オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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日本人の心にはあまり響かないとは思いますが、半歩進んだのかもしれない。
演技と脚本、演出が特出して良かったかな。
立場が変われば、主張は変わる。それによって状況や歴史は変わる。まだまだ、人類は未熟なまま。
己の行いに責任を持つことの重み。
追記
私にはこの映画は責任転嫁とすり替えなのかなぁと思えた。
博士はユダヤ人として、ドイツに落としたかったのだろう。日本に落としたからこそ、あそこまで、呵責に苛まれたのだろうかと見えました。
これら全ての人類の悲劇は、私怨なのかもしれないと悲しい思いです。
残念なところが結構ありました。!!!
原爆が実際に使われるまで、ストーリーを続けて欲しかった。
この映画の中で戦争がどういうものか??も中に入れて欲しかった。
何故、原爆が必要だったのか??がイマイチ表現力不足なのは凄い残念です。
共産主義だとかソ連のスパイ容疑の裁判は少し短くしてもらい他のことにストーリーの焦点をあてて欲しかったのも残念でした。
あくまで伝記映画。強い反戦反核メッセージを期待する人には…。
強い反戦反核メッセージを期待する人が見ると星1・2の作品になると思う。オッペンハイマー(長いので以下オッピー)の伝記映画であること、アメリカ人向けに作られていることを理解した上で鑑賞した方がいいかな。
ただひとつ注意点。NHKの取材でノーラン監督が『どう考えるべきかを伝える映画は、決して成功しないと思います。』と言っているので強いメッセージ性がなくて当然だしそこは監督の意図通りの作品になってると言える。核兵器について関心を持つための入門映画という点でよくできている。
☆音楽
・IMAXで見た恩恵を感じるのは実質2箇所のみ。冒頭の原爆シーンの爆発音は劇場内の空気まで震えているのがよく伝わり圧巻。オッピーを称賛する足踏みの音の圧力がすさまじかった。
・トリニティ実験のボタンを押す直前の音楽は緊張感と不安をよく表せていて素晴らしかった。音楽であそこまで緊張感を高められるのはすごい。
☆映像・演出や脚本等
・爆発の炎や煙の表現は不謹慎ではあるがアート表現として魅入られる感じ。
・ほとんど会話劇なのでカメラワークの工夫は特に見受けられない。
・場面も時系列もころころ変わるので置いてけぼりくらわないようにするのが大変。ストーリーも分かりにくくなるのがデメリット。
しかし、もしこの会話劇を時系列順で見せられたら間延びして退屈だったと思うのでこれでOK。
・カラーと白黒で視点を分けていたが必須レベルの表現になっているとは思えない。前情報無しで見た人は直感的にカラーが時間軸が新しく白黒は古いと思ってしまい余計な混乱を生んでいるように思う(そう解釈したレビューがあった)。
アメリカ人なら当然知っているであろう前提条件も日本人は知らないし、作中のセットから時間軸の新旧を判断するのも難しいから仕方がないとも言えるが。まぁ台詞をしっかり読み込めてかつ歴史的事実の順番を知っていれば一応序盤で時系列が理解できる可能性はある。でもカラーと白黒の違いについて考える暇があるなら台詞や役者の表情、今見ているシーンの社会的背景等に脳ミソのキャパを使いたい。
・マンハッタン計画とオッピーがそれに参加する経緯とその機微がわかる。オッピーの大学講師時代は共産主義に傾倒する人々への眼差しは危機感はありつつも少し緩かったが、計画進行中に少しずつ厳しくなり、終戦後には赤狩りが表立って始まりおおごとに。全てオッピー視点ではあるが社会的背景がじわじわと変わっていく様を映像作品で見るのはその空気感も伝わってくるようでおもしろかった。
ここまで考えると星4をつけようと思えるのだが、問題はメインストーリー。
強いメッセージを出さない意図で作り、原爆称賛でも反戦反核でもなく伝記映画として事実をそのまま描いているために『それが事実ですね。わかります。そりゃ当時のアメリカ人ならそう言う反応・そう考えるのは当然ですね。でも、だから何?』という感想を持ってしまう。『だから何?これ何の映画だっけ?』という感想では困惑してストーリーの評価ができない。
『だから何?』の原因はオッピーの人生に感情移入できなかったこと。
オッピーがあの性格(毒林檎の殺人未遂・女にだらしない・卑しい靴売り発言)&劇中の言動に自分の意見や強い主張もなくブレブレだったおかげ(?)で終始客観的視点で映画を見てしまった。この視点で見るのはいいこともあるが、オッピーの伝記がストーリーの基軸なので感情移入できないと映画を見終わった時『事実述べるだけならノンフィクションドキュメンタリー番組でよくない?』との結論になってしまうのだ。(ブレブレ具体例は長いので省略)
本来ならこのブレブレも「この人もまた弱い1人の人間」と捉えられるし感情移入に貢献するはずなのだがそうは思えなかった。また、作中描かれたオッピーの人生をもう一度振り返ると「原爆開発成功で持ち上げられ称賛の嵐→罪悪感等から精神的負担が大きくなる&水爆開発に反対→今までの言動と私怨により赤狩りに遭う。聴聞会で吊し上げ。昔の科学者仲間は味方になったり批判的証言をしたり色々でこれも精神的負担増。大統領にも幻滅され栄光とは真逆の掌クルックル」こう文字で見るとなるほど、科学者の凋落を表現できているように思えるが映画を見終わった感想がそちらに意識が向かなかった。
日本人だから感情移入できなかっただけじゃない?と言われればそれまでなのだが、理由はそれだけでは無いように感じる。具体的理由が思い当たりはするのだが、まだイマイチ明瞭にできていないので、今後いい感じに言語化できれば追記したい。
この映画を見て核兵器に関心を持った人は広島・長崎へ行って資料館の展示や復興した街、そこに住む人々や観光に来た外国人の笑顔。そして展示を見る人々の表情(来館者には日本人も外国人もいるだろう)を見てほしい。人間が持つ高い共感力が、もう原爆で亡くなる人を出してはいけないという思いにつながる。そのためのスタートラインがここだと思う。
日本に使えだと!
オッペンハイマーの栄光と苦悩の映画だな。
やはりソ連、ドイツも原爆考えてたのか。
そのドイツは降伏した、だがまだ日本がいる、だから日本に使えか。トルーマンはともかくスターリンまでそんな事言ったのは知らなかった。まあ不可侵条約を平気で破った国だからな。
投下候補都市から京都は貴重な文化遺産が多いから外す。小学生の時先生が言った通りだ。京都が空襲された話も聴かないし。
実験の時、防護服も着ず素手で原爆触ってたようだけど大丈夫だったの?
IMAX画面サイズ頻繁に変わり過ぎ、疲れます。
脅威か卑劣か凡人か
「オッペンハイマー」
別にIMAXじゃなくても良い映画かも
ただ音響が良い環境が良いと思います
内容は彼の人生譚なので
落とされた日本についての描写は無い
オッペンハイマーについての映画なので
あまり感動もせず
フラットな気持ちだった
原爆三世としてのわたしの感想は
それしか出ない
作品賞に値するかどうかは疑問も出る
アメリカ現代史のなか原爆開発者の生涯
共産主義と人民戦線、冷戦と赤狩り。1930年代の若き原子物理学者たちも時代の流れに翻弄される。核兵器の開発は彼らに大きな力と深い苦悩を生み出す。原爆開発の父と讃えられた、その晩年の葛藤を初めて知った。原爆投下に至るアメリカとアメリカ国民のあまりにも無邪気な空気。その一方で無差別殺戮の現実。オッペンハイマーがそれを受け止めきれずにいるのは分かる。しかし、1950年代にはすでに湯川秀樹やアインシュタインらによる反核へ動きが物理学者からも始まっている。国家の軍事戦略に深く関与しすぎたための限界か。この作品を日本に持ってきた配給会社に感謝。
オッペンハイマーの伝記の映画
という印象が強い。後半はストローズとの確執、戦いの物語。
カラーと白黒で場面分けしているが、時間が行ったり来たりで理解しづらい。
アインシュタインを、新しい物理を理解出来ない過去の人扱いする場面はいただけない。
ただ、プリンストンの高等研究所での再会の場面は、最後シーンでこの映画の意味合いを説明する。
オッペンハイマーの授賞式などの場面とかぶりながら。
原作?のアメリカンプロメテウスの最初の翻訳(上下巻、PHP)は訳がひどいという。特に物理の関連項目で。
現在のハヤカワ版(上中下巻)は、たぶんそのせいで物理学者(山崎さん)の監訳者がついたのだろう。
PHP版は絶版のようなので出会うこともないだろうが。
セックスシーンもあんな場面に入れ込むのは私は好みではないのでいらないシーン。
奥さんもだいぶひどい人のよう。オッピーも女性関係はひどいが。
思っていたのとだいぶ違っていた。
ストローズがあの俳優とは、まったくわからなかった。(今回、嫌な奴リストに入った。)
物理学者のブラケットも嫌な奴なのかな?映画のように。
単純に面白い映画だったでは片付けられない
タイトルのとおり
原爆が実際に現実で使われるまで、科学者以外の世界中の人類は、その恐ろしさを理解することができず、従って抑止力になり得ない。
劇中でこんなシーンがあった。
原爆資料館や裸足のゲンといった原爆の恐ろしさを伝える媒体に触れたことのある私にとって、原爆は恐ろしいものだ、こんなものは抑止力なのであって、実際に使われることはあってはならない。という考えだった。
が、本作を観て、その認識が少しだけアップデートされた。
原爆が使われてしまったことを到底肯定するつもりはないが、使われてしまったことで人類が原爆の恐ろしさ、原子力の恐ろしさを、空想上の存在としてではなく、現実に起こり得る事実、史実として認識できたことは、人類にとっては有益であったと感じた。
(原爆使用を肯定する意味ではない)
オッペンハイマーが開発した「原爆」は、従来の爆弾とは異なり、地球そのものを破壊し得るポテンシャルを秘めている。その力を人類に与えてしまった、プロメテウスが人類に火(破壊の象徴)を与えてしまったことに準えて、オッペンハイマーを描いたこと。
そして、人類が原爆の開発以降、いつ滅んでもおかしくないステージにあり、その蓋を一人の人間が開いてしまって、その蓋が未だに閉じられていないこと。
この二点が深く刺った。
水爆が完成し、いくつかの国が保有している現在の地球において、SFに描かれる地球滅亡は、SFではなく、現実に起こり得る、もっとも恐ろしいリアルであり、その扉をオッペンハイマーが開いてしまった。そう考えると、人類にとって、オッペンハイマーはとんでもない存在であり、そんな人物を題材に映画を作ると考えたノーラン監督の気持ちが少し理解できた。
※最初はSF題材にした映画にしてくれよ!って思ってました。監督、すみません。でも次回作はインセプションとかインターステラーみたいなSFがいいな。
必見の一作!
やっと日本公開になりました。
日本人にとっては投下後の記録映像を直視出来ないオッペンハイマーの描写で状況は脳裏に浮かびますが、他の国の人たちにはどの様な光景が思い浮かぶのでしょうか?
映画は完全な反原爆映画です。第二次大戦の功罪を問う事が目的ではないので、炭になった遺体の幻影などが出てきますが、ヒロシマ&ナガサキはもちろん、第二次大戦のシーンは一切ありません。ドイツの侵攻、パールハーバーなどの言葉は出てきます。ノーラン監督が客観的に描くため、戦争のシーンを一切排除した事で、結果的に原爆投下に関するシーンも描かれなかったのだと思います。
時系列が絡まり合って進むので分かり難い? 量子学と原爆の簡単な知識があった分かり易いと思います。待っただけの甲斐のある映画です。 必見の一作!みんな観てね!
あと、思いもかけないアクターが出ているので、そこもお楽しみに!
追記
この映画を観ていて一番恐ろしかった場面について!
✳︎原爆投下候補が十一ヶ所と説明を受ける場面!
『京都は歴史的価値があるから外す。行った事があるがすごく良い所なんだよなー』と嬉しそうに語るんだけど、
なんとも言えない気持ちになりました…
前半から気合を入れて見ないといけないが、終盤にも体力を残しておかないといけない
とてつもない映画でした…!
体力と神経を使い果たした感じです…
正直に言うと被爆国の当事者である日本人にとっては決して気分の良い映画ではありません。
胸が痛くなるシーンも多々あります。
公開か否かで議論が長引いたのも納得で、見るべきではないという反対意見も尊重します。
しかしこれは紛れもなく反核映画。
私はまた一つの歴史の勉強になりましたし、公開されて、見て良かったと思いました。
内容に関しては時系列が常に前後するものの、ノーラン監督作品にしては比較的解りやすい方なのではと。
ただし登場人物をしっかり把握しておかないと、終盤の“真のクライマックス”で置いていかれる事になります。
IMAXでの鑑賞は凄まじいの一言。
しかしその効果は映像よりも音に出ていて、恐怖を感じる原爆実験はもはや爆風を感じる程だし、オッペンハイマーの心境を表す無段階音楽による没入感が半端ではない。
そういった意味ではIMAXだけではなくDolbyシネマやシネマサンシャインのBESTIA、イオンシネマのULTIRA等の轟音系シアターも十分選択肢に入ると思います。
全編の90%は会話シーンで上映時間3時間は長い…という意見もありますが、私は仕事終わりのレイトショーで観てもそこまで長さを感じませんでした。
むしろ音響効果のせいで眠くなる暇など無かったです。
凄まじい
日本で公開されるのを楽しみにしてました。
映像、音、話の流れ、すごい映画体験をしました。
登場人物が多くて理解しずらい所もあったのでもう一度見ようと思います。
理解しないともったいない気がします。
上映時間が3時間ですが、割とあっという間に終わりました!
4月9日 追記:2回目行ってきました。YouTubeで予習復習もして見たので理解することが出来ました。難しいけど難しいで終わりたくなかったので理解出来て良かったです。
改めてすごい映画でした!
これは、一人の物理学者の物語。観る前に事前予習をしっかりしてから観ましょう。
時代背景、政治、ある程度の物理学などの知識を観る前に詰め込んでおいた方が良いです。
物理学者としての探求心と、その結果生まれた悲劇。 オッペンハイマーの葛藤は、現代社会においてもなお、多くの議論を呼ぶテーマです。
科学者にとって、知識の探求は崇高な使命です。しかし、その探求がもたらす結果には、倫理的な問題が常に伴います。オッペンハイマーの場合、原子爆弾という恐るべき兵器の開発に携わったことによって、多くの犠牲者を生み出すことになりました。
戦争終結に貢献した英雄として称賛される一方で、オッペンハイマー自身は多くの犠牲者を生み出したことに対する罪悪感と苦悩に苛まれ続けます。映画では、彼の複雑な内面と葛藤が繊細に描かれており、観る者に深い問いを投げかけます。
オッペンハイマーの物語は、科学技術の発展と倫理的な責任について、現代社会に警鐘を鳴らしていると言えます。科学技術の進歩は人類に大きな利益をもたらしますが、同時に、使い方を誤れば取り返しのつかない悲劇を生み出すことも忘れてはいけません。
映画「オッペンハイマー」は、単なる伝記映画ではありません。私たちに、科学技術と倫理、そして人間の業について深く考えさせてくれる作品です。
エンドロールには特にこだわったものはありませんが、最後まで余韻に浸った作品となりました。
IMAXのサウンドは、彼の心情をこれでもかっていうくらい表現してくれていたと思います。
近くにIMAX上映館があれば、ぜひIMAXで体験されることをおすすめします。
PS.
ノーラン監督作品は時間遷移が行ったり来たりして物語についていくのに疲れる作品。
多分、あと何度か観直すかもしれません。
ただただ映像美と圧巻の演技力、映画として極めて優秀
日本人なもので、素直に面白いと言えないところがありますが、鑑賞して損はない作品でしょう。
Cノーラン監督作品らしく一番の見所が圧巻の映像美と音楽の融合なので映画館で見たほうが良い、というか映画館で鑑賞しなければ価値がない作品とも言えます。
特に度々登場する、核分裂、太陽のコロナ爆発、脳内のシナプスなどを具現化したような幾何学的イメージの不可思議な映像と音響の爆発は出色でした。このシーンでは一瞬言及されたストラヴィンスキーを引用したような不協和音が歪で不気味で激しい音像、おそらく1945年当時を再現するために電子楽器一切無しのクラシック音楽寄りの編成で構成された楽曲が素晴らしかったですね。
あと意外だったのは映画の三分の一は、ソ連側のスパイの嫌疑をかけられたオッペンハイマーを糾弾する聴聞会のシーンで構成されていたこと。
それはともすると退屈しそうなシークエンスですが、嫌疑を追求する側とされる側の一切の妥協のないお芝居に魅入ってしまい退屈しませんでしたね、俳優陣の演技力は凄まじいものがあります。
それにしてもオッペンハイマーの人物像、資産家の家に生まれユダヤ人で、資本論を原語で読破し社会主義に入れ込み文系もいけることをひけらかす傲慢な感じ、鼻につきますよね〜。
あの時代の傲慢な知的エリートの脆弱性の象徴としての描き方として完璧に描写してましたね。
何故知的エリートが脆弱かというと
当時、ソ連のスパイが主導で各国の上流階級の知的エリートの理想主義を利用して社会主義が阿片のように広がり、ソ連の思惑通り、ソ連=社会主義に対する警戒感が和らげられたのです。
軍事力無敵で経済最強のアメリカすらも、ソ連の思惑通り内部から切りくずされていきました。
劇中に社会主義仲間との集会が何度もありましたが、あれは要はオッペンハイマー博士がソ連の掌の上で踊っていたにすぎない訳です。
博士は現実を見ていた政治家や官僚とは戦後、ソ連に関する観点で意見が合わず対立し遂には公職から追放されます。
この両者の差異をCノーランは出自に求めているようです。ストローズには靴売からの成り上がりを劇中さかんに主張させ、かつ最終学歴高卒の叩き上げトルーマンとの対立も明確に描いていますね。まるで生まれながらに資産家の博士とは、叩き上げのトルーマンやストローズとは真逆の出自であるが故の対立かのように。
ちなみに博士とストローズの対立の原因となった、アイソトープ=放射性同位元素の輸出入の規制、これは現在の安全保障の視点ではストローズの意見が正しいことが結論付けられています。
このように、Cノーランの感覚は左翼優勢なハリウッド人の中ではかなり冷静に両面が見えているように思えて好感が持てます。
映画の感想とは別に、個人的に考えさせららたのは、戦争自体への賛否はともかく、原爆という戦略兵器を「市街地に投下した」残虐性について少なからずも個人的内省を抱く人物を描いただけでも米国人としては進歩的なんですよね。だからアカデミー賞とっている訳です。
原爆は戦争を終わらせたことを一般米国人は評価していますが、非戦闘員の殺傷は明確な国際法違反です。米国人はこの点に関して全スルーですよね。
原爆を市街地ではなく、海中に投下する、例えば東京湾のど真ん中に投下することでも十二分に脅迫効果はあったはず、しかし彼らは原爆が人体に与える影響、戦略兵器としての有用性を示すデータが欲しかった。だから市街地に投下した。
彼らは国際法を捻じ曲げても全く気にしない。
日本人としては、彼らの歴史観にモヤる気持ちはありますが、事実上の属国ですので生暖かく見守るほかないのでしょうね。
映像の圧倒的情報量
ノーラン監督らしい、時間いじりの表現・映像中の圧倒的情報量・破壊的兵器を作り出そうとする葛藤・それを戦時とはいえ人が住んでいる市街地で使用することの倫理的葛藤・アカ狩りへのストレス等で、3時間はあっという間でした。私は単調な映画だと眠くなりがちなのですが、それはクリアしました。砂漠の中での原爆の爆発テストの描写は、密度が濃くて息をするのも忘れるほどでした
また主人公が原爆の悲惨さを知るシーンがいくつかあって、被爆者を直接的に写すことは無いけれど、壮絶な被害の表現があります。一般民間人の膨大な犠牲者が出たことは十分に伝わりました
難点を言えば登場人物があまりに多く、マット・デイモンや、ケネス・ブラナー、レミ・マリックのような顔が識別出来る方以外の俳優が時を越えてあちこちに出没しだすと、混乱します。ネットの登場人物紹介コラムを読み込んで鑑賞しても駄目でした
制御できるのか?破壊神を
「マンハッタン計画」を指揮して原爆開発に成功し、アメリカのプロメテウスと呼ばれた科学者、J.ロバート・オッペンハイマーの生涯を描いたアメリカ映画。クリストファー・ノーラン監督作品。
映画のハイライト(そしてオッペンハイマーの人生のハイライトだったのかもしれない)は、最初の原爆実験「トリニティ」である。あの緊迫感と迫力、そしてそこに至る過程の途方もないスケール。砂漠の真ん中に突如、世界最大の実験場をつくり、そこで働く人間たちの町をつくり、新たな神の火をつくりだすという人類史上最大の「プロジェクトX」が、圧倒的リアリティをもって描き出される。質量ともに世界最先端の映画プロダクションでなければ到底不可能であったろう。・・・その観点からすれば、素晴らしい映画だと言うことができる。
しかし、トリニティ成功後、日本への原爆投下を正当化し、落とす場所を選び、実現に向かっていく過程が、見ていて息苦しくなるほどつらい。実際に広島と長崎で起きたことに対し、この映画におけるその描き方に対し、分けようのない怒りと悲しみを感じる。
それだけではない。原爆は他の兵器とは違う。これによって人間は、世界を確実に破滅させることができるようになった。人間のもてる最大限の英知と能力を結集して行きついたゴールは、「世界の破壊者」(オッペンハイマーが引用した『バガヴァット・ギーター』の一節)であったのだ。後戻りはない。これ以上先のゴールもない。破壊の後には何もないからだ。
翻って、登場人物たちはどうしようもない卑小さ、弱さ、愚かさを見せ続ける。人間の本質は変わらない。それが魅力でもあるのだから。
そしてこの世界の存続は、人間が破壊神となった自分自身を制御し続けられるかどうか、の一点にかかっている。
キャストについて:
オッペンハイマーといえば、長身でガリガリに痩せた特徴的な姿が思い浮かぶ。キリアン・マーフィーが周囲の人々よりも背が低いのにはどうしても違和感があった(キャスティングの責任)。一見して「普通じゃない」と思わせるカリスマ性がもう少しほしかった。
マット・デイモンがレスリー・グローヴズを見事にリアルに演じている。
エドワード・テラー(ベニー・サフディ)の造形が素晴らしい。リーダーに何を言われようと周りにどれ程嫌われようと一切気にかけず、常に、絶対に、自分の正しさを疑わない。オッペンハイマーを刺す証言をした後、自分から握手を求める(オッペンハイマーはなぜか拒否せず握手する)。ああ、テラーはきっと、そういう人だったのだろう…。
欲望とパワーゲームの果てに
オッペンハイマーが科学者としての好奇心と探究心を政治的意義で着色されて、利用されたお話。本作はあくまでこの科学者がどういう人生を歩んだか、または巻き込まれたか、という角度から描いていて、それはそれで面白かった。アメリカ国内のパワーゲーム、政治的思想、そこに関わることを拒否し続けたアインシュタイン…。新しいことを開発する熱意と活気はわかるが、あの大爆発のテストのあとに、どういう心境で全員歓喜したのかが、理解に苦しむ。どう言い訳したって、水爆も原爆も大量殺人兵器であることには変わりないのだから。
独特の描写と熱風や湿度を感じるようなスクリーンは、さすがノーラン監督だった。
アカデミー7冠は納得
採点4.3
物理学者オッペンハイマーの半生を描いた伝記作品。
そしてその背景に米の汚点とも言える赤狩りをも深く絡めた、大変見応えのある作品でした。
その構成が見事で複数の視点や時系列を散らし、そこにモノクロとカラーの切り替えも差し込んでいました。
そして迫るような映像もですが、何より音楽が見事。
「TENET 」で一緒だったルドウィグ・ゴランソンなのですが、その映像や物語に実にピッタリでした。
この音がなければ、こんなにもオッペンハイマーの視点に入り込めかったと思います。
キャストも常連キリアン・マーフィをはじめ錚々たる豪華な顔ぶれ。
フローレンス・ピューだけ何故かサービスショット付きです。
後半からはジワジワとダウニーjrがその存在をたっぷりと見せつけてくるのも、良いアクセントになっていたと思います。
その波乱に満ちたその半生は、自分で体験したことのようで上映後は結構疲労感を感じるほどでした。
それでも、その生み出したものの重さは計り知れない程です。
とても密度の高い時間でした。
ただ、やはりしこりのような物は残ってしまいますね。
これは日本人だからしょうがないです。
逆にアカデミー7冠は納得の出来、本当見事でした。
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