マエストロ その音楽と愛とのレビュー・感想・評価
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「ほぼバーンスタイン」のメイク&演技に驚愕。『アリー スター誕生』との共通性に注目!
ただただ、ブラッドリー・クーパーのレニーへの「なりきりぶり」に驚愕した。
すげえな。少し「目」の感じは違うけど、ほとんどそのまんまじゃないか。
特に、老齢になってからのインタビューの様子や、タングルウッドでのレクチャーの様子のクリソツぶりは、尋常じゃない。
特殊メイクやCGにどれくらい助けられてるかは知らないけど、これだけ動きや表情、しぐさを完コピするためにはどれくらいの準備が成されたことか。
特に、声。レニーの声はとても特徴的で、若いころは張りのある美声なのだが、やがてタバコの吸い過ぎもあってだんだんとしゃがれてゆく。そのあたりの「声音の変化」が本当に年代ごとにトレースされているのだ。人間、ここまで声帯模写って完璧にできるもんなんだな。
ここでの感想を見ていると、けっこう賛否両論といった感じだったので、正直おっかなびっくりで観に行った感じだったが、もうレニーそのままといっていいメイクと動きの再現性に完全にノックアウトされて、個人的にはそれだけでも大変面白く観ることができた。
演奏シーンらしい演奏シーンは、中盤以降にカテドラルでのマーラー交響曲第2番「復活」のオーラスがあるくらいだが、これまたクーパーの熱演ぶりがヤバい。
元ネタになっているのは、1973年にエジンバラのイーリー大聖堂で録音&録画されたロンドン響との「復活」なのだが(今回も同じ場所、同じオケで再現している)、実際には完コピでは全然なくて、かなり動きも興奮ぶりも誇張されている。実際のレニーは、本番ではどんなにエキサイトして乱れても、指揮棒の打点が見にくくなるほど身体の中心線を動かしたりはしなかったし、よく見ると意外にかっちり振っている指揮者だった。どちらかというと、これはリハでオケを鼓舞しているときの振りぶりに近いかもしれない。振り癖自体、レニーというよりは、指揮指導にあたったヤニック・ネゼ・セガン(エンドクレジットで名前が出てきて、おおお、そう来たかと)の影響が強く出ているような気もする。
だが、娯楽映画である本作においては、そのへんはたいして重要ではない。重要なのは、レニーの「精神」の再現性なのだ。
レニーは常々、マーラーを振る時は「全身全霊を注がなければ表現できない」「指揮者もまたこの一曲ですべてを出し尽くすぐらいボロボロになって向き合う必要がある」と言い続けていた。「汗だくになって、頭痛と吐き気に苦しめられ、みんなに頭がおかしいと思われながら、それでもすべてを振りしぼって、自分はマーラーの『極端さ』と向き合うんだ」と。
ここでのブラッドリー・クーパーからは、そんなレニーのマーラーと向き合う際の陶酔と共感と狂気が確かに感じられた。だから、やはり僕は名シーンだと思うのだ。
僕は必ずしもレニーの善きファンではない。
とにもかくにも彼のマーラーは大好きなので、旧全集、DVD全集、新全集はすべて持っているし、その他のライブも手に入るものは揃えている。
ときに泣きたくなると、僕はいつも、レニーのマーラー交響曲9番終楽章のリハーサル映像を観て涙する。
ただそれ以外だと、しょっちゅう聴くのはシューマンの全集とショスタコーヴィチ、アイヴズくらいで、自作自演のCDも通俗曲しか持っていない。
レニーの自作曲で生演奏となると、「シンフォニック・ダンス」と「キャンディード序曲」を除けば、交響曲の2番「不安の時代」を井上/新日フィル、3番「カディッシュ」をインバル/都響で聴いたことがあるくらいか。あと、パーヴォ/N響の「ウエストサイド・ストーリー」演奏会とか。
なので、今回の映画でも、流れてなんの曲か分かったのは上記の曲くらいで、最初と最後で流れるピアノ曲(サントラの楽曲リストをネットで確認する限り、歌劇『静かな場所』の「ポストリュード」のようだ)の旋律など、知っているとまた映画の感興もだいぶ変わっていたのかもしれない。
とはいえ、(「マンフレッド」とマーラーの2番とアダージェットとベートーヴェンの8番以外は)全曲バーンスタイン自身の作曲した音楽でBGMを埋めてみせたのは、素晴らしい英断だったと思う。
レニーは晩年まで、本当は何よりも「クラシック音楽の作曲家」として世間に認められたいと希求しつづけた音楽家であり、殺人的なスケジュールで指揮活動や教育活動をこなしながらも、常に新しい楽曲を書こうともだえ苦しんだ人だった。さっき言及した『静かな場所』の曲にしても「ピアノで弾いたほうがいい曲に聴こえる」みたいな台詞があったかと思うが、レニーはいつも自作曲が世間であまり評判にならないことを気に病み、精神的に追い詰められていた。それを考えると、自分の伝記映画で、結構マニアックな曲まで含む自作曲の数々がひっきりなしに流れることを、天国のレニーは本気で喜んでいると思う。
少なくとも予告編を見る限り、全編でマーラーSym5のアダージェットが流れる、吐き気のするようなべろべろの恋愛劇に仕上がっている可能性もあったわけで、そういう下劣で気持ちの悪いお涙頂戴のBGMなどにはなっていなくて、本当によかった。
(ちなみに、あのアダージェットは、指揮者メンゲルベルクの証言にもあるとおり、マーラーが妻のアルマに宛てて作曲した音のラブレターだったともっぱら言われているので、愛の交歓のシーンで流れるのには、ちゃんと意味があるといえる。)
連弾シーンのピアノの弾きぶりを見ると、ブラッドリー・クーパー自身、もともと音楽的な素養は結構ある人のように思う。彼はおそらく本当にバーンスタインの音楽が大好きなのではないか。
映画としては、基本フェリシアとの愛の軌跡を描くことに傾注していて、当時の音楽業界ネタなどはあまり出てこない。ただ、冒頭でワルターが病気で代演が回って来るとか(1943年に起きた実話)、ボストンでクーセヴィツキーに改名を薦められるとか、NYPOの前任者としてロジンスキの名前が出て来るとかのビッグ・ネーム絡みのくすぐりは楽しかった。どうせなら彼に同性愛を仕込んだとされるドミトリー・ミトロプーロス(彼こそはバルビローリと並んで僕が最も敬愛する指揮者だ)も出してほしかったなあ。
あと、おつきで可愛がられてたOとかSとかの日本人指揮者が見当たらなかったのは残念至極。これだけレニーの性癖に踏み込んでおきながら、マイケル・ティルソン・トーマスも出てこなかったよね? 『TAR』や『ふたりのマエストロ』とちがって、存命の現役指揮者に関しては、醜聞めいた危ないネタはやらないという道義的な配慮なんだろうな。
あと、タングルウッドでのレニーの公開講座を入れこんで来るなら、「ヤング・ピープルズ・コンサート」(『TAR』で幼いターが拠り所にしていた、レニー司会&演奏によるクラシック教育番組)にもがっつり尺を取ってほしかったような。
ちなみに、レニーの同性愛の性癖とヘヴィースモーカーぶり(&コカイン愛好)は、彼を語るうえではどうしても避けて通れないネタである。
ただ、ここまでがっつり、この手のネタが苦手な観客に対する嫌がらせか当てつけみたいに、あらゆるところに入れまくって来たのには、ある意味感心した(笑)。
レニーは『芸術家ってものはホミンテルン(ホモ+共産主義者)じゃないとな』とうそぶいて、奥さんの前でも公然と若い男の子のケツを追いかけまわしていた人物で、今回の映画ではそこから目をそらさずに、独特のレニーとフェリシアの関係を描き出している。
レナード・バーンスタインは、万人から愛され、また万人を愛してやまない、特殊に人懐っこくて極端にさみしがり屋のスーパースターだ。その妻であるフェリシアは「正妻」としての最も近しい立ち位置をゲットしているわけだが、その立場に「満足している」ふり、「広い心でレニーの乱行を赦している」ふりをし続けることに、だんだん疲弊してゆく。やがて彼女は感情を爆発させるのだが、だからと言ってレニーの不在には耐えられない。
3人のお子さん曰く、レニーとフェリシアが子供たちの前で喧嘩したことは一度たりともなかったそうだが、本作では子供たちの「いないところ」でふたりが日頃の鬱屈をぶつけ合う渾身のシーンがある。そこでフェリシアは、異常なまでのバイタリティと豊かな感情を発散させて、まわりのエナジーをドレインして疲弊させてゆく天才レニーの在り方を、舌鋒鋭く看破してみせる。あのあたりの「圧倒的に過活動で魅力的な人物」が回りのパンピーの精神を「毒していく」メカニズムに対する洞察は、非常に共感できるところがあってとても面白かった。
ここで忘れてはならないのは、ブラッドリー・クーパーが映画監督として撮った第一作『アリー スター誕生』でも、本作と「似たようなテーマ」が扱われているという事実だ。
大スターとの恋愛。幸せな日々。だが二人の関係にはいつしかヒビが入る。
芸術的才能に満ちあふれた夫婦が、水面下でせめぎ合う。
より才能が巨大なほうに、もう片方が引っ張られる。
人間的魅力を無尽蔵にまき散らす相手を前に、次第に疲弊し消耗していくパートナー。
逃避と依存の対象としての「酒」「タバコ」「ドラッグ」。
相手を心から愛していても、相手の輝きのまぶしさゆえに自尊心はえぐられ、心は闇に閉ざされてゆく。そのつもりはなくても相手を傷つけ、自分を傷つけてしまう。
……と、割り振りにはいろいろ違いもあるが、二作品の扱っている題材や描こうとしていることは、驚くほどに似通っているといっていい。
要するに、ブラッドリー・クーパーにとっては、こういった才能ある者どうしの「マウント合戦」のなかで展開する「恋愛」こそが、切実に追求すべき重大なモチーフなのであり、圧倒的な才能を前にした時の人間の心の揺れや崇敬、愛慕、劣等感といった正負の感情と「愛」の関わり合いこそが、描きたいことの中核なのだ。
宣伝でさんざん「愛の物語」とか煽っておきながら、奥さんそっちのけで男色にふけるレニーを見せられると、たしかに「おいおい」と突っ込みたくもなるが、この映画が『アリー スター誕生』の「変奏曲」の一種だと考えれば、ずいぶんと見方も変わるかもしれない。
本作は、『スター誕生』において描かれた、愛嬌と魅力はあっても欲望に忠実でアルコール依存に苦しむダメな男と、しっかり者で相手への思いやりに満ちた気丈な女の対比を、実在の人物を題材として、「圧倒的才能」のありかを妻から夫にすげ替えた形で、あらためて描き直してみせた物語なのだ。
もう一点だけ付け加えておくと、本作はたしかに「恋愛映画」であり「音楽家とその妻の伝記映画」(ちょうどリヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』のような)でもあるわけだが、それと同時に「ユダヤ系のヒーローを描く映画」でもあることを見逃してはならない。
公開前から、この映画をめぐっては一波乱があった。ユダヤ系の俳優陣がブラッドリー・クーパーのつけた「付け鼻」を、ユダヤ人の身体的特徴をステロタイプに表現した「ブラックフェイス」に近いものだとして糾弾したのだ。レニーの三人の子どもたちは「パパが偉大な鼻の持ち主だったことは本当だもの」と徹底してクーパー擁護に回ったようだが、逆を返せばユダヤ人俳優たちは、この映画が「ユダヤのための映画」であり、レニーは「ユダヤ系が演じるべき人物」だと最初から考えていたということだ。
映画に名前の出てくるブルーノ・ワルターやクーセヴィツキーもユダヤ系だし、何よりレニーとフェリシアの二人が心を通わせる遊びが「数当て」というのが、いかにもカバラの数秘術を思わせて興味深い。
ハマスによるイスラエル襲撃の際も、ブラッドリー・クーパーはいち早く、イスラエル人のガル・ガドットやユダヤ系のエイミー・シューマーが中心となってバイデン大統領へ提出したハマス糾弾&人質解放を促す共同書簡に参加している。本作が「親ユダヤ的」なスタンスで作られた映画であることは間違いない。
現在、ガザ侵攻を受けてアンチ・シオニズム運動が改めて勃興しつつあるただ中で、世界で最も有名なユダヤ系音楽家の生涯の軌跡を追うというのも、なかなかに意義深いことかもしれない。
煙草と男と、時々妻(いったい音楽はどこに行った?)
天才の孤独
「ポリコレ批判」の滑稽さ
ここ数年、「ポリコレ批判」が見られるようになった。
LGBT描写や、有色人種の配役などに対し。
この批判の対象も偏っている。主にディズニー作品に向けられていて、大ヒットした「ボヘミアン・ラプソディ」には見られなかったから。
で本作。
「ボヘミアン・ラプソディ」と共通点のある映画。
実在の音楽家、しかもLGBTな人物を描いた作品だから。
私が映画を見るようになった80年代以降、ゲイの登場人物は時々出てくる。でも、「主役級」ではなくほんの少しのセリフしかない脇役、しかも奇妙な役回りしか与えられてなかった。
しかし、「フィラデルフィア」とか「ボーイズ・ドント・クライ」あたりから主役級になり、それらアート系以外のエンタメ映画で主要キャラとして扱われるようになった。
これを「ポリコレ」と批判的なコトを言うヒトもいるだろうが、私は肯定的に捉えていて、それは「昔はタブーなので描けなかった」ことが「今は描けるようになった」から。
つまり、題材・選択肢が増えたワケで。見たくないヒトは見なければいいので、反対、批判する必要はない。
で、中身。
アカデミー賞の主要部門のノミネートは確実。
作品、監督、脚本、主演男優、主演女優あたり。
特に主演2人は良いな。
愛情がありつつ、夫がバイセクシュアルという事実に葛藤する妻が。
で、このレニーの浮気が無邪気というか悪気がないと言うか、バレバレでも恥じるところがないんだよね。
でも流石に子供にはウソをつくあたり葛藤があるのだろう。
あともう一つ。誰かが
「映画は『省略』の芸術だ」と言った。
あえて描かなくても分かるよね、ってことは描かない、と。
本作でもそれを改めて思わせるシーンがラストにあった。
ネタバレなので言わないが。
レナード・バーンスタイン
レナード(ブラッドリー・クーパー、監督も)は若くしてニューヨーク・フィルの代理指揮者を努め、注目される。
妻となるフェリシア(キャリー・マリガン)とは出会いから描かれていくが、夫は天才、奔放な行動に翻弄され、疲れ果ててくる。
これまでにも色んな天才が描かれてきたので、驚きはしないのだが理解は出来ず、そんなもんだ、と思うだけに留めるほうが幸せかも。
伝記映画ではない
I miss her terribly.そして I miss you like a child my.と答える
だから、そっとしてあげたほうが良いと思うけどなぁ。
マーラー『復活』がやっぱり良いですね。
いや~彼の指揮ぶりは凄いや。音源はバーンスタインの音源なんだろうが、本当みたい。鳥肌が立った。
『キャンディード』バーンスタイン作詞/作曲のオペレッタ。見たかった。見てみたい。
バーンスタインの響き
レナード・バーンスタイン。
アメリカを代表する指揮者で作曲家。クラシックやミュージカルなど多くの音楽を手掛けているが、やはり私は『ウエスト・サイド物語』の映画音楽で知る。
そんなバーンスタインをブラッドリー・クーパーが演じる。若年期から特殊メイクを施した老年期まで熱演。
主演のみならず、プロデュース・脚本・監督まで兼任。『アリー スター誕生』で監督デビューながらその手腕が絶賛されたクーパーが、監督第2作の題材に。バーンスタインを敬愛し、兼ねてから伝記映画を構想していたとか。
プロデュースにはスコセッシやスピルバーグも名を重ね、そのリスペクトぶりが窺える。
現在賞レースで軒並みノミネートに連ねる注目作。今年のNetflix映画でも特に期待の一本。
“映画監督ブラッドリー・クーパー”は一発屋ではなかった。
演出面・映像面で冴えを感じ、『アリー スター誕生』の時より堂に入った印象。
特に映像面は秀逸。カメラワークも巧みで、若年期をモノクロ、老年期をカラーで分け、その映像美はクラシックの名画を醸し出す。
偉大な音楽家の伝記。その輝かしいキャリアにスポットが当てられるのが通例。勿論本作でも若くして代打でオケの指揮を執り名を馳せたエピソードから始まり、音楽論や音楽家の卵たちへの指導なども描かれる。
しかしクーパーが主軸に据えたのは、妻との愛。
妻は女優のフェリシア・モンテアレグレ。
演じるのはキャリー・マリガン。
クレジットではクーパーより先に名が出、それも納得の名演。
もっと音楽家としての伝記を見たかった人には期待してたのと違うかもしれないが、音楽家としてよりも一人の人間=バーンスタインにクーパーが迫り、寄り添う。
とあるパーティーで出会った二人。
二人でバーンスタインの楽曲の世界へ体感するなど、瞬く間に恋に落ちる。
子供も3人。仕事も順調で、幸せな日々。
…ただそれだけなら描く必要はない。
幸せと並行する複雑な関係。
バーンスタインが同性愛者であった事を知らなかった。知人に私は夫とも妻とも寝たなんて言ったり。
パーティーで出会った若い男性とイチャイチャ。妻を愛し、同性も愛し、愛に自由奔放。
が、フェリシアの胸中は…。夫が他の女性と関係を持つ事は浮気だが、同性と関係持つのも性的マイノリティーだからと言って寛容される事ではないだろう。これも浮気。
夫に尽くした自分の人生を“鳥のフン”に例えたフェリシアに心痛。
程なくして、フェリシアの胸に腫瘍が…。
愛に奔放だったバーンスタインもさすがに妻に献身。
紆余曲折あったが、何かを前にして、愛を再認識する。
綺麗事と思われるかもしれないが、それでもその愛の営みに心打たれる。
文字通りそれを支えた。キャリー・マリガンの苦悩と病魔と闘病と息を引き取る演技は、圧巻。
バーンスタインが指揮を執る演奏シーンは高揚感満点。
劇中の音楽もバーンスタインの楽曲を使用。正直そこまで詳しくはないが、『ウエスト・サイド物語』の音楽はすぐ分かったね。
特殊メイクはカズ・ヒロ。鼻を強調した特殊メイクに一部批判的な声も出ているようだが、バーンスタインを見事再現した特殊メイクはさすがのもの。3度目のオスカー、狙えるぞ!
伝記映画や夫婦愛のドラマとしてオーソドックスな作り。
『アリー スター誕生』もそうだが、好き嫌い分かれるかもしれないが、これが監督クーパーのスタイルなのだろう。
そこから浮かび上がらせる光と影を包み隠さず。
音楽と愛を奏でて。
バーンスタインという響き。
今年はモリコーネのドキュメンタリーやバーンスタインの伝記。
いずれはジョン・ウィリアムズ(まだ亡くなってないけど)や伊福部昭題材の伝記が見てみたい。
芸術が投げかけるのは答えではなく問い、本作の場合それは"愛"…?"芸術家"は人を傷つけていい理由にはならない、いかなる理由があっても他者を性的に利用してはいけない
逆『アリー/スター誕生』な本作で描かれるのは、産みの苦しみだか何か知らないけど表現者はそんなに偉いのか?苦悩の芸術家気取りで"自分は特別"と、自己憐憫を言い訳と口実に浮気不倫に溺れる自らも肯定しては周囲の人を傷つけ性を搾取する輩へ
そのキャリアをかけて女性の権利のために闘い続けているキャリー・マリガンが共演そして物語上の実質的(裏)主人公という点にもしっかりと意味がある、"偉大なる音楽家"レナード・バーンスタインの華々しいキャリアの裏に隠されたその半生を綴る愛と音楽のドラマ。葛藤の中に矛盾が生まれるようにそれは一筋縄ではいかず、これは"愛"と言えるだろうか?
嫉妬と秘密。夢や想像イメージを象徴するモノクロになってからのファーストカット、スクリーンにも舞台にも見える窓枠からスタートし、知的な脚本、美しい撮影、すごいメイクアップ、そして情感豊かな演出・語り口。巧みな視線の誘導・導線。美術セットも衣装もいい。フェリシアはレナードの悩める大きな影の中にいて苦しんでいる。
愛と優しさ。見せる部分に見せない部分の切り取るバランスが絶妙。孤独な創作者と"表"を生きる演じ手・公人、対象的な二面性に住む世界は違えど表現者同士の支え合い。孤独な芸術家・創作者が陥りがちな周囲に強いる犠牲。そして、公園で背中合わせして数字当て。…でなきゃ身投げしてる。質問は?
LB "Any questions?"
"夏の歌が聴こえなきゃ音楽は作れない"
勝手に関連作品『TAR/ター』『アリースター誕生』
期待していたのとは全く違いました
Netflixで直ぐに配信されることは知っていたのですが、私は映画館に行くのも、クラッシック音楽もキャリー・マリガンも好きなので、あえて映画館に観に行きました。
内容については予備知識を入れてなかったのですが、恐らく二人の素敵な出会いと、結婚後は作曲や指揮に苦労する夫を支える妻みたいな、心温まるストーリーを想像していたのですが全く違いました。あまりのつまらなさに内容をよく覚えていないのですが、終始人がごちゃごちゃいて騒がしく、どうでもいい会話を延々とと聞かされ続ける拷問のような内容の作品でした。
肝心のバーンスタインのことはあまりよく知らないで観た私も悪いのですが、妻がいながらも目の前で他の男に手を出すような人物で、観ていて気分が悪くなってしまい、本作を選んでしまったことをとても後悔しました。
何でこんな映画を作ったのでしょうか?本作を観たおかげで映画もクラッシック音楽も嫌いになりました。
それから、ストーリーとは関係ないですが、いくら役作りだとしても、夫婦揃ってタバコ吸い過ぎ。子供の前だろうがリハーサル中だろが、ところ構わず、ほぼ必ずと言っていいほどタバコを吸っているので、気になって仕方なかったのと同時にとても不快でした。
どうしてレナード・バーンスタインを描こうとしたのかが分からない
レナード・バーンスタインが偉大な音楽家であることは分かる。
実際、彼がマーラーの交響曲第2番を指揮する場面や、学生に指揮法を教える場面からは、「指揮者」としての彼の卓越した才能をうかがい知ることができる。
その一方で、彼の音楽は劇中でふんだんに流れるものの、彼が優れた「作曲家」であるということを実感できるようなエピソードはほとんど描かれない。
インタビューの場面などから、創作に関するバーンスタインの考え方の一端は理解できるのだが、彼が音楽史にどのような功績を残したのか、何が彼を偉大な音楽家たらしめたのかといったことが、今一つよく分からないのである。
男女を問わず「人間が好き」ということは、確かに、彼の創作活動の原点になっているのかもしれないが、それだけが、彼の才能の源泉であるとも思えない。
そうした、音楽家としてのバーンスタインに焦点を当てる代わりに、この映画が描こうとしているのは、バーンスタインと彼の妻の物語である。
ただし、その夫婦の物語にしても、決して波瀾万丈でドラマチックなものではなく、むしろ、ラブ・ストーリーとしては平凡かつ平板で、はっきり言って退屈でつまらない。
バーンスタインの妻が、夫の浮気に愛想を尽かしながらもヨリを戻すくだりは、いくら彼の音楽に感動したからといっても説得力がないし、病に倒れた彼女をバーンスタインが献身的に看病する様子にしても、2人の深い絆が感じられる訳ではない。
寝室を出て廊下を抜けたら劇場だったり、屋外から家の中に入ったら劇場だったりといった、いかにも映画的な驚きが感じられるシーンがあるのも序盤だけだし、スタンダードサイズの白黒画面、スタンダードサイズのカラー画面、ビスタサイズのカラー画面の3種類の画面も、描かれる年代を表す手段としては面白いものの、それ以上の効果を上げているとは思えない。
そもそも、ブラッドリー・クーパーが、どうしてレナード・バーンスタインを題材として取り上げたのか、彼の人生を通して何を描きたかったのかが、最後まで分からなかった。
キャリー・マリガンとミシェル・ウィリアムズ
レナード・バーンスタインの伝記映画ではなく、ブラッドリー・クーパーとキャリー・マリガン演じるバーンスタイン夫婦の愛の物語
ブラッドリー・クーパーが市川崑の如くひたすら煙草を吸っている
個人的にキャリー・マリガンとミシェル・ウィリアムズが何年か前まではいつも曖昧な記憶で、ライアン・ゴズリングとの共演作「ドライブ」と「ブルーバレンタイン」はどっちだっけ⁉(前者がキャリー・マリガン、後者がミシェル・ウィリアムズ)とか、ベン・アフレックの弟との共演作「マンチェスター・バイ・ザ・シー」はどっち⁉(正解はミシェル・ウィリアムズ)、じゃぁマイケル・ファスベンダーとの「SHAMEシェイム」は⁉(キャリー・マリガン)
さすがに両者アラフォーになり、キャリー・マリガンは「プロミシング・ヤング・ウーマン」、ミシェル・ウィリアムズは「ゲディ家の身代金」くらいからナントカカントカ💨
結論として両者共、いい役者さんです!! オワリ!
マエストロ=ブラッドリー・クーパー監督‼️
ブラッドリー・クーパーが「アリー/ スター誕生」に続いて監督したレナード・バーンスタインの伝記映画‼️前作がまぐれでなかったことが証明された素晴らしい作品でした‼️バーンスタインの音楽的な仕事ぶりはもちろん、あまり知られてなかった、というか私は知らなかった同性愛者としての顔、そしてキャリー・マリガン扮する妻のフェリシアとの愛が描かれており、ブラッドリー・クーパーが若き日から晩年までを熱演‼️オープニング・シーンをはじめとするカメラワークや、若き日をモノクロ、晩年がカラーで描かれており、しかもそのカラー映像もちょっと単色というか、まるで古いポラロイド写真のような色彩で、その時代性が良く出てたと思います‼️ただ、我々映画ファンにとって、レナード・バーンスタインと言えば「ウエスト・サイド物語」なわけで、創作面でのエピソードなどをもっと観たかった気がします‼️あとバーンスタインが指揮を執る演奏シーンはダイナミックなんですが、やはり前作に比べると地味な印象‼️ガガ様だから仕方ないか‼️
まったく知らなかったバーンスタインがいた
レディー・ガガとタッグを組んだ5年前の感動作「アリー スター誕生」に続くブラッドリー・クーパーの監督・主演作。
ここにあるのはレナード・バーンスタインと妻・フェリシアの激動の人生、そして音楽。まったく知らなかった二人がいた。そもそもバーンスタインがバイセクシャルだということも知らなかった。
70年代に出会ったバーンスタインは「ウエスト・サイド物語」の作曲者であり、何よりニューヨーク・フィルの厳格な指揮者だった。カラヤンのライバルであり大スターだった。
そう、彼らの私生活をまったく知らなかった。
妻に対して同性愛を包み隠すことがない。
残酷だった。
夫を愛し清濁を併せ呑むかの如きフェリシアを演じたキャリー・マリガン💕彼女の存在がこの作品を特別なものにした。彼女に感情移入した。
てか、スコセッシとスピルバーグに監督を任されたブラッドリー。今年のベストの一本となる素晴らしい作品をものにした。
あっさり
あー、バーンスタイン❗
レナード・バーンスタインの伝記映画が公開されると知って楽しみにしていました。
バーンスタインといえば、70年代にカラヤンの次に人気がある指揮者で髪型もカラヤンに似てリーゼント?で恰好良く、カリスマ性もピカイチ。当日小中学生だった私も知っていました。また、彼が指揮したクラシックアルバムは結構所有しており、現在でもSACD化したアルバムが発売されれば買い求めてしまいます。
さて、本映画の出来はどうかと言うと70点くらい。確かに、バーンスタインを演ずるブラッドリー・クーパーがスクリーンから微笑むと、それはアルバム表紙にポーズを決めるバーンスタインその人であり、会話にも早口で巻くして、凄く知性を感じる。もっと、バーンスタインが好きになり、彼が指揮したクラシックアルバムを聴きたくなりました。
但し、バーンスタインの内面の引き出し方は薄いし、同性愛者であるとか、麻薬らしき物を鼻から吸引したり、ディスコで踊りながら恍惚(ラリっている様な)した表情を浮かべたりしているのは、イチファンとしては観たくなかった。そこが減点。あと、有名人の名前が映画で登場していない。ブルーノ・ワルター(大作曲家マーラーと親交があり、映画でも交響曲2番と5番が印象的に使われてきた)の名前が出たくらいかなぁ。
しかし、バーンスタインのCDを手にとった人、指揮した音楽を聴いた事のある人は一見の価値あり。
しかし、題名は「マエストロ」ではなく、「バーンスタイン」の方がいいなぁ〜と思った。
魂掴まれた!今年の最高傑作👏
ブラッドリー・クーパー!!やっちゃって下さいましたね⭐️
彼の監督力、演技力は常々評価しておりましたが
この作品に賭ける熱量と想いがガシガシ伝わる
「俺様感」がたまりません!
まだまだ震えと興奮が止まらず
上手くレビューが書けませんが…
「観るべき!」作品である事は間違いありません!
心の中で大拍手を送った後半のオーケストラ演奏シーンは圧巻!
このシーンを劇場で体感出来た事に感謝です!
妻役の大推しキャリー・マリガンの神業的な演技とぶっち切りの美しさにも大興奮でした⭐️
間違いなくクーパー共々、賞レースを賑わせてくれる事でしょう!
ネットフリックスでの配信もありますが
是非!劇場でこの音と愛を!
…メイクの魔術師カズ・ヒロさんの手腕に唸るばかりです👏
全75件中、41~60件目を表示