愛を耕すひとのレビュー・感想・評価
全105件中、1~20件目を表示
居場所を求めて
みんな大好き、マッツ・ミケルセン。待ちに待った主演作がようやく公開…!と、家族揃っていそいそ某シネコンに向かった。ハリウッド大作での悪役や「ライダーズ・オブ・ジャスティス」等のマッチョぶりが印象的な子らには、本作のマッツは少し意外だったらしい。とはいえ、さすが!やっぱり!な、彼の魅力あふれる作品だった。
時は18世紀。プロイセンとの戦いに敗れ、国土の半分弱を失ったデンマークは、ユトランド半島の開拓をの余儀なくされた。農民上がりの退役軍人・ケーレン大尉は、起死回生を狙うべく、先人たちが断念してきたヒースの開墾を名乗り出る。(キリスト教思想家・内村鑑三が「デンマルク国の話」で紹介している技師・軍人のエンリコ・ミリウス・ダルガスが、彼のモデルと思われる。)過酷な自然に加え、鼻持ちならない若き地元領主が何かと横槍を入れ、行く手を阻む。なぜここまでして…と思いたくなるが、彼には帰る場所がない。とにかく留まり、荒地を耕すほかないのだ。
物語は、大きな苦難を仲間と乗り越えハッピーエンド…とはいかず、一進一退を繰り返す。広がる空もケーレンの表情も、ひたすら重たく、暗い。唯一明るい光が差すのは、中盤で彼らがわずかに手に入れる、擬似家族のような関わりだろうか。そんな時間も長くは続かず、彼らは幾度となく、様々な人の悪意にさらされる。それでも、ケーレンは怒らない。消え入りそうな命をつなぐために殺された羊や、意味もなく殺戮された馬のつぶらな瞳の方が、むしろ雄弁に生気を放つ。彼が感情を露わにするのは、冷徹な大地に対してのみ。ちいさな芽吹きにほほえみ、霜におびえ、雹に涙する。彼はそうやって少しずつ、人間らしさを取り戻していったのかのかもしれない。
終盤、眉ひとつ動かさず、道を阻む者に発砲するケーレン。返り血を盛大に浴びながら、復讐の道を突き進むヒロイン。「なんか、『ジャンゴ』みたいだったー!」という子の発言に、驚きながらも納得。ドライアイスのように、低温やけどしそうなマッツの情念が、スクリーンにみなぎっていた。
名誉を捨て、土地を離れ、より確かな居場所を手に入れた彼らのまなざしが、今も心に残る。
黙して語らず、挫けず、というキャラはマッツの独壇場
マッツ・ミケルセンがかつては荒野だった母国デンマークの大地にじゃがいもを植え、育て、そして収穫することで実りをもたらした実在の偉人を演じている。主人公はこの一見気が遠くなるような作業をひたすら黙々と、権力による言われのない横槍に耐えつつ遂行していく。これはマッツが過去に演じた『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』(本作と同じニコライ・アーセル監督作)や『偽りなき者』等、黙して語らず、ただ己の信念に従うのみ、という人物像と通底する。この種のキャラクターを演じさせて、マッツ以上の敵役を思いつかない。何しろ、彼には観客の怒りと希望と共感を一身に引き受けて、引っ張っていく牽引力があるのだ。
デンマークの近代史が学べる本作は、同時に、人の心の中に蔓延る根拠のない人種差別を指摘し、カオスの最中にあるヨーロッパの今を予見している。そこに、この映画が今作られた意味を見出した。最後に用意された痛快なエンディングも、"生きていく上で最も大切なものは何か?"という究極の命題を観客に突きつけてきて、納得の1作なのだった。
耕したモノが永続的に実を結び続けるとは限らない現実の苦さ
外部から来た開拓者ケーレン大尉が
地域の有力者のシンケルに何度となく危害を加えられるが、
屈することなく忍耐強く開拓を進めていく。
有力者シンケルはなかなかの外道で、ときに残酷で容赦ないので、
主人公が立ち向かって逆襲するシーンではスカッとする部分もあるが、
一方で多くの犠牲も払うため、苦さも残り、笑顔にはなれない。
なによりこの映画を印象深いものにしているのは、
主人公ケーレンが徐々に大切さに目覚めていく愛が、
開拓で対峙する自然や気候と同様にときに予想外に行き来するもので、
農作物のようにどれだけ心血を注いで耕しても、
必ずしも永続的に実を結んでくれないという苦さを
対比させて描いている部分にあると感じた。
馴染みのないデンマークの歴史や習俗の一端に触れられるのは面白く、勉強になります。
歴史ものだが、今に通じる優れたドラマ
歴史ものが好きな人も、普段は現代劇しか見ない人も、デンマーク史をよく知らなくても十分に楽しめる高度なドラマ展開。美しい大地の映像と壮大なカメラワーク、キャストは一流、監督はよく知らなかったけれどトップランク。素晴らしい映画でした。
なぜ、主人公のルドヴィ・ケーレンがドイツ兵だったのか。傭兵のような扱いではないので不思議で調べたみたのですが、当時のデンマーク王はドイツ・ホルシュタイン公爵領を保持し、ドイツ領での軍事作戦に参加していたらしいので、実在のケーレンもホルシュタイン連隊で昇進をめざしたようです。
史実に基づくイダ・イェッセンの小説「キャプテンとアン・バーバラ」が映画の原作。当時の世相を反映していますが、フェミニズムとDEIの視点から女性・弱者が重要なキャラクターとして創作され、単なる歴史小説ではないという海外書評欄の評価です。
映画のキーワードとして、「辺境」「差別」「権力」「分断」「家族」「尊厳」「暴力」などが想起されました。今、ウクライナやパレスチナで行われている理不尽な暴力や米国・日本で行われているよそ者いじめ問題に通じていて、他所から来た人も土地の人も、今ここで協力して生きるという課題に、リアリティを感じたドラマでした。
25年間も戦場にいて、人はどんな現実に直面するのか?寡黙で冷徹とも言えるケーレンですが、「家族」を得て徐々に変化していく。その内面を少ないセリフと身体の動き、そして目の表情で伝えるミケルセンの演技は素晴らしい。
さらに、小説タイトルにもなった"アン・バーバラ"の格好良さには惚れ惚れ。また、ロマの子である"アンマイ・ムス"を演じたメリナ・ハグバーグの生き生きとした演技が暗い色調の画面をとびきり明るくしています。彼女が腕を上げて『パンケーキ!』と叫んだシーンはアドリブ(本物のパンケーキが出てきたから)、台本にないセリフでしたが、あまりに素晴らしく美しいと感じて、そのまま映画に使ったという監督ニコライ・アーセルの弁。
蛇足ですが、家族の食事シーンは何かハリウッドの「古い西部劇」を見るような懐かしさもありました。
感動的な力作だが、見ていて余りにも辛い
横暴な領主は、なぜ、ただの退役軍人を苛め抜いたのだろう?
18世紀の中頃、退役軍人のための救護院で食いつめていたルドヴィ・ケーレン元大尉は、耕作不能であるとされていた荒地(ヒース)の開墾をデンマーク王室の行政官に願い出る。開墾ができた暁には、貴族に叙せられることを条件として。荒地の開墾が王の望みでもあったことから、異例なことに許可が下りる。
開墾を志した王の土地に対して、近くの荘園領主フレデリック・デ・シンケルは領有権を主張し、ケーレンの邪魔をし抜く。なぜあれほどまでに、虐めたのだろうか?
ケーレンが、横暴な貴族の落としだねであったことが大きかったのではなかろうか?この映画のデンマーク語の原題は、「出自のはっきりしない者」。シンケルは、顔を見ただけで、それが判ったと言っていた。しかし、シンケルが、食料の足りない開墾者たちに、クリスマスのごちそうの残りを持ち込んだり(ケーレンは、むろん拒んだが)、彼としては異例この上ないことに、取引を申し出たりしたのには(入植が成功した時には、彼に有利になる条件をつけてだが)、他にも、二つの理由があった。
一つは、ケーレンがジャガイモの栽培をしようとしたことだろう。ジャガイモは欧州の救いの神だった。最初に、スペインに入った年代こそ、はっきりしないが、その後は戦争のたびに拡がっていった。フランスには16世紀末に、ドイツでは18世紀初頭に重要な作物になり、デンマークの隣国スウェーデンには18世紀の中盤には持ち込まれている。痩せた土壌と厳しい気候でも収穫が可能なジャガイモは、このヒースにこそ格好の作物であり、偏ってはいるが、ある種の感性を持つシンケルには、それがわかっただろう。
二つめは、やはり女性のことか。一人は、シンケルの従姉妹で、ノルウェーから連れてこられたエレル、もう一人は、かつてシンケルの使用人であったアン・バーバラ。あとは、見てのお楽しみ。
一つ不思議だったこと、タタール人、とりわけアンマイ・ムスと呼ばれる少女が大きな役割を果たすが、タタール人は普通トルコあたりから流れてきた人を指す。アンマイ・ムスは、南から来たと言われ、肌の色も浅黒く、どう見ても(インドから流れてきた)ロマだった。
彼は幸せだったのか
男は去って、女は去らず
歴史ものが好きならお勧め、18世紀のデンマークが舞台で
わかりやすい悪貴族VS開拓者の構図に 三角関係の恋愛要素に 家族愛
てんこ盛りのエンタメ色強い作品ですが、マッツ・ミケルセンの演技力と画力のせいか
1級の映画に仕上がって見ごたえがありました
ラストまでどんな展開になるのか目が離せない
物語の着地がたくさんあって後半はクライマックスの連続です
もうここで終わりかなと思ったら次に次に物語は続いていきます
個人的にはアンマイ・ムスが嫁に行くところで終わっても良かったかなと思いましたが
最後の選択を描いてこそ物語が完結するんだろうなと思いました。
往年の名作「風と共に去りぬ」のスカーレットは愛をなくしても土地を糧に前に進んでいったのですが、ルドヴィは土地を捨てて愛を選んだ
いい映画でした
マッツ・ミケルセン主演「愛を耕すひと」17世紀のデンマークが舞台で...
いつもはあの女優さんが
一大叙事詩
「007/カジノ・ロワイヤル」(06)で強敵ル・シッフルに扮したマッツ・ミケルセンを初めて観たとき、悪役なのにあまりの魅力的な存在感に心を鷲づかみにされた映画ファンの一人ですが、今作もまた、非常に重厚で見応えのある歴史ドラマのど真ん中にミケルセンが鎮座し、先の読めない怒濤の展開に固唾を呑んで魅入ってしまいました。舞台となる18世紀半ばのデンマーク、荒涼とした荒野(ヒース)の自然の厳しさと対比して、人間のちっぽけさがひしひしと伝わってきました。こんな痩せた地を鍬で開墾しようとするケーレン大尉(マッツ・ミケルセン)の無謀とも思える挑戦の前に立ちはだかる広大な自然、さらには歪んだ権力意識をもつ残忍な領主デ・シンケル(シモン・ベンネビヤーグ)との対立を軸に、様々な人間模様が絡み合い、ぐいぐい引き込まれました。予測不能の展開の先にある結末は、まさに驚きと感動があり、しばらく余韻にひたったまま現実世界に戻れないような充実した映画体験でした。
王
貴族の称号、それなりの報酬を求め王の家を作り、苦を乗り越え偉業を成し遂げた男。
彼は優しく偉大なるも、時に人生の選択を間違えたり。
行動すべき所で踏みとどまったりする。
彼の人生は晩年まで描かれるが、その選択ミスは一生の効後悔、懺悔となったり。
いくら大きな事を成し遂げても人生に悔いは残るんだな。
王たる者も、人で有ればやっぱそうなんだな。
でも彼は最後あれほど欲しかった貴族の称号、お金、地位を、全てを投げ捨てその後悔を取り戻しに行動する。
そうだ、それで良いんだ!
キミの一番はもう持っていたじゃ無いか、ただ無自覚だっただけだろう、キミが得たモノは偉業や、農産資源じゃ無いよね。
彼が施設で娘抱きしめ、最愛の人を救い出し、何も無い野原に強引だろう、法に背いてもただ妻を助けたかった転げ捨てられた手錠に、切なさと正しさと、決意の行動が描かれてた。
正しい王でも選択を誤り、自分を恥じるんだな。
間違いは有るさ、でもソコを全力に、全てを捨て正しさに向かうのが本物で有って欲しい。
これが史実だって?やるやんカッコいいやん。
マッツ・ミケルセンの男っぷり
18世紀デンマーク。
開拓不可能と言われた広大な荒れ地を、苦労の末に開拓しながら、足元を掬われる。
開拓させて成功したら取り上げて自分たちの手柄にしようと目論む政府高官がいたら、いったいどうすればよいのか。
王の権威は地方まで行き届いていないのは明らか、王の土地であるにも関わらず、地方有力者のしたい放題。
特に力あるデ・シンケルは、法などあって無きもの、数々の非道な行いにも関わらず、ひとつの報いも受けないどころか、ますます肥え太って大きくなる。
熱湯刑がひどすぎて思わず声が出てしまった。
デ・シンケルの、腹を刺しモノをちょん切ったアン・バーバラに拍手喝采。
不条理な世界をぐっと我慢して見られるのは、信念を持って黙々とすべきことをする、ケーレン元・大佐の男っぷりと、雄大で厳しく美しい風景、弱い者同士が肩寄せ合って小さい幸せを分かち合う温かさがあるから。
春が来て、蒔いた種芋から新芽が出たところは感動的。大事に見守る3人に、こちらも胸が温かくなった。
アンマイ・ムスは、赤毛のアンに似ている。人生が過酷すぎて、想像力を発揮して夢の世界で生きているよう、おしゃべりなのも似ている。愛に飢えていて、優しくしてくれるアン・バーバラとケーレンに全力で懐いているのが泣ける。そして、なんともかわいい。
彼女が成長して、自分の「一家」を見つけて去って行くのを見送るケーレン、可愛い娘の巣立ちは喜ばしいと思いつつ、自身の孤独には耐えかねたのだろう。
幸せってなんだろう、と彼は考えつくしたと思う。
地位も名誉も富もいらない。すべてを捨てても、力づくでアン・バーバラを取り戻したケーレン、彼女が住みたいと言っていた海の近くに馬を進めるふたりが、幸せを掴めたら良いなと思った。
予想より遥かにスペクタクルだった!!!
何となくイメージ的に、単調な映画なのかな、でもマッツ出るし、見とかなきゃな的に見たのですが…
圧巻でした!めっちゃ悪代官的な悪者出てくるし、マッツのカッコいい戦闘シーンもあり、ドキドキハラハラそして泣かされました。デンマークの大河ドラマです、これは。
成り上がり者だけど、国王に忠誠を誓った誇り高き男の話。そして本当にムカつくんです!あのヘボ領主!ヤツが死ぬシーンはよくやった!本当は熱湯地獄も味わせないとだ!と思いましたが…
ラスト、アンバーバラを迎えに行くシーンは逆に淡々としてたのがよかった✨2人再会の時涙涙なシーンもなく、ただ馬に彼女を乗せて、彼女が言っていた海の見えるところに向かうシーン…静かだけど、いや静かだからこそ、やっと訪れた安息の地、というのがとても表現されていて…
心に残る映画になりました。ありがとうマッツ…
追記:全然映画に関係ないけども、あの牧師さん、ヒューダンシーぽくて思わずえ?ハンニバル?って思っちゃったのはやっぱり私だけですよね
デンマークデンマーク版・大草原の小さな家? ではなかった
デンマークの海沿いの荒地。その美しい風景の中にポツンと建つ「王の家」。家族が(疑似家族なのだが)畑を耕し、少しずつ愛情を育んでいく。まるで『大草原の小さな家』のような開拓物語かと思いきや、もっと複雑で現代にも通じるテーマが見えてきた。
主人公(マッツ・ミケルセン)は25年の軍隊生活を終え、次の人生の目標として開墾を選ぶ。過去に何人も失敗してきた荒地を。そして、成功すれば貴族になれる。
彼は軍隊でも、身分のない者としては最高位まで昇進した意志の強い男であり、目標を決めたら必ず達成するタイプだ。だからこそ、また新たな困難に挑む。
けれど、彼が本当に戦っているのは荒地ではなかった。悪徳封建領主の圧倒的な権力、仕事と家族のバランス、組織作りの難しさ……。開拓は順調に進んでいるように見えても、それだけでは幸せになれない。貴族になれれば自由になれるのか? 成功すれば人生は満たされるのか?
最初は「開拓を成功させて貴族になれば報われる」という話かと思った。でも、残念ながらそうはならない。
目標を達成しても幸せになれないことは往々にしてあるのだ。というか、この主人公は目標を全て達成したけれど、それ以外は空虚な人物でもある。
しかし、ラストの彼の表情には、「目標を達成することだけが人生じゃない」と気づいた人の姿があった。それはまるで、長年「戦う」ことを生きがいにしてきた企業戦士が、ようやく別の価値を見つける瞬間のようだった。
目標達成への努力による自己実現的な価値観の限界、封建社会の理不尽な現代にも通じる権力構造。美しく、見やすい映画だけど、その奥には意外なほど多くのものが詰まっていた。観終わった後も、しばらく考え続けたくなる作品だった。
タイトルなし(ネタバレ)
18世紀のデンマーク。
国土の多くを占めるユトランド半島は荒地だった。
救貧院に身を寄せる退役軍人のルドヴィ・ケーレン大尉(マッツ・ミケルセン)は、王領地の荒地開拓を申し出る。
資金は軍人年金。
開拓の暁には貴族の称号が欲しい、と。
それは、貴族の私生児として生まれた自身の出自、その汚名返上だった・・・
といったところからはじまる文芸映画。
原題の「Bastarden」は「私生児」の意。
彼の名誉を賭けた後半生の物語。
ケーレンが開拓に着手した土地は王領地であるが、近隣の領主デ・シンケル(シモン・ベンネビヤーグ)は、自分の土地と言って譲らず、悪質な嫌がらせを仕掛けてくる。
デ・シンケルは、元々のシンケルの苗字に箔をつけるために自ら「デ」をつけたぐらいの輩。
ケーレンは、シンケルの元から逃亡した小作人夫婦を雇い、また森で暮らす流浪民を雇い、開拓を続けるが、するうち、逃亡小作人夫婦の夫はシンケルに捕らえられて、文字どおり煮え湯を浴びせかけられて殺されてしまう。
流浪民たちもシンケルの企てで去り、ケーレンのもとに残ったのは、逃亡小作人の妻アン・バーバラ(アマンダ・コリン)と、黒い肌から周囲から忌み嫌われる少女アンマイ・ムス(メリナ・ハグバーグ)だけになる。
ケーレンは、シンケルの従姉妹エデル(クリスティン・クヤトゥ・ソープ)から思いを寄せられるが・・・
と展開する。
悠揚とした語り口で、前半はややもたついた印象があるが、ケーレンをはじめ清濁ある人物造形が物語への深みを生んでいる。
強そうだから強い、弱そうだから弱い、という訳ではない人物造形。
ケーレンも、ある種の妥協も引き受ける。
このあたりは、演じる側の力量・魅力も試されるわけで、マッツ・ミケルセンの演じっぷりは堂々としている。
ただし、敵役シンケルやその側近がややステレオタイプか。
これは俳優に魅力がないのか演出が悪いのかはわからず。
登場する女性たちはそれぞれ魅力的。
気丈夫なアン・バーバラはわかりやすい人物像だが、シンケルの従姉妹エデルの役どころはやや複雑。
エデルの出番はもう少し多くてもよかったかも。
物語的には、終盤、着地点が予想出来ず、かなりの面白さ。
納得の終局で、満足の一篇。
日本版タイトルは、やや甘い印象。
「荒れ野を耕すひと」ぐらいでよかったように思えるが、それだと商売にならないかも。
トーマス・ハーディ小説の映画化『テス』『日蔭のふたり』『めぐり逢う大地』が好きなひとは必見です。
全105件中、1~20件目を表示