プリシラのレビュー・感想・評価
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推しと結ばれたオタクは幸福になれるか
本作、韓国発ドキュメンタリー映画『成功したオタク』の姉妹編として観るのが、結構正解なのかな、って気がします。
すでに21歳にして全米第1位のレコード売上を記録したビッグスターであったエルヴィス・プレスリー(1935-1977)。
1958年、23歳にして徴兵を受け、陸軍兵士として西ドイツの米軍基地にて2年間の軍務をつとめていた。
1959年、そのエルヴィスと会えるパーティに来ないか、と彼の米軍の同僚に誘われたのが、空軍将校ポール・ボーリューの娘プリシラ(1945- 1977)。
※ただしポールはプリシラの母の再婚相手
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【以下ネタバレ注意⚠️】
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もともとファンだったプリシラは、実際に会えたエルヴィスに夢中に。
エルヴィスの方も、プリシラにぞっこん。
満期除隊して帰国すると、ポールら反対する両親を説得して、メンフィスの大豪邸にプリシラを引き取り、生活を共にすることになった。
家には常に自分の父親がいて厳しく管理するし、カトリックの学校に通わせるから、と。
共同生活を始めてみると、意外なほど、エルヴィスは禁欲的。
プリシラの方から求めても、まだその時ではないと関係を進めようとしなかった。
ついに二人が正式に結婚したのは、出会って8年後の1967年。
その9ヶ月後には、早くも、一女、リサ・マリー(1968-2023)が誕生した。
しかし、エルヴィスは、相変わらず、妻を家に残して、ツアー先やハリウッドで浮名を流すことを辞めない。
おまけに、ドラッグに依存したり、宗教本に夢中になったりすることにも、プリシラは付いていけなくなる。
1973年、プリシラはエルヴィスのもとを去り、その秋、正式に離婚した。
‥‥とまぁ、現在も活躍している、プリシラ・プレスリーの『私のエルヴィス』(1987年)をもとに、ソフィア・コッポラが映画化。
だから、ほぼ完全に、「プリシラ目線」でエルヴィスの姿も描かれている。
Wikipedia の「エルヴィス・プレスリー」だけ見ても、二人の離婚前に、プリシラの不倫があったと書かれているが、本作では、その点には一切触れていない。
そもそも、本作のエルヴィス役、ジェイコブ・エロルディは、背だけはやたら高いが、歌やパフォーマンスを披露するでもなく(一応それらしいシーンはあるがジェイコブが実際歌っているかは分からない感じでボヤかして映すだけ)、プレスリーの代名詞とも言うべきエロティックな色気は全然感じさせない、実につまらない男だ。
ロックンロール・キング、ビッグスターとしてのエルヴィス・プレスリーを知りたければ、じかに楽曲や本人の映像なり、別の映画を観てよ、ってことのようだ。
プリシラを演ずるケイリー・スピーニー、2018年に18歳で映画デビューとのことだから、今年23歳だろうか。
やたら背が高いジェイコブに対して、ケイリーは女性としても、かなり背が低い。
本当にJK、女子中学生のように見える。
美貌というより、可憐な可愛らしさが何より魅力的だ。
その幼い美少女にしか見えないケイリーが、いくら「推し」からの誘いだからといって、独占欲の塊のような大男に自宅という名の牢獄に監禁され、アルバイトをする自由さえ奪われている様子は、あまりにも残酷で見ていられなかった。
おまけに、エルヴィスは、流行の最先端か知らないが、プリシラを自分好みの女にするために、着せ替え人形よろしく、髪の色、ヘアスタイル、ファッションと、身にまとう全てのものをお仕着せして来る。
可憐で可愛らしかったプリシラが、似合わないケバい姿に変わって、次第に生気が無くなっている行く様を正視できなかった。
エルヴィスの偽善的なクズ男ぶりも相当なもの。
ダメ男が、成長前の無垢な少女をとらえて、昆虫採集のように、そのまま自分の檻に囲う。
『源氏物語』の「若紫」以来、洋の東西を問わず、繰り返されてきた男性による女性への迫害の典型的な形ではあろう。
しかし、実際に、子どもにしか見えない若い女優ケイリーが、身勝手なエルヴィスの動く着せ替え人形にされているのは見ていられなかった(同じことの繰り返しばかりにてスミマセン)。
ところが、リサが生まれてから、二人の進む道は、ハッキリと分かれていく。
プリシラは、女友達と自由に過ごす時間が増え、自ら車を運転する。
その顔は生気を取り戻し、化粧もファッションも、ナチュラルな身の丈にあったものに変わっていた。
エルヴィスの方は、ラスベガスのステージを、ドラッグ中毒でラリったまま、つとめるようになり、プリシラからの別れの言葉も夢うつつの状態で受け流すしか出来なくなっていた。
本作のラストは、そんなエルヴィスに未練を見せることもなく、自らハンドルを握って、どこかに向かうプリシラの横顔を映して終わる。
‥‥つまり、本作は、エルヴィス・プレスリーの伝記でないことはもちろん、プリシラの伝記でさえないのだ。
ついつい「推し」と結ばれる、という夢の実現にのみ思いを託した少女。
彼女は、果たして幸せになれるか、その一点のみを描こうとした作品なのだ。
結果はあまりにも悲惨で残酷。
その地獄から逃れるには、自力で脱出するしかないのだよ、
それがソフィア・コッポラの言いたいことだったはず。
そう考えれば、言いたいことは、伝わる映画ではあった、
ってなところかな。
それ以上は何もない、ってか。
そうそう、開幕冒頭は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の編曲版でしたね。
ベガスのステージで使っていたリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」みたいに、これもエルヴィスゆかりの曲なのか知らん。
※本作、プレスリー財団からの許諾が得られず、エルヴィスのオリジナル楽曲は使用してないとか
エルヴィスの裏の顔
うーん切なかった!世界が羨んだプリンセスなのに、エルヴィスの身勝手さや苦悩の裏で幸せを掴むことができなかったなんて。
エルヴィスといううレジェンドを決して好意的には描かず、リアルな弱さを徹底的に見せつけるのがよかった。自分好みの女を手に入れたい幼稚で身勝手な男は、皆が知らない裏の顔。幼い頃からグレースランドに移り住んだプリシラは、そんなエルヴィスとショービジネスの世界に翻弄されるのが辛い。
ソフィア監督は、女性たちの心情に寄り添うのが上手い。男たちの中でプリシラの気持ちを繊細に描くのは、彼女の真骨頂だ。持ち味の映像美とファッション、時代性のリアリティも素晴らしい。時間を飛び越える編集の英断も冴えているなぁ。
プリシラを演じるケイリー・スピーニーはべネチア国際映画祭で最優秀女優賞に輝きましたね。キュートさと繊細のバランスがとっても良い。ジェイコブ・エロルディばエルヴィスにそっくりで雰囲気あるけど、ちょっと背が高すぎてプリシラとのバランスが気になりましたよ。
エルヴィスを描いた映画は数あれど、プリシラ側からの視線は初めてかも。全てを手にした夫婦の苦悩と葛藤は、昨年オスカー候補になった映画ELVISでも描かれました。リアルなエルヴィスとプリシラ像は、対照的なこの2本で見事に完結しましたね😊
プリシラ Part2は?
オースティンバトラーの「エルヴィス」と対で観るとかなり興味深い。
あのスーパースターの素顔はこうだった!というゴシップ的見方が楽しめる。
二人の最初の出会いに至るまでが唐突に見えるのだがなにか端折っている?
エルビスは当初から薬に依存し不安定。後の諸々の崩壊を匂わせる。
なぜプリシラを選んだのだろう。亭主関白気質だから年下に惹かれた?
それなりに幸せそうな時期もあったが結婚するまでの期間が妙に長く、
いざ一緒になった時にはかなり冷めてしまっていた印象。
結婚後はすぐに妊娠して薄情なエルビスにほったらかしにされる。
曰くありげに銃が度々登場したので、どこか修羅場で使うのか思いきや、関係なし。
エルビスに別れを切り出しても案外あっさり離婚。
プリシラ本人が製作総指揮しているから綺麗目に収めた?
どうも全体的にはサラッとしていたので映画的にはもう一山欲しかった。
離婚後、一転して数多くの愛と別れを経験し、女優に実業家に盛り沢山の人生に突入するプリシラ の映画Part2を勝手に希望。
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ちなみに、どうしても気になったのがエルビスとプリシラの身長差。
実物同士は20㎝程くらいだが、この映画では40㎝近い。
エルビスは大きすぎ、プリシラ小さすぎ。
プリシラは最初から大人達に囲まれて文字通り背伸びをしていたが、成人してさらに化粧がきつくなる一方で声は幼いのでなんだか痛々しい。顔はとても可愛く美しいが。
エルビスは顔も声も雰囲気も本人そっくり。この点は良かった。
なぜか一番心に残ったのはいよいよ産気づいて病院いくぞ!となった時に
ゆうるりとつけまつげを付ける場面。
さっぱり面白くなかった
プリシラがドイツにいる頃がとてもかわいくて魅力的だったのにアメリカに行ってから、ちんちくりんな割にケバくて変な髪型で圧が強い装いになる。プレスリーの曲がさっぱり流れない。挙句にエンディングではホイットニーヒューストンの曲が流れて変な感じになる。さっさと結婚するかと思ったら全然しなくて終盤にやっとする。それまでプリシラが性欲を持て余してむんむんするばかりで気の毒だった。よく同じベッドでやらずに済んだものだ。
さっぱり盛り上がらないまま気の毒な女の半生を見せられた。
ソフイア・コッポラ作品の新星登場
本作で気になるのは、エルビス・プレスリーの周囲でいつも行動する5人のマネージャーらしき側近たち。
エルビスもそうだが、陽気ではちゃめちゃでお騒がせなヤンキーたち。品のかけらもないお祭り屋たち。
その破天荒な男たちの中で、折り合いをつけながら居場所を確保するプリシラ。
その派手なパーティーの連続の様子が、なぜかソフイア・コッポラの『マリー・アントワネット』の原色で濃厚な映像を彷彿とさせる。女には仕事をさせない、という男社会。プリシラは、エルビス軍団の偏見と差別を、心の闇を抱えながら、見事にかわす。
プリシラを演じたケイリー・スピーニーがとても魅力的だ。彼女の離婚後の転身ぶりは描くことなく、エルビスと共に暮らした時代だけをあえて描いたコッポラの思惑に、見事応えているように思えた。
キルステン・ダンスト、スカレット・ヨハンソン、エル・ファニング。コッポラ作品に欠かせない妖艶な女優たち。その一人に加えるに足る新星登場である。
終始ゾッとする
二人は恋に落ちているのか?本当に惹かれ合っているのか?と終始、疑念を抱きながら観ていました。
大人たちは無垢な少女を誘い出して、新しい遊び道具を与えるようにエルヴィスにあてがっているようにみえる。
「スーパースターとのプライベートな関係」を餌にして少女の無垢を食い物にしているようにみえる。
プリシラの両親に対する誠意もみえない。
成人するまでプラトニックだったかもしれないが、それはエルヴィスの自分本位な制約であって、プリシラを思いやる行動ではない。親密なスキンシップを求めるプリシラをはしたないと吐き捨てている。エルヴィスに捨てられたくない一心で、プリシラは不満を抑え込み、エルヴィス好みの振る舞いや装いをする。
エルヴィス一家はプリシラに友好的に見えるが、プリシラはエルヴィスの活動の事務すら手伝わせてもらえない。プリシラを社会から孤立させ、エルヴィスの支配下にあることを手助けしているようにみえる。
だけど、ときおり二人が遊んでいるとき、ローティーンの無邪気な少年少女がただ心を寄せ合うようにもみえる。
相反するものを抱え、不安定で壊れやすそうな危うさがある。
ずっといけないものをみているようなゾッとするような心地で観ていました。
プリシラ視点で描かれますが、移入するようではなく淡々とエピソードが展開されます。
幼い少女だったプリシラが、覚悟とプライドと苦悩をもってエルヴィスと生き、自立した女性に成熟していきます。
途中、本作を鑑賞したのは失敗だったかなぁとまで思いましたが、ラストまでみて、ようやく受け止められるような気がしました。
タイトルなし(ネタバレ)
一昨年上映していた「エルヴィス」はロックンローラーとしての栄光と挫折を描いていましたが、今作はエルヴィスの奥さんであるプリシラをメインに描いた恋愛にフォーカスした作品でした。
純真な少女がエルヴィスのスター性によってどんどん黒く染まっていく様子は中々キツかったです。あれだけ可愛かったプリシラの髪はモリモリになって、メイクは濃くなって、態度は大きくなってとのめり込みすぎるとこうも影響を強く受けてしまうんだなぁとゴワゴワした気持ちになりました。
パンツ丸出しで写真撮りまくってるところとか、親の目線で観てしまいました。
エルヴィスは女にだらしない話は先の伝記映画でなんとなくは知っていたので、今作でもしょっちゅう撮られているのに反省の色は見事に見えないのは腹立たしい限りでした笑
それを責めようとしないプリシラは健気だなぁとは思いましたが、後半ちゃんと起こっていたのは好感を持てました。
ただ、映画として見応えがあるかと言われると無かったなぁというのが観終わった後に思った事でした。
エルヴィスとの日常を描いているので、ムフフな展開になりそうでならなくてムッてなってたり、時々機嫌の悪いエルヴィスにブチギレられたりして仲違いしたりと、DV気味と夫とメンヘラ気味の妻の様子を延々観せられるので、わざわざ映画にする意味とは?とまで思ってしまいました。
エルヴィスとプリシラという事を完全に除けば夫婦のギスギスドタバタ劇なのでそりゃ面白くはならんわな…と。
過程を省きまくっているので、なぜどうしてそうなったが描かれ無いのもあって、月日で言えばそこまでないはずなのに駆け足感が否めませんでした。
エルヴィスはプリシラをしっかり愛していながらも、時間の経過と共に愛が冷めていく様子は生々しかったんですが、人間性の面が強く描かれすぎたせいか、映画としての面白みは薄かったです。劇場で観なくても大丈夫なやつでした。ちょっと残念。
鑑賞日 4/18
鑑賞時間 12:30〜14:30
座席 C-12
「ベネチア、賞獲得」
力の抜けた作品
歴史に残る大スターのパートナーを取り上げたにしては、ソフィア・コッポラらしい気張り過ぎない肩の力の抜けた作品と言えるのでは。
1人の少女が大スターに見そめられて、華やかな大人の世界を傍らから見つめ、彼の色に染まってその地位をキープし、徐々に周囲に認められて堂々とした大人の女性になっていき、最後は自律を決意する。この間、エルビスも順調な頃だったのか、それほど悲劇的なことは起こらない。特筆すべきは、十代ど真ん中の純粋な少女から、大スターの妻として渡り歩く大人の女性まで、複雑な表情を見せながら演じたケイリー・スピーニーの表現力かな。大人といっても実は20代後半だがね。
「父と大佐以外は繋がないでくれ」というようなセリフがあったが、この大佐というのが先の映画「エルビス」でトム・ハンクスが演じた人物だろう。こっちでは殆ど出てこないが。
プリシラ・プレスリーの顔はそれほど知らないので、似てるか否かを考えずに観られるが、エルビスはそうは行かない。しかし「うん、オッケー、似てる」というところまでは行っていた。サングラスをかけるとエルビスには見えなかったが。
この監督は美的センスの良さで知られる通り、CHANELファンにもお勧め。
エルヴィスの意外な一面とプリシラの可憐さ
これも観たい映画欠乏の中で、小規模公開作の中から選んだ作品。チラシだったか予告編だったかで見たヒロインが可愛く見えたから選んだ(笑)
でもその印象は正しかった。
【物語】
1959年。14歳のプリシラ(ケイリー・スピーニー)は西ドイツで暮らしていた。 アメリカ軍将校の父が西ドイツの基地に配属になったため家族で来たのだが、異国での生活になじめずにいた。あるとき、たまたまレストランで話かけて来た軍関係者にエルヴィス・プレスリーが出るパーティー連れて行ってもらい、エルヴィス(ジェイコブ・エローディ)に初めて会う。 徴兵制だった当時エルヴィスは兵役で西ドイツに赴任していたのだった。
元々エルヴィスのファンだったプリシアは忽ちエルヴィスの虜になるが、ホームシック気味だったエルヴィスもまた母国の女性プリシラに強く惹かれる。エルヴィスは兵役を終えて帰国してしまうが、2人の思いは続き2年後にエルヴィスはプリシラをメンフィスの自宅に呼ぶ。
当然のように反対する彼女の両親を説得してプリシラはエルヴィスの家族と共にメンフィスで暮らし始める。高校卒業後、ついにエルヴィスと結婚したプリシラだが・・・
【感想】
数年前にエルヴィスの伝記映画は観たが、こんな話は有ったのか? 観賞後WIKIで確認すると、実話なので妻の話として触れられたはずだが、全く記憶に残っていないのでクローズアップはされていなかったと思う。ドラマチックと言うと違うかも知れないが、かなり普通ではない、ドラマに有りがちな恋愛話なんだけど。
一番意外だったのはエルヴィスの行動だ。大スターがパーティーで紹介された若い女の子を気に入る。そこまではどこにでもある話。が、松本人志スキャンダルではないが、一時の遊びで終わるというのが普通なんだと思う。すごく気に入ればしばらくは続いたとしても、帰国して芸能界に復帰したところで「バイバイ」が自然の流れだろう。 そもそも異国での軍生活中に希少な母国の女性を求めたというところから始まった恋なのだから。
それが2年離れても思いは続き、彼女の親を説得して自分の家族と共に住まわせるとは。しかも映画が真実なら長い間体には手を出さない・・・
プリシラをここまで大切に扱ったというのが、これもまた現実離れしたドラマ的お話。大スターでなかったとしても俄かに信じられない話だが、女性が群がった大スターエルヴィスの意外過ぎる話だった。仮に外では遊んでたとしてもだ。
意外なエルヴィスの一面というのが、本作の感想の1つだが、それ以上に感動したのはプリシラ役ケイリー・スピーニーの可憐さ。
プリシラの14歳から20歳過ぎまでを演じている。まず凄いのは最初の14歳が14歳にしか見えない。だから観ているときは「この娘すごく可愛いけど大人になるとCASTが変わっちゃうのか」と思っていた。 が、物語が進むうちに「あれ、変わってない?」思わず観賞後にCAST情報を確認してしまった。撮影当時24歳くらいのはずだが、あの“少女”の初々しさは凄い!
正直言うと、成人した頃のプリシラは段々魅力的でなくなっていく(外観の話)。写真に残っている実在のプリシラのファッションに近づけようとした結果だと思うが、「現実と違う」と批判されようともケイリー・スピリーの魅力を最大限に引き出して欲しかったなあ。
それくらい少女時代のプリシラの可憐さが絶大だった。
それを差し引いても、エルヴィスの意外な一面を知れたこととプリシラの可憐さを味わえたことで十分満足した作品でした。
暴力と甘え
2023年。ソフィア・コッポラ監督。エルヴィス・プレスリーの妻となる女性の少女時代のエルビスとの出会いから別れまで。すでにトップスターだった青年に求められて有頂天になる少女が、徐々にその実像に接し、結婚と出産を経て別れるまでの数年間が静かに淡々と描かれる。
子どものまま大人になったようなエルビスに惹きつけられつつ翻弄される少女の姿が切ない。irresistableとはこのことか。現代の感覚でいえば、いたるところに暴力と甘えがある。エルヴィスが性的関係を避けたり精神的世界にのめり込んだりするのが、甘えの一種として描かれているように思われる。バズ・ラーマン監督「エルヴィス」と合わせて見たい。ラスベガス公演でのホテルの部屋の雰囲気はそっくり。
映画エルビスが良かったので期待大でした
ところが
出会ってエルビスに誘われて
彼女になるまでは良かったのだが、
プリシアがエルビスを好きになるあたりがよくわからなかった。スーパースターに特別扱いされて浮かれているだけの様だった。
この後は一つ一つのエピソードの羅列で物語がプツリプツリと途切れてしまう。
そしていよいよ別れる事になるんだけど
え、ここで終わるんかーい‼︎
中途半端だよぉ〜
つまりはエルビスありきのプリシラだったんだ。
ここに出て来るエルビスはちっともカッコよくなくて
いつも薬を飲んで、
一瞬ブチ切れて、
すぐ謝る。
情けなくもある
もう少し、エルビスのヒット曲なんか交えて
ステージの様子とかカッコイイの見たかった。
結局、エルビスにとってプリシラは
あの子犬の様に、家で待ってる扱い易いペットの様なものだったのではと思ってしまった。
エンドロールで色んな曲名が流れていたがほとんど知らなくて、
ラストのI Will Always Love YouはWhitney Houstonが歌ってたなぁってくらい
まあ世代がちょっとだけ違うので知らんわなぁ
いくつかのスーパースター物語でよくある様にホンモノの写真などを交えてくれたらもう少し楽しめたのかも
余計な事ですが
思いがすぐ口に出るおじさんが入って来て歩きながらブツブツ、座ってブツ、オマケに予告編で「会いたい」って言葉に返事して「会いたい会いたい」ってつぶやいていた。もぉ笑うしかない…
中学生とのガチ恋
2024年劇場鑑賞89本目。
貴公子に続いてこの映画も眠くて、ユナイテッドシネマのおみやげポップコーンをはしごの約得として購入したのですが、食べ終わったら寝てしまいました・・・。後日配信などで見直したいと思います。
前半は15歳の子にプレスリーが言い寄ってモノにする話で、一応彼女の言い分としては成人するまで肉体関係はなかったということです。じゃそういう事でいいのです。
漫画と一緒にするなと言われそうですがセーラームーンも大学生と中学生ですしね。
最初はあそこまでしてプレスリー以外と本気じゃん、と思いましたが結婚したら豹変するのがなんか普通の人だなと思って萎えちゃいました。まぁあくまでプリシラ時点でのプレスリーですが。
それでもカンニングはいけません!
一目でソフィア・コッポラの作品だと分かる
ガーリーカルチャー感!彼女の世界観が大好きでたまりません
プリシラご本人が総指揮を執りコッポラ監督が見事に表現する光と影…絶妙な視点と技
その出来ばえにはプリシラご本人も大納得され
た様ですね
カフェで退屈そうにコーラを飲むケイリー・スピーニー演じるプリシラの可憐で清純な
「聖少女」っぷりに一瞬心がざわめき息が止まりそうでした
その「聖少女」プリシラがハリウッドの
大スター・エルヴィス・プレスリーと恋に落ち
プレスリーという異次元の世界の中で生きて行く事となる…
出産時にまでつけまつ毛を重ねるとは…
エルヴィスの妻である誇りとプライドを強く感じたシーンは1番印象に残りました
世界中の女性が夢見るシンデレラストーリーを叶えた彼女はやがて妻となり母になる過程でエルヴィスを強く愛し理解しながらもエルヴィスという籠の中の鳥という環境から自分自身の翼で飛び立つ選択をする
そして締めの場面…邸宅から1人車を走らせるプリシラの表情からは
かつて聖少女だった面影は無く自由を求め掴む
強い意志を感じ取れた
その後も恋多き女優、実業家としても
ずっとずっと輝き続け強く美しくたくましかった
ステイシー・バダッドの衣装も相変わらずの冴えっぷり!お馴染みのカルチャーファッション
少女時代のチェックのスカートに淡いブルーグリーンのニットの制服には感服⭐️
大人の階段を登るうちに着こなすラグジュアリーなドレスは全てが洗練され溜息ものでございます
加えてプルシラの鎧となるべくメイクも神業!
ほろ苦いストーリーではありますがキラキラな
世界観を楽しむ場でもありました
エルヴィス役のジェイコブ・エロブディは歌唱シーンこそ無かったがその佇まいはエルヴィスそのもの!
プリシラに格を置く物語の中でも走り過ぎず置いてきぼりにならずの絶妙な存在感に好感を持てた!
若い2人の今後も楽しみです
出会ったときは中学生
プリシラから見たスーパースターとの愛と葛藤の日々。
14歳だったというのだから驚く。
エルヴィス側からしたら反論もあるかもしれませんが、ずいぶん勝手な人だったんだな、と。
結婚式までが長い、まだ結婚してなかったのかと思った。
そして彼も彼女も、それぞれに孤独。
子どもが生まれてよかった。
彼女は仕事もさせてもらえなかったみたいだし。
彼が電話したときに家にいてほしいって、昔はそんなふうに束縛されていたんですね。
実際のプリシラはどんな人なのか知らないけど、この映画の彼女はほんとにチャーミング。
衣装もすてき。
あの学校の制服さえもすごくかわいい。
60年代のファッションがいっぱい出てきます。
シャネルやヴァレンティノですって。
恋という名のドラッグ
誰もが憧れる人が自分のものになって、その人好みの自分になって、自分にはその人しかいなくなって...。未知なる広い世界に飛び込んだはずなのに。お人形のような可愛らしい少女の目から、煌めきが失われていく。偶然が産んだ恋。エルヴィスに身を捧げたのはプリシラじゃなかったかもしれない。でも、辿る運命は皆同じなはず。淡々とした物語の展開がプリシラが抱えた恐怖と一致し、押しつぶされるような苦しみを覚える。大佐と妻にも分からなかった、彼の本性。一体、何者だったのだろう。
この映画だけだと説明不足だし、非常に物足りない。全編プリシラから見たエルヴィスな訳で、エルヴィスの過去を知らなければ背景が分からないし、彼の立たされている状況下から感情移入しようにも出来ない。2年前に公開された「エルヴィス」とのセット鑑賞が必須。あの映画がよく出来すぎて、どちらにせよ本作が目劣りしてしまうけど、この男を知るにはあの映画もこの映画も凄く意味があると思う。
いやぁ、確かにセットや映像、音楽に演出まで全て地味ですけど、プリシラを演じたケイリー・スピーニーにとにかく心奪われちゃうんで、最終的にはあんま気にならないかな。その先が見たかったけどね!
エルヴィス・プレスリーの元妻プリシラの物語。原作、プロデュースも本人。
既に大スターの24才のエルヴィス・プレスリーがドイツ公演に行った時知り合った14才の少女に一目惚れする。8年後後2人は結婚するのだがこの少女が本作の主人公プリシラ。本人の原作小説、及びこの映画のプロデューサーでもある。 以前に観た『エルヴィス』で妻のプリシラに興味を持ち『プリシラ』を観た。『エルヴィス』はエルヴィス中心に描かれ『プリシラ』はプリシラの目線で描かれているので当たり前かも知れないがプリシラの印象がかなり違う。 『エルヴィス』ではエルヴィスを献身的に支える良き妻の印象が強かった。一方『プリシラ』では、エルヴィスを支えようと思う気持ちとエルヴィスに振り回されて彼の好みに合わせられている自分に疑問を感じ、苦悩するプリシラが描かれる。離婚した妻が書いた原作なので必ずしもエルヴィスは素晴らしいスター、いい人には描かれていない。エルヴィスの熱狂的なファンは反発するであろうこの映画、私には面白かった。マネージャーとの関係性とか少し分かりにくいので、エルヴィスに詳しい人以外は映画『エルヴィス』を先に観て少し予習される事をお勧めする。
14歳のプリシラがかわいい
And I will always love you
エルヴィス・プレスリーの妻だったプリシラの視点から見たエルヴィス夫妻を描いた作品である。
プリシラ・ボーリューがエルヴィスと西ドイツで出会ったのは9年生(日本なら中3)、14歳の時である。この時のプリシラ(ケイリー・スピーニー)の初々しい事。
西ドイツで2年の兵役を終えたエルヴィスは満期除隊でアメリカに帰国して復帰、人気が復活する。2年後にプリシラとの交際を復活して、メンフィスに呼び寄せ一緒に暮らし始める。
しかし、高校卒業するための試験勉強も階下のエルヴィスと取巻きの騒音で集中出来ない。また、映画の撮影でエルヴィス不在の時に犬と庭で遊んでいてもマスコミに撮られるからと家に入れられる。
また、ファッションも、髪の色や形、メイクもエルヴィスの好みにさせられる。
(あんなに初々しかったプリシラが段々とケバくなって来る)
エルヴィスがプリシラと一緒にハンフリー・ボガートの映画を見に行ったり、「波止場」を見たか、俺もアクターズスタジオで学びたかったなんて台詞もある。
エルヴィスが映画の撮影に行けば、プリシラは家で留守番、映画「ラスベガス万歳」の相手役アン・マーグレットやフランク・シナトラの娘ナンシー・シナトラとのゴシップを新聞で読んでは気を揉む。
気晴らしに週3でバイトに出たいといっても「俺が電話した時に出るようにいつも家にいろ」
プリシラがエルヴィスを求めても「その時」は俺が決める、と手?を出さない。
プリシラ22歳の時に「その時」が来てエルヴィスから求婚され、結婚して9ケ月後に出産する。
エルヴィスは映画「エルビス・オン・ステージ」「エルビス・オン・ツアー」で描かれたようにラスベガスのステージやツアーで忙しく、妻子は顧みられない。
プリシラはエルヴィスとの結婚生活に疲れ、メンフィスを後にするのである。
結婚・出産後のプリシラの幻滅や諦めなどの心情の掘り下げが足りないので、あっさり離婚してしまった感じが否めない。
ラストでドリー・パートンの I will always love you が流れる。離婚した1973年のヒット曲かと思ったら1974年だった。プリシラの心情を表したかったのだろうが、上述したように掘り下げが浅いので、あまり心に響かない。
しかし、あのプリシラの手でブランコに揺られていたリサ・マリーが、その後9歳で父を失くし、ドラッグに溺れ、4度の結婚、離婚を繰り返して(2度目がマイケル・ジャクソン、3度目がニコラス・ケイジ)54歳で亡くなった事を知れば「アイアンクロー」のエリック家ではないが、父母の愛に恵まれなかったと思えて不憫である。
(本作では、プリシラの話だから、そこは描かれていない)
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