「オッペンハイマーを含む、当時のアメリカ人」オッペンハイマー かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
オッペンハイマーを含む、当時のアメリカ人
「事実」を追うなら、NHKやBBCが作成したドキュメンタリーを見たほうがよいと思うので、映画として、見ました。
「時間」を操るのはクリストファー・ノーランの特徴の一つだが、今回も同じ。
3つの時間軸が交錯しつつ話が進むが、予習していないと訳が分からない。
私の予習ではストローズの商務長官指名に関わるところまでは範疇になく、当初「公聴会」が何をしているのかわからず、オッペンハイマーの「赤狩り」=吊し上げ聴聞会とは別のものが同時進行しているという認識のみで見ていって、商務長官指名に関わる公聴会だということが分かったのは映画の最終版の、ストローズ陣営の人々の会話の中でだ。
アメリカ人ならピンとくるのかもしれないが、私には、なんのこっちゃ
カラー画面とモノクロ画面も交錯するが、使い分けを理解するのにもだいぶ時間がかかってしまった。
それでも、私にはとてもおもしろかった。
この映画は、始終、アメリカ人としてのオッペンハイマーの視線で描かれている
なので、日本人の視点と違っているのは当然
ただし、内面の解説はなく、見ているものから推測するしかない
そして、彼の目を通して、当時の「アメリカ人」が描かれている
世界初の核実験「トリニティ」が成功したことは多くのアメリカ人には喜びだし、日本への原爆投下が「成功」したことは彼らにとっては拍手喝采だったのだろう。
日本人だって、「鬼畜米英」といっていたのだ
ただし、すでに死に体、放っておいても降伏するであろう日本への原爆投下に反対する人たちはおり、オッペンハイマーはそれを制して投下を推進した事実もあり。被害はある程度予測していたはず、世界にアメリカの優位性を宣言したいからと言っていたがとにかく一度実際に使用して成果を見たい、多大な予算と人材を投入しているので国に対して目に見える成果報告も必要、でも当初の標的ナチス・ドイツはすでに降伏、じゃ、日本に落とせばいいじゃん、ではなかったか。(ふざけんな!!)
ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下の惨状の描写がないと言われるが、オッペンハイマーはその目で見ていないのだからラジオで知った時の彼の描写で表すのが自然だと思う。投下後の様子もラジオで聞き、彼は自分のしたことの恐ろしすぎる成果を知ることになる。周囲の人々の顔がめらめらと剥がれ落ちていく幻覚を見たり罪の意識におののき、反核に舵を切る過程は分かるし、見ていない惨状を具体的に描くのは不自然かもしれない。
ストローズに恨みを買う過程やその他の多くの人間関係を、説明を省いて細切れのシーンでわからせるようにしており、記号のように個性的な風貌のキャラクターが多かった気がした。オッペンハイマーと見かけも中身もまるで正反対の友人アーネストや、憎々しいストローズ、本人みたいなアインシュタインなど、特に映画的だと思いました。
トルーマンが、原爆投下を英雄的行為と思ってはばからないこと、俺様でオッペンハイマーを見下し疎ましがる「嫌な奴」であることがよく分かりました。
ストローズがぐいぐい行くのは、兵器として水爆を落としたことがなく、大量殺戮の加害当事者になったことがないからでしょう。
フローレンス・ピューとの交流(?)場面はちょっと多すぎかも
聴聞会で妻のキティが悪意ある尋問に毅然と回答、逆にやり込めるのはこの映画で唯一、爽快なシーンでした。
原爆投下に関して、クリストファー・ノーラン個人の考えを極力入れず、あくまでもアメリカ人としてのオッペンハイマーの、外からうかがえる内面と、当時の一般のアメリカ人をフラットに描いた映画と思う。
映画の中で、自分がオッペンハイマーだったらどうしただろうか、とたびたび考えてしまった。
核は、まさにプロメテウスの火
そして、知ってしまったことは、知らなかったことにはできないのだ。
追記)※さらに追記あり
ロスアラモスの施設が、「アステロイド・シティ」のアステロイド・シティにそっくりで、わざとだろうか、きっとわざとだ、と思いました。
アステロイド・シティでは、近くでしょっちゅうキノコ雲が立ち上って強風が吹いて振動が来る、住人たちはすでに慣れっこ、あ、またか、って。ブラックジョークが過ぎて背筋が寒くなりました。
投下された日本だけでなく、実験でのアメリカ国内の被爆者も相当いたはずです。
コメントありがとうございます。
確かにノーラン監督は、扇情的な表現で特定の感情や"答え"に観客を誘導することを慎重に避けているように思います。
ただそれは、監督自身が核兵器について賛否どちらにもよらないということでは決してなく、息子との会話をきっかけに若者の間で核兵器への関心が薄まっていることに気づき、核の脅威への関心を喚起する必要を感じた、というのが製作の動機だと語っています。
監督の理性的で答えの提示を避けた表現は、かばこさんがお書きになっているように、まさに「あなたがオッペンハイマーだったらどうしますか」と問いかけ、何故このような後戻りの出来ない兵器が作られるに至ったか、観客ひとりひとりに考えてもらうためのものだと思います。
talismanさん
トルーマンはアメリカ人にも嫌われているのでしょうか。なんかあからさまに嫌なやつでした。
アメリカ大統領になるような人は、良心とか良識とか気にしないような、怪物みたいな人じゃないと務まらないのかも、とも思ってしまいました。
オッペンハイマーの真の敵役はトルーマン=当時のアメリカ国家という図式だったのかもしれないと思いました。
so_miyaさん
こちらこそ、受け取り方が的外れじゃなくてよかったです。
ノンフィクションなので、時代性と、人の常とか性みたいなものが見えますよね。
この映画のレビュー、皆さんそれぞれで、観たヒトの自分なり感想や疑問、気づきがあるんですよね。
かばこさん共感とコメントありがとうございました。
公正ではなく、「やってやる」意識がある時には、かばこさんのおっしゃる言い方でいう「相手が虫ケラという意識」と地続きということを言いたかったので、わかりやすく補足していただきありがとうございました。そういうことを言いたかったのですが、伝わりにくくてすみません。
ありがとうございました。
ニコラスさん
トルーマン、不遜で嫌な奴でしたね。
こういう人たちに良心はあるんだろうか、というか、良心が疼くような人間らしい人間は、アラブの首長とかアメリカ大統領にはなれないのかもと思ってしまった。怪物のみが務まる地位なのかも
sow_miyaさん
的外れなら申し訳ないですが、不公正な決定というのは、片方が一方的に片方を不利な状況にするということでしょうか、短く言うと「やっつけてやる」ような場合
やっつけてやる決定を下す際、相手に対してこちらが優位な差別意識があれば強硬で無慈悲に「やっちまう」決定になりそうです。
「ヒトラーのための虐殺会議」を見たときに、ナチス・ドイツ高官たちの意識ではユダヤ人は人でなく完全にモノであって戦慄しました。モノなので、あんな酷い決定ができたんだと体感しました
ヒトの差別意識が徹底されたらここまでさせてしまう実例で、究極そうなってしまうことをみんな自覚したらいいと思います。
Mさん
そうですね、ヒロシマ、ナガサキが逃れたとしても、満を持して朝鮮戦争で使われたかもしれません。膨大な予算と人材を投入したプロジェクトであり、一度実際に使用して成果を明示することが必須だったという側面もあるだろうし
そして、日本も、朝鮮も、落とされる側は黄色人種…
マンハッタン計画は、「規模は壮大だがろくな結果にならなかったもの」の比喩に使われるようですが、「ろくな結果」というのは、大量虐殺のような巨大な被害をもたらすもの、という意味なんでしょうかね
コメントありがとうございます。
ロレンス然りオッペンハイマー然り、自分の想いや行動と、その後の周りに翻弄されるジレンマ、それが尚更こんなはずでは、という後悔に似た感情を強くするのではないのでしょうか。
トルーマンの不遜な言いぶりがそれを象徴していた気がしました。
アカデミー賞でのロバートダウニーJr.の行動を見ていると、例えドイツの降伏に原爆の完成が間に合っていたとしても、(白人の国である)ドイツには、落とさなかったような気がしました。
かばこさん、コメントありがとうございました。
こうした不幸を減らしていくには、不公正な決定を下す際には、どんなに理由をつけたとしても、そこには差別的な意図が介在しているということをみんなで自覚していくしかないと思っています。
なるほど、ロバート・ダウニーjr.の聴聞会のシーンは、そういうことだったのですか。お陰様で、少しだけ、すっきりしました。それにしても、背景を説明しなすぎで、分かりづらいシーンの多い映画でした。
琥珀糖さん
いっそ、あの日を逃して2年間使えなかったら良かったのに、と思ってしまいます。2年あったら戦争は終結しており、核兵器は人類史上実戦に使われること無く「存在」するのみの、「抑止力」になりえたかもしれませんよね
コメント・共感ありがとうございます。
すごい兵器が完成した時、使わずにはその威力を確かめられませんものね。
あの日を逃すと、2年間は、使えないとか読みました。
トルーマンは良心が痛むところか、自慢げでしたね。
ストローズという人を全くしりませんでしたが、ダウニーJr.の演技で
人の弱みにつけ込む本当に嫌な政治家でしたね。
大嫌いでしたが、映画にはとても貢献していましたね。
たしかに誰かに使われる前に、そう言う開発競争の焦りと功名心は
誰の中にもありますものね。
オッペンハイマーは人間的に正直な人だとは良く分かる映画でしたね。