オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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皮肉なもの、天候が違えば落ちていなかったのか
日本人の心にはあまり響かないとは思いますが、半歩進んだのかもしれない。
演技と脚本、演出が特出して良かったかな。
立場が変われば、主張は変わる。それによって状況や歴史は変わる。まだまだ、人類は未熟なまま。
己の行いに責任を持つことの重み。
追記
私にはこの映画は責任転嫁とすり替えなのかなぁと思えた。
博士はユダヤ人として、ドイツに落としたかったのだろう。日本に落としたからこそ、あそこまで、呵責に苛まれたのだろうかと見えました。
これら全ての人類の悲劇は、私怨なのかもしれないと悲しい思いです。
何か一つボタンがかけ違えば、これだけ多くの被害は避けれていなかもしれないと思うと、やり切れない。
同じ過ちばかり繰り返す人類は進化という妄想の中で、嘘と欲にもがいてるだけのように見える。
残念なところが結構ありました。!!!
原爆が実際に使われるまで、ストーリーを続けて欲しかった。
この映画の中で戦争がどういうものか??も中に入れて欲しかった。
何故、原爆が必要だったのか??がイマイチ表現力不足なのは凄い残念です。
共産主義だとかソ連のスパイ容疑の裁判は少し短くしてもらい他のことにストーリーの焦点をあてて欲しかったのも残念でした。
あくまで伝記映画。強い反戦反核メッセージを期待する人には…。
強い反戦反核メッセージを期待する人が見ると星1・2の作品になると思う。オッペンハイマー(長いので以下オッピー)の伝記映画であること、アメリカ人向けに作られていることを理解した上で鑑賞した方がいいかな。
ただひとつ注意点。NHKの取材でノーラン監督が『どう考えるべきかを伝える映画は、決して成功しないと思います。』と言っているので強いメッセージ性がなくて当然だしそこは監督の意図通りの作品になってると言える。核兵器について関心を持つための入門映画という点でよくできている。
☆音楽
・IMAXで見た恩恵を感じるのは実質2箇所のみ。冒頭の原爆シーンの爆発音は劇場内の空気まで震えているのがよく伝わり圧巻。オッピーを称賛する足踏みの音の圧力がすさまじかった。
・トリニティ実験のボタンを押す直前の音楽は緊張感と不安をよく表せていて素晴らしかった。音楽であそこまで緊張感を高められるのはすごい。
☆映像・演出や脚本等
・爆発の炎や煙の表現は不謹慎ではあるがアート表現として魅入られる感じ。
・ほとんど会話劇なのでカメラワークの工夫は特に見受けられない。
・場面も時系列もころころ変わるので置いてけぼりくらわないようにするのが大変。ストーリーも分かりにくくなるのがデメリット。
しかし、もしこの会話劇を時系列順で見せられたら間延びして退屈だったと思うのでこれでOK。
・カラーと白黒で視点を分けていたが必須レベルの表現になっているとは思えない。前情報無しで見た人は直感的にカラーが時間軸が新しく白黒は古いと思ってしまい余計な混乱を生んでいるように思う(そう解釈したレビューがあった)。
アメリカ人なら当然知っているであろう前提条件も日本人は知らないし、作中のセットから時間軸の新旧を判断するのも難しいから仕方がないとも言えるが。まぁ台詞をしっかり読み込めてかつ歴史的事実の順番を知っていれば一応序盤で時系列が理解できる可能性はある。でもカラーと白黒の違いについて考える暇があるなら台詞や役者の表情、今見ているシーンの社会的背景等に脳ミソのキャパを使いたい。
・マンハッタン計画とオッピーがそれに参加する経緯とその機微がわかる。オッピーの大学講師時代は共産主義に傾倒する人々への眼差しは危機感はありつつも少し緩かったが、計画進行中に少しずつ厳しくなり、終戦後には赤狩りが表立って始まりおおごとに。全てオッピー視点ではあるが社会的背景がじわじわと変わっていく様を映像作品で見るのはその空気感も伝わってくるようでおもしろかった。
ここまで考えると星4をつけようと思えるのだが、問題はメインストーリー。
強いメッセージを出さない意図で作り、原爆称賛でも反戦反核でもなく伝記映画として事実をそのまま描いているために『それが事実ですね。わかります。そりゃ当時のアメリカ人ならそう言う反応・そう考えるのは当然ですね。でも、だから何?』という感想を持ってしまう。『だから何?これ何の映画だっけ?』という感想では困惑してストーリーの評価ができない。
『だから何?』の原因はオッピーの人生に感情移入できなかったこと。
オッピーがあの性格(毒林檎の殺人未遂・女にだらしない・卑しい靴売り発言)&劇中の言動に自分の意見や強い主張もなくブレブレだったおかげ(?)で終始客観的視点で映画を見てしまった。この視点で見るのはいいこともあるが、オッピーの伝記がストーリーの基軸なので感情移入できないと映画を見終わった時『事実述べるだけならノンフィクションドキュメンタリー番組でよくない?』との結論になってしまうのだ。(ブレブレ具体例は長いので省略)
本来ならこのブレブレも「この人もまた弱い1人の人間」と捉えられるし感情移入に貢献するはずなのだがそうは思えなかった。また、作中描かれたオッピーの人生をもう一度振り返ると「原爆開発成功で持ち上げられ称賛の嵐→罪悪感等から精神的負担が大きくなる&水爆開発に反対→今までの言動と私怨により赤狩りに遭う。聴聞会で吊し上げ。昔の科学者仲間は味方になったり批判的証言をしたり色々でこれも精神的負担増。大統領にも幻滅され栄光とは真逆の掌クルックル」こう文字で見るとなるほど、科学者の凋落を表現できているように思えるが映画を見終わった感想がそちらに意識が向かなかった。
日本人だから感情移入できなかっただけじゃない?と言われればそれまでなのだが、理由はそれだけでは無いように感じる。具体的理由が思い当たりはするのだが、まだイマイチ明瞭にできていないので、今後いい感じに言語化できれば追記したい。
この映画を見て核兵器に関心を持った人は広島・長崎へ行って資料館の展示や復興した街、そこに住む人々や観光に来た外国人の笑顔。そして展示を見る人々の表情(来館者には日本人も外国人もいるだろう)を見てほしい。人間が持つ高い共感力が、もう原爆で亡くなる人を出してはいけないという思いにつながる。そのためのスタートラインがここだと思う。
日本に使えだと!
アメリカ現代史のなか原爆開発者の生涯
オッペンハイマーの伝記の映画
という印象が強い。後半はストローズとの確執、戦いの物語。
カラーと白黒で場面分けしているが、時間が行ったり来たりで理解しづらい。
アインシュタインを、新しい物理を理解出来ない過去の人扱いする場面はいただけない。
ただ、プリンストンの高等研究所での再会の場面は、最後シーンでこの映画の意味合いを説明する。
オッペンハイマーの授賞式などの場面とかぶりながら。
原作?のアメリカンプロメテウスの最初の翻訳(上下巻、PHP)は訳がひどいという。特に物理の関連項目で。
現在のハヤカワ版(上中下巻)は、たぶんそのせいで物理学者(山崎さん)の監訳者がついたのだろう。
PHP版は絶版のようなので出会うこともないだろうが。
セックスシーンもあんな場面に入れ込むのは私は好みではないのでいらないシーン。
奥さんもだいぶひどい人のよう。オッピーも女性関係はひどいが。
思っていたのとだいぶ違っていた。
ストローズがあの俳優とは、まったくわからなかった。(今回、嫌な奴リストに入った。)
物理学者のブラケットも嫌な奴なのかな?映画のように。
前半から気合を入れて見ないといけないが、終盤にも体力を残しておかないといけない
とてつもない映画でした…!
体力と神経を使い果たした感じです…
正直に言うと被爆国の当事者である日本人にとっては決して気分の良い映画ではありません。
胸が痛くなるシーンも多々あります。
公開か否かで議論が長引いたのも納得で、見るべきではないという反対意見も尊重します。
しかしこれは紛れもなく反核映画。
私はまた一つの歴史の勉強になりましたし、公開されて、見て良かったと思いました。
内容に関しては時系列が常に前後するものの、ノーラン監督作品にしては比較的解りやすい方なのではと。
ただし登場人物をしっかり把握しておかないと、終盤の“真のクライマックス”で置いていかれる事になります。
IMAXでの鑑賞は凄まじいの一言。
しかしその効果は映像よりも音に出ていて、恐怖を感じる原爆実験はもはや爆風を感じる程だし、オッペンハイマーの心境を表す無段階音楽による没入感が半端ではない。
そういった意味ではIMAXだけではなくDolbyシネマやシネマサンシャインのBESTIA、イオンシネマのULTIRA等の轟音系シアターも十分選択肢に入ると思います。
全編の90%は会話シーンで上映時間3時間は長い…という意見もありますが、私は仕事終わりのレイトショーで観てもそこまで長さを感じませんでした。
むしろ音響効果のせいで眠くなる暇など無かったです。
凄まじい
これは、一人の物理学者の物語。観る前に事前予習をしっかりしてから観ましょう。
時代背景、政治、ある程度の物理学などの知識を観る前に詰め込んでおいた方が良いです。
物理学者としての探求心と、その結果生まれた悲劇。 オッペンハイマーの葛藤は、現代社会においてもなお、多くの議論を呼ぶテーマです。
科学者にとって、知識の探求は崇高な使命です。しかし、その探求がもたらす結果には、倫理的な問題が常に伴います。オッペンハイマーの場合、原子爆弾という恐るべき兵器の開発に携わったことによって、多くの犠牲者を生み出すことになりました。
戦争終結に貢献した英雄として称賛される一方で、オッペンハイマー自身は多くの犠牲者を生み出したことに対する罪悪感と苦悩に苛まれ続けます。映画では、彼の複雑な内面と葛藤が繊細に描かれており、観る者に深い問いを投げかけます。
オッペンハイマーの物語は、科学技術の発展と倫理的な責任について、現代社会に警鐘を鳴らしていると言えます。科学技術の進歩は人類に大きな利益をもたらしますが、同時に、使い方を誤れば取り返しのつかない悲劇を生み出すことも忘れてはいけません。
映画「オッペンハイマー」は、単なる伝記映画ではありません。私たちに、科学技術と倫理、そして人間の業について深く考えさせてくれる作品です。
エンドロールには特にこだわったものはありませんが、最後まで余韻に浸った作品となりました。
IMAXのサウンドは、彼の心情をこれでもかっていうくらい表現してくれていたと思います。
近くにIMAX上映館があれば、ぜひIMAXで体験されることをおすすめします。
PS.
ノーラン監督作品は時間遷移が行ったり来たりして物語についていくのに疲れる作品。
多分、あと何度か観直すかもしれません。
ただただ映像美と圧巻の演技力、映画として極めて優秀
日本人なもので、素直に面白いと言えないところがありますが、鑑賞して損はない作品でしょう。
Cノーラン監督作品らしく一番の見所が圧巻の映像美と音楽の融合なので映画館で見たほうが良い、というか映画館で鑑賞しなければ価値がない作品とも言えます。
特に度々登場する、核分裂、太陽のコロナ爆発、脳内のシナプスなどを具現化したような幾何学的イメージの不可思議な映像と音響の爆発は出色でした。このシーンでは一瞬言及されたストラヴィンスキーを引用したような不協和音が歪で不気味で激しい音像、おそらく1945年当時を再現するために電子楽器一切無しのクラシック音楽寄りの編成で構成された楽曲が素晴らしかったですね。
あと意外だったのは映画の三分の一は、ソ連側のスパイの嫌疑をかけられたオッペンハイマーを糾弾する聴聞会のシーンで構成されていたこと。
それはともすると退屈しそうなシークエンスですが、嫌疑を追求する側とされる側の一切の妥協のないお芝居に魅入ってしまい退屈しませんでしたね、俳優陣の演技力は凄まじいものがあります。
それにしてもオッペンハイマーの人物像、資産家の家に生まれユダヤ人で、資本論を原語で読破し社会主義に入れ込み文系もいけることをひけらかす傲慢な感じ、鼻につきますよね〜。
あの時代の傲慢な知的エリートの脆弱性の象徴としての描き方として完璧に描写してましたね。
何故知的エリートが脆弱かというと
当時、ソ連のスパイが主導で各国の上流階級の知的エリートの理想主義を利用して社会主義が阿片のように広がり、ソ連の思惑通り、ソ連=社会主義に対する警戒感が和らげられたのです。
軍事力無敵で経済最強のアメリカすらも、ソ連の思惑通り内部から切りくずされていきました。
劇中に社会主義仲間との集会が何度もありましたが、あれは要はオッペンハイマー博士がソ連の掌の上で踊っていたにすぎない訳です。
博士は現実を見ていた政治家や官僚とは戦後、ソ連に関する観点で意見が合わず対立し遂には公職から追放されます。
この両者の差異をCノーランは出自に求めているようです。ストローズには靴売からの成り上がりを劇中さかんに主張させ、かつ最終学歴高卒の叩き上げトルーマンとの対立も明確に描いていますね。まるで生まれながらに資産家の博士とは、叩き上げのトルーマンやストローズとは真逆の出自であるが故の対立かのように。
ちなみに博士とストローズの対立の原因となった、アイソトープ=放射性同位元素の輸出入の規制、これは現在の安全保障の視点ではストローズの意見が正しいことが結論付けられています。
このように、Cノーランの感覚は左翼優勢なハリウッド人の中ではかなり冷静に両面が見えているように思えて好感が持てます。
映画の感想とは別に、個人的に考えさせららたのは、戦争自体への賛否はともかく、原爆という戦略兵器を「市街地に投下した」残虐性について少なからずも個人的内省を抱く人物を描いただけでも米国人としては進歩的なんですよね。だからアカデミー賞とっている訳です。
原爆は戦争を終わらせたことを一般米国人は評価していますが、非戦闘員の殺傷は明確な国際法違反です。米国人はこの点に関して全スルーですよね。
原爆を市街地ではなく、海中に投下する、例えば東京湾のど真ん中に投下することでも十二分に脅迫効果はあったはず、しかし彼らは原爆が人体に与える影響、戦略兵器としての有用性を示すデータが欲しかった。だから市街地に投下した。
彼らは国際法を捻じ曲げても全く気にしない。
日本人としては、彼らの歴史観にモヤる気持ちはありますが、事実上の属国ですので生暖かく見守るほかないのでしょうね。
映像の圧倒的情報量
ノーラン監督らしい、時間いじりの表現・映像中の圧倒的情報量・破壊的兵器を作り出そうとする葛藤・それを戦時とはいえ人が住んでいる市街地で使用することの倫理的葛藤・アカ狩りへのストレス等で、3時間はあっという間でした。私は単調な映画だと眠くなりがちなのですが、それはクリアしました。砂漠の中での原爆の爆発テストの描写は、密度が濃くて息をするのも忘れるほどでした
また主人公が原爆の悲惨さを知るシーンがいくつかあって、被爆者を直接的に写すことは無いけれど、壮絶な被害の表現があります。一般民間人の膨大な犠牲者が出たことは十分に伝わりました
難点を言えば登場人物があまりに多く、マット・デイモンや、ケネス・ブラナー、レミ・マリックのような顔が識別出来る方以外の俳優が時を越えてあちこちに出没しだすと、混乱します。ネットの登場人物紹介コラムを読み込んで鑑賞しても駄目でした
制御できるのか?破壊神を
「マンハッタン計画」を指揮して原爆開発に成功し、アメリカのプロメテウスと呼ばれた科学者、J.ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いたアメリカ映画。クリストファー・ノーラン監督作品。
映画のハイライト(そしてオッペンハイマーの人生のハイライトだったのかもしれない)は、最初の原爆実験「トリニティ」である。あの緊迫感と迫力、そしてそこに至る過程の途方もないスケール。砂漠の真ん中に突如、世界最大の実験場をつくり、そこで働く人間たちの町をつくり、新たな神の火をつくりだすという人類史上最大の「プロジェクトX」が、圧倒的リアリティをもって描き出される。質量ともに世界最先端の映画プロダクションでなければ到底不可能であったろう。・・・その観点からすれば、素晴らしい映画だと言うことができる。
しかし、トリニティ成功後、日本への原爆投下を正当化し、落とす場所を選び、実現に向かっていく過程が、見ていて息苦しくなるほどつらい。実際に広島と長崎で起きたことに対し、この映画におけるその描き方に対し、分けようのない怒りと悲しみを感じる。
それだけではない。原爆は他の兵器とは違う。これによって人間は、世界を確実に破滅させることができるようになった。人間のもてる最大限の英知と能力を結集して行きついたゴールは、「世界の破壊者」(オッペンハイマーが引用した『バガヴァット・ギーター』の一節)であったのだ。後戻りはない。これ以上先のゴールもない。破壊の後には何もないからだ。
翻って、登場人物たちはどうしようもない卑小さ、弱さ、愚かさを見せ続ける。人間の本質は変わらない。それが魅力でもあるのだから。
そしてこの世界の存続は、人間が破壊神となった自分自身を制御し続けられるかどうか、の一点にかかっている。
キャストについて:
オッペンハイマーといえば、長身でガリガリに痩せた特徴的な姿が思い浮かぶ。キリアン・マーフィーが周囲の人々よりも背が低いのにはどうしても違和感があった(キャスティングの責任)。一見して「普通じゃない」と思わせるカリスマ性がもう少しほしかった。
マット・デイモンがレスリー・グローヴズを見事にリアルに演じている。
エドワード・テラー(ベニー・サフディ)の造形が素晴らしい。リーダーに何を言われようと周りにどれ程嫌われようと一切気にかけず、常に、絶対に、自分の正しさを疑わない。オッペンハイマーを刺す証言をした後、自分から握手を求める(オッペンハイマーはなぜか拒否せず握手する)。ああ、テラーはきっと、そういう人だったのだろう…。
欲望とパワーゲームの果てに
オッペンハイマーが科学者としての好奇心と探究心を政治的意義で着色されて、利用されたお話。本作はあくまでこの科学者がどういう人生を歩んだか、または巻き込まれたか、という角度から描いていて、それはそれで面白かった。アメリカ国内のパワーゲーム、政治的思想、そこに関わることを拒否し続けたアインシュタイン…。新しいことを開発する熱意と活気はわかるが、あの大爆発のテストのあとに、どういう心境で全員歓喜したのかが、理解に苦しむ。どう言い訳したって、水爆も原爆も大量殺人兵器であることには変わりないのだから。
独特の描写と熱風や湿度を感じるようなスクリーンは、さすがノーラン監督だった。
アカデミー7冠は納得
採点4.3
物理学者オッペンハイマーの半生を描いた伝記作品。
そしてその背景に米の汚点とも言える赤狩りをも深く絡めた、大変見応えのある作品でした。
その構成が見事で複数の視点や時系列を散らし、そこにモノクロとカラーの切り替えも差し込んでいました。
そして迫るような映像もですが、何より音楽が見事。
「TENET 」で一緒だったルドウィグ・ゴランソンなのですが、その映像や物語に実にピッタリでした。
この音がなければ、こんなにもオッペンハイマーの視点に入り込めかったと思います。
キャストも常連キリアン・マーフィをはじめ錚々たる豪華な顔ぶれ。
フローレンス・ピューだけ何故かサービスショット付きです。
後半からはジワジワとダウニーjrがその存在をたっぷりと見せつけてくるのも、良いアクセントになっていたと思います。
その波乱に満ちたその半生は、自分で体験したことのようで上映後は結構疲労感を感じるほどでした。
それでも、その生み出したものの重さは計り知れない程です。
とても密度の高い時間でした。
ただ、やはりしこりのような物は残ってしまいますね。
これは日本人だからしょうがないです。
逆にアカデミー7冠は納得の出来、本当見事でした。
カラーと白黒、時代も行ったり来たりで、ついていくのが大変
原爆投下擁護の話ではない
前評判から思うこと
原爆の被害を直接描いていないなどよろしくない評判を聞いていましたが決して原爆投下擁護しているわけではないと思います。
ただアメリカ側の各々の関係者の視点から描写されていますので分かりやすく原爆が悪いものだ、という話を観たい人にはおすすめ出来ません。監督が原爆投下を賛美しているのではなく当時のアメリカ人がそう思っていたのです。そして正義はアメリカにあるという態度は今も昔も同じなのでイライラする人もいるでしょう。
直接核兵器の悲惨さを伝える映画というよりは作中の人物の思い、出来事から観客がその悲惨さについて考えるべき映画だと思います。
唯一納得がいかないのが被害を確認した主人公が集会で原爆被害者を幻視するシーンです。上半身モザイクなしのセックスシーンやらなんやら入れる割に、被爆者の爛れ具合がチャチな仮装以下です。せめて低予算スプラッタくらいの見た目にしないといけないのでは?
最後のほうは色々な話が出てきて難しいですが、アインシュタインの言葉、ラストのオッペンハイマーの妻が夫に嫌疑をかけられた時のセリフとラストのパーティーでの態度を合わせると主人公がどういう結末になったのかわかる気がしました。
澄んだ目のオッピー。
というわけで公開遅れた話題作です。レビューも500越え。誰も読まないと思うけど自分のために記録しておく。まあ唯一の被爆国という事で色々難癖つける人もいるので、ちゃんと賞を取るの待ってから公開したという噂です。
事前勉強必要なのはオッピーが公聴会や裁判でアメリカの第二次大戦後の対ソ連の赤狩り(共産主義者迫害)や、原爆と水爆の研究が被って進むところあたりかしら。あと嫌なやつを好演していたロバート・ダウニー・Jrの役回りが私は今ひとつ理解できなかった。
まあ被爆国日本人の気分を害する表現もあるが当時のアメリカは真珠湾の復讐、してやったりが大半だったと思う。アメリカ技術力万歳だろう。
しかしこの映画は僅かだが核爆弾の人道的な危険さを危惧する研究者もいた事を描いているし、オッピー自身もその事にかなり悩んで、判断にブレが生じて赤狩りの中でスパイ容疑をかけられピンチになる。
話の中でもあったけど原爆を作る人と運用する人は別だという事。作る人、研究者は閃きを信じてアスリート見たく実験を繰り返して証明、完成させる人です。
それに関して熟知してるから核の恐ろしさもよく知ってるはずなんですが、興味や探究心が勝ってしまいヤバさに気付くの遅れがちです。
買い物し過ぎて電気代払えないとか、魚獲り過ぎて魚いなくなったとか、、皆んないっしょ。
オッピーとアインシュタイン、人類滅亡の可能性を秘めた理論とその実証者、そんな重い物を背負った2人のシーンが印象的だった。
使って初めて人はわかるって台詞でもあったね。
そんなこんなを1人の人間で表現しようとしたのが本作です。3時間あるけど苦痛ではなかったし、まだ前半の話の進みの速さをちょっと感じた。ノーランならではの映像表現もいいバランスで効果的で流石だなと思った。なによりキリアンマーフィーの澄んだキョドった目が印象的で、ナイスキャスティングだと思う。
この手の映画にわりと若い客が映画館に多かったのは良い事。
プロメテウス
オッペンハイマーの生涯を詳細に描いた、ピューリッツァー賞受賞作。原題アメリカンプロメテウス。文庫版で上中下巻の大作をベースとしてクリストファーノーランが映画化。
3時間の大作。
世界で唯一の被爆国日本。公開が危ぶまれていたが
私個人としては、日本で観ることができなければ意味がないと考えていた。日本公開を決めたビターズエンドにまずは敬意を表したい。様々な議論があったためだ。
巨大な作品である、人物、映像、時代…。
広島や長崎の被爆者の方が観たら、どう思うだろうか。
そこは私にも正直わからない。今も、被爆のため心身共に苦しんでおられる方がいるからである。私たち日本人が当事者である。
直接的な惨状、被害の描写がないというのも話題になっていた。
Cノーランは、オッペンハイマー主観で話を進めている。
彼が見たもの、聞いたこと、考えた事象、脳内主観…彼の伝記評伝映画であることは間違いないだろう。
また初期作メメントでもそうだったように、ノーランの一方向のみに進む時間の否定、ともいえる概念は今作でも顕著である。前作テネットでは時間が過去現在未来と行きつ戻りつ、凄まじい映像自体が逆行していく場面もあり、正直全て理解したとは今もって自分でもわからない。
今作もまたオッペンハイマーの人生を、時間軸を交錯させながら描く。膨大な登場人物、膨大なセリフ量…
彼のケンブリッジ時代から、戦後マッカーシズム吹き荒れる時間、ロスアラモスでの人類史上はじめてとなる、プルトニウム型原子爆弾実験トリニティサイトが行われるまでの時間…
一度観ただけでは覚えられない実在の人物達…
ただオッペンハイマーを中心に、どのようにして原子爆弾が作られていったのか、なぜ日本がその標的になったのか、など正確に知らなかったことがこの映画には描かれている。
まずもってこの大量の人物とセリフの重量…。
実験物理学、理論物理学、量子物理学などの専門用語に時代の言葉。
シナリオは巨大で重厚。
トリニティサイトでの映像、マッカーシズムの中
そしてオッペンハイマー自身の複雑な脳内世界、生き方…を
可視化している。IMAX65ミリ、パナビジョン65ミリフィルムをカラーモノクロで使用。俳優のバストショット、アップショットを多用し、鑑賞者の没入感も大切にしている。
キャストはオールスターともいえる。
ノーラン作品常連のキリアンマーフィー、妻キャサリン役エミリーブラント、マットデイモン、ロバート・ダウニー・Jr、ジーンタトロック役のフローレンスピューの体当たり演技…あげればキリがない。
印象的なのは科学者と政治家の関係。
のちにオッペンハイマーを追放する側に回る、ルイスストローズや、トルーマン大統領など政治家達の凡庸さ…
あからさまな嫌がらせ、嫉妬心、権力者達の人間性のありよう…
冒頭とラストにオッペンハイマーとアインシュタインの邂逅場面が出てくる。
ラストに至りここが重要なシーンであることがわかってくる。
彼らにはおそらく今の私たち、また地球をとりまく情勢が見えたのだろう。物理学の天才たちには。
事実、核を威嚇に持ち出し戦争をはじめた政治家が現れ、日本のまわりにはミサイル実験威嚇をやめない国があり…
オッペンハイマーが公職追放されたのち、
ルイスストローズもまた失脚する。皮肉なことだ。
オッペンハイマーの名誉回復には、ケネディの名前も出てくる。
そのケネディもまた、キューバ危機で核の脅威にさらされ、
その後には、真相不明のまま暗殺される。
オッペンハイマーは現代世界をみてどう思うだろうか。
心身共に、少しの余裕がある時に鑑賞されることをおすすめします。
改めてクリストファーノーラン、映画史に残る監督ではないか、と個人的に感じ入った力作、大作でありました。
全712件中、361~380件目を表示