オッペンハイマーのレビュー・感想・評価
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クリストファー·ノーランの描く原爆の父
親日家であるクリストファー·ノーラン監督だけに、かなり日本に気を遣っているなと感じました。広島への投下成功のあと、ドイツにも落としてやりたかった!と主人公が言いますが、元々、同じ白人であるドイツに落とす気はなく、人間扱いしていなかった日本に落とすつもりだったのです。Japaneseと表現していましたが、実際は、最も蔑む言葉であるJapと言っていたのです。主人公があれほど後悔し苦悩したのかは定かではありませんが、苦悩していたのは事実なのではないかと思います。それ程、主人公の演技は素晴らしかった。他の俳優の演技も、音楽も秀逸でした。ただ、原爆投下で狂喜乱舞するアメリカ人の姿に、胸が痛みました。あの場面だけは、日本人として辛かった。アカデミー賞に値する傑作であったことには異論はありません。
映画を鑑賞する前に、アインシュタインとオッペンハイマーのドキュメンタリーフィルムを見て欲しかった
私は長崎に産まれたので、原爆の事をご存知の方々が沢山居られた。中学生の時、保健体育の先生が原爆が落とされた2日後、他の医療関係者の方々と一緒に長崎へ派遣され、その仕事は、死体から湧き出てくるウジ虫を1匹づつセッシで取り除く事だったそうです。NHKスペシャルで、オッペンハイマーのドキュメンタリーフィルムを見た時、講演で日本に来ながら広島・長崎に行かなかった事を、インタビュアーに聞かれ答えなかった彼。映画を観て、原爆後のフィルムは見てくれていたんだと分かりました。栄光の時間は短く、ガンで亡くなるまでの間、どんな事を考えながら生きておられたのか、知りたいような知りたく無いような・・・色々考えさせられる映画でした。
アルテマ メルトン ティルトウェイト
うん。なるほど。過敏に拒絶反応し過ぎたなぁという印象。IMAX大好物のノーランが、IMAX回収天国の日本を逆撫でする様な作り物はしないだろうにね。絶妙に"嫌な"台詞は挟むけども、個人的には当時のアメリカを覗き見てる感じで「当然かな」と思いました。近年の「ミッドウェー」でもそうだけれども、あの当時の「良くわからない怖い国」の代表としての描き方は秀逸だと思う。「どう見えるか」は人生を生きていると"大人"になる事よりも重要だったりするからね。そしてその付けを払うストローズ。「法廷系サスペンス」としても秀逸なのが流石です。ゴランソンの更に一段上げた楽曲達と共に鑑賞して頂きたい逸品でしたね。
細かい量子力学の話はさて置き……
🍄2024年の野望🍄
《アカデミー賞作品賞》受賞作品制覇✨
全96作品中記念すべき6作目✨✨
2024年作品賞受賞
世界を変えた一人の男の伝記をクリストファー・ノーランが作るって、大事な大事なノーランismは今回無いのかな??と懸念していたけどそんな心配はいらなかったwwwちゃ〜んと時間はあっちゃこっちゃ飛ぶ飛ぶ🛩
キリアン・マーフィーって過去に自分が観たことある映画作品にもちょいちょい出てたみたいだけど、全然記憶に残ってなかった俳優さん。アカデミー賞授賞式の日に初めてしっかり見て、なんか飄々とした幸薄そうな俳優さんだなーと思っていたけど、『オッペンハイマー』を演じる彼は表情がコロコロ変わって3時間あたしを魅了し続けた。主演男優賞は納得でした、ハイ😊
グラシネ池袋のIMAX GTで観たのに一体どこのシーンが縦長にみょ〜んとなってたのか気が付かないほど集中しちゃってた。そのせいかおそらく気付かないうちにリアルに『息を呑んで』たみたいで、終わった後になんだかとっても頭蓋骨のなかが酸欠状態で頭痛かった😂
オッピー教団は固定メンツで構成されてるように見えてみーんな自分のことしか考えていない信頼感薄めの繋がり。そしてオッピー自身もそんなうっすい繋がりを重要視するがあまり、原爆投下後の集会で罪悪感に苛まれながらも集会所で求められてる答えを進んで出したり。なんか人間って嫌な生き物だなーと感じさせられる。(特にこのシーンでの日本に原爆投下した事に触れた台詞は和訳に忖度が見られて余計に嫌〜な気分に……)
とにかく、キリアンもそうだけど今年の作品賞受賞には文句無し‼️これは獲って当然の作品。
ただ、エミリーブラントの演技が素晴らし過ぎたからこれでも助演女優賞獲れないの⁉️と。『ホールドオーバーズ』のダバインへの期待がブックブクに膨らみ続けてます🎈
そして長い重いと感じた3時間が3日経つとおかわりしたくなるという不思議💕もう一度観よっと😊
プロメテウスの功罪
感想
世界初の核兵器開発製造に中心人物として関わったロバート・オッペンハイマー栄誉と挫折の物語。
科学史上の有名な登場人物が多く、複雑な人間関係であるが、理論物理学の大転換と新理論の台頭、第二次世界大戦末期に使用された原子爆弾開発製造と作戦での使用による世界終末の現実的出現可能性の葛藤と恐怖の心理を織り込み、オッペンハイマー個人の人間性をありのまま描写した物語で、興味深く観た。
2024年アカデミー賞、作品、監督、主演男優、助演男優、他三部門が最優秀の栄冠に輝いている。
オッペンハイマー自身は、科学者としての物事の探究と名声は欲していたと感じた。人としては偏ったイデオロギーなどは持ち合わせず、純粋で公平な人間関係を築こうと努力したが、社交性は決して高くなかったと思った。極端な共産主義思想、反対にヒステリックな共産主義批判は個人的に認めなかったが、共助的なユニオン思考には理解を示していたと思われる。また頭脳明晰な男は概ね性欲が強く、女も頭脳明晰な男を子孫繁栄の点から本能的に求めるのだと感じた。
オッペンハイマーの人としての道徳的良心の呵責は原子爆弾を完成させた後事の重大さに気がつき、悩みはその名声を博してから大きくなっていったと思う。
映画の最初と最後に出てくるシーンだか、オッペンハイマーが良心の呵責に苛まれることをアインシュタインは予言していた。この事はアインシュタインの人類史の行く末をも包括して観ることの出来る世界情勢の見方に驚嘆せざるを得ない。恐ろしさを感じる場面であった。
学識者は未来を俯瞰し、想像して問題を解決するのだと感じた。しかし、核兵器開発については人類史の終末点が容易に想像出来てしまい、愚かな結末を選択しかねない国家から逃避したこともまた事実である。アインシュタインは世界が今後、誤った結末を迎えてしまう可能性を亡くなるまで嘆いていたのかもしれない。
ルイス・ストローズは自分が蔑まされていると勘違いにちかいものを感じ、後々オッペンハイマーの権威を失墜させるために暗躍。人間的にくだらない。馬鹿馬鹿しい限りと感じる。繰り返しよく思う事は人間の本質は身勝手で無責任であるということ。よくよくコミュニケーションをとっていかないと物事はじまらないし、動かない。大変な時代に我々は生きているのだと実感した。
この映画の時代に存在した
原子爆弾開発に関係する主な諸理論。
1905年
アインシュタイン、特殊相対性理論。
1916年
アインシュタイン、一般相対性理論。量子力学の始まり。「それ以前の物理理論の基礎となる前提の多くを根底から覆(くつがえ)し、その過程において、宇宙、時間、物質、エネルギー、重力などの基本概念を再定義した」とされる。
1933年
核の連鎖反応式を発表して以来、アインシュタインは爆発的エネルギーを放出する爆弾を理論上では製造できる事をすでに予測していた。
1938年
ドイツにてウラン原子の核分裂実験成功。ナチスドイツが大量破壊兵器製造研究に着手する。(ナチスに開発を依頼されたウランクラブのメンバー、ヴェルナー・ハイゼンベルク(不確定性原理)、濃縮に必要な重水炉の考え方を連合国側にリークして、ナチス側での重水炉に関する開発をわざと遅らせたと言われている。)
1939年
ドイツの核分裂実験成功。この事を知ったアインシュタインは大量破壊兵器の出現が現実となる事を確信。世界に幻滅する。
FDRにレオ・シラードが送った書簡の中でアインシュタインは核兵器開発推進の提言にサインした。これにより米国の核兵器開発が始まったとされる。
オッペンハイマー、核分裂実験成功の報を受けて核分裂の発見による核反応の報告を実証。(1943年前後、プリンストン高等研究所内、散策中のアインシュタインに核反応、放射線崩壊実証をオッペンハイマーが伝えるというシーン)
同年、
一般相対性理論に基づく、トルマン・オッペンハイマー・ヴォルコフ限界方程式(重力崩壊予言、ブラックホール存在理論。重力による空間の歪みの仮説)発表。この研究がオッペンハイマーのライフワークになるはずであった。
しかし、1942年以降、マンハッタン計画始動。
1943年ロスアラモス国立研究所設立。以降、映画本編の通り。
圧巻の展開で
⭐️4.5
広島、長崎を訪れる、この事に関心を持つ外国人が増えてほしいと願うばかりである。
マッドサイエンティストとは
メメントやダークナイトシリーズ、インセプションやTENETといった、今まで見た事がないような映画を意欲的に作り続けているクリストファーノーラン監督。
彼が原爆の父と言われたオッペンハイマーの生涯を通して原爆の製造の裏側とその葛藤を描いた映画、その名も「オッペンハイマー」はアカデミー賞を席巻し、公開前は日本での公開は無いかもしれないと噂された本作品。
今日、劇場で観てきたが素晴らしい作品だったと思う。もちろん時代背景があり、人類が人類を滅ぼしかねない巨大な力を手にしてしまった事は悲しい事であり、劇中でも懸念していたが、現在は共産主義国家が独自に核兵器を製造所持する時代になってしまった。
第二次大戦下であり、各国が疑念を持つなか相手よりも強力な兵器を持つことを競ったのは仕方ない事だと思った。
おそらくオッペンハイマーが製造していなくても、どこかの国が遅かれ早かれ開発製造していた事だろう。まさにドイツやソ連が持っていたら歴史は大きく変わっていたかもしれない。
そういう意味で何が正しいか間違いかを表現するような作品ではなかった事は称賛に値するし、アメリカの主張する戦争終結を早めた偉大な功績という建前をこの作品はオッペンハイマーの苦悩で疑問符を投げかけている。
この映画こそ日本人は観るべきだし、山崎監督も言っていたが、このアンサー映画を日本人が撮るべきだと思った。
上映時間3時間という事だったが、構成の巧みさと情報のコントロールが秀逸でまったく長さを感じなかった。
今度はIMAXで観たいと思った。映画館で観るべき映画です。
イミテーションか本物か
戦後の不都合な真実、の様な話かと思い、
天才エニグマを想起した。
オッペンハイマー、という名前は聞いた事あるだけ。
何故原爆が作られて何故使用されたかは知らなかった。
彼の名が米国で讃えられているかどうか知らないが、日本人にとっては忌み嫌う名であるのは間違いない。
しかし、自分の中では劇中の通り、
実行指令したトルーマンしか知らなかった。
歴史てそんなもんかもしれない。
どこまで史実に忠実かどうかは別として、
2度と大戦を起こさない為にも必要な真実の一つである。
劇中の一番スゴいと思ったのは妻キティ。
彼女が居なければ夫の名誉は成り立たなかっただろう。
演者について。
キリアンマーフィーがこんなビッグバジェットで主演張るなんて、昔は思いも寄らなかったが、物憂げな芝居させたら彼は逸品だ。
他有名な役者陣が脇に多過ぎて、凄く嬉しいんだけど雑念も多くて複雑だった🤣
ゲイリーオールドマン分からんかった😩
まさかフローレンスピューだとわ😱
あの顎はアレックボールドウィンだろ❗️
て思ってたら全然違ったし😅
最後ギリギリ、ロバートダウニーに気付いてスッキリ❗️
原爆の恐ろしさと人間の愚かさ
まず、主人公に共感出来なかった。学生時代、実験が苦手だからといって、教授の林檎に青酸カリを注射器で注入するなんて。その後も、不倫して相手が自殺したり、奥さんが出産後アル中になると、友人に赤ちゃんを預けたり。問題から逃げてばかりいる人物だ。学者としては優秀なのかもしれないが、原爆の実験に成功してから、やっと陸軍に兵器として使用されることに気付くとは。あまりにも想像力が無い。
原爆の実験での映像がリアルだった。 炎、爆風、光、地響き。恐怖を感じた。この映像体験だけでも観る価値はあった。今日も地球ではあちこちで戦争が起きている。愚かな人類が生きている限り、戦火が消えることは無いんだろう。
核について深く考えさせられる映画
科学技術の発展は、しばしば開けてはいけないパンドラの箱を開ける行為と表裏一体だと思います。
核に関して言えば、人間は核を利用するに至っていますが、核を完全に制御出来ていないという状態が、今も続いています。
核は、まさに自分たち自身を滅ぼしかねないパンドラの箱で、もしかしたら開発してはいけないものだったのかもしれません。
しかしながら、科学技術の発展は、人間にとって無くてはならないものであり、その発展させたいという欲求こそが、人間が人間たる所以なのかもしれません。
そんな事を、観たあとになんとなく思いました。
原爆の恐ろしさや悲惨さを直接的に描いていない映画だからこそ、核の恐怖というものをより感じました。
広島や長崎に落とされた原爆は、今となっては、その気になれば世界中何処でも落とすことが出来てしまう。
日本は唯一の被爆国ですが、どの国だって被爆国になり得ることをこの映画を観た人は、本当に実感すると思います。
遠い日本で過去に起こったことでは無く、過去が今でも続いて、それが世界に拡がっていることに。
オッペンハイマーは、感情の起伏があまり無く、殆ど表情で表現しないキャラクターであるにも関わらず、目で物語るキリアン・マーフィーの演技も素晴らしかったです。
途中、次々と登場する科学者の名前に不勉強のせいで混乱することはありましたが、本当に良い映画だと思いました。
ノーヒットノーラン
好きなIMAXで不評の映画を見てきた。笑
あまり見たくないなぁーと思ってたけど
良いか悪いかは観てみないとわからないので
遅ればせながら観てきました。
これが、アカデミー賞なんだ。
難しい映画でした。
勉強になりました。
監督は何を伝えたかったの?
逃げたなノーラン
オッペンハイマーの苦悩?
原爆の父だか知らんが違和感しかない。
広島、長崎の被害、実験で影響を受けた健康被害や土地を奪われた先住民等はほとんど描かれてなかった。
ま、リアルに映像化されたら耐えられなかったかも。
長かったけど不思議と眠くなかったww
賛否あるだろうけど、戦争を終わらせる爆弾を、
より正当化させたかったんですかね?
アカデミー賞は年々政治的な意味合いが強い作品が多く
国連のように社会主義国がいたら否決ですね。
難しくて、面白くないし、お勧めしないけど、
原爆が落とされる世界の背景が映像で観れたことは、
勉強にはなりましたね。
原爆の父とは
例えば日本人としてこの映画を観て、それまでオッペンハイマーを知っていた人がどれだけ居た事だろう
そしてアメリカ人も恐らくそうだと思うのだが、原爆を作ったオッペンハイマーを現代に生きる人達がどこまで知っているのだろうか
この映画を観て、オッペンハイマーに激しい憎悪を向けることはほぼないだろうし、当時の政治状況を知れる意味でもこの映画の普遍的価値は相当高い
ノーラン監督が見据えていた未来も含め、この映画の制作の後に世界情勢がまさしく第三次世界大戦を引き起こしかねない状況で、上映されていることは神の啓示ではないかと、超常的に受け取ってしまう
オッペンハイマーとはどういった人物であったのか、不勉強ながら知り得る事が出来たことの意義は大きい
集団レイプ犯の見張りを哀れんでも
原爆の父という呼び名はは誇るべきことなのか。
黒澤明の羅生門を見習って欲しい。
どの視点から見るかによって多面的に物事を捉えようとしている。
戦争映画こそ多面的に捉えなねばならない最たるものだ。
だからこそ日本は集団レイプされた被爆国なのだから、集団レイプの見張りをしてた舎弟のオッペンハイマーがどれだけ悔いたとて、その残虐さや辛さを描いてくれないとフェアではないのだ。
短いセリフの縞模様の着物を着ていた人が縞模様に火傷したとか、後から死亡者が出たとか欧米人が聞き逃すレベルのささやかな表現ではダメだ。
昭和生まれの日本人は戦争を知らない子供たちであっても親や祖父母から多少は戦争の話を聞いてるし、修学旅行で原爆ドームに行ってその目を覆いたくなる辛い状況を体感しているのだ。
その辺りを世界に見せて欲しかった。
そこを描かないでオッペンハイマーの泣き虫姿を描いても何も同情する気にならない。
そして、音楽が全て陰鬱で暗い。
戦場のメリークリスマスのような美しい音楽と 北野武のメリークリスマスミスターローレンス的なユーモアのある和らぎもない。
火垂るの墓やこの世界の片隅にやゴジラ-1.0を思い浮かべながら2箇所、情けなくなって涙ぐんで観るしかなかった。
戦争に突き進む男たちという生き物は本当に愚かだ。
人間は今もたいして進歩していない所がつくづく情けない。
原爆をどこに落とすか、候補地の中で京都を外す理由が、新婚旅行で行って文化遺産があるから外すといったシーンは失笑ものだ。
この映画をIMAXで観たいという人の気が知れない。
そんな映画じゃないはずだ。本質を見てほしい。
もちろん賞賛された挙句、最後にハシゴを外されたオッペンハイマーはやるせないとは思うけど、悲哀はそこじゃない。被爆した国のこともビジュアルで見せなければ本当の悲哀では無い。
劇場内は若い人が大半で昭和世代少し、戦前戦後生まれの80~75くらいの高齢者はいなかった。
時代劇映画を観に行くとその世代が沢山いるのに。
でもその世代には観せられない映画とも思いながら、じゃあドイツ人はこの映画をどう観るよ?とも思いながら映画館を出ました。
原爆投下シーンの有無は、本作のテーマとは別の話だ。
映画としては悪くないが、「ノーランの最高傑作!」かというとそうでもない。ただし、「メメント」「インターステラー」「ダンケルク」「テネット」といった作品にあった要素をうまく使っており、ノーランらしさという点では満足度が高い。
「原爆の父」オッペンハイマー博士の一人称の物語であるという触れ込みで、彼の目に映ったものだけを描写するという予備知識を得ていたのだが、それに関しては斬新な演出があったわけではないし、他者の視点もあった。
ただ、オッペンハイマーの視点と他者の視点は明確に分けられている。そういう意味では新しい演出ではあった。
他者の視点もあるのなら原爆投下シーンもあってよいではないか、と言われるかもしれないが、他者の視点は、あくまでもオッペンハイマーの身近な人間やエリアの描写だけだ。だから、日本のことやナチスのことは話題には出てくるが、画面には登場しない。
原爆投下シーンの有無よりも問題なのは、これだけ話題になった割には、退屈しがちな作品だったことだ。
原爆が投下されて戦争が終わるあたりまでは、基本的に科学者同士の会話が延々と続くのだが、自分は物理学や核融合やらの理論を知らないので、どんな問題が発生しているのか理解できず、眠くなった。
物理学などのわかりにくい部分を説明しないのは、「インターステラー」の時もそうだったが、あの映画はハードSFながら、エモーショナルな家族愛や、SFらしい画面があった。今回はそういうものがない。いつものかっこいい映像や派手な音響があり、地味になりがちな伝記映画を洗練された映像で仕上げてあるのは見事だが、限界はある。
なぜ本作は大ヒットしたのだろう。
アメリカでは「バービー」とセットで売れた感じになっていて、ノーラン最大のヒットかと思っていたが、興行収入としては「ダークナイトライジング」「ダークナイト」に次ぐヒット。
製作費150億円。興行収入は1,480億円。すごい金額ではあるのだが、他の娯楽に比べてどのくらい儲かっているのだろう。たとえば世界中のディズニーランドの一か月分の入場チケットの販売金額と比べて、映画の売り上げは高いのだろうか。また、アメリカで大ヒットということだが、そもそもアメリカの映画人口ってどのくらいいて、本作は人口の何割が見たのだろう。
なぜこんなことを考えるかというと、本作が結構わかりにくくて、誰もが楽しめる映画ではないからだ。アメリカでは「オッペンハイマー」はみんなが大好きな英雄なのだろうか。それにしては今まで伝記映画がたくさん作られた形跡もない。
そんなことから、映画産業というのは、実は自分が思っているほどファン層も多くないのではないか、という疑問を抱いた次第なのだ。
いろいろ書いたが、今の時代に本作が発表されたのは明確な意図があった。それは映画を観ればわかることではある。アートも映画も、なぜこの時代に、この作品が作られねばならないのかという理由がなくては、製作費は出ないし、観客も評価しない。
本作を観た人はそれぞれの意見を持ち、議論するだろう。それこそが本作の存在意義なのかもしれない。
最新の理論を形にしたら悪魔の兵器になった
難しいことはよくわからない。
その時代の超天才たちが最新の理論を実践して実験を成功させた。そのプロジェクトは実は国の威信をかけた、大金と大人数を投資して作られた兵器で、たった一個の爆弾で数万の人を一度に消せる、とんでもない代物だった。
研究者として最新の理論を全力で試せる方向が結果的に兵器を作ることになったこと。
最初から作りたかったものは兵器だったわけではない。と信じたい。良心と自分の理論とその実践の成功を見たいという気持ちの中で揺れ続けていた心は、人間らしさがあった、と信じたいのだ。
アカになりたかったわけではなく、その思想の中の一部に共感していたことからも、彼は常に自分がその時その考えが正しいとか共感できる、つまり自分が興味を持った思想やらなんやらを突き詰めて考えたい人だったんだろうなと思う。
この映画自体は、原爆を作った人たちの倫理観を問うというより、オッペンハイマーがどういう経緯で原爆を作って、成功までどれだけの紆余曲折があったか、という、天才物理学者が原爆という悪魔の作品を制作する過程を描いた物語、に見えた。
作り上げたものがうまく機能し、希望した結果を出せたのをみた時、研究者たちの喜びは実験の成功だけであったことを信じたい。
同時にこれは大量殺人兵器であることも彼らはもちろんわかっていたので、実際に使うことに対しての葛藤は見え隠れしていた。
そして次なる水爆に繋がる、学者としての次の大作への、止められない新しい理論への挑戦と好奇心も。
もし違う種類の天才であったなら、こういう葛藤も賞賛もない人生だったろうなぁ。
天才は羨ましい。
がしかし、天才であるが故にある意味その頭脳を利用され続けるのは、そしてそれが世のため人のためという大義名分のもとに兵器を作らされるのだとしたら、それは本当に苦しい生き方だろうと思う。
オッペンハイマー、すごかった。
寝ないで観れたよ!
そこは、自分を褒めてあげたい。
フローレンスビューとの濡れ場は意外と濃厚だね。
あんなに、喜んでたのに、戦後は責任のなすりあい。
偉いさんは、戦争は金になるからね。
科学者の新しいのを作りたいのと政府の金もうけは、
今も続く。犠牲になる人は置いてきぼりだな。
日本人としては複雑な題材……でも、まずは観た上で論評してほしい
まぁ、被爆国日本としては、色々と複雑な感情を抱くのは仕方のない題材の映画であるのは事実
とは言え、実際観てもいないのにあーだこーだ言うのは一番ダメなことだと思ったので、180分という上映時間にビビりつつもしっかり腰を据えて観て来ることにしました
実際観て分かったのは、この映画が「原爆の父」と呼ばれたオッペンハイマーだけではなく、
ルイス・ストローズという人物についてを描いた映画でもあるということ
その人を見事に演じ挙げたダウニーJr.がアカデミー助演男優賞取ったのも納得
ただ、この人がどういう立場の人で、たびたび出てくる公聴会のシーンが、一体何を議題にしているのか、という点についての予備知識くらいはないと、ちょっとわかりづらい展開になってしまってますね。あまりその辺については説明してくれてないですし
私は観た後でネットでこの人調べたことで、「ああ、そういう事だったんだ……」と腑に落ちましたが、観てる最中は結構わかりづらかったかな
映画の本筋はあくまでオッペンハイマーの人生についてを描いている
原爆開発と、その後についての経緯をあくまで彼目線で描くことに集中した結果、
当初原爆の標的となるはずだったドイツや、そのあと実際に落とされた日本からの視点は完全に排除された形となっていますね
そのことで、「実際に被爆した広島・長崎がどうなったのかを作品の中に出さないのはヒドイ!」という意見もよく見かけましたが……
この映画をオッペンハイマーとストローズの二人の人間からの一人称、として描いた以上はそうなるよね、というのは、手法としては理解できました
あくまで彼らの視点から描いたのなら、実際に自分で見聞きしたわけではない現地の悲劇についてはああなってしまうのも已む無しではある、と
ただ、よくあるあらすじ紹介なんかだと、「実際に原爆が使用された後の惨状を知って、オッペンハイマーは水爆反対に変わった」と書いていますが……
本作内の描写ではそれは明らかに違いますよね
作中でオッペンハイマー自身が言っていますが、「科学者は理論から結果が予想できるから、どんなことが起こるか想像できる。だけど普通の人はそれが出来ないから、実際に事が起きてからでないと物事を理解できない」(大体の要約)
その言葉の通り、作中のオッペンハイマー自身は、原爆投下後の現地写真を見るより前の時点、原爆投下の知らせを受けたそのすぐ後の時点で、実際に人々がどのようにして死んでいったのかを概ね理解し、その光景を幻視しています
彼は原爆を使えばどうなるか理解していたうえで、
一度これを使い、その結果どうなるかを知れば、人々はもう二度とこれを使おうとは思わなくなるはずだ……という事に期待していた、というのがこの映画での描かれ方
しかし現実にはそうはならず、核開発はその後も続き、
かつて「核爆弾が爆発すれば、連鎖反応が止まらず大気にまで火がついて世界が滅ぶ」という結果としては間違えていたはずの計算と同じように、
最初の核爆弾の火を人類にもたらしたことで、連鎖的に核開発が加速し、世界を滅ぼしうるきっかけを作ってしまった……という事に苦悩するプロメテウスになってしまった……というのがこの映画内におけるオッペンハイマーに対する解釈
広島・長崎への原爆投下が成功して浮かれ騒ぐ人々の描写も、日本人からしたら「何笑ってんだよ……人が大勢死んだんだぞ」って思ってしまうけど、
少なくとも当時の一般的な米国民にとってはああ受け止められていた。立場の違いというのはそういうものなんだ、と受け止めないとキツイものはありますが、
オッペンハイマー自身や、陰で泣いたり嘔吐したりしている科学者たちの反応で、そこは緩和されているように思います
ちゃんと物事を理解できる人々にとっては、自分たちが何をしてしまったのか、その罪深さは自覚できていたのだ……という形で
全体としては、最初の原爆が開発されるまでの経緯と、その中心だった科学者のその後を描いた映画ではあるが、
決して核兵器肯定でも、それを産み出したオッペンハイマー礼賛でもなく、むしろ反核寄り
ただ単に「オッペンハイマーが主役ってだけでけしからん! ふざけんな!」って拒絶するだけの人には、ちゃんと観た上で物申してほしいと思う映画
そして政治的・感情的なお話とは別の、映画としての評価
まる3時間という長丁場にも関わらず、引き込まれる演出と映像・緩急の妙で、その長さを長いと感じさせないノーランの手腕は流石の一言
エンタメ要素はほぼ無い
流石のノーランも今回はエンタメとして仕上げるのは無理だったかな。町山智浩が一回観ただけじゃ理解出来ないと言っていたが確かにその通り。色んな登場人物の説明は全くないし、ナレーションもない。カラーとモノクロの意味も全く説明ないので時代で変えてるのかと思ったら違うし。解説聞いたらやっと半分くらい理解出来た、しかしながら全く共感は出来ない。自分は被爆2世だし。
もう一度観ればより理解出来るとは思うが前半とかたるいし映画館でもう一度はないです。配信されたら又観るかも。
オッペンハイマーの幾多の苦悩を描写
原爆産みの親オッペンハイマーの人となりや開発過程や赤狩りにおける苦悩が描かれていました。オッペンハイマーの笑顔が殆ど観られなかったようにやや重いストーリーでした。戦後の時代背景である赤狩りでは権力志向が強い老策士に嵌められたり人生は決して幸福な道のりではなかったようです。ただ素朴な性格なのか女性関係には驚きもありました。広島長崎への原爆投下についてはロスアラモスでの核実験成功後のスピーチの場面で幻想としてケロイド状の女性の顔や誰もいない座席を映すことで被害者への心の葛藤を描いているように思いました。なお赤狩り追及場面などで登場する数多くの人物とポジションは追いきれず。3時間の長さは感じませんでした。
予習は必要
学者先生という職業は思想や感情もなく象牙の塔にこもりただただ研究に没頭して、と思いがちなところ。
作品中ではそうではなく共産党員にもなりかけたり組合活動したり女にだらしなかったりという学者像とは違う面が見える。
英雄だったりレッド・パージされたり毀誉褒貶半ばする人で研究と実践と国家への貢献でハイになったり投下したことによりダウナーになったり人となりが描かれるわけだけどなんかこの人に感情移入がなかなかできないのは話がわかりにくいからだと思う。
時間軸が行ったり来たりするしアインシュタイン以外は誰が誰だかよくわからなくなるし。
原爆ができたところでほぼほぼ使う必要がなかったのに詭弁でもって落とした、というのが日本公開が遅れたように思えた。
しかし、それが当時の対日感情でありイエローモンキーになら落として万人単位で死んだって構わないという差別感情だろうから当時を反映してるなら変なポリコレする必要ない。
つまり何が言いたいかというとクリストファー・ノーランらしく難解にして冗長
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