「「ほぼバーンスタイン」のメイク&演技に驚愕。『アリー スター誕生』との共通性に注目!」マエストロ その音楽と愛と じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0「ほぼバーンスタイン」のメイク&演技に驚愕。『アリー スター誕生』との共通性に注目!

2023年12月22日
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鑑賞方法:映画館

ただただ、ブラッドリー・クーパーのレニーへの「なりきりぶり」に驚愕した。
すげえな。少し「目」の感じは違うけど、ほとんどそのまんまじゃないか。
特に、老齢になってからのインタビューの様子や、タングルウッドでのレクチャーの様子のクリソツぶりは、尋常じゃない。
特殊メイクやCGにどれくらい助けられてるかは知らないけど、これだけ動きや表情、しぐさを完コピするためにはどれくらいの準備が成されたことか。
特に、声。レニーの声はとても特徴的で、若いころは張りのある美声なのだが、やがてタバコの吸い過ぎもあってだんだんとしゃがれてゆく。そのあたりの「声音の変化」が本当に年代ごとにトレースされているのだ。人間、ここまで声帯模写って完璧にできるもんなんだな。

ここでの感想を見ていると、けっこう賛否両論といった感じだったので、正直おっかなびっくりで観に行った感じだったが、もうレニーそのままといっていいメイクと動きの再現性に完全にノックアウトされて、個人的にはそれだけでも大変面白く観ることができた。

演奏シーンらしい演奏シーンは、中盤以降にカテドラルでのマーラー交響曲第2番「復活」のオーラスがあるくらいだが、これまたクーパーの熱演ぶりがヤバい。
元ネタになっているのは、1973年にエジンバラのイーリー大聖堂で録音&録画されたロンドン響との「復活」なのだが(今回も同じ場所、同じオケで再現している)、実際には完コピでは全然なくて、かなり動きも興奮ぶりも誇張されている。実際のレニーは、本番ではどんなにエキサイトして乱れても、指揮棒の打点が見にくくなるほど身体の中心線を動かしたりはしなかったし、よく見ると意外にかっちり振っている指揮者だった。どちらかというと、これはリハでオケを鼓舞しているときの振りぶりに近いかもしれない。振り癖自体、レニーというよりは、指揮指導にあたったヤニック・ネゼ・セガン(エンドクレジットで名前が出てきて、おおお、そう来たかと)の影響が強く出ているような気もする。
だが、娯楽映画である本作においては、そのへんはたいして重要ではない。重要なのは、レニーの「精神」の再現性なのだ。
レニーは常々、マーラーを振る時は「全身全霊を注がなければ表現できない」「指揮者もまたこの一曲ですべてを出し尽くすぐらいボロボロになって向き合う必要がある」と言い続けていた。「汗だくになって、頭痛と吐き気に苦しめられ、みんなに頭がおかしいと思われながら、それでもすべてを振りしぼって、自分はマーラーの『極端さ』と向き合うんだ」と。
ここでのブラッドリー・クーパーからは、そんなレニーのマーラーと向き合う際の陶酔と共感と狂気が確かに感じられた。だから、やはり僕は名シーンだと思うのだ。

僕は必ずしもレニーの善きファンではない。
とにもかくにも彼のマーラーは大好きなので、旧全集、DVD全集、新全集はすべて持っているし、その他のライブも手に入るものは揃えている。
ときに泣きたくなると、僕はいつも、レニーのマーラー交響曲9番終楽章のリハーサル映像を観て涙する。
ただそれ以外だと、しょっちゅう聴くのはシューマンの全集とショスタコーヴィチ、アイヴズくらいで、自作自演のCDも通俗曲しか持っていない。
レニーの自作曲で生演奏となると、「シンフォニック・ダンス」と「キャンディード序曲」を除けば、交響曲の2番「不安の時代」を井上/新日フィル、3番「カディッシュ」をインバル/都響で聴いたことがあるくらいか。あと、パーヴォ/N響の「ウエストサイド・ストーリー」演奏会とか。

なので、今回の映画でも、流れてなんの曲か分かったのは上記の曲くらいで、最初と最後で流れるピアノ曲(サントラの楽曲リストをネットで確認する限り、歌劇『静かな場所』の「ポストリュード」のようだ)の旋律など、知っているとまた映画の感興もだいぶ変わっていたのかもしれない。
とはいえ、(「マンフレッド」とマーラーの2番とアダージェットとベートーヴェンの8番以外は)全曲バーンスタイン自身の作曲した音楽でBGMを埋めてみせたのは、素晴らしい英断だったと思う。
レニーは晩年まで、本当は何よりも「クラシック音楽の作曲家」として世間に認められたいと希求しつづけた音楽家であり、殺人的なスケジュールで指揮活動や教育活動をこなしながらも、常に新しい楽曲を書こうともだえ苦しんだ人だった。さっき言及した『静かな場所』の曲にしても「ピアノで弾いたほうがいい曲に聴こえる」みたいな台詞があったかと思うが、レニーはいつも自作曲が世間であまり評判にならないことを気に病み、精神的に追い詰められていた。それを考えると、自分の伝記映画で、結構マニアックな曲まで含む自作曲の数々がひっきりなしに流れることを、天国のレニーは本気で喜んでいると思う。

少なくとも予告編を見る限り、全編でマーラーSym5のアダージェットが流れる、吐き気のするようなべろべろの恋愛劇に仕上がっている可能性もあったわけで、そういう下劣で気持ちの悪いお涙頂戴のBGMなどにはなっていなくて、本当によかった。
(ちなみに、あのアダージェットは、指揮者メンゲルベルクの証言にもあるとおり、マーラーが妻のアルマに宛てて作曲した音のラブレターだったともっぱら言われているので、愛の交歓のシーンで流れるのには、ちゃんと意味があるといえる。)
連弾シーンのピアノの弾きぶりを見ると、ブラッドリー・クーパー自身、もともと音楽的な素養は結構ある人のように思う。彼はおそらく本当にバーンスタインの音楽が大好きなのではないか。

映画としては、基本フェリシアとの愛の軌跡を描くことに傾注していて、当時の音楽業界ネタなどはあまり出てこない。ただ、冒頭でワルターが病気で代演が回って来るとか(1943年に起きた実話)、ボストンでクーセヴィツキーに改名を薦められるとか、NYPOの前任者としてロジンスキの名前が出て来るとかのビッグ・ネーム絡みのくすぐりは楽しかった。どうせなら彼に同性愛を仕込んだとされるドミトリー・ミトロプーロス(彼こそはバルビローリと並んで僕が最も敬愛する指揮者だ)も出してほしかったなあ。
あと、おつきで可愛がられてたOとかSとかの日本人指揮者が見当たらなかったのは残念至極。これだけレニーの性癖に踏み込んでおきながら、マイケル・ティルソン・トーマスも出てこなかったよね? 『TAR』や『ふたりのマエストロ』とちがって、存命の現役指揮者に関しては、醜聞めいた危ないネタはやらないという道義的な配慮なんだろうな。
あと、タングルウッドでのレニーの公開講座を入れこんで来るなら、「ヤング・ピープルズ・コンサート」(『TAR』で幼いターが拠り所にしていた、レニー司会&演奏によるクラシック教育番組)にもがっつり尺を取ってほしかったような。

ちなみに、レニーの同性愛の性癖とヘヴィースモーカーぶり(&コカイン愛好)は、彼を語るうえではどうしても避けて通れないネタである。
ただ、ここまでがっつり、この手のネタが苦手な観客に対する嫌がらせか当てつけみたいに、あらゆるところに入れまくって来たのには、ある意味感心した(笑)。
レニーは『芸術家ってものはホミンテルン(ホモ+共産主義者)じゃないとな』とうそぶいて、奥さんの前でも公然と若い男の子のケツを追いかけまわしていた人物で、今回の映画ではそこから目をそらさずに、独特のレニーとフェリシアの関係を描き出している。

レナード・バーンスタインは、万人から愛され、また万人を愛してやまない、特殊に人懐っこくて極端にさみしがり屋のスーパースターだ。その妻であるフェリシアは「正妻」としての最も近しい立ち位置をゲットしているわけだが、その立場に「満足している」ふり、「広い心でレニーの乱行を赦している」ふりをし続けることに、だんだん疲弊してゆく。やがて彼女は感情を爆発させるのだが、だからと言ってレニーの不在には耐えられない。
3人のお子さん曰く、レニーとフェリシアが子供たちの前で喧嘩したことは一度たりともなかったそうだが、本作では子供たちの「いないところ」でふたりが日頃の鬱屈をぶつけ合う渾身のシーンがある。そこでフェリシアは、異常なまでのバイタリティと豊かな感情を発散させて、まわりのエナジーをドレインして疲弊させてゆく天才レニーの在り方を、舌鋒鋭く看破してみせる。あのあたりの「圧倒的に過活動で魅力的な人物」が回りのパンピーの精神を「毒していく」メカニズムに対する洞察は、非常に共感できるところがあってとても面白かった。

ここで忘れてはならないのは、ブラッドリー・クーパーが映画監督として撮った第一作『アリー スター誕生』でも、本作と「似たようなテーマ」が扱われているという事実だ。
大スターとの恋愛。幸せな日々。だが二人の関係にはいつしかヒビが入る。
芸術的才能に満ちあふれた夫婦が、水面下でせめぎ合う。
より才能が巨大なほうに、もう片方が引っ張られる。
人間的魅力を無尽蔵にまき散らす相手を前に、次第に疲弊し消耗していくパートナー。
逃避と依存の対象としての「酒」「タバコ」「ドラッグ」。
相手を心から愛していても、相手の輝きのまぶしさゆえに自尊心はえぐられ、心は闇に閉ざされてゆく。そのつもりはなくても相手を傷つけ、自分を傷つけてしまう。
……と、割り振りにはいろいろ違いもあるが、二作品の扱っている題材や描こうとしていることは、驚くほどに似通っているといっていい。

要するに、ブラッドリー・クーパーにとっては、こういった才能ある者どうしの「マウント合戦」のなかで展開する「恋愛」こそが、切実に追求すべき重大なモチーフなのであり、圧倒的な才能を前にした時の人間の心の揺れや崇敬、愛慕、劣等感といった正負の感情と「愛」の関わり合いこそが、描きたいことの中核なのだ。
宣伝でさんざん「愛の物語」とか煽っておきながら、奥さんそっちのけで男色にふけるレニーを見せられると、たしかに「おいおい」と突っ込みたくもなるが、この映画が『アリー スター誕生』の「変奏曲」の一種だと考えれば、ずいぶんと見方も変わるかもしれない。
本作は、『スター誕生』において描かれた、愛嬌と魅力はあっても欲望に忠実でアルコール依存に苦しむダメな男と、しっかり者で相手への思いやりに満ちた気丈な女の対比を、実在の人物を題材として、「圧倒的才能」のありかを妻から夫にすげ替えた形で、あらためて描き直してみせた物語なのだ。

もう一点だけ付け加えておくと、本作はたしかに「恋愛映画」であり「音楽家とその妻の伝記映画」(ちょうどリヒャルト・シュトラウスの『英雄の生涯』のような)でもあるわけだが、それと同時に「ユダヤ系のヒーローを描く映画」でもあることを見逃してはならない。
公開前から、この映画をめぐっては一波乱があった。ユダヤ系の俳優陣がブラッドリー・クーパーのつけた「付け鼻」を、ユダヤ人の身体的特徴をステロタイプに表現した「ブラックフェイス」に近いものだとして糾弾したのだ。レニーの三人の子どもたちは「パパが偉大な鼻の持ち主だったことは本当だもの」と徹底してクーパー擁護に回ったようだが、逆を返せばユダヤ人俳優たちは、この映画が「ユダヤのための映画」であり、レニーは「ユダヤ系が演じるべき人物」だと最初から考えていたということだ。
映画に名前の出てくるブルーノ・ワルターやクーセヴィツキーもユダヤ系だし、何よりレニーとフェリシアの二人が心を通わせる遊びが「数当て」というのが、いかにもカバラの数秘術を思わせて興味深い。
ハマスによるイスラエル襲撃の際も、ブラッドリー・クーパーはいち早く、イスラエル人のガル・ガドットやユダヤ系のエイミー・シューマーが中心となってバイデン大統領へ提出したハマス糾弾&人質解放を促す共同書簡に参加している。本作が「親ユダヤ的」なスタンスで作られた映画であることは間違いない。

現在、ガザ侵攻を受けてアンチ・シオニズム運動が改めて勃興しつつあるただ中で、世界で最も有名なユダヤ系音楽家の生涯の軌跡を追うというのも、なかなかに意義深いことかもしれない。

じゃい
パングロスさんのコメント
2024年3月28日

じゃいさん、再々失礼します。
NHKFM 3/24 放送かけるクラシックのレニー特集の件ですが、らじるらじるで「かけるクラシック」で検索するとヒットせず「×クラシック」でヒットするようです。
念のため、お伝えします。
(3/31 PM4:00 まで聴き逃し再生可能)

パングロス
パングロスさんのコメント
2024年3月24日

じゃいさん、またまた業務連絡にて失礼します。
今度はバーンスタイン関係なので、やはりこちらにコメントします。
3/24放送のNHK FM「かけるクラシック」は聴かれましたか?
『親愛なるレニー』の著者、吉原真里さんを迎えてのバーンスタイン特集でした。
『マエストロ』の話題も出て来ます。
実は『親愛なる‥』未読なのですが、番組で紹介されたダイジェストだけで滂沱の落涙をとどめることが出来ませんでした。
また、レニーの交響曲第2番「不安の時代」はクラシック側による真性ジャズの最高峰、2018.5.19の京響定期、広上淳一の指揮、河村尚子のピアノによるスタイリッシュな演奏に感動しましたが、レニー本人の演奏はやはり格別ですね。
鉄オタ漫才が楽しいクラシック番組として毎回愛聴していますが、今回は神回だと思います。
らじるらじるで、1週間いつでも聴き放題ですので、皆さま是非お聴きくださいませ。
業務連絡パート2でした。

パングロス
パングロスさんのコメント
2024年3月21日

じゃいさん、お久しぶりです。
マーラーファンのじゃいさんに、事務連絡があって参上しました。
『ゴールド・ボーイ』はご覧になりましたか?
マラ5が全編にわたって、変な形で使われています。第4楽章アダージェット以外もですが、それ以上のネタバレは避けておきます。
正直、小生は最初イラッと来た使い方でした。
以上、事務連絡を終わります。
『マエストロ』とは無関係ですので、不要でしたら、削除くださって構いません。
ではまた。

パングロス
パングロスさんのコメント
2024年2月11日

じゃいさん、こんばんは。
Netflix の配信で細部を確認したりしたのですが、どうしても見方が散漫になるので、2.10映画館で再見しました。Filmarksに投稿したレビューを一部省略して、こちらにも投稿しましたので、よろしければご笑覧くださいませ。

パングロス
じゃいさんのコメント
2023年12月22日

パングロス様
大変力のこもったコメントをいただき深く感謝いたします。僕のような知ったかではなく、真に同時代を生きてこられた方の感想や含蓄にとんだ情報をいただき、汗顔の至りでございます。
僕は世代的に、レニーの来日時には当然オケを聴きに行ったりできる齢でもなく、CDを買いだしたころにちょうど亡くなったくらいの感じでした。当時は田舎住まいで海外盤を買える環境にはなかったので、マーラーといえばレニーだったわけです。のちにバルビローリやミトロプーロス、ロスバウト、シェルヘンなどの50~60年代の「プレ・バーンスタイン期」の演奏に夢中になるわけですが……。
レニーの場合、単に演奏が素晴らしいだけでなく、パングロスさんがおっしゃるとおり人間的魅力と人たらしぶりがヤバいんですよね。だから、演奏以上に僕は彼の映像を観るのが好きで、「ヤング・ピープルズ・コンサート」やリハーサル映像を観直すことが多いです。彼のリハはそのへんの映画を観る何倍も心を揺さぶられますから。
来年は一応、インバルのカディッシュ再演には赴く予定です!

じゃい
パングロスさんのコメント
2023年12月22日

熱量のこもったレビューに感銘を受けました。
それにしても、レニーが亡くなってから早33年も経ったんですね。

クラシックを聴き始めた中高生のころは、指揮界のトップに君臨していたカラヤン人気をバーンスタインが名実ともに凌駕していくプロセスを目の当たりに。カラヤンの存在が今や歴史の彼方に霞みつつあるように思えるのに対して、レニーの方はいまだに実在感をもって想起されるのは(会場には行けなかったものの)晩年にイスラエルフィルとともに来日して本邦のファンをもれなく興奮させたマーラーの9番の名演が忘れられないからかもしれません。
それに、小澤征爾は別格としても、現役バリバリの佐渡裕や大植英次といった愛弟子たちが常にレニーの愛称をもって師を語るのを聞く機会が多いせいもあるかもしれません。

ところが、今回の映画ではじめてバーンスタインの存在を知ったというレビュアーも少なくないことに正直驚きました。確かに没後33年ともなれば、彼を身近に感じている私などはすでにオールドファンと言われても仕方ないのかもしれませんね。
むしろ、この映画を機会に、一人でも多くの人たちに、リアルなバーンスタインその人の魅力と作品とに触れていただきたいものです。成りきりクーパーも殊勲賞ものですが、実際のレニーは、もう一回りエネルギッシュで、もっと知性を感じさせるハンサムで、映画スター顔負けの魅力にあふれた人物ですから。

蛇足めいて失礼しますが、本作を締めくくるレニーのセリフ " Any questions? " は、レニーによるもう一つのミュージカルの傑作「キャンディード」からの引用です。我が国ではひところ佐渡さんが本曲の伝導者として全曲公演を繰り返していましたが、それもすでに2010年までのこと(レニーの作品にありがちですが、ミュージカルなのかオペラなのか両義的でもあるせいか、世界的に見ても上演機会は多くないようです)。レニーの作品のうち、私のmost favorite でもあります。また、上演されないですかね。
映画の方は、万事不親切なのが玉に瑕ですが、なかなかに含蓄の深い凝った作りで終始楽しめました。

パングロス