劇場公開日 2024年3月29日

「凡人ストローズが天才オッペンハイマーに嫉妬するが骨子の反戦反核映画です」オッペンハイマー クニオさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0凡人ストローズが天才オッペンハイマーに嫉妬するが骨子の反戦反核映画です

2024年3月30日
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鑑賞方法:映画館

怖い

知的

難しい

 件のアカデミー賞作品賞受賞作をやっと日本で公開、鑑賞出来ました。普段は映像で描き切るクリストファー・ノーラン監督にも関わらず、膨大なセリフ劇にまずは面食らいました。画面切り替えしによる会話劇が延々と続き字幕派ですが吹替版が欲しい程、時折、核反応をイメージさせる抽象画面が大音響とともに不意に挿入される、まるで「眠っちゃダメよ」と言わんばかりに。おまけに時間軸をズタズタに切り裂き、さらに数多の登場人物を唐突に投入で観客を混迷地獄に陥れる。タイトル通り「原爆の父」たるロバート・オッペンハイマーの半生を忠実に再現し、物理学者としての本質と、政治的観点からの極めて恣意的な扱いの理不尽描く。

 ロバート・ダウニー・Jr扮する政治屋ストローズのシーンは敢えてモノクロで描き、政治に翻弄されるオッペンハイマーはカラー画面にする監督の深謀遠慮がポイント。要はオッペンハイマーと純粋な学者としてのアインシュタインに策士ストローズが明らかに嫉妬する構図、凡人が天才に嫉妬と言ったら簡単に過ぎますが。いよいよ映画のラストに、冒頭では明らかにされていなかったオッペンハイマーとアインシュタインの会話の内容が正面から描かれる仕組み。そのポイントは科学者の探求の先に訪れる世俗(政治やら社会)との軋轢について覚悟を先輩から後輩にアドバイスって場面です。

 天才オッペンハイマーは純粋に可能性を追求し真理を探究したい一心、一方の凡人ストローズはそれをいかにしてツールとして御するかに尽きる。当然に天才は事実のみを吐露していくが、凡人には深謀遠慮がつきまとう。本作の主役はキリアン・マーフィ扮するオッペンハイマーですが、監督の視点は明らかに凡人ストローズの側にある。感情を剥き出しにした慇懃な凡人に人間味を感じたのでしょう、だからこそ本作が制作されたと見るべきでしょう。ノーラン監督は天才側のはずなどと不遜な姿勢は全くありません。

 その意味からも本作最大の骨格はストローズにあり、それを近頃の映画における最高峰の演技の壁をさらに突き抜けたロバート・ダウニー・Jrの渾身の演技が超ド級の見事さです。ついでに記せば、大ベテランのアイルランド役者キリアンは殆ど本作では殉教者であり、超越した風情を熟成し主演男優賞は当然です。それにしても昨今のハリウッド映画で男優が裸になる際は事前の体づくりが当然なのに、これほどに「貧相」な体躯(もちろん敢えて)を晒すとは驚きで、頬も抉れる程のストイックを貫いたわけです。

 正直に言いましょう、私が本作で最も心揺さぶられたシーンは、原爆投下により大戦が終結し、多くの学生達が仮設のスタンドで足を踏み鳴らし歓喜に揺り動かされるシーンです。ちょうど南京陥落時日本橋の三越デパートでは「南京陥落祝賀大売出し」と山田洋次の映画「小さいおうち」2014年でも描かれたように、また真珠湾攻撃によって日本全土が心底歓喜したように、米国全土で怒涛の大音響で悦びが爆発するのです。当時の彼等米国人には広島・長崎における空前の惨状に心痛める前に、戦争終結がなにより優先ですから、これをもって彼等を責める必要なんてまるでありません。なにしろナチスの息の根を止める手段としての原爆早期開発だったはず、ところがヒトラーの死を迎え残すは日本のみとなってしまった。日本に事前に核実験の威力を知らしめたところで、日本はもはや理性の通じる域を超え「一億総火の玉」状態で無意味と判断されてしまった。で、日本が自ら降参するまで次々と原爆を日本各地へ投下の決断となってしまった。被害国として原爆=広島・長崎は自明の理で、加害の側の論理を慮るなんぞ到底あり得ない。けれど歴史の現実を彼らの思考プロセスを、思い知るのも必要な事と思います。

 投下後の広島での撮影フィルムを関係者に示されるシーンが後で登場します、思わず目を背けるオッペンハイマーもそこに描かれます(惨状の画は見せない)。奇跡的に生き残った者達も放射能により次々と死んでしまったとも言葉で説明されます。が、それ以前にその仮設のスタンドの歓喜のハイライトシーンにおいて、焼け焦げ真っ黒に炭化してしまった人体に足を踏み入れる幻覚に戸惑うオッペンハイマーが描かれます。実際にここまでの惨状は彼自身到底考え及んでいなかったはず。とんでもない悪魔の所業に自らが加担してしまった事実に驚愕です。このシーンだけで広島・長崎の絶望を象徴的に表現しているのです。

 当然に原爆を水爆に格上げする事にはオッペンハイマーは明確に反対するのです。それを臨むのは科学者ではなく冷戦に対峙する政治家及びそれに紐づく実業家たちなのです。歯止めの利かない軍拡競争、人間の飽くなき欲望に限界がない以上止めようがない。抑止力なんて所詮机上の詭弁に過ぎない事は誰もが承知、ですがそんな根源的なリアクションでしか納得出来ない愚劣に陥っているのです。「俺は強いぞジャイアンだから」と悪ガキの虚勢のレベルを1ミリも超えていない。そんな現実を本作は観客に突き詰めるのです。オッペンハイマーとしては、放出されてしまった放射能への対策こそしたかったでしょうね。後始末まで出来て初めて科学は生きるのですから。いまだに、のみならずこの先何十年と手を焼く福島原発事故の後始末に対する科学的回答は全く登場していないのですから。

 翻って、この怒涛のセリフ洪水劇を支える役者達の半端ない豪華さには驚く他はない。
①オッペンハイマーの妻役のエミリー・ブラントのオスカー助演賞は実に惜しかった。
②ノー天気な軍人役のマット・デイモンは彼ならではの単細胞的陽気さがまさに適役。
③オッペンハイマー以上に当時有名であったローレンス博士役に相変わらず長身でかっこいいジョシュ・ハートネットが扮してますが、「パール・ハーバー」でベン・アフレックとダブル主演したのがもう23年も前の事、第二次世界大戦の開戦と終戦の両方を演じているわけです。
④天才も女性には弱いを描く際のフローレンス・ピューがまさかトップレスで登場とは意外、「デューン2」にも出演の引く手あまたの人気女優になりました。
⑤英国からのエスタプリッシュの助っ人として登場のケネス・ブラナーは安定感がありますね。
⑥影の主役であるストローズのサイドに、ほんのチョイ役と思われたが後の証言が活きる役にラミ・マレックが、
⑦同じく証言側として殆どアップだけのケイシー・アフレックと、ともにオスカー受賞スターを配し。
⑧さらに「チューリップ・フィーバー」や「ヴァレリアン」で繊細な主役を張ったデイン・デハーンが慇懃な銀縁メガネで登場し、
⑨その昔には「フルメタル・ジャケット」や「バーディ」で一世を風靡したデリケート役者マシュー・モディーンが国会議員役で登場。
⑩最後にオッペンハイマーを追い詰める蛇のような役人に「猿の惑星」シリーズの主役ジェイソン・クラークが実に嫌らしく演技を展開、
⑪そしてストローズの側近役のイケメンさんに見覚えが・・と調べたら「ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー」2018年に大抜擢され若き日のハリソン・フォードを演じたたオールデン・エアエンライクでした。
⑫まるで気付かなかった配役で、オッペンハイマーの水爆否定に反吐はくトルーマン大統領がなんとゲイリー・オールドマンだったなんて、
⑬そしてそして肝心のアインシュタインがなんとイギリスの重鎮トム・コンティとは。

 クリストファー・ノーラン監督の以前作「TENET テネット」が約2億ドル、「インセプション」が約1.7億ドルの製作費、を思えば本作は1億ドルだそう。金かかるのはニューメキシコのオープンセット程度で、ジャンボジェット機を本当にぶっ壊した「テネット」と比べるまでもなく彼にしたら安上がり。逆に言えばそれだけドラマ中心の作品なのです。この辺りで期待外れの印象は出るのもやむを得ません。米国の云わば黒歴史とも言える題材を取り上げた気概は100%評価すべきでしょう。

クニオ
琥珀糖さんのコメント
2024年4月20日

「異人たち」に丁寧なご指摘心より感謝いたします。
山田太一さんが生前にご覧になり、
「温かく受け入れていただいた」
それは初耳です。そうだったのですか。
レビューに追記してお詫びしたいと思いますが、
本文を書き直したり、タイトルを変えることは、まだ悩んでおります。
そうですか、やはり無理解で配慮が足りない表現なのですね。
失礼をお詫びします。

琥珀糖
琥珀糖さんのコメント
2024年4月19日

他作品に共感ありがとうございます。

琥珀糖