劇場公開日 2024年4月12日

「セレブとして育ったコッポラ監督にしてみれば、そんな事細かく描かなくてもわかりきったことと流してしまっているのかもしれませんが、セレブとして育っていない自分の感覚では、説明不足に感じられました。」プリシラ 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0セレブとして育ったコッポラ監督にしてみれば、そんな事細かく描かなくてもわかりきったことと流してしまっているのかもしれませんが、セレブとして育っていない自分の感覚では、説明不足に感じられました。

2024年5月13日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 数々の賞に輝く映画監督、そしてファッション・アイコンとして世界に注目されるソフィア・コッポラ。その最新作は、キング・オブ・ロックンロール。一世を風扉し、42歳で急逝したエルビス・プレスリー。その元妻プリシラが書いた「私のエルヴィス」の本を土台に、監督ソフィア・コッポラは、プリシラが投げ込まれた世界に、コッポラの視点を重ね合わせ、ひとりの少女が成長していく季節を追います。
 大スターと恋に落ちた少女がたどる魅惑と波乱の日々を、繊細に美しく描く物語です。
●ストーリー
 1959年、西ドイツ。米空軍将校夫妻と、妻の連れ子の14歳のプリシラ(ケイリー・スピーニー)は兵役で米国から西ドイツに赴任中のエルビス(ジェイコブ・エロルディ)と知り合います。二人はお互いに抱えていた孤独を共有し、すぐに意気投合します。エルビスはプリシラに一目惚れ。そして最愛の母を亡くして孤独なスターの素顔に、10歳年下の少女も恋をしたのでした。しかし、彼女はまだ世間知らずの少女。デートをするにも親の許可が必要でした。
 エルヴィスが兵役を終えて西ドイツを離れた後も交流は続き、2年後、テネシー州メンフィスの邸宅グレースランドにプリシラを招待。夢の一時は過ぎ、泣く泣く帰っていったプリシラの親に「お嬢さんをカトリックの名門校に入れ、祖母も住む家に預かり、将来は結婚したい」と礼儀正しく申し込むのです。
。やがて彼らはグレースランドで暮らし始めます。夢のような生活の中で、少女はいつもお留守番の寵の鳥。キッスはしてくれても、抱いてはくれません。睡眠薬依存症のエルビスはハリウッドの世界で生き、ストレスと闘う繊細な人間でした。出会って8年で結婚。翌年、娘が生まれたのです。

●解説
 まずソフィア・コッポラ監督は、プリシラの回想録を読み、「これほど有名な人物なのに、彼女のことをいかに知らなかったか驚いた」ことが出発点だったそうです。プリシラの人物像は、これまで語られてこなかったのです。そこで監督は、「プレスリーの世界に飛び込んだ彼女、どのように一人の人間として成長していくか」をテーマにしたプリシラの実話を映画化のが本作です。

 あくまでも彼女の視点で語られるエルビスは弱さや孤独を抱え、今で言うところのモラハラ男の気配も漂います。守られてはいるか自由はなく、夫の帰りを待つ日々の中で、いかにして自立していくのか。プリシラが閉じ込められている場所は「ロスト・イン・トランスレーション」の清潔なホテルの部屋や「マリー・アントワネット」のマカロンのような邸宅とも重なり、監督が大事にしてきた世界観が広かっているのです。プリシラの心情の変化が唐突なようにも感じられるかもしれませんが、飛び立つ瞬間は得てしてあっけなくも劇的なのかもしれないでしょう。

 2人の出会いを発端に、少女から大人の女性になるまでの物語は、プリシラ自身の旅が始まるとともに終わりを迎えます。
 本作で描くのもシンデレラ物語の非日常性というより、多くの女性が成長過程で経験する孤独や葛藤。妻だからこそ触れたスターの素顔も映し出されます。繊細で、時に病的なほど神経質、信心深いプレスリー像が興味深いところ。

 プリシラは製作総指揮としても関わった。創作された人物と比べて、存命中の人物を主人公とする物語は挑戦でしたが、プリシラご本人は、スタッフが物語を作りやすいよう、常に余白を残してくれたそうです。

 作品を彩るファッションには注目を!1960~70年代の時代の空気とともに、プリシラの心理的な変化も表しているのです。高く盛った黒髪に濃いアイメイクといった象徴的なスタイルは、精神的自立とともに自然体に変わっていきます。。

 コッポラ監督にとって、少女の成長、アイデンティティーの確立は過去の作品にも通底するテーマだといえます。巨匠フランシス・フォード・コッポラを父に持ち、華やかな世界を身近に育ちました。だからこそ、スターが放つ強い光の陰で悩み、別の道を歩むプリシラの勇気にひかれたのかもしれません。
 監督は、ショービジネスの世界で生きる人の公人としての顔と家庭での顔が違うことは当然知っていますそして自身の生い立ちが。彼女の体験ほどではないものの、どんな感情だったかを想像するには十分な視点を与えてくれています。
 本作はソフィア・コッポラが抱えてきた孤独や閉塞感をプリシラに投映して描いた作品なのかもしれません。

●感想
 エルビスと愛妻の映画ですが、エルビスがステージで熱狂に包まれる映像はなく、権利関係でエルビスの楽曲も使えず、本作でエルビスの存在自体が希薄な感じです。
 その分、米南部の保守性や時代の中で葛藤するグレースランドにポツンと残され不安に押しつぶされそうになるプリシラが象徴的に描かれます。コッポラ監督は、映像の深い陰影と奥行きで2人の異なる孤独を見事に際立たせていると思います。
 けれども2人の対照が際立てば、プリシラの孤独な内面に踏み入っていけそうなのに、なかなかそうはなりませんでした。どのエピソードも表層的で、さらさらと流れていくようです。浅薄こそセレブの神髄ということなのでしょうか。空虚を描くことが監督の狙いだとしたら、エルビスと妻の物語に起伏のあるドラマを求めるのは、ないものねだりかもしれません。セレブとして育ったコッポラ監督にしてみれば、そんな事細かく描かなくてもわかりきったことと流してしまっているのかもしれませんが、セレブとして育っていない自分の感覚では、説明不足に感じられました。

 やはり本作のボイントはプリシアの離婚をどう描くかというところでしょう。
 実際には、コッポラにしてもプリシラにしても、経済的には恵まれているのだからという意見もあることでしょう。けれども、たとえ70年代のアメリカでも、ひとり旅立つのは、勇気を必要としました。最後は、旅立つ映像で締めるのも、意味深いところ。いつの時代も、一度は人生の旅に出たいと願うのは、人間なら当然の事でしょう。けれどもあまりに唐突な旅立ちのシーンには、あれれ?と思いました。

 プリシラは、その後、女優、実業家となり、本作製作していて、心の底では、プレスリーを理解していたことを助言しています。それは別れた後の彼も同じだったことを祈りたくなるような作品でした。

流山の小地蔵