「マエストロと生きた女性の心の旅路」マエストロ その音楽と愛と ニコさんの映画レビュー(感想・評価)
マエストロと生きた女性の心の旅路
伴侶としてレナード・バーンスタインを見守り続けたフェリシアの物語。夫婦の内情が話の中心で、クライマックスの演奏シーンを除けば、レナードの晴れ舞台がじっくり描写される場面は意外なほど少ない。フェリシアに寄り添って観てしまう作りだと思ったらクレジット上はキャリー・マリガンが主演になっていた。内容を踏まえて「マエストロ」というタイトルを見ると、フェリシアが複雑な感情をこめて夫にそう呼びかけているような気がしてくる。
終盤を除いて物語の起伏が少なく、少し地味めな印象。バーンスタインの音楽が聴けるのはよいが、特定の曲をじっくり聴けるシーンは少なかった気がした。フェリシアが病に冒されるくだりで涙を煽るような描写を避けていたのは好感を持てた。
私はバーンスタインの仕草をよく知らないので、顔はよく似てるくらいの認識しか出来なかったが、実際の映像での彼をよく知る人が見ればまた違った感想になるのかもしれない。彼の音楽家としての履歴や功績についての初心者向け説明はほぼなく、その辺は観る側が知っている前提で描かれた、妻の目に映る夫バーンスタインの物語。
冒頭で大写しになった、老いたレナードを演じるブラッドリー・クーパーの顔に目が釘付けになった。クーパーっぽいけど本当の老人のようでもあるし、別の俳優なのか?という考えもついよぎるほど、顔だけでなく首や手の皮膚もリアルに年老いていた。それもただ老人っぽいというレベルではなく、レナードの歩んできた人生までも感じさせるような、時間の重みをまとった生々しさがあった。クーパーの演技もさることながら、やはりカズ・ヒロ氏の特殊メイクの力は大きい。俳優の演技と同等に雄弁に、レナードという人物を語っていたように思う。
確か彼は現代アートに軸足を移して、映画の特殊メイクを手がけることは少なくなっていたはずだ。そんな彼の起用に、晩年のレナードの描写に対する製作側の気合を感じた。
(実際のバーンスタインの風貌に合わせて鼻を大きくした特殊メイクに対し、一部のSNSや映画評論家、ユダヤ人差別と闘う団体が「ユダヤ系に対する侮蔑的ステレオタイプ」と批判しているそうだが、アホらしい。バーンスタインの遺族は問題ないと言っている)
前半は、モノクロ映像で2人の蜜月時代が描かれる。部屋を出たらスタジオだったり、庭から室内に移ると劇場だったりと、ちょっとファンタジックな場面転換も恋に落ちた2人のうきうきした気持ちを上手く表している。彼らの仲が深まること以外大きな動きがないので、この辺のくだりは若干冗長なようにも見えた。モノクロ部分の後半で、遠回しな台詞ではあるが、フェリシアがレナードの性的指向を承知していることが示される。
話が大きく動くのは、中盤でカラー映像に変わってからだ。夫婦の顔立ちには年齢なりの貫禄が表れ(これが実に絶妙)、子供たちは成長している。一方で、フェリシアはひとりで深い葛藤を抱えていた。彼女のレナードに対する感情の爆発と和解、病と死が描かれる。
自分の伴侶が他の人間と性的関係を持つのが嫌なのは当たり前の感情だ。しかもレナードはきちんと隠す気がなさそうだし。そりゃ寝室から締め出しますって。
でもフェリシアは、最終的には改めてレナードと彼の音楽に向き合い、彼を許した。演奏から伝わる彼の魂の根源的な美しさへの敬愛が、嫉妬や葛藤を乗り越えたのかもしれない。レナードの芸術家にありがちな性的奔放さは残酷で、肯定的に捉える気はないが、彼女の決心は美しい。
映画の中で、マリガンとクーパーは夫婦が段階的に年齢を重ねるさまを演じたが、年をとってゆく演技の足並みが綺麗に揃っていた。さらっとやっていたが難しいことではないだろうか。
フェリシアの台詞は説明的ではないが、マリガンの目の表情が彼女の幸福感から嫉妬や悲しみまで全て語っていて、さすがだと思った。がんに蝕まれて生気が抜けてゆくフェリシアの姿には胸が締め付けられた。
「マエストロ」と題してタイトルロールの人生をたどりながら、フェリシアという女性の生き方を浮き彫りにする。マリガンが演じたからこそそういう作品になったと思う。