして孤独なスターの素顔に、10歳年下の少女も恋をしたのでした。しかし、彼女はまだ世間知らずの少女。デートをするにも親の許可が必要でした。
エルヴィスが兵役を終えて西ドイツを離れた後も交流は続き、2年後、テネシー州メンフィスの邸宅グレースランドにプリシラを招待。夢の一時は過ぎ、泣く泣く帰っていったプリシラの親に「お嬢さんをカトリックの名門校に入れ、祖母も住む家に預かり、将来は結婚したい」と礼儀正しく申し込むのです。
。やがて彼らはグレースランドで暮らし始めます。夢のような生活の中で、少女はいつもお留守番の寵の鳥。キッスはしてくれても、抱いてはくれません。睡眠薬依存症のエルビスはハリウッドの世界で生き、ストレスと闘う繊細な人間でした。出会って8年で結婚。翌年、娘が生まれたのです。
●解説
まずソフィア・コッポラ監督は、プリシラの回想録を読み、「これほど有名な人物なのに、彼女のことをいかに知らなかったか驚いた」ことが出発点だったそうです。プリシラの人物像は、これまで語られてこなかったのです。そこで監督は、「プレスリーの世界に飛び込んだ彼女、どのように一人の人間として成長していくか」をテーマにしたプリシラの実話を映画化のが本作です。
あくまでも彼女の視点で語られるエルビスは弱さや孤独を抱え、今で言うところのモラハラ男の気配も漂います。守られてはいるか自由はなく、夫の帰りを待つ日々の中で、いかにして自立していくのか。プリシラが閉じ込められている場所は「ロスト・イン・トランスレーション」の清潔なホテルの部屋や「マリー・アントワネット」のマカロンのような邸宅とも重なり、監督が大事にしてきた世界観が広かっているのです。プリシラの心情の変化が唐突なようにも感じられるかもしれませんが、飛び立つ瞬間は得てしてあっけなくも劇的なのかもしれないでしょう。
2人の出会いを発端に、少女から大人の女性になるまでの物語は、プリシラ自身の旅が始まるとともに終わりを迎えます。
本作で描くのもシンデレラ物語の非日常性というより、多くの女性が成長過程で経験する孤独や葛藤。妻だからこそ触れたスターの素顔も映し出されます。繊細で、時に病的なほど神経質、信心深いプレスリー像が興味深いところ。
プリシラは製作総指揮としても関わった。創作された人物と比べて、存命中の人物を主人公とする物語は挑戦でしたが、プリシラご本人は、スタッフが物語を作りやすいよう、常に余白を残してくれたそうです。
作品を彩るファッションには注目を!1960~70年代の時代の空気とともに、プリシラの心理的な変化も表しているのです。高く盛った黒髪に濃いアイメイクといった象徴的なスタイルは、精神的自立とともに自然体に変わっていきます。。
コッポラ監督にとって、少女の成長、アイデンティティーの確立は過去の作品にも通底するテーマだといえます。巨匠フランシス・フォード・コッポラを父に持ち、華やかな世界を身近に育ちました。だからこそ、スターが放つ強い光の陰で悩み、別の道を歩むプリシラの勇気にひかれたのかもしれません。
監督は、ショービジネスの世界で生きる人の公人としての顔と家庭での顔が違うことは当然知っていますそして自身の生い立ちが。彼女の体験ほどではないものの、どんな感情だったかを想像するには十分な視点を与えてくれています。
本作はソフィア・コッポラが抱えてきた孤独や閉塞感をプリシラに投映して描いた作品なのかもしれません。
●感想
エルビスと愛妻の映画ですが、エルビスがステージで熱狂に包まれる映像はなく、権利関係でエルビスの楽曲も使えず、本作でエルビスの存在自体が希薄な感じです。
その分、米南部の保守性や時代の中で葛藤するグレースランドにポツンと残され不安に押しつぶされそうになるプリシラが象徴的に描かれます。コッポラ監督は、映像の深い陰影と奥行きで2人の異なる孤独を見事に際立たせていると思います。
けれども2人の対照が際立てば、プリシラの孤独な内面に踏み入っていけそうなのに、なかなかそうはなりませんでした。どのエピソードも表層的で、さらさらと流れていくようです。浅薄こそセレブの神髄ということなのでしょうか。空虚を描くことが監督の狙いだとしたら、エルビスと妻の物語に起伏のあるドラマを求めるのは、ないものねだりかもしれません。セレブとして育ったコッポラ監督にしてみれば、そんな事細かく描かなくてもわかりきったことと流してしまっているのかもしれませんが、セレブとして育っていない自分の感覚では、説明不足に感じられました。
やはり本作のボイントはプリシアの離婚をどう描くかというところでしょう。
実際には、コッポラにしてもプリシラにしても、経済的には恵まれているのだからという意見もあることでしょう。けれども、たとえ70年代のアメリカでも、ひとり旅立つのは、勇気を必要としました。最後は、旅立つ映像で締めるのも、意味深いところ。いつの時代も、一度は人生の旅に出たいと願うのは、人間なら当然の事でしょう。けれどもあまりに唐突な旅立ちのシーンには、あれれ?と思いました。
プリシラは、その後、女優、実業家となり、本作製作していて、心の底では、プレスリーを理解していたことを助言しています。それは別れた後の彼も同じだったことを祈りたくなるような作品でした。
相続問題も片付いたようで
プリシラというとカリメロを思い出す世代だが、ライリー・キーオのおばあちゃんの話。主演のケイリー・スピーニーが異常にかわいいわけだが、子どもと知りつつ目を付けるエルヴィス、かなりヤバい。それでも結婚までは肉体関係をもたないのはさすがキング・オブ・ロックンロール!かっていうと、おソトでは自由にやってるわけで…。結局プリシラ自体、悪趣味なグレイスランドの飾り物のひとつということ。
ほぼプリシラ視点で展開は平坦なんだけど、美少女中学生からプリシラの容貌がどんどんケバく変化していくのはおもしろい。ソフィア・コッポラらしい女子的ディテールのこだわりとかがあんのだろうけど、かつての名古屋のキャバ嬢並みの盛り盛りヘアスタイルとか、エルヴィスのパジャマやジャージに「EP」ロゴが入ってるとかおかしかった。
ソフィア・コッポラらしいポップな作品
ケイリー・スピーニーがよかった
14歳の少女が大スターに見初められて舞い上がらないはずがない。
退屈な日常から物珍しい世界に連れ出してくれた大スターとの恋にまわりが見えなくなるのもわかるし、ご両親の不安も最も。
自分への拘束は厳しいのに留守の間彼が何をしているのかわからないし週刊紙の情報に不安にもなる。
不安と嫉妬に揺れる若い彼女の苦悩が伝わってくる。
14歳を演じたケイリー・スピーニーの初々しさとそこからどんどん大人びていく彼女がとてもステキだった。
でも出会ってから恋に落ちるまでが急展開過ぎてついていけず、その辺の心情はあまり描かれていない気がした。
プレスリー世代なら出会ったとき、一緒に住み始めたとき、彼がどれほど有名だったかがわかり、もっと作品を楽しめたのかな?という気はする。
その後の彼女がどう過ごしたのかは知らないが濃い数年間を過ごした日々は幸せだったと思いたい。
恋する乙女の目が覚めるまで
昨年公開の映画「エルヴィス」でも印象的だったプレスリーの妻・プリシラが主人公の本作。プレスリーの音楽的要素や人物の掘り下げはほとんどなく、スーパースターに憧れる少女のシンデレラストーリーとその先を描く、かなり淡々とした作品でした。
物語としての面白みはあまりなく、才能に溢れるスターでビジュアル最高だけど独裁的で思いやりのないDV男に振り回される初心な少女が、プレスリー第一の恋する乙女から次第に自立した女性に成長していく様が、当時のトレンドを再現したオシャレな衣装やメイクと共に描かれているのが見どころだと思います。
ビジュアル的にはプリシラがとても可愛くて満足度高いのですが、映画としてはイマイチかなぁ。
プリシラ役のケイリー・スピーニー、小柄だなぁと思ったら155cmとのことで、日本人の平均身長とさほど変わらずでびっくりしました…。
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