「ピカドン」オッペンハイマー 大岸弦さんの映画レビュー(感想・評価)
ピカドン
オッペンハイマー
兵庫県西宮市にある映画館TOHOシネマズ西宮OSにて鑑賞 2024年4月1日(月)
パンフレット入手
オッペンハイマーが生きた、アメリカ激動の時代
オッペンハイマーが大学で教鞭をとり始めたのは株価暴落をきっかけとしたアメリカ史上最大の経済恐慌、大恐慌の始まった1929年だった。恐慌は世界に広がり、第一次大戦の賠償金支払いで行き詰まるドイツにヒトラー率いるナチスが現れる。ナチスは第二次世界大戦を起こし、当初、戦況を優位に進める。このドイツに負けまいとアメリカが完成を急いだ原爆は、1945年、日本を降伏させるだけでなく、一瞬にしてアメリカをかつてない超大国にさせた。ただ、その4年後にソ連も核実験を成功させる。米ソが核兵器で脅し合う冷戦の中で反共思想がアメリカでは一気に広がっていく。ヒステリックな「赤狩り」の渦中で、オッペンハイマーも共産主義者との過去が問われているのである。
--------------------------
ストーリー
1925年 J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィ)イギリスのケンブリッジ大学で実験物理学を専攻していた。敬愛する客員教授のニールスボーアに勧められ、ドイツへ渡って理論物理学を学ぶことに。そこで才覚を開花させたオッペンハイマーは、博士号を取得してアメリカに帰国。カルフォルニア大学バークレー校で教鞭を執るようになる。また、同大学の准教授で、社交的な物理学者のアーネスト・ローレンス(ジョシュ・ハーネット)と意気投合する。
1936年 オッペンハイマーは家主が開いた集会で共産党党員のジーン・タトロック(フローレンス・ビュー)と出会い、彼女と恋仲となる。聡明ながらも奔放なジーンとは長く続かなかったが、その後であった当時既婚者の植物学者の”キティ”(キャサリン)(エミリー・プラント)と結婚。ふたりの間にはこどもが生まれ、幸せな家庭を築いていく。1941年、FBIはオッペンハイマーの捜査を開始
1942年オッペンハイマーは「マンハッタン計画」の最高責任者である陸軍のレズリー・グローヴス(マット・デイモン)から、原子爆弾開発に関する極秘プロジェクトへの参加を打診される。この前年、アメリアは第二次世界大戦に参戦。ナチスドイツによる原子爆弾の開発が、もはや時間の問題だとみられていたのだ。オッペンハイマーは参加を快諾し、優秀な科学者たちを全米から招聘。ニューメキシコ州にあるロスアモラス研究所を建設して、彼らを家族ごと移住させた。それは国家の存亡をかけた核開発競争の始まりだった。
1945年 ナチスの降伏後、今度は日本を降伏させるための武器として、原子力爆弾の研究がつづけられていた。この国家プロジェクトは、1945年7月に行った「トリニティ実験」でついに成功を収める。計画の成功を喜んだのもつかの間、8月に広島、長崎に原爆が投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。
そして、戦後。戦争を終結させた立役者として賞賛されるべきオッペンハイマーだったが、時代冷戦に突入。アメリア政府はさらなる威力を持つ水爆の開発を推進していくのだった。ルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・jr)によりブリンストン高等研究所の所長に抜擢され、また原子力委員会のアドバタイザーとなったオッペンハイマーは核開発競争の加速を懸念し、水爆開発に反対の姿勢をとったことで次第に追い詰められてゆく。1950年代、赤狩りの嵐の中、彼の人生は大きくかわっていくのだ。
クリストファー・ノーラン 監督・脚本・制作
感想
原爆の製造は最初はドイツに落とすことが目的であった。独裁指導者ヒトラーが死んだことでドイツに落とす意義がなくなった。そこで日本がターゲットになったということです。
日本の次はイタリアが狙われた可能性がある。
「トリニティ実験」の様子を映画館で鑑賞した。原爆を作ってアメリカで行ったその内容があまりにも衝撃的でした。
膨大なエネルギーによって崩壊されてゆくのは強い光線である。その直後に大きな轟音が響く・・・
映画館というところは、迫力があって臨場感があるのが特徴。原爆投下を「ピカドン」と表現されていることを思い出した。
そしてこのすごい恐ろしいものが、広島と長崎に落下したのかと感じた・・・