オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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次は大東亜戦争開戦の背景、被爆国日本側からみた原爆の惨禍について映画を作って欲しい
日本での公開に賛否のあった、原爆の父オッペンハイマーを観てきました❗天才物理学者が大量殺戮兵器を作り、その為に多くの日本人を殺してしまった❕
また、彼は面談したトルーマン大統領に対し「私は自分の手が血塗られているように感じます」と原爆開発を後悔するようなことを言ったことや、水爆再発に否定的なことを話したため、後に共産主義の疑念を持たれ失墜してしまう‼️
オッペンハイマーは広島への原爆投下による犠牲者が五万人程度と聞かされたが、実際にはその三倍もの民間人が犠牲になったことに心痛めてしまった❕
彼は純粋な学者でアインシュタインとも親交があった人物❕殺戮兵器を作るのではなく、自分の理論が正しい事を証明したかっただけなのかもしれない‼️
今年1月に広島平和記念公園で原爆ドームと原爆平和記念資料館を訪れたためオッペンハイマーには良い印象をもっていなかったけど、同地を訪れている外国人が説明書きを食い入るように読み、資料館では涙する外国人を多く見たので、この映画で原爆の酷さ、戦争の悲惨さを改めて考える良い機会になりました‼️
山崎貴監督はこの水爆実験によりGODZILLAが産まれた事を映画にして米国で大ヒットした❕皮肉なものだけど、やはり唯一の被爆国として反対の立場からみた原爆の悲惨さを映画にして欲しい‼️
タイトルなし
原子爆弾ではなく人間を描いており、日本での公開が危機一髪だったのがわからない。広島だ長崎だ言う人には、実験成功を喜ぶ祖国アメリカの体育館や公聴会、果ては未来の地球にまで落とされた原爆と水爆が見えなかったのか。落としたのは人間でアメリカ人ではない。ドイツ日本ソ連、全人類でボタン押したと言って良い。被害者面は周りに任せれば良い。
またフォローイングを見てからだと構造が同じで手腕の恐るべき進化がわかりやすい。
ちなみにノーランをIMAX GTで見るようなこだわりの強い人ってどうして両サイドの肘掛け使えるのが当たり前だと思うのだろう。両隣と米ソよろしく冷戦状態になってしまった。自分も良くないな、肘掛けぐらい良いじゃないか。
とまで書いた後になりますが、
広島長崎に原爆を落とした後に自分の思考を変えたとなると、確かに原爆の威力を描けよ!と言いたくなりますね。
考えが遅くて駄目だなあ。
日本には悲しいかなあ!!トム・コンティさんが登場時感激しました‼️🤗
昨日AU マンデーのためTOHO新宿にて鑑賞しました
ここからネタバレします
体力と集中力が低下していたので2回ほどウトウトしてしまいました
原爆の父と言われるオッペンハイマーの栄光と没落⁈の伝記映画でした
世界大恐慌の最中に労働組合に関わり
そしてドイツが原始爆弾の開発が発表されてアメリカが2年遅れで原始爆弾💣のために街を作り開発します
さすがアメリカ🇺🇸です
土地が広いですね😆🤗
そして目的のドイツが降伏しますが日本が戦争やめないのでそこで急いで実験成功して使用します
その後ダウニーに逆恨み⁈で没落と
原始爆弾の使用で葛藤します
後半の没落が少し長くかんじました
この労働組合や赤狩りやスパイに対しての取り組みや水素爆弾などの描き方は良かったと思います
ただやはり日本人の私からすると実際に原爆を使用された国民からすると悲しく😭くかんじました
あれだけ実験の場面は迫力と凄さ
爆風が時間差で表現されてましたが
成功と同時に威力に葛藤しました
私なら使わないように働きかけて欲しかったです
人間関係も恋人、友人、大学関係、政治、軍人、兄弟、思想、など丁寧に描いていたとかんじました
今回はアルベド・アインシュタイン役のトム・コンティさんが登場した時には
驚きと嬉しいさで心拍数爆上がりしました
実際には見たことはありませんが
♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪😭🤗
この映画の関係者の皆様お疲れ様です!!
ありがとございました
♪( ´θ`)ノ🤗
傲慢な科学者と靴屋
我々庶民では理解出来ない科学者と靴屋の話を時系列をごちゃ混ぜにした映画。後から白黒とカラーで科学者と靴屋を分けてあるようだが、説明なしだとわからない!科学者の後先考えない探究心、政治家の傲慢、命令による殺人を何とも思わない軍人…一応オッペンハイマーは日本人の殺戮を後悔するシーンは少しあるが、映画は赤狩りの方に重きを置いていた。アメリカ、科学者の傲慢も詰まり切った映画でもあった…
オッパッピーではない
ストローズっておっさん誰?とか、小部屋での聴聞はなに?とか基本的展開での疑問はもちろん、次々とさまざまなキャラが登場し、ノーランが大好きな時系列いじりが入り、さらに時間軸に沿って人物が歳を取っていくので、オッペンハイマーと本作に関する予備知識がないと正直、話がよくわからない(と思われる)。
のりぴーではなくオッピーの半生を3時間観せられる映画なので人物への興味がないとよりしんどいが、原爆の父という点で被爆国の国民としてはスクリーンを観続けるモチベーションがあるといえなくもない。原爆の恐ろしさはオッピー目線で入れてるけど、広島・長崎後、ヤンキーたちの喜びようを見せられるとやはりムカッ腹が立ってしまった。反面、後半のソ連に原爆技術が渡った?という疑惑の会話劇は事実は決している話だけにけっこう退屈。まあ、小バカにされたとの勘違いだけで嘘をでっち上げたストローズの低レベルな人格には呆れるが、役者がアカデミー授賞式での露骨なアジア人差別をしたロバート・ダウニーJr.だけに納得感はある(後付け)。
主人公の高慢な感じや女好きも描きつつ、6週間でオランダ語を身につけ講演したり、複雑な数式を見ながらあーでもこーでもないと議論する人間はどんな頭の構造なのかとは思うし、マンハッタン計画のためロスアラモスに街まで建設しちゃう徹底ぶりには恐れ入る。こんな顔アップばかりの映画をわざわざIMAXで撮ったり、撮影のたびに大セットをおっ立てたりしちゃうノーラン監督自身もかなりヤバいと思うのだが、それゆえオッペンハイマーに共感して映画にしたのかも(勝手な想像)。
プロメテウスの後悔
被害者が見えないと云う指摘があります。加害者の苦悩は分かるとして、被害者の苦痛を伝えないでは、リトルボーイも、ファットマンも、その本当の恐ろしさが伝わらない。だから、未だに核は無くならない。それどころか、ガザをヒロシマのように…と言い出す議員まで。
計らずも、この映画は、落とした側と、落とされた側の温度差を、世に知らしめることになりました。
公開前から、映画の出来を評価するのではなく、この映画の存在自体、是非が問われています。
私はこの映画を否定しません。少なくとも、この映画がなければ、爆撃者と被爆撃者との温度差を、ここまで痛感することは、なかったはず。それだけで、意味があると思います。どう思うかは、ヒトそれぞれですが…。
以上、本作の事前情報を、レビューしてみました。
やはりと云うか、流石と云うか、ノーラン節、炸裂の時系列ですね。ついて行くのに苦労します。でも、社会正義を振りかざし、声高に一方的な正しさを押し付けるのではなく、一個人にスポットを当てた心理描写の方が、このデリケートなテーマには、良かったと思います。
因みに、原爆の研究は、米ソだけでなく、このクニでもしていたそうです。仮にこのクニで完成していたら、皆様は、どんな映画を創ります?。ヒトは自らの業火に焼かれて、灰になるだけの存在なのか、更なる進化を遂げるポテンシャルを秘めた存在なのか、どちらがいいと思います?。
いずれにせよ、過去を変えることはできない。今、そこにある温度差を、解消することもできない。それでも、過去と今を知ることで、今よりマシな未来を描くことは、許されるのでは…。
本作が、その一助になることを望みます。
「ナイト・ブレーカー」
原爆被害は、極東の島だけではない。と云うか、原爆開発チームは、放射能の人体被害を、理解していたのか疑わしくなるお話。古い映画なので、視聴困難やも知れませんが、探して観て下さい。全て実話だとすれば、呆れ果てる話です。
結局同じことを繰り返しているんだな
映画館にて鑑賞しました。
もっと様々な背景を勉強してから見ると違ったんだろうな、と思いました。自分の学のなさが恥ずかしいのですが、オッペンハイマーが原子爆弾を開発した物理学者だということも、正直、この映画の宣伝で知ったぐらいです。
原子爆弾の開発までを描く映画かと思い鑑賞しましたが、その後の部分がメインでした。ストロースが色々語ることや原子爆弾開発までのオッペンハイマーの様子が描かれることで、随所に挟み込まれる聴聞会のシーンの重さがどんどん増していきました。前述したようにシーンの重要性というか面白さが後半になるほど大きくなるため、逆に前半の聴聞会のシーンは、若干の「なに言ってるんだ感」は感じました。
この映画で印象に残ったシーンは2つあります。
1つ目はトルーマン大統領とオッペンハイマーが面談した時のトルーマン大統領のセリフ「恨まれるのは開発者じゃない。落とした人間だ。」です(たしかそんな言い方だったと思いますが…)。このセリフは為政者と科学者の覚悟(なのか面の皮の厚さなのか…?)の違いを見せつけられた気がします。短いシーンですが、個人的にはかなり印象に残っているシーンです。
2つ目は終盤のアインシュタインとオッペンハイマーが会話しているときのアインシュタインの言葉「時が経てば君は祝福されるだろう。それは君を許したからではなく、彼らを許すためだ。」です(たしかそんな言い方だったと思いますが…2)。この映画を通して一番印象に残ったセリフですね。祭り上げられた側だから感じることができる視点だし、まさにその通りだな、と思ってしまいました。
にしてもこの映画を見ていると、人間は結局同じことを延々と繰り返すんだな、と思ってしまいますね。
難しい映画だった。2つの意味で。
公開から1週間以上経ってようやく映画館に観に行くことができた。
いつものとおり、できる限り事前知識を入れずに観たのだが、一言で言うと「難しい映画」である。
■難しい① 映画のスジの理解が難しい
学者を中心に登場人物が多いが、誰が誰なのか、何をした人なのか説明がほとんどないので、主人公との関係性、マンハッタン計画との関係性がよくわからない。
また、オッペンハイマーの聴聞会の目的はおおよそ理解できたが、ストロースの公聴会は何のためにやっているのか、見終って検索するまで意味がわからなかった。米国の閣僚の選出過程など知らなかったので、何のための公聴会なのか理解出来なかったのだ。私と同じように、事前知識がなくて細部の理解が追いつかなかった人も多かったのではないだろうか。
それから、時制行ったり来たりで、実際に起こった事象の時系列がわからなくなる場面が何度かあった。聴聞会でオッペンハイマーが自身の過去を回想していくという演出はいいのだが、何度も行ったり来たりは少し疲れたというのが本音である。
この映画を理解するには(楽しむためには)オッペンハイマーとマンハッタン計画に関する一定の事前知識がないと難しい。知的で難解な映画だと思う。
■難しい② 扱うテーマが難しい
①の難しさに比べればこちらが遙かに難しい。難しさ故に、監督は「核兵器の是非、オッペンハイマーの行動の是非を評価しない」というスタンスを採った。そうしなければ、映画は公開できなかっただろう。その判断は、映画を観た者に委ねられた。
これは原爆の開発に関する映画だが、それに留まらない人間の欲望と探究心、科学と倫理というものを考えさせられる映画であったように思う。
ロスアラモスで研究者達が原爆開発計画をストップさせようとする集会を開いている場面にオッペンハイマーが入っていく場面があった。「ヒトラーは死に、日本も降伏目前なのに、なぜ原爆が必要か?」という一部の科学者たち。こういう人たちがいた、そして政府が決定する直前まで嘆願書に署名して実戦使用を止めようとしていた人々がいたことを知って、科学者の良心を感じると共に、それでも核開発に突き進む科学者達の存在を観て、人間とは何なのかをまた考えさせられてしまう。
もっと強力な兵器を!優秀な人間のクローンを!永遠の命を!賢い人工知能を!
人間の飽くなき欲望と探究心は、制御を失うと人間を破滅の淵に追い詰める。追い詰められてやっと気づいて慌ててルールを、管理をと叫び始める。核兵器もしかり。近年のAIしかり。その繰り返しである。
そして、本編とは直接関係ないように思われるストロースの公聴会を中心としたモノクロの場面。権謀術数を使って富の次に名声を得ようとする権力欲にまみれた男。オッペンハイマーとの対比で描くことで、オッペンハイマーの人物像をより際立たせようという演出だろうが、自分の欲望のために、原子力や核兵器さえも道具に使うこの男の描写は、現代の社会に対する皮肉のようにも思える。
オッペンハイマーを演じたキリアン・マーフィ、ストロースを演じたロバート・ダウニー・Jr.の演技は素晴らしく、オッペンハイマーの複雑な心情を描く粒子の飛び回る映像や爆発の映像、揺れや音の表現は秀逸だった。
しかし、やはり難しい映画である。
(2024年映画館鑑賞10作目)
この映画は過去の日本人とアメリカ人だけに関係する話ではない。今、世界を生きている人々の生活に潜むおぞましい黙示録。
オッペンハイマーという人物は、政治的に考えればアメリカ人にとっては正義でなくてはならず、日本人にとって彼は広島と長崎の多くの命を奪った悪魔でなくてはならない。それらは絶対に相入れないイデオロギーだ。
映画「オッペンハイマー」の一番凄い所は映画が結論を代弁するのではなく視聴者に彼の倫理的責任に対する呵責や判断を委ねている所だと思う。
映画ではどちらの視点の議論も間接的に傍聴会で提示した上で、あえて結論は押し付けず「君は彼をどう思う?」と投げかけているのが上手い。この映画はアメリカ人にも日本人にも結論を与えない、だから「これは傍聴であって"裁判"ではないので証拠は必要ない」と劇中何度も釘を刺している。
しかし、これを逆手に解釈すると理論上この傍聴会が「ニュルンベルク裁判」「東京裁判」に続くアメリカの戦争犯罪を裁く幻の"第三の国際軍事裁判"であった事が示唆されている。その意味でこの映画はこれまでの戦後史を根底から覆す視点を両国及び世界に示しただろう。
オッペンハイマーは、愛国心があれど共産主義に加担していた点でアメリカ人にとって"完璧な正義(ヒーロー)"ではないし、一方大統領に対して「私は自分の手が血塗られているように感じます」と語りトルーマンを激怒させたオッペンハイマーは日本人にとって"完璧な悪魔"でもない。しかしその両方を併せ持つ人物であるからこそ「オッペンハイマー」という映画を見終わった後にどの様な感情にさせられたのかすら分からない感情を日本人と米国人の両方に植え付けるのだと思う。
聴衆会で登場する発言が所々、現実で録音された「ノンフィクション」である以上、解釈を許さない場面とそうでない場面が矛盾を起こし、人々が映画を見る前に持っていた絶対的正義心を逆撫でし更に複雑な心境にさせる。日本人とアメリカ人はこの映画において真逆の歴史的観点から、オッペンハイマーというおおよそ両国人のスタンダードとは言えない経歴を持つ科学者という「防護メガネ」を通して感情移入し、最後に全く同じ心境(風景)を追体験する事になる。
最後のアインシュタインとの伏線が「いつオッペンハイマーが原爆に罪悪感を覚えたのか?」という傍聴で明らかにされなかった答えそのものになり、同時にとんでもないどんでん返しになって恐ろしい程の衝撃を覚えた。この映画はトリニティ実験における原爆実験がアメリカにとってナチスと日本に勝てるかどうか、レズリー将校の首が飛ぶかどうかと言う賭けだったのに対し、科学者にとっては爆発が世界全体を破壊するか、それともニューメキシコだけを破壊するかという「賭け」だったというとんでもない暴露を明らかにした。それまでの日本とアメリカに対してだけの問い掛けから「つまり地表に住んでる限りどこに隠れても原爆によって"大気に引火"するかも知れない恐怖に慄くことになっている現状について皆さんはどう思われますか?」と問いかけの対象が世界にまで飛躍している。ソ連がアメリカに核攻撃した瞬間世界が消滅するかも知れない。こんな議論がかつてあったなんて世界中の歴史教科書を覗いても書いてあるんだろうか?
それは科学者でさえ半ば懐疑的で賭けに興じるほどには信じていなかった。これを映画ではなくただ友達から聞いたら陰謀論だと思ってまともに取り合わなかっただろう。しかしオッペンハイマーの狂気にはそれを世界に生み出してしまうのではないかとヒヤヒヤする”凄み”がある。原爆の父オッペンハイマーと水爆の父テラーが対話し、「なぜあなたは臆病にも水爆を生み出そうとしないのか?」と激論しているが、水爆の行く末が「プロメテウスの炎」である事を理論屋であるオッペンハイマーとアインシュタイン(伝えられた)だけが知っているという怖い話。
アインシュタインは一貫して知的にオッペンハイマーに嫌味を言って煽っていた。「僕より優れてる気になってるけど僕の理論が無ければ君の功績はないよ、それに僕は亡命してでも科学を推進する強かさがあるし君より凄いよヘヘン」みたいに言うとオッペンハイマーが暗い表情で「ええ、あなたのお陰で地球を滅ぼすプロメテウスの炎(理論上、しかし理論屋には既に”見えてる”)を手に入れました、これであなたも世界を滅ぼした共犯者ですね。」と返してあのアインシュタインを閉口させている。
その重大さを悟ったアインシュタインは、現在絶賛炎上中の ロバート・ダウニー・Jr演じる原子力委員会委員長ストローズがこれから世界を滅ぼす男になるかも知れないので顔も合わせる事ができなかった。劇中でストローズに対しオールデン・エアエンライクが演じる側近役が話していた「2人はもっと重要な事を話していたのでは?」という軽い問いかけに重い答えがのし掛かる。
劇中の登場人物である「ストローズの炎上」と役者である「ロバート本人の炎上」が重なるが、それはまるでネットの炎上とは、SNSが生み出した国境を超え燃え続ける"言論"のプロメテウスの炎(原爆)と見紛うようだ。それはもしかしたら世界を燃やし破壊し尽くすかも知れない。
彼は原爆に罪悪感を抱いてる様で居ながら、自身の原爆プロジェクトの名前にノリノリで「トリニティー=神」の実験であると命名している。彼の中には相反する内なる爆弾を抱えている。彼にとってその線引きが原爆(fission)と水爆(fusion)の違いであったのかも知れない。後年の研究では、水爆が世界を滅ぼす為にはTNT換算2000万メガトン(世界最大の水爆"ツァーリ・ボンバ"の100メガトンの更に200万倍に相当)と海中に実際に存在する重水素の20倍の密度が無ければ"ゼロに近い"と言われている。しかしオッペンハイマーという理論屋には既にそれが見えていた。それは、この映画がただ原爆の誕生までを回想しているのではなく、今現在の我々から見た原子力の危険性を示している事が一番最後のシーンで視覚的に明らかになる。
この映画は「インセプション」の様な緻密な心理描写と「インターステラー」の様な天文学的スケールで描かれる壮大なSF要素を組み合わせた「ノンフィクション」映画史上最大のスケールであり、クリストファー・ノーランによる作品の集大成とも言える。
"कालोऽस्मि लोकक्षयकृत्प्रवृद्धो"「我は死神なり、世界の破壊者なり」
アインシュタインの帽子の飛ばされ方
エミリー・ブラントが良かった。
アインシュタインの帽子の飛ばされ方は、あれが正解だったのだろうか。テーマが近い『風立ちぬ』における飛ばされ方をあらためて確認したい気になった。
相変わらず「複雑」で「難解」、炸裂する音と光、圧倒的スペクタクルと美的センス!
やはり映画は映画館で体験してこそ!
とは思いつつ、どうも今回はダメだった。
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圧倒的な音と映像で語られる、戦争とイデオロギーの対立に翻弄された天才科学者の栄光と没落を描いた壮大な物語…ではあるのだが、叩き上げの政治屋が天才科学者への個人的な恨みを晴らして成り上がろうとするものの結局うまくいかない、というお話。
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180分間に、このショットを見られて良かったという実感はなく、映像と音には驚くものの、次の瞬間には「10年前に『インターステラー』でじゅうぶん(いやむしろこれ以上のものを)観たぞ」と思ってしまう。
SFに振り切った『 #インターステラー #interstellar 』や、『 #テネット #TENET 』では楽しむことができたスペクタクル性が、あるいはめくるめくスペクタクルを期待して観た『 #ダークナイト #darkknight 』シリーズでは不満を感じなかったそれが、『 #オッペンハイマー 』では単にショットが撮れていないことの隠蔽にしか感じられず、当然、敵軍が押し寄せるまでの時間的猶予が無いという設定をきちんと短い時間で処理してみせた『 #ダンケルク #dunkirk 』のような慎ましさは微塵もない。
たしかに、誰かの半生を「真面目に」描こうとすれば安易に話を切り詰められないのは分からないでもないのだが、さすがに180分もかけなければ撮れない内容とは思えず、粘着的な聴聞会と公聴会をグッと省略するだけでも2時間を切れたのではないか。
フローレンス・ピューのベッドシーンやキリアン・マーフィーが聴聞会で文字通り丸裸にされるシーンなどは最悪で、「見せられるものは全部見せてやろう」という品の無さが漂っているとしかいえず、爆発の炎や光の映像と同列に扱われるスペクタクルとしてのヌードに、もはや怒りを通り越して呆れるのであった。
撮る人が撮ればそれだけで涙が出てもおかしくはない、ニューメキシコの大地を馬で駆けるシーンさえ、まるで「伝記で乗馬が言及されていたからとりあえず撮った」かのよう感じられ(言及されているかどうかは知らない)、そこに何かしら映画的な馬の疾走があるわけでも、物語を語る上で必須のシーンだと感じさせる説得力があるわけでもなく、あるのはただ上映時間を引き延ばす一連の映像だけだった。
フォロウィング、インソムニア、プレステージの3作は観れていないので観る。
#映画 #映画館 #cinema #movie #theatre #theater #cristophernolan #oppenheimer
科学者同士のたたかいでした
アカデミー作品賞が決まる前から楽しみにしていて、やっと観に行けたという感じでした。
予告CM等でのイメージとしては、原子爆弾という大量殺戮兵器を生み出してしまった人物の罪悪感とか、アメリカの赤狩りの熾烈さを描いているのかなというものでしたが、実際にみてみると、科学者同士の競争と勢力争いの印象が強かったです。
裁判もどきの取り調べ会(?)と回想シーンが織り交ぜられての描写でしたが、ノーラン監督の他の作品のように、振動をともなう大音量の音響と音楽で緊張感をゴーゴー煽る演出で、地味なシーンも派手になり、3時間でも退屈することはありませんでした。
オッペンハイマーの個人的なショック以外はほとんど広島・長崎の描写がなかったのを不満とするご意見が多いようですが、そもそも科学者業界の人々の話であり、政治家や軍人も脇役だったような気がします。あれもこれもとゴチャゴチャ入れると視点がぼやけてしまったことでしょう。大統領の「恨まれるのは私だよ」的な台詞は強く印象に残っていますが…。
核兵器と戦争。誰が何をどう議論しても結論が出ることはないでしょう。立場(利害?)によって意見が異なるのは当たり前です。たしかに日本人としては同胞の犠牲者を思うと悲しみと怒りが前に出ますが、一方でいろんな立場の人々の感覚も想像できなければいけないと思うのです。この映画は、共感するかはさておき、原爆誕生の裏にこんなドラマもあったんだと、視野を広げてくれました。
山崎貴監督がアカデミー賞授賞式の際におっしゃったように、今度は日本人の立場から世界に向けてのメッセージとなる映画ができるのを楽しみにしています。
プロメテウスの火
原子爆弾とはウランやプルトニウムなどの原子核が起こす核分裂を使用した核爆弾であり、核分裂と同時に平均2.5個の中性子が飛び出し、連続して核分裂が起こることによって、放出されるエネルギーは巨大なものとなる。
というのが原子爆弾の仕組みの簡単な説明なのだが、この理論だけを聞いても具体的なイメージは沸かない。
が、日本人ならば実際に原爆を経験した者でなくても、様々な資料を通してその悲惨さを十分に承知しているだろう。
理論と実践の間には大きな隔たりがある。
この映画が公開される前に、広島・長崎について全く映像で触れられていないことが話題になっていた。
今回この映画を観て、広島・長崎を映さなかったのは完全に意図的であると感じた。
3時間という大長編であるにも関わらず、この映画は描かないところは徹底して描かない。
オッペンハイマーという人物に関しても深く掘り下げられているとは言えない。
だから観客は彼になかなか共感することが出来ない。
最後まで彼の真意は観客の想像に委ねられたままなのだ。
この映画は実践ではなく、かなり理論的な方向に舵が切られていると感じた。
映画の流れとしてはナチス・ドイツよりも先に原爆を完成させ、世界に平和をもたらすという使命を帯びたオッペンハイマーが、救世主から一転して祖国を裏切ったスパイの容疑をかけられ、再び名誉を取り戻すところまでを描いている。
建前としては世界に平和をもたらすことだが、ドイツやソ連よりも先に原爆を完成させることで主導権を握りたいというのがアメリカの本音だろう。
そしてこれも想像なのだが、オッペンハイマー自身にも自分の才能を世界に知らしめたいという野心があったはずだ。
原爆を投下すれば多くの命が失われることは当然彼の頭にもあったはずなのだが、彼はその先を想像することが出来なかった。
広島・長崎の惨事は映し出されないが、初めての原爆実験の様子はかなり生々しく描かれている。
何度もこの映画の中で爆発を連想させる映像が挿入されるが、このシーンはやはり衝撃が強い。
こんなものを投下すればどれだけ悲惨な結果になるかは明らかだ。
そして原爆は投下され、オッペンハイマーにとっては見ず知らずの大勢の命が失われてしまう。
彼は成功者として、救世主として多くの民衆に称えられる。
しかし演説の場で、誇らしい言葉とは真逆に彼が見ている光景は原爆の光によって焼き尽くされた人々の姿だ。
彼は罪悪感に苦しめられ、一刻も早く手を引くことを考える。
しかし劇中のセリフにもあるように、原爆の投下は第二次世界大戦の終わりであると共に、ソ連との新たな冷戦の始まりでもあった。
アメリカ側は何としてもソ連に勝つために原水爆の研究は続けたい。
しかしオッペンハイマーは公に核軍縮を唱え、反対の立場を取る。
彼はいつしか原子力委員会の委員長であるストロースに告発され、ソ連側のスパイとして断罪される立場になってしまう。
この作品を観て感じたのは個人の力ではどうすることも出来ない大きな流れだ。
オッペンハイマー自身がいくら抗ったとしても、別の適任の人材が現れるだけで時代の流れは止められなかっただろう。
なのでこの映画を観てとても無慈悲な印象を受けた。
彼の真意は分からないが、彼もまた一人の弱い人間だった。
最初はとても繊細な印象を受けたが、彼は自分の知能に絶対的な自信を持っていた。
そこが彼の強さでもあるのだが、絶対的な自信は傲慢にも繋がる。
彼が自身を含めてあまり人を幸せにすることが出来なかったのは、その傲慢さ故なのだろう。
全体の流れは分かるが、時系列が前後したり、視点が細かく切り替わるのでかなり理解するのが難しい作品だと感じた。
と同時に3時間の長編にも関わらず、集中力が途切れないのはこの細かいカメラの切り替わりとシーンの繋ぎ目の絶妙さであり、やはりクリストファー・ノーランの才能は凄まじいと感じた。
プロメテウスの炎
まず、完全には映画を理解できなかった。
映画館の内容で、45年に後悔がなくて、49年から後悔があったとなっていたが、理由が分からなかった。そんな主のレビューです。
映画の表現に関しては、いくつかのカットであまり見たことのない表現方法でうぉおとなった。ただ作品の雰囲気には監督らしさをあまり感じなかった。(監督の作品はすべて見たわけではない)
感想としては最初の1時間弱はなにがなんだかで、映画のリズムが分からず着いていけず、半ばから盛り上がってくる。オッペンハイマーに感情移入は出来なかったけど、次々に変わる展開に目が離せなかった。
内容は、「プロメテウスの炎」。以上。
観る前は原爆がメインテーマだと思ったが、観た後は「科学とは」「科学者とは」がテーマだったのかなと思った。テレビで見た監督さんのインタビューは、原爆に関して興味を持ってもらいたいという感じだったけど。
この映画は、おそらく制作の意図上、原爆に関する配慮をするつもりは一切なく、淡々とオッペンハイマ—が描かれていた。日本で語られている原爆とはまったく異なる視点で描かれていて新鮮だった。監督の意図的なものはない前提で、映画の内容だけを観て振り返ると、プロメテウスの炎の話やオッペンハイマーの語りは、原爆は世界の脅威だから恐ろしくて、人を殺す兵器だからではないように感じて、最初からそのスケールかよと思った。
オッペンハイマーにはなれないし、なりたくないけど、もじ自分がオッペンハイマ―だったら同じ選択を自分もしただろうなと思う。自分の身と身近な人、遠くにいる知らない人を簡単にてんびんにかけて自分にとって良いものを選ぶ。シンプルでシリアスだと思った。原爆に関しては、恐れるだけでは前に進めないと思う。だからといって存在に慣れることによるコントロールでは、限界があるように思う。使わなければいいという簡単な論理が通用しない難しさを感じた。
原爆ではなく、原子力がプロメテウスの炎であってほしい。原爆はあくまで原子力に関する技術の軍事利用であって、原子力の全てではないと信じたい。
背負っている、コントロールしきれているという幻想が脆い人間を強くさせてくれるのかも
しれない。
乱文失礼しました。
オッピーの気持ちを理解したいか?
長崎広島が描かれてないとかいう意見もあるが
私的に一番気になったのは
オッペンハイマー1人の苦悩より
長崎広島で何十万人も亡くなった人や家族の苦悩と比較していないことへの怒りもある
オッペンハイマーがどういう苦しみを抱えたかは長崎生まれの私には知る必要がない映画に思えた
この描き方で3時間は長尺すぎる
徹底してオッペンハイマーの側に立って、というのがノーラン監督の意図だとはわかるが
その心の揺れ動き方があまりにも脆くて見ているととてもツラい
インターステラーを見た時もそう思えた
いちばん近くにいる家族を思い
引いては地球のことを思う、この壮大な思想はノーラン監督は得意としていない、と。
キューブリックのようにもっと答えを委ねる映画にすべきだと思っている
もちろんアカデミーは獲った、
しかしアメリカの賞である
敗戦し原爆を落とされていまだに米軍基地が乱立する日本がこの映画を評価すべきではないのではないか
いろいろと物議を醸したこの映画が「観ること自体」この映画の存在意義だとしたら観ない方が良かったのかもしれないし
アメリカという国のとても上手なプロパガンダなのかもしれない
・キリアンマーフィーの佇まいは素晴らしい
・マットデイモンはなぜここに出たのか?
・常に「音」が気持ちを誘導している俳優の演技や気持ちを見せたいという思いはあるだろうがその音の存在に頼ったノーラン監督の演出意図が納得できなかった
・アインシュタインは自分でアメリカに提言したのになぜあんなことを言うのか、その答えを自分で見つけようとマンハッタン計画に参加しなかったか。
予備知識なく視聴したらしばらくついていけませんでした
原爆がどのような経緯で開発が進んだのか、漠然とした興味があり、この作品は話題作でもあったので観てみようと思い映画館に足を運んだのですが、作品についてのあらすじなどほとんど下調べなく観たものだから、委員会による聴取から入り、3つのストーリーがころころ変わりながら進んでいく話についていけませんでした。
内容については原爆開発の経緯やその決定について、長年誤解していたことが改められてよかったです。
ただし、3時間の尺もあるのに、その戦果の代償として広島長崎の被爆直後の悲惨な状況についてはほとんど触れられていないことが日本人としては不満と言えば不満ですが、製作者サイドとしては不要だったんでしょうかねえ?
3時間の長編でしたが、冒頭の展開になじめなかったのですが、どうにかこうにか退屈することもなく観終えることはできましたので4点としました。
観てられん!
【これから観る方へ】
・予備知識あっても理解は難しいです。
・IMAXで無くて良いです。
・コーヒー飲んでても眠くなります。
・音楽で誤魔化してます
・3時間殆どが裁判的な会話
・エンタメ性無くしんどいです。
・映画館のような環境でもない限り観てられないです
色々すっ飛ばし過ぎに思います。
気持ちの話をすると、自分はやっぱり、
オッペンハイマーが後々後悔してようが
広島、長崎の22万人を◯したのは事実で
アメリカ人の反応全部ムカつくわ。
オッペンハイマー、テメェもだ。
ノーラン、あんたも広島、長崎の惨状をちゃんと描けよ。原爆資料館に行ってリアルに伝える勇気を持ってほしい。
「戦争を止めるためだ」
「戦争を止めるためだ」
何回言うねん。
アメリカ人のお前らがやったことは
「罪のない人達を大虐殺した」ってことだ。
正当化すんなクソ野郎ども。
一番恐ろしいのは、人間
アカデミー作品賞を取った作品
皆さんのレビューを見ると、難解で、何度も見なくては理解出来ないので、興業収入にも繋がったとか??
なので、予習、予備知識が必要とかで、レビュー動画を見るも、確かに難解で理解しがたく、今回はパスしようと思ったが…
IMAX 上映されてるとかで、映像と音響が凄いらしく、そちらに興味を持ち、他の映画館なら割引で見れる所、その割引料金の倍の料金で観賞。
いやぁ~、IMAXの迫力にビックリ❗
が、原爆の爆発シーンは、どんだけ凄い爆音と迫力なんだろう?と、歯を食い縛り身構えるが、爆音どころかとても静かで、呼吸の音だけ。
1番の見所なのに?と疑問に思ったが…
以後、多くの方がレビューで説明されてるが…
知って欲しいのは、水爆は原爆の数千倍の威力があり、今でも9ヵ国が所有している事を。
で、見た感想は、一番恐ろしいのは、原爆でも水爆でもなく、人間。
あのオッペンハイマーが追い詰められるシーンは、原爆実験より迫力あるサウンドだった。。
ならば…一番罪深いのは、人間を造った神なのかもしれない。。。
人間が居る以上、争いはいつの時代も起こりうる。
憎しみ、怒り、競争心がある以上、争いは続くのだろう。
そして、また、もっともっとと、大気が引火するような物が出来るかもしれない。。
世を滅ぼすのは兵器じゃなくて、醜い人間なのだ。
そして、この作品が公開される前に、本当に起こってしまったのは、それこそこの作品の言いたい所ではなかろうか?
つか、勇気のフレディマーキュリー(笑)
納得の作品賞でした。
映画としては圧巻、でもモヤモヤはする
原爆の被害を描いていないことへの批判も勿論わかるけど、映画としてこれはこれで完結しているとも感じる。見応えあったし、決して結果を軽んじたものではない。
一瞬だったが顔の皮膚が吹き飛ぶ様子や黒焦げの遺体の脳内映像が出ただけでも、日本人としては最低限表現してくれたのではとは思う。
オッペンハイマーはただ天才科学者なだけだった。
そして科学者としてドイツに核実験の先を越されたことをきっかけに、研究魂が爆発して、抑止力を言い訳として開発に携わることになってしまう。作っただけ、まさか本当に使うとは思わなかったと言えば良い。でも反対署名はしなかった。
そしていざ自分の手で作り上げたものが20万人を殺したとなり、これ以上は、と反対をし始める。
しかしそれを口実に今度は私怨で彼がロシアのスパイであったと嫌疑をかけられ、また胸糞悪い公聴会にかけられる。
トルーマンも落としたのは自分だ、日本人が恨むのは自分だ。とまるで手柄のように言い放つ。腹立つ。
原爆が無事、大気の連鎖爆発を起こさず、世界を焼き払わなかった、狭い都市だけ焼き払えた、成功だ!と大喜びするロスアラモス勢。気分悪い。
トリニティ実験。音と光はすざましかったけど、あんな近くで見ててサングラスひとつで防げたような表現。後から放射能で被害を受けた人たちは本当にいなかったのか。
人を大量虐殺したことを考えずに無邪気に喜ぶ人たちを皮肉に描いていることはわかる。戦争を終わらせて、米国軍人を攻撃する日本から、彼らの命を救った英雄なのだ。ただ、今でも一部アメリカ人の考えは変わっていないと思う。実際接していても、アジア人はいつまで経っても格下扱い。戦争起こしたのも日本のせいだし、トランプ派の過激派とかみてると本当に今でも同じことしそう。オッピーがきっとまた二度目の人生でも同じことする、と言われていたように。でもあの時代、立場が逆なら日本軍だって同じことをしたように思うし、成功したら日本国民も手を叩いて喜んだのだろう。誰が悪いという話ではない。未だに続けている国のことは理解し難いけど。
アインシュタインとの会話の真髄がよくわからなかったり、とにかく登場人物像多くて後半証人に呼ばれる人が誰だっけ状態だったけど、いずれもう一度は見た方が良い映画だなと思う。見てよかった。
世界の覇権を握るための道具としての核兵器と″原爆の父″オッペンハイマーの苦悩
ユダヤ系アメリカ人の天才物理学者オッペンハイマーはナチスドイツの原爆製造の動きに憂慮し、世界平和の大義名分のもと、原爆製造に手を染める。結局、ナチスドイツは原爆を完成させることもないままに、またアメリカが原爆を使用することもなく降伏するが、日本の抵抗(すいません、アメリカ目線で)もあり戦争は継続し、原爆製造の研究は続けられる。これには同じ連合国側であったソ連を牽制する意味も含まれていた。そして広島・長崎への2発の原子爆弾を投下する。オッペンハイマーは憎き日本を降伏させ、戦争は終結させた英雄としてアメリカ国民から大変な称賛を受ける。そして原爆を保有するアメリカは絶対的強国として世界に君臨することにもなる。
しかしオッペンハイマーは予想を遥かに上回る原爆の威力を目の当たりにして後悔の念を強くする。また原爆はそれを作り出した科学者達の手を完全に離れ、覇権争いのための政治家達の道具(大量虐殺兵器)になってしまったことを痛感する。
ソ連との覇権争いの中、原爆を遥かに上回る威力を持つ水爆製造へとアメリカは動く。原爆製造の立役者としてオッペンハイマーに水爆製造の中心になるべく白羽の矢が立つが、オッペンハイマーはこれに非協力的な姿勢を明らかにする。そんな中、原爆研究チームの中にソ連のスパイがいたことが発覚し、さらにオッペンハイマーの周囲(妻、恋人、弟、友人)に多くの元共産党員がいたことが問題となる。戦後のアメリカの支配層であった政治家、実業家達の策謀によるあの悪名高い″赤狩り″、そして原子力委員会の委員長でもあった野心家のストローズ(政治家?実業家?軍人?科学者ではない)の策謀も相まってオッペンハイマーはソ連のスパイとの嫌疑がかけられてしまう。
結局、スパイの疑いは晴らされるが要職からは外され、不遇の晩年を過ごすことになる。最終的には名誉は回復することになるが、この地球をも破壊しかねない核兵器の製造に携わったことに彼の人生は虚しいものになる。
一人の天才科学者の人生を辿るなか、核兵器とは何か、また戦後の世界情勢について深く考えさせられる映画でした。また、化学物質や化学反応などを表現する不思議な映像はいかにもクリストファー・ノーランらしく、核兵器の不気味さ恐ろしさを効果的に表していた。
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