オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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ハンバーガー屋の経営も無理だ
第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。今を生きる私たちに、物語は問いかける(公式サイトより)。
ホロコーストで数百万人のユダヤ人を虐殺し、後年の研究で極めて凡庸な役人だったことが明らかとなったアイヒマンは、「わたしの罪は、従順だったことだ」という言葉を残しているが、本作に登場する核兵器を開発したアメリカの科学者たちも、アイヒマンのように何か一元的な原理に「従順」だった故の蛮行であったかというと、そんなに単純ではない。オッペンハイマーをマンハッタン計画のリーダーに起用した軍将校グローヴスが、かれを評したセリフがそれを象徴する。
「頑固で人の話も聞かないし、女たらしで他人を信用しない。おまけに共産主義者の疑いがある。コイツいいとこなしだ。優秀な物理学者だが優秀な人間ではない。ハンバーガー屋の経営も無理だ」
科学者として真理の探究や愛国心はもとより、功名心、劣等感、不貞相手との歪な関係、共産主義、政治的思惑等、濃淡があり、起伏や深浅のある行動原理がオッペンハイマーだけでなく、登場人物の分だけ交錯して核兵器は出来上がる。
ノーラン監督が、史上最悪の兵器を開発した天才科学者の根底を流れる、ある意味で極めて普通の「人間味」を表現するために用いたメタファーが「眼」と「雨」だ。作中、頻繁に登場するオッペンハイマーへのドリー・インのカメラワークと、荒天や曇天が連なる心象風景が、観客をかれの内側へ不穏感を伴って何度も誘う。
本来はナチスドイツを阻止するために研究開発されたきた核兵器だったが、ヒトラーの自殺によってナチスドイツは崩壊、兵器の開発そのものの必要性が研究者内部から問われ始める。この時、仮想敵を壊滅寸前の日本にすり替えたオッペンハイマーの心中にあったものは、果たして政治か、功名心か、純粋に心血を注いできた研究の成果を見てみたいと思う科学者としての探究心か。投下都市選定の会議で責任者が「リストから京都は外した。文化的価値と…。わたしは新婚旅行で京都に行った。あそこは美しい街だ」という科白にわたしたち日本人は息をのむでしょう。
印象的だったのは、広島・長崎への原爆投下で大戦が終結し、TIME誌の表紙を飾るなど、一躍「時の人」となったオッペンハイマーが大統領執務室に呼ばれ、その功績を称えられる場面。わずか数分のシーンだが、普通の人間味などとうの昔に捨て去ったアメリカ大統領の何とも言えぬ不気味さに背筋が凍る思いがした。後で調べ見てみると、あなただったのね。納得の存在感。
ミステリー小説の読後感
オッペンハイマー。
なによりその音がいい。
ベッケンバウアー、メルテザッカー、シュバインシュタイガー…。おぼえにくそうなのにおぼえてしまう。つい、つぶやきたくなる。唱えたくなる。ブツブツブツ。
短いショットをバンバンつなげて複数のプロットを並行してみせていく。あれ?観ている自分はいまどのプロットにいるんだっけ?と感じさせない。
ひとつのプロットはモノクロで、中心人物が異なる。
タイムリープとも違うんだけれど、時空を区切ってプロットし、破綻なく効率的に最終地点に連れて行き、伏線を回収する。
良質なミステリーを読み終えた後のような爽快感です。
歴史を変えてしまった苦悩
今も続く戦争と核兵器の思考作品
原子爆弾を開発した天才科学者が巡り合わせの中でそれを作り、そして戦争で投下された後の終戦後「原爆の父」と呼ばれた先にどのような人生があったのか。
オッペンハイマーを中心とした科学者の成功と苦悩と彼をとり巻く人々の物語だ。
前半はカラーとモノクロと時間軸を置いてかれないように観ていたけど気づけば3時間集中して観れました。
物理学300年の集大成が核兵器…
国を守るため自分が開発したものにより予想よりはるかに多くの人が犠牲になった事実を突き付けられるのはとても想像し難い。
いつどこに投下するか判断した訳ではなく直接手を下した訳でなくとも科学者の自分が作ったものであることは変わらない。
そしていつの時代も成功者の周りは色々な思惑が動いている。
もし時代が違っていたら、何かひとつ違っていたら天才科学者はこの世に何を残しただろう。
時間とお金をかけた核実験が成功し国家機密の作業に従事していた人たちが喜ぶシーンはそれが投下された国の未来を知っている(学んでいる)日本人からすると、なんとも形容し難い気持ちになった。
それでも、原子爆弾が作られるまでの事やその後の彼らを知り考える機会になったと思う。
核に対する懸念、心配が恐怖になる
大変見応えありました。3時間という長さを感じさせませんでした。
(でもさすがに、エンドロール途中でトイレに行くため出ました。)
原爆開発計画の掘り下げではなく、原爆開発に携わった主人公を掘り下げた作品です。
原爆投下に際して、オッペンハイマーやその他科学者や政治家の間でどれだけの議論があり、逡巡があったのかどうかという点は、とても気になるところですが、残念ながら作品の中ではそこがポイントではないと思いました。また、作品で描かれたものが事実かどうかはわかりません。ただ、オッペンハイマーの信じた真実を描いたのだと思います。
戦時下の開発競争、そして冷戦へと恐怖と危機がエスカレートしていく中で、各個人の選択はやむを得ない選択をしたのかも知れないが、その結果が破滅への道だということを思い知らされます。
まさに、プロメテウスの火だという言葉が沁みました。
二度と使わせない・使わないために、私たちはどう行動すればよいかを真剣に考えるようになる映画だと思います。
一方で、ゴジラと一緒に超兵器と自分自身を葬った芹沢博士の選択の理解が深まりました。
予習して映画館で観て欲しいです
映画としては大いに評価されるべき作品だが…
若い人にはお勧めしない
日本視点でみてしまうと面白くない
「長い、無駄にのばしている」「論点が違う、ズレている」「原爆の被害をちゃんと描写してほしい、腹が立つ」などのコメントを読んでから映画を観た。それでこのようなコメントは日本視点で映画を観てしまっているからだと思う。何よりこの映画は、原爆への謝罪や弁論のために作られたものでは無い。また監督の焦点は「オッペンハイマー」であり、原爆ではない。
まず、この映画自体オッペンハイマー視点と、オッペンハイマーを客観視した映像しかないから、オッペンハイマーに焦点として作られたものである。論点が違うとかではなく、この映画の論点はここなのである。原爆を投下したシーンがないのも、オッペンハイマーの視点では実際見ていないので当然。実際のシーンがなくてもそれはオッペンハイマーの視点から十分に描写され、表現されている。
長いという意見も、日本視点でしかないと思った。原爆が落ちたことは通過点にしか過ぎない。大事な部分ではあるが、それも踏まえて通過点と言いたい。オッペンハイマーが原爆を作るまで、そしてその後という彼の研究を主とする映画なのでこれらを説明するには適切な尺。日本への核攻撃にて、「日本に?あ、そうなんだ」というシーンに怒りを示すコメントもあったけど、むしろそれが狙いというか、何十万人と人が死ぬような出来事をそんなアッサリという残酷さや冷淡さを一言で示すセリフで淡々としてるあの雰囲気を上手く表現出来たシーンだと思った。もちろん、怒る気持ちもわかるが、この映画自体論点はそこでは無いと思ったため、そこを別にしないときっと楽しめない。オッペンハイマーは物理学者であり、政治家でも、軍人でも無い。しかし、研究にて誕生させた爆弾が戦争で使用されることや、原爆の父という名で知られるその心情をおもうと色々考えさせられる。日本の視点とオッペンハイマーの視点を行ったり来たりしてみると何度も涙が流れた。
確かに一般的な映画に比べると長いが、蛇足のようには思えなかった。
個人的にノーラン監督が好きであるので、映像全体としては、少し難しい設定や、複雑な構成から彼らしさが出ていてまたやってくれましたねという感想だった。難しいとか分かりずらいという意見にはそれが見どころだと言いたい。
事前知識は必須。
若かりし時代の彼の頭に浮かぶ核反応イメージと焚火の炎の揺らめき、プ...
若かりし時代の彼の頭に浮かぶ核反応イメージと焚火の炎の揺らめき、プロメテウス云々の逸話と宇宙が幾重に描写され、物理や自然科学、人類史の永劫性、普遍性を感じながらのスタート。
余談だが、設定の時代が近いこと、原野を夫婦二人が馬に乗っているシーンや焚火と宇宙の交差(交信)表現は昔の映画「ライト・スタッフ」にも重なり、原子爆弾と大気圏外という「神の世界」に人類が脚を踏み込んだというテーマの観点でも同じくで興味深い。
原子爆弾投下時が物語のクライマックスと思っていたのだが、その時の彼含めた周りはその程度かと思うくらい緊迫感がなく、それもそのはず実験時の爆発の衝撃描写が弱くて、もしこれが事実だとするなら、立ち会った多くの人間が広島や長崎をまさかあれほどまでの惨事に招くとは思わなかったのではなかろうか。一方でその淡々とした描写によって「兵器」ではなく「物理学研究」の成功か失敗かという科学者視点の物語に挿げ替えることができたのだが。
とはいえ、原爆の被害者をイメージさせるシーンが出てくるが、R15だけにもっとインパクトある史実に近い演出をして欲しかった。あまりに弱く、あれでピンとくる(被害想像できる)のは日本人だけだと思う。
後半は終戦後のオッペンハイマー及び関係者の詰問シーンが続き、これはアメリカ人にとっては大事なことかもしれないが、私にとってみればもうどうでもイイことで、唯一、「J・F・ケネディ」に耳がピクリと動いた。彼はやがて暗殺されるのだが、暗殺したのも原子爆弾を作って落としたのも科学者でも政治家でも国民でもなく、アメリカと言う名の「概念」みたいなものがそうさせるのだ。やる前に理由をこじつけ、終わった後にその歪みの責を他人に負わす。現在も続くその危うさをこの映画は伝えているように思う。
メメントに一番近い
原爆製造までの過程とその後を淡々と描く
わかりづらい
予備知識を入れずに観に行ってしまい、そこはもったいなかったのですが、見てよかったと思える作品でした。
ただ、登場人物と、並行して進むストーリーがわかりづらくマイナス。理解した上でもう一度見たいです。あと、聴聞会の場面が長すぎるように感じました。
戦争物は避けてきたのにこの作品を見ようと思ったのは、3時間かけるのはどういう作品なのか気になったのと、アメリカ側の視点を見てみたかったからです。
実験や原爆投下の後人々が喜ぶシーン、爆弾が運ばれていくシーンはあんまりだと思いましたし、原爆の被害を人数だけで示すのはあっさりしすぎか。オッペンハイマーを描くには実験だけで十分という判断だったのかもしれませんが。実験で結果はわかっていたのに、なぜ止められなかったんだろうなとも。
オッペンハイマーがピカソの絵を見る場面の意味も気になったところでした。
力作だが、情報量が多い
学生時代から原爆完成、投下までのオッペンハイマーの半生を断片的に描きつつ、彼がその後スパイ容疑を受け審議を受けるシーン、
そして原子力委員会メンバーであるストローズが商務長官指名の承認をかけて審理を受けているシーンが同時平行で描写されていきます。
この三つのシーンの時系列をあらかじめ把握しておかないと理解が難しいかもしれません。
そして登場する人物も膨大であり、二つの審議ではそれらの人名がどんどんと出てくるため正直一度の視聴で全てを理解するのは困難な気がします。
表現は等身大的で、オッペンハイマーという人物を特に善としても悪としても描いていない印象を受けました。それは受け手の判断に委ねられているというか
いかにして原子爆弾が生まれることになったのか、その学びにはなると思います。
グロなしでわざわざR15にする必然性が感じられない
2024年映画館鑑賞32作品目
4月29日(月)イオンシネマ石巻
ハッピーマンデー1100円
「原爆の父」と呼ばれたアメリカの理論物理学者のJ・ロバート・オッペンハイマーの伝記映画
ロスアラモス国立研究所初代所長としてマンハッタン計画で原子力爆弾開発に指導的役割を果たしたオッペンハイマー
オッパッピーではなくてオッピー
チントンシャンテントンではなくてピカドン
演出もBGMも役者の芝居も悪くない
ただ脚本が酷い
わかりにくい
難しい
ウッティ・アレンの映画を観てるよう
広く一般に全世界の老若男女に対するメッセージとしては難解
一流有名大学出身の映画評論家やアカデミーやカンヌの審査員にターゲットを絞ったのか
自分は理数系特に物理が苦手だったからかもしれない
もう少し短くても良かった気もする
女性問題はどうでもいいよ
「ノーモアヒロシマ」「ノーモアナガサキ」といった反戦活動家ではないがなんだかとても言い訳がましいなあと感じた
アインシュタインはよく似ていた
しくじり先生の中田の授業ならもっと面白おかしくわかりやすい解説をしてくれると思うがなあ
原爆がらみで面白おかしくやったらバービーみたいに炎上しそうだけど
科学者の責任は如何に
歴史の解釈は時代ごとに如何様にも変化し続けるのだなと思いました。
科学への探究心と倫理性の間で揺れ続けたオッペンハイマーの葛藤が上手く描かれていてとても面白かったです。
特に大気引火の可能性を否定できないにも関わらず実験を敢行したシーン。
段階では世界を滅亡させるかもしれないと憂慮していたオッペンハイマーが、証明できないことはもはや検証してしまえというある種最も科学者らしい考えでスイッチを押してしまうという恐ろしさにゾクゾクしてしまいました。
色々と考えさせられる良い作品でしたし、
色々な時代背景や世界の繋がりを学ぶ良い機会となりました。
世界中の人々が自国だけでなく、他国の情勢にもっと目を向けることが一番の戦争の抑止力になるのだろうと思います。
人間の愚かさよ
これまで観た映画で最もムカつく映画
全726件中、161~180件目を表示