DOGMAN ドッグマンのレビュー・感想・評価
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In the name of God
想像していたのとまるで異なっていて(というより想像のしようがなかった)凄くよかった。美しくて痛くて辛くて激しい。虚構の世界に入ってたった数分間でも自分の場所に安心して居られる幸せ。メイクや音楽やライトと衣装が歌詞や台詞と一緒になって自分を守って自分を強くしてくれる。自分が何をしたっていうんだろう?
ダグラスとエヴリンの対話というか質疑応答から始まったダグラスの語り。これにも痺れた。人間だけが過去や記憶から物語を紡ぐことができる。ストーリー・テラーとしてのダグラス=ケイレブ良い!
サウンド・デザインと音楽、選曲が本当に素晴らしかった。ゴッド・ファーザーのあの曲が歌詞付きで歌われるとは!エディット・ピアフ、マレーネ・ディートリヒなどヨーロッパの音楽はダグラスのママが愛していた。ママが読んでいた雑誌がダグラスを救った。施設の演劇指導の美しく明るい前向きの女の先生がシェイクスピアとメイクを教えてくれた。
知的なダグラス、恋しても叶わないダグラス、ハンサムなダグラス、美しいダグラス、歌うダグラス、お料理するダグラス、微笑むダグラス、痛みを持つ人をわかるダグラス、叫び悶えるダグラス。ダグラス役を演じたケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、完璧の演技で感動しました。
またリュック・ベッソンの映画を楽しめた喜び
(20240409書き直し分)
犬小屋で兄が幕に書いた文字が反転して『DOG MAN』と見える。これは犬男ではなく、神(GOD)に背を向けられた者ということなのだろうか。
主人公の行く所、関係する人達はみんな神の加護とは縁遠く見える。例外は お腹の子と共に家を出た母と、舞台女優として成功した初恋の人。特に初恋の女性は彼にとって、まるで極楽から降りてきた蜘蛛の糸の様。そしてやはり、自分のものにしようとした途端に糸は切れてしまう。
きっと、上を向いて探せば他の糸も見つかったかもしれない。しかし、彼は天からの施しを待つような事はしなかった。母からは歌を、初恋の人からは化粧を、そして父からは犬を、これまでの人生で得てきたもので身を立てて行く。そこに社会的な善悪は関係無い、自分の心に従い生きていく。
最後、服装を整えて教会に歩いて向かう主人公。歩くことで髄液が出てしまう彼にとってそれは死への行進。ゴルゴダの丘を登るキリストのようなもの。高く掲げられた教会の十字架は彼には手の届かないものに見える。しかし、十字架の影に横たわる主人公。こうしてしまえば、十字架は見上げるものでなく、彼に見下されるものになるし、背負えるものにもなる。そして彼の周りには、天使ではなく飼い主に捨てられた犬達。
この姿は何を表現しているのだろうか。今の私には、神に背を向けられた者が、神への愛憎を抱えつつ、精一杯の生をもって 改めてその審判に身を委ねようとする姿のように思える。
…
主人公役のケイレブ・ランドリー・ジョーンズの演技はとても心に響いた。そして何より、またリュック・ベッソンの映画を楽しめた歓びは、とても大きなものだった。
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(20240407初回保存分)
主人公が閉鎖空間で聞き手に過去を告白するフランス映画、去年見た『パリタクシー』を思い出した。
主人公はハンサムでも運動神経抜群でもない。完璧の反対にある、非常に不安定な人物だし、大きな失態も犯す。そんな彼がなぜこんなにも魅力的なのか?それは愛を求めながらも得られず、それでも母や初恋の人が与えてくれた物で懸命に生きようとするからだろうか。そんな彼が歌う愛の讃歌。歌詞を見ると、本当に彼にぴったりに思えてくる。
正直に言えば、ラストの宗教的な表現は理解できなかったし、「こういうのが観たかったんだろ?」と言う様な少し鼻につくものを感じはした。しかし、そんな事を気にしなくなるほど、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ演じる主人公は魅力的だった。
色々と書いてしまったが、一言で心境を言い表すなら、リュック・ベッソンの新作を再び楽しめた事が何よりも嬉しいのだ。
肉体と精神の苦しみを、主人に忠実な犬だけが癒してくれる
最近よく見る、虐待を受けている主人公が何らかのギフトを受けて無双になる⋯かと思ったら違った。
女装した中年の男性が警察の検問に。
事情を聞かれる中語ったのは
記憶のために記す
貧乏なブリーダーの一家に生まれる。
親父はDVが酷く、母親は優しいが出ていってしまう。親父のミニチュアの兄。
大した理由もなく犬小屋に監禁される。
助かりたい一心の行動に発砲され、主人公は結果的に脊髄損傷(下半身不随)と小指を失った
しかし、警察にちぎれた小指を犬に届けさせ救われる。
施設に入り、元々あった頭の良さや才能を開花させる。→おっ?ギフトか?
孤児院時代に演劇の才能に目覚める
しかし、演劇に導いてくれた女性との別れ(初恋)
その女性を追っかけ、楽屋にも行くが彼女は既に結婚をしていた(失恋)
せっかく得た仕事(保護犬飼育)も、予算削減のため奪われる
強制執行の直前に犬を連れて隠れ家に引きこもる。
生きていくためにゲイキャバレーで歌うという仕事を得る
古いシャンソンなどを歌い喝采を得る→少し救われる
犬たちの飼育のために副業をする(犬を使って金持ちから窃盗を繰り返す)
ヤクザの親分を脅迫するも、逆に仕返しされる。
逃走途中で、検問にかかり現在に至る。
なんと悲しく、悲惨な境遇か。心を許せるのは犬たちだけ。
この犬たちが、素晴らしく、言葉や気持ちがわかっているとしか思えないほどだった。
主人公を演じたケイレブが素晴らしかった。
どうせ見るならこんな映画を見てほしい。
最後のシーンは思いが溢れて深く感動した。
優しい人たちと犬たちに囲まれて良い人生生きていってほしいと強く思った。
なるほどね。
大型スクリーンも導入している大きな劇場でありながら、上映していたスクリーンは80席ほどと小さく、この作品に対する期待値がそれほど高くないという現れなのかと少し不安に。
実際に鑑賞者はまさかのたった2名というほぼ貸し切り状態。これほど入りのない作品は初である。
作品はというと、要は犬を手なずけて悪をやっつける・・・みたいな感じ。
幼少期は決して良い環境ではなかった主人公。
イ〇レた父親に虐待を受けライフルで撃たれた際に損傷し、以来車いす生活になる。
あのような環境で育てられ、実の父親から撃たれ苦労する状態に陥れられるとか。
あるいは幼い頃に出会い憧れ、想いを寄せその後成功を収める女性に意を決して遠征して会いに行くも既に婚約者?がいて絶望するシーンとか、生活のためにとあちこち働ける場所を探すもどこも取り合ってくれず門前払いとか、よく“ジョーカー”にならなかったなと。
彼がジョーカーになる理由はいくつもあったであろうに、そうはならなかった。
そこが“ヒーロー”なのだろう。
ただ、あくまでも“ダークヒーロー”。
金銭に余裕もないため犬を使って金持ち宅に侵入して宝石を奪うなど一応“ダーク”ではある。どちらかというと主人公の生い立ちがダークということなのか?
犬たちがいなかったらすぐにやられているような感じはする。決して強くはない。
でもそれでいい。彼はスーパーマンである必要はない。
途中バーで歌うシーンがあるのだけど、あれは口パク?
実際に本人の歌声ならたしかにうまいとはおもうけど。口パクだったら残念。
金髪のウィッグといい、ヘアスタイルといい、体系といい。
海外版IK〇Oさんに見えて仕方がなかった。
途中で黒髪バージョンもあったのだが、あっちの方が似合っていたようにおもうし、ダークなヒーローなのでそういった意味でも黒の方が・・・とかおもったり。
冒頭で警察にとめられ、車の中で血まみれで登場する主人公には少しワクワクしたものの、マフィアのボスの小物臭(どこかコメディー俳優臭)といい、手下のザコ丸出し感といい、ちょっと残念だった。
主人公が負うハンデと釣り合うようにああいう設定にしたのだろうか?
とはいえ、後半のマフィアとの戦いのシーンはそこそこ見ごたえはあったようにおもう。
ラストは結局どういうことなのか、主人公がどうなったのか、よくわからず終了。
よくある「観る人に解釈を委ねる終わり方」というやつなのだろうか?
個人的にはもう少し白黒ハッキリした終わり方の作品であってほしかった。
与えられた苦境で、なお神のことを信じて
こんなに強くて優しくて哀しい人が居たら、抱きしめて一緒に泣きたい。
そんな気持ちになりながら、いつの間にかその強さに惹かれるほどになり、
最終的には人であれ、犬であれ、他者を介して人は自分の強さを作り、
関係性が人の優しさを作っていくのかなと思った。
正直なところ、ここまで人間側の都合よく犬たちが動いてくれることは
現実にはないかもしれない。
でもそれが人であれ、犬であれ、他の動物やひいては人工知能であったとしても
関係性を構築していくことは出来るのではないかという希望。
そして神を信じる心が人を支え、他者のせいにしたくなるような環境や
物事に対しても、なぜかと問う相手としてくれているようにも感じた。
彼はとても優しい。
その優しさをどうやって構築したのかと言われれば、
やはり犬たちから教わった優しさから学んだのだろう。
彼はとても強い。
そのしなやかな強さは犬たちを守りたくて、
守るための自分を作り上げたのだろう。
それぞれの場で人間関係を構築しようとせず、背を向けるのではなく
きちんと彼なりの距離感で、
彼なりのやり方で頑張ってきた結果、
彼の選んだ道は哀しいものではあったけれど。
音楽と映像とストーリーの交じり合った、好きな映画がまたひとつ増えた。
裏ベッソン
リュック・ベッソン大好き。「サブウェイ」がとにかく好き。「フィフス・エレメント」は毎週映画館で観てた(何回かは忘れた)。勿論「レオン」には痺れたし、「ニキータ」「グレート・ブルー」の頃も好き。もー、全部好き。なんなら監修系も好き。きりが無くなるからやめとくけども笑 そんな中でも個人的に大事にしているのが「アンジェラ」。日本ではいまひとつ響かなかったが、鑑賞当時一人でビリビリと痺れていた。あれは良いものです。今回の「ドッグマン」はそれを思い出しながらの鑑賞でした。だからきっと"表ベッソン"では無くて"裏ベッソン"。それが良い。あまり出しゃばらないエリック・セラもお見事でした。このコンビでまだまだ観たい(お願いします)。
「ドッグマン」と言えば数年前に同じ事件を題材にした同名の映画がありまして。アレも中々の衝撃度合いなので、今作が気に入った方は是非ともご賞味下さいまし。胃もたれするかも知れないけども笑
人間ドラマに徹してほしかった
わんわん忠臣蔵
何のかんの言ってもリュック・ベッソンは気になる監督だ。かつて「サブウェイ」の冒頭いきなりのカーチェイス、さらに列車が地下に突入するタイミングでタイトル、というカッコよさに心をつかまれて以来ということになる。
ベッソン監督に私が期待するのは、スタイリッシュで切れのいい映像とクールなアクション。前作の「ANNA」は久々に溜飲の下がる思いだった。そこへ行くと、今回は全体が精神分析医と接見中の回想というカギカッコでくくられているので、アクションがリアルタイムで躍動せず、弁証的に進行していく。ファンは(わがままではあるが)とかくスタイルの継続を求めてしまうのだ。
アナの出自も底辺の境遇だったが、この主人公はそれに輪をかけて悲惨な生い立ちだ。この部分が実話からヒントを得たというから、暗然とする。映画は時に様々な現実から題材を得て構想されるが、実際に虐げられた人々のことを思うと、深い淵に沈みこむような気持ちになる。人間はどこまで残酷になれるのだろうか(ウクライナやガザで今起きていることも然り)。
精神分析医のDV夫のエピソードは、後半で犬を使って制裁を加える展開を予想していたのだが、そこは肩透かしだった。
“IN THE NAME OF GOD”のからくりには、やられた!と思った。
24-038
リュック・ベンソン監督の真骨頂
「グランブルー」リュック・ベンソン監督の"犬愛"がいっぱい詰まった映画です。もうとにかく犬たちがサイコー。
まさかこんな映画とは想像もつかなかったけど。
リュックベンソン監督はサーカス団員だったDV父親がサーカスから預かったライオンが家にいて、赤ん坊の時はライオンと一緒に寝ていたんだと(なんちゅう親だ!)
地中海のバカンス村でダイビングインストラクターをやっていた母親の影響で毎日海に潜りそこにいたタコとウツボが親友に。
孤独だった少年時代は近所の犬が唯一の話し相手という子供だったそうです。
もしかして本当に犬と話せるのかな?
「グランブルー」「レオン」「ニキータ」「ルーシー」
彼の映画には孤独がつきまとう。
リュック・ベンソン監督の自伝「恐るべき子ども」
めちゃめちゃ面白いので気になる人は読んでみてください。
檻
なんて言うか重いテーマだったような気がする。
「魂を救える神はいても、命を救える神はいない」とか…。
主人公はおそらくクリスチャンだと思ってて、ラストを思うに「死のみが救済」とか「唯一の救済が死という社会構造」だったり「主が与えたもう救済が死を迎える事であるならば、生きる事の意味は?」みたいな事なのかなぁとぼんやり思う。
物語は主人公の回想をなぞるような展開で少年期から語られる。
まぁ…キ◯ガイの様な親と、自分を捨てた母親と、父に隷従するような兄が描かれる。犬との絆を構築するに足る環境の提示なわけなのだけども、家庭の歪みって問題提起でもあるのだろう。
かなり長い期間、収監されていたようで…よく狂わなかったと不思議なくらいだ。
そんな背景を起点に語られるのは、不寛容な社会なのかなと思う。
初恋の人に、懸命に拍手を贈る様は痛々しいほどに健気で…誰よりも強くたくさん拍手をしていても、見つけてもらえない。それはつまり届かないって事だ。
自分は車椅子で周りはスタンディングオベーションだから。多数派の価値観に埋没している状況が強烈に伝わってくる。彼は周りにも自分にも悔しいのだと思う。
職を探そうにも受け入れ先はない。
行き着く先はドラッグクイーンである。類稀なるその歌声が彼を助けてくれる事になる。
普通の生活をしたく努力もしてみたけれど、与えられたのは普通ではない環境だ。
彼の居場所は、この世界のどこにもない。
彼はどうやら犬と意思の疎通が出来るようで…犬を使って法を冒す。
なのだけど、ここで疑問に思うのは「法」の範囲と効力だ。彼を受け入れない社会が、彼以外の人を主な対象に作ったルール。彼が崇拝する神ではなく人が作った戒律を強制される理不尽さを感じていたのかも。
犬を使った犯罪も相互扶助にとれなくもなく…誰も助けてくれなかった社会で、本能である食欲を満たす為、犬が勝手にやった事。
犬を裁く法律はないから、罪っていう観点の所在を問うような事かと。要約すると法に触れなくても罪深い人間は腐る程いるって事なのかなぁって。
いやまぁ、それでなくても罪深い存在って前提なんだよな、確か。
ラストになってマフィアが襲ってくるのだけれど、それまで仲間であり癒しと思ってた犬が、一変して牙を向き襲いかかる。
二面性みたいに思うけれどそうではない。獣の習性を発揮しただけだ。おそらく人間にもそれは当てはまる。危害を与える存在には牙をむき襲いかかる事こそ本能だ。従順である事は理性を用いて被った仮面なのだ。
まぁ…死ぬまでシッポしか振らない人間もいるんだろうけど。
ラストに彼は正装し教会の前で死ぬ。
あの自白を懺悔として「連れ出して欲しい」と乞い願う。彼は命を全うしようと足掻いたのだろう。それでも、もう疲れたと。
「もういいよね。もう許してほしい。色々ハンデを抱え生きてきたけど、やっぱりここに居場所はない。どうか神の御許に連れ出してほしい」
僕らが普通に生きてる世界は彼の目にはそう映るらしい。
…うーむ。
全力で否定できないところが悩ましい。
主演の人の歌声は本人なのだろうか?
いや、たぶん違うだろうと思って見てたのだけど、違ってたとしても、こんな重たい役をよくぞ全うしてみせたと拍手喝采だ。
ずっと諦めた人の目してたもんな。
ダークな101匹わんちゃんアクション
ワンコ達がすばらしい。
ドッグトレーナーと根気が必要であったであろう
撮影陣、グッジョブです。
それ含めアクション・・・いいですね。
・・・だけだったような気がします。
主人公の今の立ち位置になってしまった背景の
描写があったような無いような?な感じなので
なぜそーなる?が刺さってこないんですよね、胸に。
ワンコとの連携は(まぁ)わかりますが・・・。
以心伝心はやりすぎ感が・・・あるっちゃある。
もう、フォースを感じますよ。
比べるのもなんですが、ホアキン版ジョーカーは
めちゃくちゃ感情が揺さぶられ、移入して
「そうだよね、ジョーカーになっちゃうよなぁ」
とめちゃくちゃ胸が締め付けられましたが、
本作の主人公は特撮物にでてくる怪人レベルの
ような印象でした。つまり、そういう能力を
もってるのねーって・・・止まりなんですよね。
映像作品としては素晴らしいとは思いますが、
物語としてはどーなんだろ?ってとこでした。
期待していただけに残念。
「DOGMAN ドッグマン」リュック・ベッソンを映画館で観ることは...
ハッピーエンド?
見逃さなくて良かった…
ほぼノーマークでしたが、
リュック・ベッソン監督作品であること、音楽はエリック・セラであることを
あるきっかけで知り、
(映画「グラン・ブルー」や「レオン」でのタッグが有名です)
それはマストじゃない!?ということで観に行きました。
これ、見逃さなくて良かったです…
ホントに。
公開されて2週間なのに
上映館も上映回もぐっと減らされて風前の灯火😭
こんないい作品が
ほとんど知られずに消えていくのは何とも惜しく思います。
主演の俳優さんの演技はもちろんなのですが、
犬たちの演技?が素晴らしい。
犬って本当に人を裏切らないんです…(人は人を裏切りますけど。)
その忠誠心のなせる技なのかもしれません。助演賞をあげたいです。
幼いときに父親の虐待を受け、
車椅子の生活になってしまった主人公。
それでも何とか希望を見出そうとするのですが、世の中は冷たく、心を許せるのは犬たちだけ…。
そんな中で、自分と犬たちの糧を得るために次第に犯罪に手を染めていく。
唯一見つけた職場は、
ショーパブで女装をしての
週に一度のパフォーマンス。
エディット・ピアフや
リリー・マルレーンを歌うシーンは、思わず心が震え、涙なしには観れませんでした。
まさかリュック・ベッソン監督を通して
エディット・ピアフを知るとは…
劇中で歌ったのはピアフの「水に流して」。
〝良いことも悪いこともあったけれど、私は後悔してない…〟
それはまさに主人公ダグラスの生き方そのものだったのでしょう。
今、ピアフを聴きながらこれを書いてます。
犯罪はもちろん許されないことですが、
社会のひずみによって生まれた底辺の人たちによる犯罪は、
社会全体の責任でもあると言えるのではないか…
そんなことを考えました。
その罪を贖ったラストシーンの描き方に
長い低迷期だった監督の復活も感じました。いい映画です。
犬とドラァグクィーンの受難オペラ
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズの女装した顔と犬を重ねたアートワークだけ見て鑑賞。
もっとグロいめのバッドテイストな作品かと思ったら、そこまで酷くはなかった。
むしろ、犬の檻を抜け出して施設に入所した少年ダグラスが、恩師ともいうべきサルマとシェークスピア劇に興じたり、ゲイキャバレーでドラァグクィーンとしてデビューした彼が、エディット・ピアフやマレーネ・ディートリッヒ、マリリン・モンローに扮して、リップシンクの芸を魅せるシーンが長かったりで、要は、ある種の(ミュージカルより相応しい)オペラとして楽しめば良さそうだ。
もちろん、ダグラスは、神の名の下に少年時代に虐待され、最後に十字架の影に倒れて息を引き取るのだから、キリストの受難のイメージを重ねている訳だけれど。
まぁ、考察し出せば、いろいろありそうだけど、まずは本作で使われた懐メロの数々を復習することから、作品の反芻を始めるのが良策かと思う。
【参考】※各自URLは検索してください。
『DOGMAN ドッグマン』の挿入曲とサントラ
2023.12.22
※以上、Filmarks投稿を一部修正の上、投稿
監督、もう少しカタルシスを
お約束のファーストカット、監督戻ってきてくれたんですね。
ジェットリーのダニーザドックが犬のように育った主人公の話だったのに対して、今回は本当に犬たちが出てくる話
スリービルボードで存在を知ったケイレブさん、どんなちょい役でも凄い存在感の俳優さん。
デビューは大好きなノーカントリーだったとはビックリ
何処か狂気を孕んだ雰囲気は本作でも健在、でも留置場で話すダグラスの優しい表情は新たな面を観れた。
残念なのはカタルシスが足りないところで減点1
最初に出てくるギャングの親分、結局ラスボスなんかーい。もっと姑息で変態で狂ってるやつがラスボスじゃないと物足りない。
レオンのオールドマン然りキスオブドラゴンのチェッキーカリョ然り
でも、エリックセラの音楽、良かった。
犬たちのイエスキリスト
主人公ダグラスは「規格外のダークヒーロー」であるが、犬たちのイエスキリストが誕生する物語ではないか。病的なほど理不尽に暴力的な父親の犬への扱いに反発したことから、犬小屋に閉じ込められて悲惨な幼少期を送り、それが原因で車椅子生活を余儀なくされる。あまりに過酷な境遇に置かれた状況を描けば、リアリティさからの乖離を感じるかもしれないが、DVや虐待されている当事者にとっては、大げさとはいえないのかもしれない。自らの半生を語り続けるうちにダグラス演じるケイレブ・ランドリー・ジョーンズの迫真の演技によってドッグマンの世界に自然と引き込まれていった。時には人生の伴侶であり熱烈な信者である犬たちを犯罪に利用するが、弱き者の御用聞きとなって、さらにこの世の不幸を背負うことになる。最後の十字架の影に自らの身体を授ける印象に残るシーンでは涙がこみ上げてくる。だが、これで終わりではない気がするのは自分だけか?キリストの復活を予感させる一幕でもあったように思う。
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