オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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誠実につくられた映画だと思うが、それでも残るやるせなさ。
例えば、独立戦争の時に核兵器開発の技術があったとして、アメリカはイギリスに、またはイギリスはアメリカに原子爆弾を落としただろうか。同様に、南北戦争の時に、核兵器開発競争をしていたとしたら、南部は北部に、北部は南部に原子爆弾を落としただろうか。もっとも、落とすのは軍や政治家だとして、開発者たちはそれを肯定しただろうか。
この問い自体ナンセンスなのだが、原爆を落とされた国の人間としては、オッペンハイマーの演説に拳を突き上げて喜ぶロスアラモス研究所の皆さんに尋ねてみたいのだ。
とはいえ、原爆こそ使われてはいないが、今だってパレスチナは圧倒的に蹂躙されているし、それもイスラエル側からしたら正義なのだから、相変わらず人間の欲望と理性や、善悪というのは大いにあやふやで、個々の信念によって変わる相対的なものであり続けているということだろう。
時折の、ものすごい音圧で腹まで響く爆裂音と、映画が始まってから休むことなく続く、低音の響きが身体にまとわりつく不快感を感じながら、誠実につくられた映画だと思いながらも、やっぱり大量殺戮兵器のやるせなさについて考えてしまった。
今なお、さも当たり前で、正しいことのような顔をして語られる「核抑止論」も、核開発を進めたい者の詭弁に過ぎなかったことが描かれるが、だからといって、オッペンハイマーたちが開発をやめても、きっと遅かれ早かれ、誰かがこの兵器を完成しただろうことも想像させられた。
そして、天才的で科学的な発見発明の陰には、数多くの人々の極めて人間的な欲望と思惑が蠢いてることも。
人類が手にしてしまったこの力をどうしていけばよいのか、今も重い問いが残されていることがこの映画で改めて明らかになり、それを観た者達に投げかけられた思いだ。
決して、原爆をつくり落とした自国を弁護するような映画ではなかったことは指摘しておきたい。また、アメリカ国民にとってJFKというのは特別な存在なのだなということに気付かされ、とても興味深かった。
<追記>
私のレビューが、アメリカ批判と受け取られてしまう可能性を指摘していただいたので、少し追記したい。
「原爆を落とされた国」という書き方をしているので、アメリカと日本の二項対立のように思われるかもしれないが、そんな国と国のどっちが正しくどっちが間違えているなどというつもりは毛頭ない。(意味もない)
NHKスペシャルもリアルタイム視聴していたので、原爆開発の状況は知っているし、特攻を作戦として仕掛けるような軍部に対し、異論を唱えられない(唱えない)民衆が支えていた日本が原爆を先に開発していたら、間違いなく原爆を落としただろうと思う。
しかもアメリカは、talismanさんが、自レビューのコメント欄で指摘されていた通り、自国の若い兵士たちをなるべく死なせないという大義名分は掲げており、国のために死んでこいと若者をそそのかし、挙句にそれを今現在も美談として奉る日本の空気感の方が余程おぞましいと思っている。
その上で自分がレビューで問いたかったのは、「当時の日本人は人間として認定されていたのだろうか」「今のパレスチナの人々は、人間と思われているのだろうか」ということ。そして、「いや、だってそれには理由があって…というならば、その理由は本当に誰がどう見ても揺るぎないものなのか」ということだ。
もちろん、誰がどう見てもという絶対はなく、相対的であるのは、上記で書いた通り。その理由が力関係で決定されてしまう状況がまだまだ多いことを、とてもやるせなく思っているし、この映画を観ても思った。
つまりは、私自身は、マスとしての力関係を、現実主義といった捉え方で無自覚に肯定するのではなく、一人一人が持つべき考える力をきちんとつけて、人権に根差した公平公正な世の中を目指したいと思っているに過ぎない。だから、誰かを否定してスッキリすることには関心はなく、それよりは他山の石として、自分自身の糧にしたいと思っている。
もとレビューにも書いたが、映画自体は、「愚かな我々人間が持て余す巨大な力を、どのようにコントロールしていけばよいのか」という重い問いを、観た者全員に投げかけていると私は解釈している。
なので、矮小化された議論に巻き込まれてしまわないよう、私も気をつけたいと思う。
面白いというより
ノーランの過去一の熱量
冒頭にもあるが、
主観パート(核分裂(FISSION))カラー撮影
客観パート(核融合(FUSION))モノクロ撮影
という設定になっている。
物語は、アメリカ原子力委員会によるオッペンハイマーの聴聞会から始まる。ソビエト連邦との冷戦が激化していた当時、アメリカでは「赤狩り」で多くの共産主義者が取り締まりを受けたが、オッペンハイマーもソ連のスパイだと疑われていたためである。オッペンハイマーは原子爆弾の開発・製造を目的とする「マンハッタン計画」を主導し、1945年7月には人類史上初の核実験となった「トリニティ実験」を成功。翌8月、日本の広島・長崎に2発の原子爆弾が投下される。しかし、日本の惨劇を目の当たりにしたオッペンハイマーは、戦後に態度を一変させ、水素爆弾の開発に反対したことで立場が危うくなり、聴聞会が開かれ、機密保持許可を剥奪される。というのがざっくりとしたあらすじとなるが、
ストローズの公聴会(白黒)
オッペンハイマーの聴聞会
オッペンハイマーの生涯
がチャンポンで描かれ、登場人物の相関関係も分からないまま進むし、会話も独特なので、冒頭の90分で集中力が途切れてしまったが、トリニティ実験あたりから、また緊張感が高まり、聴聞会からストローズの公聴会へと怒涛のラストを迎える熱量は圧巻である。
落とした側と落とされた側で感じ方は180度異なるだろうが、故意に2度も落としたことに義憤の念を感じざるえなかった。原爆の爆発は、映画のようなあんなちっぽけな規模ではない。都市全体をキノコ雲が覆い都市が一瞬にして消え去る威力を持つものである。ただノーランは少なくとも原爆を落としたアメリカ側の倫理観はどうだったかを国民に問うているように感じるし、オッペンハイマーの苦悩———民間人を20万以上殺す兵器を開発してしまったことへの責任と原爆行使の決定権を持てないことへのやるせなさを丁寧に描いていたと思う。
オッペンハイマーが原爆をつくらなければソ連に覇権を握られていたかもしれないので、アメリカの国益を守るためにも開発はマストだったと思う。ただ原爆や水爆は人類に対してはやはり使ってはならないと改めて感じる価値ある一作であった。
またゴランソンのトラックはTENETに続き傑作続きである。
普段主役を張る役者がゴロゴロとチョイ役で出てくるのも驚きだ。
ん~~!前評判ほど難解ではなかった。編集、俳優の方たちの凄さ、かんじまくり。
血が沸騰し頭が冷める感覚
原爆は米国が開発しなくても誰かが開発しただろうと思ってたんだよね。必要な理論は大体そろってる感じもあったし。だから、しょうがないなって。
でもそれを、人類に対して使うかどうかは別だね。開発されたのが米国のこの時期でなければ、人類に対して使おうとは考えなかったかもと観てて思ったな。
米国は、人類に対して核兵器を使うという贖えない罪を犯したね。滅びる運命にある国なのかも。
物語は冒頭から「やっぱりノーランの映画だ」という感じで科学要素があるんだよね。オッペンハイマーがブラックホールの話をするところが顕著だけど。
あとアインシュタイン、ボーア、ボルン、ハイゼンベルクとビックネームが目白押しで出てくるしね。
オッペンハイマーの恋愛も面白い。天才の周りには変わった人しか集まらないのかという感じで、激しいね。
そして原爆開発に入っていくんだけど、物理学者は一様に『原爆は作ってはいけないのでは……』と思ってるんだよね。でも『ナチスに持たれるぐらいならば』というところで折り合いをつけて、開発に従事してんの。
だからヒトラーが自殺してドイツが降伏したところで、物理学者である前に人として、開発は止めなきゃなんだよ。本当は。
劇中でもそういう動きが描かれるね。
でもオッペンハイマーは、このとき政治屋になっちゃってんだよね。なので止められないの。
そして日本への原爆投下を決める。かなりお気楽に決めてるよね。
『日本は絶対に降伏しない』『早く終われば兵も家に帰れる』ってなんかノリっぽい感じで。
ドイツが降伏してファシズムの脅威は消えていて、日本が原爆を完成させるような目途はまるでない。
その状況で、人類に対して核兵器を用いるという禁断の決断に踏み切る覚悟はあったのかね。その決断の許可を、人類が得ることは、永遠にないよ。
原爆は広島・長崎に落とされた。
オッペンハイマーをはじめとする一部の物理学者は激しく動揺するけど、一般米国民の皆さんは大はしゃぎ。オリンピックで金メダル獲ったとかそういうノリだね。
ここで血が沸騰して頭が冷めた。
その後の話は「どうでもええがな、お前らなんて」と思いながら観てたんだけど、それでも描きこまれてて面白いね。
『自分の手が血塗られているように感じます』と言ったらトルーマン怒るけど、まあ、そりゃそうだね。血塗られたのは俺の手だよって話だから。
でもたぶん、米国民の手が血まみれになっちゃったんだろうな。
ストローズの駆け引きのところは面白いね。途中から味方でなくなるお付きの人良かった。
でもストローズの野望が絶たれたのは、ケネディのせいだとか「ふーん」だったな。
この話、原爆使用のところとか『本当にこれで良かったのか?』ってかなり抑制的に描かれてるんだよね。米国の良心を信じるというか。
それなのに「バーベンハイマー、ヒャッハー!」ってなっちゃうのも訳が分からない。
贖えない罪に対する罰を米国は受けちゃうのかな。
天才物理学者もひとりの弱い人間。
専門用語や時代背景を理解してないととても難しい映画。
自分の研究欲求を満たそうとしただけの一人の天才物理学者だけど…利権や欲や憎悪等いろんな感情が混ざり合いより物語を複雑にしていく。また時代も前後する巧妙な演出なのでなおさらわかりにくい。
ただ、常に緊迫感満載の音響の駆使や対話の掛け合いの絶妙さは流石ノーラン監督作品だとうなずける。
原爆の父と言われたオッペンハイマーの半生映画だけど反戦や核戦争への警戒を訴えるものではなく鑑賞した全ての方が違う感情を抱く映画だろうなぁとも感じた。
オッペンハイマーという1人の天才物理学者の弱さや強欲さ等すべてをさらけ出した生き様を丁寧に深くそして鋭く描いた映画にしていると思えます。
とても素晴らしい映画を有難うございました!
是非多くの方に鑑賞頂き各々が各々の感想を持って頂きたいと思います。
金魚鉢とワイングラスに入れるビー玉が印象的
主人公が世界中の研究者と交流し成長していく時代の描写で、自分がかつて科学を学んだときの著名な科学者が出てきて、興奮した。
オッペンハイマーの内面を描いたと、セールス・コピーにはある。確かにそれはそのとおりだろうと思う。彼の心の中を表現した映像と音が印象的だったし、詳しい説明を省いて映像でストーリーを印象づけるシーンがところどころにあり、3時間の映画は飽きなかった。
しかし、オッペンハイマーが公職から追放される政治ドラマであった聴聞会のパートは判りにくかった。そこで鑑賞後にいくつかの著作を読み始めた。映画の背景につながることが少しずつ発見しでき、これも楽しい(^_^)。
正直わからなかった
緊張感ある音楽や効果音に加えスピード感溢れる作品。 本年度ベスト!!
オッペンハイマーが抱えたものを描いた作品
IMAXレーザーGTで見る映像、震えるような音響体験は圧巻だったけど、このスクリーンなら本作よりたぶんDUNEのほうが良さを体感出来ただろうなぁって感じ。
内容に関してはやはり被爆国で暮らす人としてはお気楽な事は言えないなぁって作品。
とにかく原爆はもう現実にあり、投下された事実から地続きの世界に生きていることはしっかりと受け止める必要はあるなと感じた。
もしオッペンハイマーがいなかったら科学者になっていなかったら、今原爆は生まれてないのかな?それともやはり誰かが作れる事に気がついてしまうのかな…?とか考えたらしながら見てました。
被人道的だからやらないだけで、今でもこう言う恐ろしい発見とかってされてるのかな??
本作はあくまでも原爆の脅威とかではなくてオッペンハイマー自身、心境を映した作品なので、広島長崎の映像は描かれないってのもわからなくはないけど、やはりどんな残酷なものを作ってしまったのか、どんな結果を残してしまったのか、しっかり描いてこそのオッペンハイマーが抱えてしまったものの大きさが描けるのかなとも…
オッペンハイマー自身、科学者として見えてしまう悲惨なビジョンは描かれるが、ちょこっとなのでやるならエグいくらい描いて欲しかった。ノーランならやれるだろうに。
天才には天才の苦悩がある。
科学者というのもあるが、とにかくその実験の先が見えてしまっている、もちろん可能性だとしても他の人より鮮明に先の事が見えてしまっているのはある種1人でその恐怖を抱えなければいけない苦しさがあるんだろうなぁ。一方で恐ろしい発見だとしても、気がついてしまったら確かめたくもなるのが科学者なのかもしれない。
とりあえずこの作品内の特に終盤の話とかは一回では理解しきれなかったので、解説とかで補足しようと思う。
すごい何かを期待していた割には…といった感じだけど、3時間集中させるだけの何かはあった気がする。
日本人としては〜と言いたくもなるけど、
あくまでも1人の科学者を映した作品としてくらいで見るのが良いのかもしれない。
タイトルもオッペンハイマーなわけだし。
まぁ難しい題材だ。
本作ロバート・ダウニー・Jrがアカデミー賞助演男優賞受賞してたけど、なんかそこまで目立たなかったというか…もちろん活躍はしてるんだけど。うーん。好きな俳優なだけにちょっと寂しい感じでした。
黒い雨と白いシーツ
実は本作の原作になっている『アメリカン・プロメテウス』を、映画鑑賞前の予習用として、数ヶ月前に図書館から借りてこっそり読んでいた私。どうせノーランのことだから、原形をとどめないほどに(複雑に)脚色しているに違いないと予想したからである。しかしこのアカデミー7部門受賞作品を実際に拝見させていただくと、(かなりハショってはいるものの)ピューリッツァー賞受賞ノンフィクションにかなり忠実にえがかれており、私の素人予想は見事に外れたわけである。
映画前半のクライマックスはロスアラモス研究所におけるトリニティ原爆実験、うって変わって後半は、共産主義者として疑われたオッピーが原子保安委員会の公聴会に呼びだされ吊し上げにされる様が、原作同様克明に描写されている。科学者としての、あるいはユダヤ人としての使命感から、ハイゼンベルク率いるナチスドイツチームよりも先に原爆を開発しようとまとめ役に徹するオッピー。見事軍の要望に応え原爆を完成させるくだりは(日本人としては複雑な心境にはさせられるけれど)とてもドラマチックなのだ。
問題は映画後半、核の管理方法をめぐって対立したストロースの陰謀により、栄光の座から一転引きずり下ろされるくだりが、原作ノンフィクション同様かなり退屈なのである。3時間超えの長尺だけに、ここであえなく撃沈された方も多かったのではないだろうか。時系列をクロスさせて編集に工夫をこらしてはいたが、“原爆の父”とも呼ばれた男を狭っ苦しい小部屋で検事がねちっこく言葉責めする様子は、観ていてあまり気持ちのいいものではないのだ。
私は、この聴聞会のシーンと、通訳賭博関与についての大谷記者会見とが、重なって見えてしょうがなかったのだが、皆さんはどんな感想をお持ちになったのだろう。識者によると、大谷が莫大な契約金の9割を10年後に受けとるという、カリフォルニア州にとっては脱税に等しいその契約内容に事の発端があったとか。10年後大谷が他の州に移籍したり日本に帰国したりすれば、まるまる所得税をとりっぱぐれることに気づいたIRSが、躍起になって大谷周辺のアラを探し回ったというわけなのである。劇中オッピーに恥をかかされたストロースのように。
ギリシャ神話のプロメテウスはゼウスから“火”を盗んだ神として知られているが、もう一つ、未来を予測する能力の持ち主でもあったのだ。ノーラン曰く、本作に登場する一流の科学者たちは、俗にいわれる“ナイーブ”な科学バカなどではなく、原爆開発後その道徳的責任を問われ政治的に邪魔者扱いされることを、予めわかっていたというのだ。しかし、相対性理論を発見したアインシュタインも、量子論のボーアも、そして“原爆の父”オッペンハイマーもみな、新たな知識を手に入れた時それを知らないことには出来なかったのである。
たとえ地球全体を破壊する危険性があったとしても、周囲が核という“パンドラの匣”を閉じることを許さなかったのである。ロスアラモスの所長にオッピーをスカウトしたグローブス中将、「手が血で汚れたら洗えばいい」とオッピーにいい放ったトルーマン、原爆の何十倍という威力の水爆開発をやめようとしなかったテラー、オッピーの共産主義者的な動きに水をさしたローレンス、そして、オッペンハイマーという“名声”と結婚したアル中妻キティたちが、オッピーがナイーブな科学者にとどまることを決して許さなかったのである。
広島と長崎に原爆が投下された後、アインシュタインやボーアの予測通りオッピーにアカの嫌疑がかけられると、自ら“殉教者”としての道を選んだ。それがクリストファー・ノーランのオッピーに対する見方なのである。完成させた2つの原爆をロスアラモスから運び出す軍のトラックを寂しそうに見送るオッピー。もはやその使い道さえ詳しく知らされない開発者の姿は、ファイナルカットやネット配信の権利を配給会社に握られている映画監督の弱い立場と重ならないであろうか。2024年の映画賞を独占した本作ではあるが、イギリス人巨匠のコメントは極めて慎重で言葉少なであった。
思ってたのと違う
予備知識はあった方が、、、
原子爆弾を開発したアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーの伝記映画。
原爆開発の話、は話のメインテーマの一つだが、それだけでなく、戦後のオッペンハイマーを巡る話が興味深い。オッペンハイマーが戦後、水素爆弾を反対したことを理由に、ソ連のスパイ疑惑を仕掛ける、ルイス「ストローズ」との対決が描かれます。
ここが予備知識が無いと分かりづらいですかね。カラーで演じられているのが、オッペンハイマーから情報アクセス権を剥奪する公聴会で、白黒がその後ストローズが商務長官の指名を上院で否決される議会審議になり、オーバーラップで進行します。
このあたり、アメリカ1950年代の混乱が面白いです。第二次大戦を対日、対独とも闘い勝利に導き、原子爆弾というチート兵器まで手に入れたはずが、結局は共産圏の拡大を招き、その影に恐るアメリカ。戦争が終わっても軍拡が止められず、赤狩り旋風が起きた最中に起きたのがオッペンハイマー下ろしの公聴会ですね。
一方でオッペンハイマーを下ろしたストローズも、今度は自分の商務長官就任を引きずり下されることになる。議会で反対に回った急先鋒がJFKというのも因果ですね。
映画としては、原子爆弾開発にせよ、赤狩りにせよ、Wikipediaぐらいの予備知識を持ってから観た方が良いかも。もちろん、ネタバレ無し、で後から調べるのも楽しいでしょうが、3時間チンプンカンプンってのも辛いと思います。
原爆の父オッペンハイマーをみたので、この流れでロケットの父ベルナー・フォン・ブラウンもやって欲しいですね。こっちはオッペンハイマーの罪悪感など小さく見えるぐらいの悪魔っぷりなので、見応えあると思います〜
科学者の恐れとおののき、そして抵抗
2023年。クリストファー・ノーラン監督。アメリカの原爆開発を主導した物理学者の栄光と失墜、さらに名誉回復までを描く。プロメテウスという原題が表しているように、原爆開発が切り開いてしまった負の側面をしっかりと描いている。たとえ、被爆者が一人も表象されていないにしても。
未知のものへの恐れとして描かれる原子力は、人生への恐れ、女性への恐れ、政治的な失敗への恐れ、真理への恐れ、などと同列に、隠喩的に描かれている。宇宙の真理が恐ろしいように原子力は恐ろしいし、女性も恐ろしいのだ。重厚な音楽と相まって、オッペンハイマーは常に恐れおののいている。だから、女遊びがすぎるとか、口先だけだの男だとか「軽率な男」として説明されてもあまり説得力を感じられない。映画自体が重々しい「恐れ」とともにある。
原爆開発にいたる展開とは別に、ところどころで、開発後に失墜していく場面と、その数年後その失墜を画策した黒幕が失墜していく場面が描かれる。時間軸が入り乱れているのだが、二つの失墜場面は、ともに政治的闘争と科学者の真実追求との葛藤という同型なので、まぎらわしいことはない。裁判ではない場で人生の決定的なことが決まってしまうということが強調されることで、真理の追求ではなく政治的な闘争が支配的な現代社会が批判的に描かれていると思われる。科学者である者はそうした社会に抵抗するのだ。
核
皆んな見た??
トリニティ実験のピカドン、太陽がもう一個地球に落ちたかの発光に人間を吹き飛ばすかの爆風。
1分くらい後かな、爆音のドーーン!!!!
なんかあのシーンでポロポロ涙落ちてきちゃったよ。
アレが広島に落ちたんだ、長崎にも。
俺はあの時この世にも居ないし、教科書と映画とアニメでしか知らないんだけど、もう怖くて悲しくて震えたよ。
知識としてだけどアメリカじゃ核はあの戦争を終わらせた神の正しい兵器みたいなイメージなんだってね。
あのシーン見りゃ解るけど神の雷、人間の力超えてるしね、アメリカみたいな歴史も浅い国だから神話に扱われてんだろな。
俺ら日本は核の被害者、被爆国なんだけど、世界の歴史上で兵器として人を目標に核使った事例ってコレしか無いんだよね。
こないだ見たデューンでも核兵器出てたけど、未だ死の大量殺戮兵器で人類の手に余るんだよ。
たぶんソレ一番解ってるのは俺ら日本人と作った本人なんだな。
凄え怖かったよノーラン、アメリカと被爆国を見てくれたノーランはイギリスだからね。
でも日本はこれで発電する装置を10ヶ所くらい国中に持ってるよ。
しかもちゃんと扱えて無いよ。
「原爆を生み出した苦しみ」を体験する映画
ノーラン監督の作品は欠かさず見ているが、本作品は"リアルに"その人を追体験するという、とてもチャレンジングで、これまでのジャンルとはまた違った取り組みだったと思う。(+18のセンシティブな場面含めて)
インセプションやテネットのようなアクション映画を求めてしまうと、拍子抜けすることに注意が必要。
この作品のテーマとして、「原爆を生み出した苦しみ」を一つ目にあげさるをえない。
某番組のインタビューで、ノーラン監督は「自分の息子が戦争(原爆?)のことに興味がないのがショックだった」と語っていたが、オッペンハイマーを追体験する本作品により、ノーラン監督がやりたかったことは果たせたのではないかと思う。
日本人としてあの時代の記憶というものは、原爆を落とされた被害者の立場だったが、原爆を落とす加害者という側面で理解することはなかなか無かったと思う。
アメリカの世論的には当然、英雄ではあるが同時に大量殺戮を図ってしまったという後悔の念、表裏一体の感情。
他のレビューやインタビューでは、もっと悲惨さを表現しろという声もあったが、映画として最大限ここは表現できていたと思う。
それを超えて核戦争という「パンドラの箱」を開けてしまった苦悩がとても良く表現されている。
二つ目のテーマとして「オッペンハイマー達の名誉挽回」というものがある。
国家の為に尽くしたはずが、逆に国家反逆罪になぜ問われてしまったのか。
様々な陰謀が渦めく中で、発明に罪はないという事を言いたかったと思う。これは戦争云々の議論とは切り離されるべきものであること。
テーマとしての明確さは過去作一だが、作品として純粋に楽しめたかというのは微妙なところ。というか楽しむものではないのかな。と感じた。
公聴会のシーンなどは字幕版ではなかなか理解が追いつかず難しい場面が続いた。何度か見返したら気づける部分もありそうだが、一回の視聴では理解できず。
これまでのノーラン監督の作品は、理解できなくても楽しめたが、残念ながら本作はそういうコンセプトのものではなさそうだ。
作品の展開として、仲間集めをして、強力なキーマンの助言を受けて、プロジェクトを成功させるという、インセプションと同じようなワクワク展開である事はノーラン節が効いてて良かったなと思う。
これまでの作品では、キーマンとしてマイケルケインが務めていたところを、ケネス・ブラナーが見事に演じられていたところには感銘を受けた。重要なキーワードも本作では彼が語っている。
キリアンマーフィーもそうだし、これからも演者側の活躍も含めて作品を楽しみにしたい。
映画として完成度が高い
戦時下で国家の大事業を任されたら全力出しきって当たり前。そして、その破壊力を知ってどうして良いかわからなくなる。という意味で、オッペンハイマーは物理の天才という部分を除いては普通の人という印象。物語上もう1人の主役とも言えるルイスストロースが怪人なんだろうが、最初に出てくる良い感じのおじさん印象が抜けずに話が分かりづらい。事前にオッペンハイマー事件の概要を掴んでおくともっと物語に入れたと思う。しかし、アメリカの国内にいれば遠くで原爆落として何十万人死のうが、やっと戦争終わって良かったぐらいの感覚だったんだろう事がよく分かる。最初から2発用意したから2発落としたとしか考えられないトラックの運搬シーンが印象的。
人類視点で見た方がいい映画
優れた映画は感情を揺さぶるものだと思っているが、この映画を見ることでしか得られない感情があるという意味で価値のある映画だと思う。
愛国心や探求心が結果的に人類を滅ぼし得る兵器を生み出すって、これほどの皮肉はないんじゃないだろうか。
この映画のテーマに愛国心によって憤りを感じる人は多いのだろうが、オッペンハイマーや開発者達も同じ愛国心によって最悪の発明をしたというところがなんとも・・・。
おそらく人類が争いを始めた遥か昔からこの未来はある程度決まっていたのだろう。世界情勢やテクノロジーの発展度合で多少の誤差はあったとしても人が人である以上、この発明自体は避けられなかった事だという事を改めて感じた。
この発明以上に人を殺してるテクノロジーはあるのに普段ほとんど問題視されてない事にも人間の都合のよさを感じる。
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